ツワリと霊的視点

吐き気、匂いに敏感、食の好みの変化、ツワリの症状は早い人で妊娠5週目あたりから始まり、週数が進むにつれてひどくるようで、ピークは8週、9週、10週、11週あたりがピークだと言われていますが、症状には個人差もあります。

ずっと軽い症状の方もいれば、ツワリの症状がひどくて動いていられないケースまでさまざまのようです。

通常は12週以降からはツワリの症状がおさまってくるでしょう。

つわりは約8割のママが経験するといわれてますが、まったくツワリの症状が出ない方もいらっしゃいます。

つわりの症状として代表的なのが吐き気ですが、症状が軽い人もいれば重い方もいらっしゃいます。

症状が重い方の場合、嘔吐を繰り返し、口に物を入れられない状態になり、脱水症状や餓死状態になる場合があるといわれています。

今まで大丈夫だったタバコのにおいや生活臭、食べ物のにおいに対して嫌悪感をかんじる事が多くなることもあります。

炊飯器の蒸気が苦手な方も多いようです。

お腹に赤ちゃんがいる間は今まで食べる事の出来なかった食べ物が食べられるようになったり、逆に好きだった食べ物が嫌いになったりする事もあります。

つわりの原因については医学的にこれといった原因が立証されていません。

色々な説があり、心理的な要因によるものがあるだろうといわれる程度です。

「私はツワリがまったくありません。おかしいですか?」という方もいらっしゃいます。

ツワリの時期は個人差があってもその事は本人にとってはつらいところも多く、食事内容やその摂り方を工夫している人も多いことでしょう。

きょうはツワリについてスピリチュアルな視点から述べてみたいと思いますが、過去にも一度つわりについて投稿したことがあります。

部分的に付け加えたり、訂正しながら再度アップしてみます。

自分の肉体と、もう一つの肉体である霊体を支配している魂、この魂のもてる能力はとても偉大なものですが、それに気づいている人はどれほどいるのでしょうか。

私たちは、実在するあの世から、万物の霊長としての偉大な魂と、偉大な知慧を兼ね備えて、且つ、計画を立ててこの地上に出ていますが、偶然に生まれたのでもなく、無計画に生まれたのでもありません。

そして私たちはあの世、次元の違った四次元以降、多次元の世界から、自分が望んで「今度はこの日本に生まれよう」、あの世において、お互いに「あなたは今度はお父さんになって下さい」「あなたは今度お母さんになって下さい」と、あの世で既に約束してきているのです。

ところが、お父さん、お母さんはこの地上に先に出てきます。

生まれてきたこの環境や思想や教育と、長い歴史の中に、人間のつくり出した習慣によって両親は、その中で盲目の人生を歩み、清浄で調和された自分自身の心を見失ってしまいます。

人間は地上に誕生した瞬間から過去の人生における記憶の一切を忘れて新たな人生をスタートさせます。

お互いに適齢期になるに従って、ある者は恋愛や、見合いをして夫婦になってゆき、ある者は夫婦になる約束を破棄し、あるいは夫婦を解消し、いろいろと問題を起こして自分自身が、苦しみをつくってゆくのです。

感動と悲しみ、そして苦しみと、様々な経験をすることによって更なる心づくりをしていきます。

『見えない赤い糸』といいますが、この世において夫婦としてお互いに愛の絆で結ばれる場合でも単なる偶然ではなく、天上界において双方が合意の上に約束をし、地上においてめぐり会っている場合があります。

親子関係についてもそうで、あの世にいるときに約束をいただき、子供は全てを承知のうえで地上に出てきています。

このブログを読んでくださっているあなたも、あの世では、霊体というあの世の肉体を持っていて、お母さんのお腹の中に入る直前まではみな大人なのであります。

そうして生まれる瞬間に、私たちの意識全体が潜在する部分表面化する部分とに分れます。

胎児の体に合わせて魂を小さくして宿り、肉体の成長と共に魂も向上させていきます。

あの世においては、潜在意識の90%が表に出て生活していますが、この地上においては、わずか10%しか表面に出ず、全体意識の90%は潜在しています。

お母さんの腹に入るまでは、90%の意識を持っておりますから、人間はこの地球上に何の目的で生まれてくるかを自覚しております。

胎児の体が人間として形作られる妊娠二か月から三ヵ月位になると胎児に魂が宿るのをきっかけに、ツワリが始まります。

このツワリは単にお母さんの肉体の問題だけではありません。

これはお母さんの心身の波動と胎児の心の波動がひとつのバイブレーションとして同調するまで続くのですが、ツワリが始まって一カ月月から二カ月ぐらいすれば同調でき、やがてはつわりという辛さから解放されるのはそのためです。

霊的な視点からすればツワリはお母さんと、胎児にやどった魂とのバイブレーション(意識波長)が合わないために起こる現象といえる。

先ずは、お母さんが日頃の自分の想念と言動を振り返り自我我欲の部分を反省して改める決心をすること、つまり、心を調えること、そのうえでお腹の赤ちゃんに呼びかけるのです。

『あなたの心と私の心を一つにして親子として心の学修をしていきましょう。

私も心安らかにしますから安心して成長してください。』と。

胎児の魂がお母さんのお腹に宿るときは、今世においてこの地球上の一年間の修行生活は、あの世の百年にも匹敵するだけの、善と悪とがミックスされた厳しい修行所であり、だからこそ魂の修行になるのだということを知っているのです。

嘘と真、建て前と本音、両立と矛盾、喜びと悲しみ、平和と争い、善と悪が並び合ったこの世の中において私たちは本当の魂の修行をして、その道を実践修行してくるということを、あの世にいる時に、誰もがみな納得して生まれてきているのです。

そのようにして私たちの魂の兄弟、あるいは多くの友だちに送られて勇んで地上に出てくるのに、この地上に出てしまうと、五十年、百年間というものはあの世と断絶します。

なかにはあの世の存在さえ完全否定する人もいます。

この世の人生を死というかたちで終わるように、あの世からこの地上界に出てくることはあの世での死でもあります。

地上に出るにあたっては誰もが志を立てて、ある人は、今度は医者になって病める人たちの為に立派に多くの人々を救ってきますといって出てくるのですが、なかには学問、知識の最高峰に有頂天になり、驕り高ぶり、患者を見下して上から目線でものを言うようになる人もいるわけです。

経済的に豊かになると人間は貧しきものを見下したり驕りが心を支配します。

しかし、心ある者は人生の目的を知り、真理を病める多くの人々に知らしめる努力をしてまいりますといって出てくるし、また地上においても人生の意義に気づき自らを反省して謙虚に生きるのです。

誰もがあの世では、人類はみな兄弟だということも、国土には国境があっても、魂には国境がないことも、人種差別がないことも悟っています。

この地球上へ出れば、それぞれ長い歴史の中で、私利私欲、自我我欲に基づいて、宇宙の細胞であるその地球上を占領して、ここは我が国であると、お互いに国と国との争いを繰り返しておりますが、そうした争いがあるのはこの地球上と地獄界だけです。

人類の魂は90%の潜在意識があの世では開いており、そのために自分の心で思うことは、即座に相手にも通じてしまう世界なのです。

それだけに悪い心が起これば、即座に心から光は消えてしまいますから自分ですぐ反省します。

なぜこのように心が暗くなったのか、その原因を追及して再び反省した時に、自らの魂は燦々(さんさん)と光り輝くのである。

人間が心を曇らせるのは自分白身が物質の奴隷となり、守銭奴となり、地位や名誉に固執した偏った価値観に執着するからに他なりません。

そしてまたあの世においては「今度こそは、今度は正しい生き方をして悟ってやるぞ」といって決心をして出てくるのです。

この地上に出て、わずか10%の表面意識では人生を渡っていくために、私たちの心というものはどうすべきかという点において盲目的であり分からないものです。

人間の弱さはこの点にあるといえますが、それだけにこの地上での学びの深さが違います。

そのために誰もが今を自由に行動をしておりますが、本当は暗中模索の人生ですから、それがまた心をステージアップするための修行でもあります。

このことは実在するあの世においては今度こそ使命を果たしてきますと送られて出てくるのですが、その約束を破棄して、自分勝手な行動をし、エゴに走り心を汚していきます。

こういうことを誰もが知ったならば、今、両親に対して感謝する心を行為に現わし親孝行するのは万物の霊長として当然なことであることも理解できるでしょう。

ところが現代の人々のなかにも、そのような心の持ち合わせはなく、親が勝手に生んだのだとか、教育するのは親の当然の責任だという者もいる。

子どもの頃の家庭環境が悪く、親自身もエゴで身勝手な言動をしているところの子どもなら気の毒で致し方がないところもあるのだが、自分が大人になっても、あるいは親になっても自分の親に感謝と報恩の心がないようでは如何なものかということです。

貧乏に生まれれば、『なんでうちはこんなに貧乏なのよ』と、親に不満を言い、世間を恨んだりする子どももいます。

これはしっかりと愛をもって諭してあげなくてはいけません。

この地上へ出てくる時、あの世においては、金とか、地位とか、名誉とか、こんなものは心のステージアップには関係ないのだということを私たちは、本当は悟っているのである。

ただひたすら永遠に変わらないところの私たちの主(あるじ)である魂、この魂を磨くということがまず第一だということを。

きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。

電話相談の内容をもう一度

1301「中絶・水子供養についての質問」についてメールでのやり取りはアップできましたが、相談者のHさんと電話で話した部分については掲載できていませんでしたから、今回は記憶をたどりながらその部分を掲載しておこうと思います。

電話での1時間以上の会話を思い起こしながらの文章化ですから内容として欠けている点についてはどうぞご容赦いただき、且つ、電話で話し忘れたことについてはこの場を以って補足をさせていただきます。

実は、このことは相談者のHさんからの要望でもありましたのでその意向を紹介しておきます。

「観童先生にひとつお願いがあるのですが、電話相談で私にお話してくださった内容をブログに掲載していただけないでしょうか?

(特に、普通の殺人と中絶を一緒くたにすることの誤りや、一生罪を背負って苦しむことは償いにならないことなど)

私もそうでしたが、中絶経験者はみんな「自分は人殺しだ」とか、「一生許されないし罪を背負っていかなければならない」、「ずっと苦しみ続けることが償いだ」などと考えていると思います。

そういった人々に向けて、是非ともメッセージを送ってほしいのです。

私は電話相談のおかげでだいぶ心が軽くなりましたし、先ほど申し上げたような生き方をしていこうという決心もできました。

観童先生の言葉で、私と同じように救われる方もきっと多くいるはずです。

私も今後また心が不調和になってしまったり、迷いが生じてしまった時には、そのブログ内容や、観童先生からいただいたメールを読み直して気持ちを落ち着かせたいとも思っております。

ご検討いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。」

さて電話での内容ですが、先ず最初に、中絶することと、人間が人間を殺すことは意味合いが異なるということについてお話ししましょう。

世の中には他人から注意をされただけで切れてしまって相手を刺し殺したという事件もありますし、兄弟が財産争いをして殺害に及んだという悲しい実話もあります。

また、子どもが親を殴り殺したという痛ましい事件や、親が子どもに手掛けて殺してしまったという事件も後を絶ちません。

私が直接受けた相談者のなかにも親を殴って大けがをさせた大学生がいましたが、彼の話しでは「殺意を抱いた」と話していましたし、幼少の頃から家庭をかえりみない父親への不満がそうさせた原因であることがみえてきたのでした。

残念ながらこの家庭は修復できないところまでほぼ崩壊していました。

少し脱線しますが、今現在でも世界の各地で戦争がおこなわれ、兵士は勿論、多くの民間人が犠牲になっています。

これもまた大義があるとはいえ殺人に変わりはありません。

このような殺人行為は人道上許されるものではないということも私たちは知っています。

こうしてみると殺人には、自己都合(不満、怒り、憎しみ、恨み)、政治的都合というエゴからくる感情が暴走して殺人に到っている場合がほとんどです。

殺人という人間の犯す罪には、社会の秩序を守る為の法律が適用されて裁かれますが、当の本人が法律にしたがって刑期を終えたから自分は許されたと勘違いしてしまえば、再犯の可能性だってあり得るでしょう。

何故なら、心からの反省、悔い改めが成されていなければ、本人の心の罪はそのまま厳然としたエゴとなって魂に残るからであります。

一方、今回の相談者Hさん(男性)のように、20代という若さでありながらも彼女が妊娠6週目で中絶という結果に対して、自責の念で相当に苦しんでいたことは、いただいたメールの内容や電話での内容から十分察して余りあるものがありました。

事の重大さを安易に考えて彼女のことを気遣いもしない、労(いた)わりもしない男性もいるなかで、相談者は妊娠、中絶という過ちを真摯に受け止め、不眠になるほど、痩せるほど苦しんだのです。

この心からの懺悔の気持ちが大切なのであって、二度と同じような過ちをしないという決心こそが自分を救う道であるということと、そういった素直な気持ちこそが彼女に対する愛情であり、誠意でもあろうかと思うのです。

過去の記事でも申し上げましたように、妊娠初期6週目の段階ではまだ胎児には魂が宿っておりません。

受精した途端に魂が宿るという表現をしているサイトや思想もあるようでうが、実際は受精したときはその瞬間に新たな生命体の営みが誕生するという意味において宇宙とつながりができると理解すべきであって、宿る事とは違います。

厳密には肉体が形成されていない受精卵に魂がやどることは医学的な見地、物理的見地、霊的な視点からいっても無理があります。

受精卵が細胞分裂を繰り返し、人間としての肉体が形成されてきますと3か月頃には心臓の細胞も形成されやがて鼓動が始まります。

この心臓の鼓動が始まる時期が霊界から肉体に魂が出入りできる条件が整ったときであります。

胎児への魂が宿るというタイミングに関しては、人間の死を考えてもらうと分かりやすいかと思います。

寿命が尽きて死を迎えたときに霊体は身体から抜け出ていますが、まだ完全に切れたわけではなく、肉体と霊体は霊線(光子線)によってつながっています。

そして心臓の鼓動が止まったその瞬間に完全に肉体から分離されてしまうのです。

肉体は心臓の鼓動によって維持されているわけですから、鼓動の停止が本当の肉体死であり、魂が完全に分離する瞬間であります。

つまり心臓の鼓動が始まるときが魂が宿るときであり、鼓動が停止するときが分離するときだということです。

しかし、こういった真実を立証することは限りなく不可能に近いことです。

それは3次元に生きる人間に対して、4次元の肉眼で見えない世界を証明することは今の科学では証明できないからです。

次元差を超えられない壁がここにあります。

早期の中絶という問題は子宮壁を削り取ることになりますが、この時に着床した受精卵も同時に処置されることになります。

母体の痛みもさることながら、それ以上に女性の精神的な苦痛は計り知れないものがあるでしょう。

この中絶という問題は特に3カ月に満たない場合について霊的な視点からすれば、魂の宿っていない胎児は人間としては完全ではなく、母体の一部というように説明した方がより分かりやすいかと思います。

誤解のないようにしていただきたいのですが、このことは新たな生命の営みを軽んじているのでもなく、厳粛な生命誕生の真実を申し上げているということであります。

中絶イコール殺人という風潮は正しい解釈と理解が成されていないこと、霊能者といわれる人々や寺院のなかには中絶を理由にしっかりビジネスにして営利主義に走る者たちが多くいます。

こういう人たちが中絶は殺人だといって不安感や恐怖心をあおり立てて間違った情報を蔓延させてきたのである。

あまりにも簡単に殺人という言葉を使いすぎることによってどれだけの人たちが精神的ダメージを背負い、自縛し、心のなかに影を落としているのか、大いに弊害を危惧するところです。

魂の活動

妊娠3か月以上の胎児に宿った魂は、胎児に入ったままではなく、誕生の瞬間まで胎児の肉体を抜け出て4次元に戻ったり、肉体に戻ったりと自由に出入りしています。

そういう意味では生まれたあとの私達のスピリットとは違い、胎児に宿っている魂の場合は非常に行動範囲が広いということがいえます。

それは何故かというと、まだこの世に生まれていない魂は非常に4次元とのつながりが深く、また私たちのような不要な先入観や知識、心の曇りがありません。

それだけに非常にクリーンな魂だといえるのです。

それがどれだけ大切な事であるか、生まれたばかりの赤ちゃんや、幼児をみているとわかりますが、まだ何も分別のつかない幼児が誰かと会話しながら遊んでいることがあります。

誰と話しているの?と聞くと「知らないおばちゃんと遊んでるの」という。

これは幼児の作り話ではなく、幼い子にはよくあることで、幼児の方が4次元世界を見やすい条件が残っているということである。

そして年齢を重ねていくことによって知識や経験、先入観、エゴが心に出てくるにしたがって心の眼が閉じてくるのである。

何の先入観や既成観念もないほうが霊視ができやすということです。

このことはお母さんのお腹にいる胎児にもいえることであって、まだこの世の空気に触れていない魂は非常に4次元とつながりやすいということです。

次に、3か月を過ぎて胎児に魂が宿ったあとのやむを得ない事情による中絶の場合、その魂はどうなるのかという疑問が湧いてこようかと思います。

先ず、胎児が中絶される前に胎児から魂が離れますから直接的な痛覚というものからは解放されることになります。

これに関しては医学的な問題や法的な問題を一旦わきにおいてお話しをしましょう。

実際お腹に命を宿している(いた)女性にとっては中絶ということ自体納得しがたいものでることは当然のことであります。

しかし、罪悪感を抱いて悩み苦しみ続けることは、償いでもなんでもなく、むしろ心を曇らせるという意味において罪であることから、悔い改め、懺悔は由としても、長期にわたって悲しみ、苦しむことは決して自分自身の為にも子の為にも、霊的な進歩にはならないのです。

胎児に宿った後に中絶されたその魂は本来、霊界において、ある程度のステージまで修行して煩悩から解放された境涯の魂であること。

そのうえで胎児に宿るチャンスをいただいたのですから、中絶されたからとはいっても親や兄弟たちを呪うような悪業をすることはないのです。

まだこの世に生まれていない魂たちは、私たちがもっているような3次元的な狭い価値観ではなく、心が全てであるという境涯にまで自分の心を昇華させた立派な悟りを経た大人たちであるということを知っておいてほしいものです。

胎児に宿った魂がこの世に生まれることができなかった場合、中絶、死産、流産した魂をあの世においては救済の手が天上界より差し伸べられ、養育施設で手厚く保護され大事に成人するまで育てられます。

この点についてはこの社会も福祉という制度の下に同じように施されていることを見ればご理解いただけるのではないでしょうか。

福祉についてもあの世の実態がこの世の現象として反映されているだけのことです。

もう一度申し上げておきましょう。

水子霊は中絶されてしまったとしても決して祟ったり親を恨んだりすることはないし、天上界でしっかり保護されているということや、自分がしっかりと調和した心を持ち、罪悪感に固執せず明るく前向きに生きていくことこそが最善の供養になるということを知っていただきたい。

明るく前向きに生きるとは先ずは、自分自身の心を愛によって満たすことが先決であり、そのうえで多くの人に笑顔で優しく接し、愛のある生き方をすることでしょう。

いつまでも中絶したことを悔いたり、罪悪感に囚われていることが供養ということにはならないのです。

前を向いて明るく生きることにも勇気と決断は必要です。

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続編・中絶・水子供養についての質問

2714月16日 受信 

観童様。おはようございます。

昨日メールさせていただきました、Hと申します。

仕事でお疲れのところ、迅速且つ大変ご丁寧な返信をくださり、本当にありがとうございます。

自分が真面目かどうかは正直分かりません。

そういった部分もあるとは思いますし、人からも必ずそう言われます。

ただ、今までの人生を振り返ってみると、本当に自分のことばかり考えて行動してしまっていたなと思います。

そのせいで、家族を含めて多くの人に迷惑を掛けたり、傷つけてしまいました。

物と心のどちらを優先する生き方をしたいかとのご質問ですが、それはもちろん心です。

生きていくうえでは当然、物も重要ですが、私はやはり優しさ、思いやり、愛といった要素を重視した生き方をしたいです。

先ほども申し上げましたが、私は胸を張って人様に言えるような人生は送ってきておりません。

後悔と反省ばかりですし、今回の件もそうです。

それなら今後自分はどうすべきか、何ができるのかをたくさん考えましたが、同じことを繰り返さぬよう決心し、心を入れ替えてより利他的に生きていきたいと思いました。

もちろん、観童様の仰る通り、「自分が心身ともに調和されての利他愛というのが順当」というのは確かにその通りだと思います。

自分の心(と身体)が調和されることで、人生がより良いものとなっていくでしょうし、そこで初めて偽善的ではない、他者に対する心からの優しさや思いやり、愛が生まれるのだと思います。

のことで自分の過去の行いが許され、償いになるのかは分かりませんが、自分や周りにいる人たちの人生が少しでもプラスの方向に進めば大変嬉しいです。

そのためには、物よりもずっと心を大切にしなければならないと思っております。

あまり上手く説明できず、申し訳ございません。

観童様からのメッセージ、よく読ませていただきましたが、本当に納得させられることばかりです。

どうしてもネットで色々と検索し、変なことばかり考えてしまっておりました。

れがいかに無意味で、自分にとってマイナスであることなのか、頭では分かっているのですが、どうしても止められずにいました。

ただ、今回観童様にメッセージをいただいたのを機に、それもきっぱり止めようと思います。

時間の無駄ですし、精神のバランスが崩れるだけですので・・・。

だまだ時間はかかりそうですが、少しずつ安定した心を取り戻せるように日々過ごして参りたいと思います。

もしよろしければ、そのために何か自分でできること等、ご助言をいただけないでしょうか?

本当は観童様に直接お会いして色々とお話ができればと思っているのですが、経済的な事情があり、関東から岩手まではなかなか行けないので・・・。

今回の件以外でも、昔から心と身体に問題を抱えながら生きてきたので、そちらのご相談もさせていただきいのが本音です。

なので、是非いつかお会いできればと思っております。

私が気になって貼り付けたサイトのURLですが、余計なことをしてしまい申し訳ございませんでした。

今は少し落ち着いて冷静になっているので大丈夫ですが、くだらないことを調べすぎました(言い方は悪いですけれど・・・)。

心が弱っているとここまで自分を見失ってしまうのですね。

までは宗教やスピリチュアル、霊能者に縋っている人を見て馬鹿にしておりましたが、彼らの気持ちがよく分かりました。

その意味でも、常に心の調和を保つことの重要性が分かります。

また取り留めのない文章をつらつらと申し訳ございません。

お時間のある時で構いませんので、再度ご返答いただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。

この受信に対しては後日電話で直接対応のため本文はなし。

4月21日 受信

観童先生。こんばんは。

お仕事お疲れ様です。

本日14時に電話でお話させていただいたHです。

先ほどはお忙しいところわざわざお時間を取ってくださり、どうもありがとうございました。

また、電話も観童先生にかけさせてしまい、申し訳ございませんでした。

1時間以上もお時間を取らせてしまいましたが、お仕事に支障は出ませんでしたでしょうか?その点が気がかりです。

電話では優しく諭すようにお話してくださり、とても嬉しかったです。

しっかり心を調和して前向きに明るく過ごせるようになるまでは正直まだま まだ時間がかかると思いますが、言われたことを忘れぬよう胸に刻んでおきます。

私は何度も「人殺し」だの「殺人」だの自分で自分を責め、罪悪感に押し潰されそうになっておりましたが、観童先生が「人が人を殺めること」と、「中絶すること」は完全に別物であるという説明をしてくださったおかげで、少し心が軽くなりました。

本当に苦しくてつらかったのですが、何度も優しい言葉をかけてくださり、涙が止まりませんでした。

電話を終えてからは気持ちが楽になり、少しずつ立ち直って元気を取り戻していこうという気にもなれました。

本当にありがとうございます。

電話では話し切れなかったこともまだたくさんありますし、昔から心と身体の両方に悩みを抱えて生きてきたので、本来ならば直接伺って整体やカウンセリングを受けたいのですが、関東在住だとなかなか難しく、非常に残念です。

しかし、いつか必ず一度は観童先生にお会いするために岩手県まで行きたいと思っております。

この先また道に迷い、自分ではどうしようもなくなった時には是非ともご相談に乗っていただければと思います。

奉仕活動としてここまで親身に相談に乗ってくださる方はそういるものではないので、観童先生と知り合えたことを大変嬉しく思います。

本日は本当にありがとうございました。

観童先生ならびにスタッフの皆様の一層のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。取り急ぎお礼かたがたご連絡まで。

それでは失礼致します。H

 

5月2日 受信

観童先生。こんにちは。

先日、電話で中絶後の悩み相談をさせていただいた関東在住のHと申します。

電話相談では優しくご丁寧な対応をしてくださり、ありがとうございました。

その後、また自分の中でモヤモヤした感情や疑問が湧いてきたので、再度相談に乗っていただければと思いメール致しました。

お聞きしたいことがいくつかあるので、お手すきの際にご返答いただければ幸いです。

質問は箇条書きで失礼致します。

1.胎児に魂が宿るのは大体3ヶ月以降とのことですが、私たちは6週目あたりで中絶してしまいました。

この時点では胎児に魂は宿っていなかったとのことですが、この場合、中絶された胎児に宿るはずだった魂の処遇はどのようになるのでしょうか?

例えるなら、魂が胎児という乗り物と一体化する前に、その乗り物を破壊してしまったということになり、乗り物を失った魂は前世の記憶を持った大人のまま天に留まることになったのですか?

本来、魂はどのタイミングで前世の記憶を失って穢れを知らない赤ちゃんの魂となるのか、また、今回のケースでは魂は天でどうなるのかが気になります。

2.観童先生もご存知かどうか分かりませんが、「魂の処方箋」という本の著者である池川明先生(産科医)、越智啓子先生(産科医)たちが言うには、

流産した胎児や中絶された胎児に宿っていた(宿るはずだった)魂は、もともとそうなる運命を分かっていたけれど、それでも敢えて地上に降りてきたわけであり、必要以上に自分を責めるようなことはしなくていいとのことです。

このような言葉で少しは救われる方々は多いと思うのですが、やはり「都合が良すぎる」とか「そんなことで中絶の正当化はできない」などという批判も多くあります。

これについて観童先生の見解を是非お聞かせいただけないでしょうか?

3.以前までは毎日余計なことを考えては罪悪感に苛まれ、気が狂いそうなくらい苦しい思いをしておりました。

しかし、電話で観童先生の無料カウンセリングを受けてからは急に気持ちが落ち着き始め、以前のように取り乱したりはしなくなりました。

また、先月は1週間で5kgも痩せてしまうくらい何も食べられませんでしたが、今では食欲も戻り、だんだんと前向きになることができています。

先日は久しぶりに友達と会って、趣味である野球観戦に行き、楽しむことができたのですが、やはりふとした瞬間に「自分はこんなに楽しい時間を過ごす資格があるのか」、「こんなにすぐ立ち直っていいのか」と考えてしまいますし、たったの1ヶ月で前向きになりつつある自分自身が怖くなります。

観童先生はそれでいいと仰ってくださいましたが、私はまだ自分を許すことができず、複雑な心境です。

どうしたら良いでしょうか?

4.電話の際、観童先生は「まだ6週目なら魂は宿っていないし、適当な言い方ではないかもしれないが、今回の中絶は胎児を殺したとか魂を消し去ったということではなく、母体の一部を取り除いたようなもの(?)である」と言ってくださいました。

そのことで少し心が軽くなり、安堵したのですが、安堵してしまったことでまた罪悪感を抱いてしまいましたし、やはり世間一般では間違いなく「殺人」扱いされてしまうと思うと苦しいです。

先ほどの質問ともかぶってしまいますが、どうすればこのような自分の感情を上手く処理することができるのでしょうか?

5.やはりまだ罪悪感は消えていませんし、自分が中絶という選択をしてしまったことは一生の恥であると思っており、それが毎日頭に浮かんできます。

ただ、そのことが頭に浮かんできても、以前ほど苦しくて発狂しそうになることはなく、罪悪感も時間が経つにつれて薄れているような気がします。

このまま数ヶ月、数年と月日が過ぎゆくにつれて罪悪感が消え去り、中絶という経験が自分の人生の中で起きた過去の出来事の一つに過ぎないものとなってしまいそうでそれが怖いです。

これは問題ないことなのでしょうか?

6.神様は人間の親であり、決して罰を与えたりなんかしないし、今回の過ちだって許してくれるとのことでしたが、正直、これまでの人生を振り返ってみると過ちばかり犯してきました。

観童先生にはもちろん、親や友達にも言えないようなことをした経験がありますし、本当にたくさんの人を傷つけてしまい、迷惑をかけてきました(今回の件が一番酷い過ちではありますが・・・)。

もちろん、それらのことは本当に反省していますし、同じことは繰り返しておりません。こうした過去も許されるのでしょうか?

今回相談させていただいた中絶の件も含め、今までの行いの報いをこれから先の人生で受けるのではないか、死後や来世でとんでもない目に遭うのではないかという不安が拭えません。

以上、質問が多くなってしまい申し訳ございませんが、ご返答いただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。H

 

返信

Hさんこんばんは。質問にお答えする前に、先ずは「罪」ということについてお話しさせてください。

以前お話ししたかもしれませんが、罪というのはこの世的にいえば律法に反する行為をした場合に「罪を犯した」とするのが一般的でしょう。

しかし、罪というものを、道徳的な視点から見た場合、あるいは霊的な視点から見た場合、必ずしも法的な罪とは同じではなく、内容も意味合いも異なってきます。

法では裁かれなくても道徳的な意味合いからしても道義的によろしくない言葉や行動というものもあるでしょう。

勿論、そういった場合に霊的な視点から見ますと、本人が自覚しているいないにかかわらず「心の罪」として魂に記録されることになります。

「罪」というものは律法に触れなくても、私たちが生活していく中で発生する心の不調和も罪となるのです。

御承知かと思いますが、不調和とは、偏った心のことであり、両極端な価値観もそうですし、不満、愚痴、怒り、嫉妬、執着心、拘り、憎しみなども不調和な精神状態ですから心の罪といえるでしょう。

罪がどのような内容であれ、それを悔いて改めることは誰にはばかる必要もありません。

また、過去の過ちに囚われて悶々とした生き方をすることも厳密に言えば心の罪となって魂に記録されていきます。

何故なら囚われは不調和な心だからです。

ご質問1へのお答えですが、

先ず、6週目というと医学的には胎児の大きさが3センチにも満たない状態で心臓の鼓動も確認できるかどうかという段階だとされています。

「胎児に宿るはずだった魂の処遇はどうなるのか?」

あなたのおっしゃる通り、胎児に宿っていない魂は大人の魂として天上界に残ることになり、前世の記憶をもって次に下生する機会を待つことになります。

例えば、今回何事もなく順調に出産すれば下生する予定だった魂が、あなたと彼女のどちらにご縁の深かった魂であるのか。

仮に、彼女に縁の深かった魂であれば、もしもあなたと彼女が別々のパートナーと結ばれたとしても彼女の子として再び下生する機会を得ることになります。

「本来、魂はどのタイミングで前世の記憶を失って穢れを知らない赤ちゃんの魂となるのか」ということですが、

胎児に宿った魂は胎児がお母さんのお腹のなかにいるうちはまだあの世と胎児の体を行き来していて、完全に前世の記憶を失うのは出産して母体から離れて「オギャ~」と第一声を吐き出した瞬間からです。

つまりこの世の空気に触れた瞬間に前世の記憶が失われるように霊的次元で仕組まれているということです。

質問2へのお答えですが、

出生に関して、あの世での計画が最優先されることはその通りですが、しかし、必ずしもあの世での見通しや、計画が100%そうなるということはないでしょう。

妊娠した胎児が成長いていく段階で肉体的に障害が発生すれば、あの世から見ている魂はその状況が良くわかってはいます。

そうなると、「深いご縁によって下生する機会は頂いたが、今回は障害者として人生を歩むことになるけどそれでも頑張って学んでこよう」という勇気ある決断をすることになります。

そういう意味においていうならば、障害者は身体こそ不自由ではあるが、勇気ある魂をもった人間だと言えるでしょう。

この世においてはリスクが大きいほど魂の修業になることをあの世の魂たちはしているからです。

ですが、流産することも、中絶されることも運命としてわかっていて胎児に宿るというのは少し無理な見解だと思います。

いくらあの世ではこの世の出来事がお見通しとはいっても、不測の事態があるのはあの世でもあるのであって、この世の人間の突発的な都合によって堕胎に到る場合においては運命としてわかっていたという解釈は真実とは少しかけ離れたストーリーと思います。

質問3についてのお答えですが、

先ず、「良い事も、都合の良くないことも全て受け入れること」こう申しあげておきます。

そのうえで、いい人になろうとしないこと。

野球観戦に行って楽しめたことはとても良い事です。

束の間の楽しみであっても、それがあなたの精神衛生上どれだけ役に立ったかと考えると、やはり人間は楽しみという心のゆとりが必要ではないだろうか。

4と5についてですが、

ひとつ申し上げておきます。

あなたの魂の傾向性は「不必要な拘り」のように思います。

もう過去への囚われと罪悪感を手放しなさい。

心からの笑顔をもって他の人々に接しなさい。

それが自分の心の解放にもなり、社会貢献にもつながるのです。

質問6についてですが、

神様は人間が考えるような非常に限られた了見ではなく、一切を許しておられるのです。

私たち地上の人間が頭で考えるような浅い智慧ではなく、三次元的な分別ではなく、4次元、5次元、6次元、そして超次元の意識で以って人間の罪を赦し成長を待っておられるのです。

あなたのように、過去の罪に苦しんでおられる人こそ大きな愛で包んでおられるのですよ。

あなたは一人の神の子として、自分自身を高める義務があります。

私が申し上げるまでもなく、そのためにあなた自身が機会をいただいて下生で来たのではありませんか。

もっと大きな視点で物事を捉え、勇気と決断を以って生きてください。

将来のあるあなたのような若い人たちが大きな志をもたなければ、日本という素晴らしい国が衰退してしまうのです。

死後や来世のことに拘る時間があったら、そのような事態にならないようにするためにも、今を生き切ることが肝要ではありませんか?

あなたが決心して自分の心に灯りを燈すことを願っています。

観童

 

5月3日 受信

観童先生。こんばんは。Hです。

一つ一つご丁寧にお答えくださり、どうもありがとうございます。

観童先生からのメールを何度も繰り返し読ませていただきました。

いつもハッとさせられることばかりで、とても参考になります。

観童先生からのお言葉は心にスッと入ってきますし、その度に気持ちが安定し、落ち着くのは何故でしょうか。

とても不思議です。

罪悪感を手放し、心からの笑顔を持って人々に接する。

後者は自分にとってそれほど難しくないことではありますが、前者についてはもう少し時間がかかりそうです。

というのも、観童先生とメールや電話でやり取りさせていただいてから、不思議と罪悪感自体は薄れてきているのですが、そのことに関してまだ戸惑いがあるといいますか、なかなか上手く感情の処理ができずにいるからです。

もちろん、これから少しずつ自分自身を受け入れられるように進んでいきたいとは思っておりますが・・・。

観童先生は「あなたの魂の傾向性は『不必要な拘り』のように思います」と仰いましたが、本当にその通りだと自覚しています。

思い返してみれば、幼少期から小さいことにこだわる癖がありましたし、いつまでも引きずったり気にしたりすることが本当に多かったです。

・良い事も、都合の良くないことも全て受け入れること

・過去への囚われと罪悪感を手放すこと

もし、これらを上手く行うコツがあれば是非アドバイスしていただきたいのですが、何かありますでしょうか?

明るく前向きに自分の人生を歩んでいくためには、まず先述の内容をしっかりと実践しなければと思っております。

お手数ですが、お時間のある時に再度ご返答いただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。H

 

H様

「不必要な拘り」があなたの傾向性だというお話ししました。

この傾向性というのは心の癖のことを言います。

実は、昔から人間「なくて七癖」という言葉があるように、人にはそれぞれに皆、大なり小なり癖があるものだということでしょう。

その意味においては、私にも例外なくなかなか直し難い心の癖(傾向性)があります。

だからこそ日々の生活が私の心を成長させるための学びであり実践の繰り返しなんです。

囚われが薄れ、やがては消えていくまでには時間が必要なもので、一朝一夕というわけにはいきません。

自然界をみますとその営みは常に留まることなく動いております。

地上からは水分が蒸発して雲となり、上空で冷やされますと再び雨となって地上におりてきます。

自然界の営みに学ぶこと、それは、とどまることは死を意味するということ。

私たちの心も同じです。

とどまることは病むことにつながっていきます。

人間は睡眠中でさえ魂は休みなく動いていますが、それを自覚していないだけです。

正に諸行無常です。

さて、自分の心を成長させるということはどういうことをいうのでしょうか。

心には弱い面もあれば、強い面もあります。

そして大きな心もあれば小さな心もあります。

弱い心、小さい心を否定するする必要はなにもありませんが、できれば強く、大きな心に成長したほうがいいでしょう。

強いからと言っても自己中心的であったり、傲慢になることでもなく、驕り高ぶることでもありません。

また大きな心とはいっても、慢心することでもなければ、人を見下すことでもありません。

真の強さ、大きさというものはいつも寛容であり、愛深きことだと思います。

こういう心を育てようと決心し、勇気を以って、たゆまず実践するときは自然と不要な拘りが薄れたり、消えたりしているものです。

敢えて「拘らず」とか、「罪悪感を捨てる」と思う必要はありません。

手放すこと、捨てること、拘らないこと、そのことばかりに意識を向けすぎると、拘らないことに拘ってしまっている自分がいます。

これでは本末転倒ということになってしまうでしょう。

「無頓着」という言葉の意味は小さなことに拘らないこと、執着しないこととありますが、だとすれば拘らないことに拘るより、無頓着で何かに夢中になっているほうがいい場合もあります。

このことは逃げることとは全く意味合いがことなります。

私の場合、幸いな事に65歳を過ぎた現在でも現場で忙しく働かせていただいておりますが、些細なことに拘っているとどうしても言動に円滑さがなくなり、それがまた周りに見えない悪影響を及ぼすことがハッキリとみえてしまいます。

この年になってもまだまだ未熟者です。

故に、いつも思わされます。

「心の強さ」は「器」の大きさでもあると。

心が折れるとか、弱くなるとか、壊れるとかいうのは、単純に心の「強さ」の問題だけではなく、心の「大きさ、広さ」のことでもあります。

心の大きさ、広さは多くの失敗と経験によって培われていくものであって、決して知識の集積ではありません。

いくら頑丈なコンクリートでできたダムですら貯水量が増えすぎると決壊する可能性がでてきます。

逆にいくら薄いガラスであっても、コップ一杯なら溢れるほど注いでも耐えられます。

単純に心が壊れることが「弱さ」であるとしたら、「頑丈なコンクリート」よりも「薄いガラス」のほうが強いことになってしまう。

大切なのは「大きさに見合う強さ」だということ。

目標は持ちながらも背伸びせず、しかし卑下することなく、身の丈の生き方で十分だろうと思うのです。

本当の意味で心の大きい人、広い人というのは、不必要な拘りがなく、何事にも執着せず、慈愛の心を忘れず寛容であることをいうのでしょう。

お答えになりましたでしょうか。

5月6日 受信

観童先生。こんにちは、Hです。

どうもありがとうございます。

メールのお返事は本日のブログに掲載してくださったのですね。

しっかり読ませていただきました。

やはり今現在の私の悩みといいますか、拘りや囚われが薄れていくには時間の経過が必要ですよね。

余計なことは考えず夢中になれることを見つけたり、他人に対して笑顔で接し、愛のある生活を心掛けたいと思います。

また、話は逸れますが今までの自分は本当に気が短く、ほんの些 細なことで怒ったり、モノに当たって壊したりしてしまっておりました(今考えると自分でも引いてしまうほどでした)。

観童先生のブログを読んで、「まさか変な霊に憑りつかれていたからなのか?」などと思ってしまうほど短気で怒りの表し方も激しかったのですが、今回の件があってからはそのようなこともだいぶ減りました。

もちろん、今でもイラッとしてしまうことは多々ありますが、その度に「イライラしちゃいけない、怒っても何の意味もない」、「まあ、しょうがない」といったことを自分に言い聞かせてすぐに気持ちを切り替えるように心掛けています。

心を調和し、過去に囚われず常に明るく前向きで利他愛に満ちた生活をする。

簡単なことではありませんし、それで自分の過去が許されるものではないかもしれませんが、そうした生き方をしていきたいです。

観童先生に1つお願いがあるのですが、電話相談で私にお話してくださった内容をブログに掲載していただけないでしょうか?(特に、普通の殺人と中絶を一緒くたにすることの誤りや、一生罪を背負って苦しむことは償いにならないことなど)

私もそうでしたが、中絶経験者はみんな「自分は人殺しだ」とか、「一生許されないし罪を背負っていかなければならない」、「ずっと苦しみ続けることが償いだ」などと考えていると思います。

そういった人々に向けて、是非ともメッセージを送ってほしいのです。

私は電話相談のおかげでだいぶ心が軽くなりましたし、先ほど申し上げたような生き方をしていこうという決心もできました。

観童先生の言葉で、私と同じように救われる方もきっと多くいるはずです。

私も今後また心が不調和になってしまったり、迷いが生じてしまった時には、そのブログ内容や、観童先生からいただいたメールを読み直して気持ちを落ち着かせたいとも思っております。

ご検討いただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。

※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。何かしら参考になることが有りましたら下のバナーをポチッとワンクリックして頂ければ有り難く思います。

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大人げない職場の無視・いじめ

無視

受信

はじめまして、1964年12月16日生まれの50歳になる、〇〇県〇〇町に住んでいる者です。

また、5歳に成るダウン症児の父でもあります。

4年ほど前から会社の中で仲間外れ、めげずに頑張っています。

精神的に病んでいた時に観童さんの「人生航路の羅針盤」を読ませて頂き人生に必要な事を少しだけ教えて頂いた気がします。

今後、会社でどの様に人と接すれば良いのか?またどの様に生きて行けば良いのかが分かりません。

特に自分の使命が未だ分からずいます。

観童さんもお忙しいと思いますが、お時間が有る時で構いません。

よろしくお願いします。

今朝方、観童さんのプログのコメントを残す欄に相談事を書き込ませて頂きました。

相談事はプログのコメントを残す欄に書き込みすれば良いのか不安に成りましたので、メールを送らせて頂きました。

相談方法が間違っていましたら、本当に申し訳ございませんでした。

取り急ぎお詫びまで。

返信

IT様。おはようございます。

ブログを訪問してくださってありがとうございます。

内容を公開しない状態でご相談したいのでありましたら、このヤフーメールkandou0822@yahoo.co.jpに書いてくださればよろしいです。

ブログへのコメント欄に書きこんだ内容も、コメントした方の承諾を得てから公開することにしております。

内容によっては許可なしには公開しておりませんからご安心ください。

先ほど送ってくださった内容について、もう少し詳しくお書き頂ければ私からの感想、意見を述べやすいと思いますがいかがでしょうか。

ダウン症のお子さんをお持ちとのこと、私が聞くまでもないことですが、お子さんは可愛いい と思いですか?

失礼な愚問でしたらお許しください。

観童

観童 様

早々、メールを頂きありがとうございます。

ダウン症の子ではありますが、可愛いです。

少しずつですが成長する過程が目に見えて感じます。

また会社での虐め(仲間外れ)件ですが、依然は、ある年下の社員(私より先に入社)と仲が良かったのですが、会社の中で自分が気に入らない人間に対して、陰口や嫌がらせばかりしていたので、嫌になり(自分が一緒にいたくない)距離を置く様にしてしまいました。

その事が原因で仲間外れが続いていると思います。

観童様、ありがとうございます。

 

返信

IT様。質問をさせてください。職業、業種はなんでしょうか?

あなたの職場の人数はどれくらいいるのでしょうか?

あなたのポジション(役職)は?

年下の社員からだけの仲間外れなのか、職場全体からの仲間外れなのかお聞かせください。

観童

 

受信

幾度となく申し訳ございません。職業は、製造業(製鉄所で使用する工業用ブラシや工業用ロールの製造や加工)を行っています。

所在地は、〇〇県〇〇市で、事業所は、所長以下10名です。

仲間外れの度合いは、話をしなくなった者が中心と成って人の陰口を言い、皆が同調している感じがします。

当人が休んだ時などは、比較的穏やかな雰囲気で仕事が出来ます。

皆がその人間に対して凄く気を遣っている感じは見うけられます。

後、役職は特にありません。ブラシ関係を一人で殆ど行っています。

お忙しい所、本当に申し訳ございません。宜しくお願いします。

 

返信

IT様。おはようございます。返事が遅くなりまして申し訳ございません。

私の申し上げることが、あなたにとって受け入れ難いことでありましたらご勘弁ください。

想いのままに述べさせていただきました。

以下

この社会はストレス社会といっても過言ではないほど、人間関係において様々な問題が発生しやすくなってきていると思います。

その一つには陰湿な無視や言葉の暴力という問題もあります。

人間の心というものは、何か予想外なこと、不本意な事、不条理な事、自分にとって不利益な事などがあると、そのことに支配されやすくなる性質をもっています。

こういうときの自分の心は憂鬱であり、いらだち、ときには怒りさえ込み上げてくることもあるものです。

しかし、こういう精神状態が長じてくるほど心は疲れて言葉にも元気が無くなり、行動にもイマイチめり張りがなくなってきます。

自分だけのことであれば自分の想いを変えれば状況は変化していくし、好転もします。

ですが、人間関係においては、相手があることですから自分一人の時のようなわけにはいきません。

相手に良くないところがあるとわかっていてもどうにもできない事もあるでしょう。

自分は自分の意思で変わることができても、相手を変えることは殆ど不可能だし、相手を変えようとすれば反発もうまれて余計に関係がこじれる可能性があります。

こうなると、最後は自分の、心の置き方、置き所の問題になってきます。

「何とか人間関係をうまくしよう」と思わない事。

思えば苦しくなるからです。

現にあなたは同僚とのことで悩んでおられます。

あなたが一番楽に生きられる方法は、人間関係について思い煩うことではなく、自分自身を生き切ることでではないでしょうか。

そのために大切なことは

『君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。』の心を自分の生き方と位置付けることがよろしいかと思います。

君子は和して同ぜず小人は同じて和せずとは、

すぐれた人物というものは、協調はするが、己の主体性を失わず、むやみに同調したりしない。

つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということと解釈します。

無視をされたから、いじめや陰口を言われたからといっても、自分の命まで取られることもないでしょう。

職場では先輩だとはいっても、あなたが年上です。

あなたに対していつまでも執拗な言動をするようなら、『大人げないことはやめましょうよ』、ぐらいは言ってもよいのではありませんか。

50歳という年齢は、社会的にも家庭の主人としても、男としても一人前であり、人間として責任ある年齢であろうと思います。

人間の体の健康や体力作りには筋トレというものがありますが、心にも筋トレが必要と考えるのはおかしいでしょうか。

心の筋トレ、これは先ほどの和して同ぜず、の精神のことです。

その為には、『日々淡々と生きる』ことを実践してみられてはいかがでしょうか。

心未熟な人間に翻弄されて、憂鬱な生き方をするなんて勿体ないと思います。

ダウン症とはいっても、あなたのお子さんはとても勇気ある魂の人間だと思います。

なぜなら、奥様が妊娠されて3ヵ月の頃は、胎児の体が人間の体として五体ができはじめてきた時期です。

この時期になると、あの世からみれば胎児の体が問題のある体か、障害のある肉体か、どのような状態かよく解っているのです。

したがって、妊娠3ヵ月という時期は赤ちゃんの体に魂が出入りする時期であり、宿る時期であります。

すべてを承知のうえで胎児の体に宿った魂は、非常に崇高な魂をもった人間であるということです。

なぜ、全てを承知で障害のある胎児に宿る決心をしたのか、それは、あなたと奥様の縁、つまり、あなた方御夫婦がこの世に生まれる前からあの世ではお子さんと縁が深かった魂同士だったからです。

ですから、あの世における約束をこの世において果たした家族だと言うことです。

お子さんは、胎児に宿る時に、障害があることを知っていて、そのうえで相当な決断をもって下生したのです。

この世での障害のある人生、それがどれほど厳しいことになるのか、それでも自分自身の魂のステージアップにつながることを知っていたからです。

こういうことを考えますと、お子さんがいかに崇高で勇気ある魂であるかがお分かりになるかと思います。

是非、お子さんと奥様のためにも、周りに翻弄されず、日々淡々と、執着せず、同ぜず、和して生きることを願ってやみません。

失礼いたしました。

観童

 

受信

お忙しい中、貴重なお言葉を頂き本当に有りがたく思います。

我が息子はダウン症ではありますが、可愛い息子に変わりは有りません。

夫婦でそして、家族で乗り越えようと思います。

まだまだ、自分も修行が足りない。

こんな事でウジウジしてもしょうがないですし、前を向いてゆっくり進んで行こうと思います。

ただ依然に比べて、腹も立たなく成りましたし、少しだけですが、気が楽に成って来ました。

そして、観童様のお言葉を頂き、ちょっとだけですが、勇気が湧いてきました。

有難うございます。50歳と言う年にも成りました。

まだ、使命が分からですが、自分がしなくてはならない事が有ると思いますので、探してみたいと思います。

この度は、本当にありがとうございました。

感謝します。

また、自分に行き詰まったら、観童様に相談のメールを送らせて頂いてもよろしいでしょうか?

是非宜しくお願いします。

 

返信

私のような者にご相談いただいたこと、有り難くもあり、私自身も生涯を修行と心得て生きたいと願っております。

使命という言葉は、責任や重さを感じさせる響きがありますが、何のことはない、自分の置かれた環境下で人生を全うすること。

この一点にあるように思います。

息子さんの生きる姿からも私たち大人が学ばされることが多々あろうかと思います。

そして可愛い息子さんがいるから励まされたり、決意を新たにしたり、あるいは、親の愛を気づかされたりと、親は子供がいるから親にさせてもらっているということですよね。

ありがたいことです。

あなたの使命。

それは、家族を温かい包容力で守ること。

そして、自分を生きること。

それができたときに初めて人の為に心をくだくこともあるだろうと思うのです。

いつでもお声を掛けてください。

感謝

観童

IT様今、回の内容の掲載を快く承諾くださいましたこと心から感謝申し上げます。

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恋愛・結婚・愛と苦悩・そして憎しみ

夫婦

日本における離婚率は3組に1組が離婚しているという統計も出されております。

語りかけても返事がない、意見がない、反応がない夫も困りますが、何かしら些細なことでもヒステリックに反応してくる妻もまた手ごわいものがあります。

離婚の危機にある夫婦が平和な心で結婚生活できるようになれたらそれはそれで喜ばしいことですが、その前に離婚の危機に直面しないような生き方ができたらそれは最も喜ばしいことではないだろうか。

きょうは家庭における結婚生活がお互いにとって価値ある時間であるために、幸せを実感できる人生であるために、どういう心構えでお互いを受けいれることが望ましいかについて話してみたいと思います。

5項目に分けて述べていきますから少し長くなりますが、最後までお付き合いいただければと思います。

男と女の解釈と価値観の相違

結婚して家庭生活をおこなうにあたって知っておかなければならないこと、それは男と女が感じるところ、つまり敏感で傷つきやすい心の部分は違うのだ、ということを正しく認識しておく必要があると思います。

男と女の間にはちょっとしたきっかけで色々なトラブルが起こります。

そうした諸問題の中にはどうしても理解しにくいものもあるでしょう。

例えば、「どうしてこんな他愛のないことであんな怒られ方するのだろか?あるいは無視をされたり、何日も口をきいてもらえなかったりしなくちゃいけないんだろう?」と感じたことはないだろうか。

男性には男性の特性があり、女性には女性特有の性質、気質というものがありますからそのことを良く認識しておく必要があります。

男にも女にも人間として共通する点もあります。

それは人間だれでも「認められたい」という潜在的な欲求です。

ところが、思いは共通しているのですが、実際は中身では結構な隔たりがあるのです。

男性は自分のどこを認められたいのだろうか?

一般的に男性は自分のスキル(能力)や男らしさ、地位を認められたい場合が多いようです。

例えば、会社のなかでは肩書きのない自分がコンプレックスを持ったり、不安感に陥ったり、それが長じてノイローゼにまで到る人もいるのです。

時には昇給よりも昇格を望む場合があるでしょう。

つまり男性は社会から認められたい意識があるものだということが理解できるかと思います。

会社や社会から認められることで自分の存在意義を感じるのが男性でもあるのです。

ですが、ここに男性のプライドと弱点が発生してきます。

男女の争いの理由の一つに、こういった男性の気持ちをわからない女性、妻の立場があります。

何の気なしに「どうしてできないの?」とか「ダメねえ~」などと簡単に言った女性の言葉が、実は男性にとっては許しがたいほど傷ついていることがあります。

 さて、それでは女性は自分のどこを認められたいという気持ちがつよいのだろうか?

摂食障害で相談にみえる若い女性 が抱える問題の背景には「キレイ、美しい、美」への偏った拘りが潜んでいます。

つまり、一般的に女性は自分の女らしさを認められたい欲求があるのです。

男性から自分の女性らしさを認められることで、自分の存在意義を感じるのも女心故でしょうか。

それだけに女心を傷つけるような発言「太ってるね、肌が黒いね、鼻ぺただね」をして気づかない無神経な男性は気をつけなくてはなりません。

人間は自分の尺度で相手を見ることによって、相手の反応が意にそぐわないと相手を悪く見て感情を波立たせます。

他人は自分ではありません。

特に心が傷ついたり、感情的になる心の部分は、その人の生い立ちや家庭環境、性別、親の教育、生活習慣などにより微妙にそして深く異なります。

男女が結婚して家庭生活に入りますと、恋人時代の恋愛感情とは異なり、 更に近しい間柄になりますので遠慮がなくなり、本来もっている心の深層にある生の本質的な感情や思いが出てきやすくなります。

夫は妻に母との葛藤の部分を重ねる場合もあるでしょう。

妻は夫に父との葛藤の部分を重ねたりするでしょう。

男と女の様々な問題では、お互いが相手の心が傷つくポイントがまったく違うことに気がついていない場合がとても多いのです。

こういった相方の違いに気がつかないと、男と女という関係性を理解することは到底出来ないのではないでしょうか。

両親がもたらす子どもへの影響

女性にとって結婚は生涯の大事な問題だというような言葉はよく聞くことがあります。

しかし最近ではその大切な結婚に対する意識もそれほど深刻に考えているとは思えないような一面もあります。

結婚に対する適齢期は相当希薄になってきて、結婚年齢も随分と遅くなり、30代になってから考える女性たちも増えてきています。

結婚生活にはさまざまな問題が発生してくるものだという意味においては、結婚は早く結婚しても遅く結婚しても、軽い気持ちで結婚しても真剣に考えて結婚しても、いずれにしてもその結婚でもたらされるさまざまな心の葛藤は、当事者の人生に重くのしかかることに変わりはありません。

結婚における夫婦の人間関係は、二人の間に出来た子どもの人生に、その運命に根本的な影響を与えます。

結婚をするにはしたけどうまくいかなかった、ではすみません。

結婚生活の不調和で不幸な人間関係は、子どもを不幸に突き落とします。

真剣な気持ちで結婚しても難題が発生すのが結婚生活なのに、安易な気持で結婚に入りますと、「好きだ、愛している」という情熱期間が過ぎたとき、優しかったはずの夫が身勝手な人に変わったり、しとやかな物分りのいい妻がわがままな人に変わっていったりしやすくなります。

これは恋愛時代の精一杯自分のいいところを見せようとする努力さえもしなくなり、そのままの自分が出てくるからです。

こうして少しずつ夫婦の信頼関係がこわれてくると、相手の嫌なところだけが見えてきます。

夫は妻の、妻は夫の荒探しをし、徐々に不和な夫婦関係ができあがってくることになります。

子ども達はそれをどう見て、感じ、受け止めるのだろうか。

そうした家庭の中にいますと、子ども達はどちらかの親の味方をして、父か母を憎むようになりかねません。

実際にお父さんが嫌いになった子ども、お母さんを嫌いになった子どもたちがいるのです。

親に反抗的な子どもになったり、物言わぬ沈んだ様子の子どもになったり、外では悪さをする不良になったりと寂しい心の子どもたちになっていきます。

ほんとうは子ども達の奥底の心では、お父さん、お母さんのどちらも愛しているのに、表面意識では憎しみや怒りの感情となって子ども達の心を苦しめ通します。

とても可愛そうな結果です。

一方、夫婦の信頼関係が本質的にはくずれない結婚生活を構築している家庭の子どもは、安心と安定した成長をしますので、おだやかな性格となり、才能も伸びやかに発達し、円満な人柄に成長します。

夫と妻の争いは些細なことから

お見合い結婚するカップルもあるでしょうが、多くの人は恋愛から結婚生活に入るケースは多いでしょう。

ですが、結婚生活への過度な幸福を期待しない方がいいと思われるところもあります。

それは期待が大きければ大きいほど、そうでなかった時の失望が大きくなるからです。

結婚生活は期待するという気持ちより、二人で築いていくものという覚悟をもって臨む方が賢明だろうと思うのですがどうでしょうか。

恋愛中は楽しい空想の主人公になっていろいろ思いをめぐらしていればいいのですが、現実に夫婦生活を伴にすれば、 独身時代の責任の必要ないときと違い、生身の良さも醜さも出てきます。

人格的にも二人はまだまだ未熟なのですが、これは必ずしも年齢だけの問題ではありません。40代、50代になっての再婚でも失敗するカップルもいます。

人間としての未熟、それに加えて、結婚することで二人だけではない人間関係や社会関係がかかわってくるでしょうから、そこにもまたきびしい現実があります。

多くを望まず、結婚にあたっては晴れて二人が夫婦になれたということだけで足ることを知るということが大切でしょう。

「大好きなこの人とともに生涯を過ごせる」ということの悦びで充分満足すべきなのであって、事実、結婚生活はそれ以上の悦びないはずですがいかがでしょうか。

さらには夫も妻もお互い「この人を幸せにしてあげたい」と痛切に思えるようであれば問題ないでしょう。

心構えとして問題となるのは「この人に幸せにしてもらえる」、「彼女なら何でもやってくれる」という依存した思いをもって結婚生活に望む人です。

自分が愛して貰うことばかり考えていて、夫、妻、がお互いを愛そう、妻の喜びが自分の幸せ、夫の幸せが私の喜びとの思いが少ない場合に、さまざまな夫婦のトラブルが起こってきます。

自分は愛していると思っていても、根底では相手にもとめる不満の心が頭をもたげているからです。

求めるだけの『誤魔化しの愛』これが夫婦の人間関係における破壊の魔です。

三陸津波で夫婦の人間関係が更に強い絆で結ばれることはあっても壊れる話しは聞きません。

夫婦は必死ですからお互いが協力して支え合い、一体となって生活します。

しかし、小さなどうでもいいような事で意見の相違を起こし、激しい言葉のやりとりとなり、やがて口もきかない夫婦喧嘩になるから人間は不思議です。

そうなりますと相手のあら捜しが始まり、過ぎ去った古い出来事まで言い出し、腹の虫が治まらないからと罵声まで浴びせ怒り狂います。

些細な事と言えばそうですが、私の場合も若いころは、妻の返事のしかたひとつで腹を立てたものでした。

いや、今もです。

男性から見ると妻の返事のしかたはとても大切です。

素直に「ハイ」と応じてくれたときには、ほとんど喧嘩は起こらないでしょう。

反抗的に「何よ!」「でも」「だって」と対応されたときに不調和が漂います。

一番の喧嘩の元はこうした些細なものなのです。

妻の側から見ると「あんな小さいことで怒って!」とこちらも我慢出来なくなります。

しかし、結婚前にはそんな心ない返事などなかった妻が長い結婚生活を経てくるといつの間にか心ない返事をするようになるからいただけない。

大変なのは結婚前には見えなかった心の傷を抱えている場合です。

予想外のやり取りが起こってきます。

でもこうした二人の世界を繰り広げながら、年輪を重ねてお互いに成熟していきます。

まさに結婚は人生修養の場なのです。

安易な考えや気持を改め、これからの結婚生活に腹をすえてかかることが一番の対処法と言えるでしょう。

結婚は永久就職でも人生の逃げ場でもない

結婚生活につまずき悩み苦しんでいる人のなかには、結婚生活に入る時に現状の生活から逃げ出したいがために結婚を選んだということが原因のケースもあります。

そういう人の結婚への考え方は、相手に依存をして生きようという安易な気持であったり、生活上の困難さや一人でいることの不安から逃げ出したい気持で結婚を選択したりという場合が少なくありません。

こうした結婚はほんとうは結婚生活というより依存生活とでも呼ぶべきものかも知れませんね。

本人にそうした意識はなくても、出発点からして間違った考え方ですから、結婚生活の根底に明るさと強さが欠けていしまいますし、悦びや晴れやかな気持ちのない沈殿した生活、ネガティブな生活になっていきます。

こういった考え方の人たちの場合、一般的にいうと、自分の弱さからもたらされる結果についての認識はあまりありませんが、私の経験からいえることですが、依存心からくる弱さは幸せを阻害する大きな要因の一つだということです。

依存心は常に失敗と苦悩をくりかえし招きますし、時には体を病むことで相手に意識を向けさせ病気というかくれみので現われたりもします。

ある意味では、結婚生活は逃げ場のない相克の人間関係の場でもあります。

二人で様々な心の重荷を負いながら家庭を創り、未来を創っていきます。

優しく、しなやかな心であるということは本当の強さがなくてはできないことです。

そういった強さがなければ幸せは築けません。

もし結婚を選択するにあたって、結婚生活を人生の逃げ場のような気持でいた人は、その心持ちを変える必要があります。

結婚生活は自己鍛錬と向上の場であることをしっかりと認識すべきです。

逃げる心から向かっていく心に変わらないと決して幸せは創れません。

結婚生活から味わうしみじみとした幸せ感は、強さと駆け引きのない純粋さからもたらされるのではないでしょうか。

妻として女性として

よりよい関係を保った結婚生活を始めるにあたって大切なのは結婚への心構えだろうと思います。

ただ「相手が好きだから」、「あの人を自分だけのものにしたいから」結婚するというのでは、調和を得た永続的な結婚生活は難しくなってきます。

こうした自分中心の気持ちや考え方は相手を束縛し、相手に求めることの多い結婚生活となり、ゆきづまりが起こってきます。

結婚するにあたって大切なのは、「あの人を愛しているから、あの人に尽くしたい」という心からの愛と行いを相手に与える決心でしょう。

自己中心的な都合によって相手に執着する気持と、相手のことを思うがゆえの愛とを混同せず、別けて考えるようにしないと、夫婦の調和は得られないと思うのです。

夫婦は凧と糸のような関係だと言われています。

夫が凧で妻が糸です。

夫が社会で大きく伸びやかに働くことが出来るのは、妻の巧みな糸さばき、つまり夫が如何にしたら天高く上がることができるかという妻の対処の仕方如何にかかっているということだろうと思います。

凧と糸、その引き手は一体なのです。

夫と妻も別々の存在ではなく、本来一体でしょう。

夫婦は一つの存在なのです。どちらが欠けても困るし、自分を主張し合っていたのでは一つの存在にはなり得ません。

もちろん自分を主張しないで我慢をしている関係は正しくありませんが、主張の度が過ぎると衝突になりますからそれもまた偏った自己主張です。

家庭においては、最終的には夫を立てていくことが家庭が円滑に進む道です。

例えば、会社に社長が二人いたらどうなるでしょう。

また一艘の舟に船長が二人いたら、その舟は迷走してしまいます。

家庭にも中心となる家長としてのご主人が必要です。

社会一般的にも家庭においての中心は、夫であるほうが調和された姿である場合が多いのです。

妻はその夫を立て、やさしく柔らかく上手に夫を操縦するほうが賢明なのです。

これが妻として女性としての結婚生活のあり方ではないでしょうか。

次回もこの続きをと考えております。

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不登校・2・大人の対処

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不登校に関しては様々な理由があり、その原因や対応の仕方についても親や学校がそれぞれの立場で冷静に誠意を以って対処していかなければならないと思います。

この問題はとても大切な事だという認識から、今朝は過去に取り上げた記事を一部編集して再度掲載させていただきます。

いじめなどの対外的理由の如何を問わず子供たちの不登校の問題を解決していくためにどうしても考えてみなければならない最終的、かつ大きな難問が親子関係であり家庭環境だとつくづく思わされます。

親はよく自分達にできなかったことを子供に託して、子供の意思に沿わないことでも、その希望を果たそうとする傾向があるひともおり、社会の一般的傾向や教育や、虚栄心による子供への束縛を原因として家庭が不調和になる場合があります。

肉体は確かに親が与えたものです。

しかしその心までは両親の与えたものではないということを知らなくてはいけない。

全くの親子であっても、心は個の生命であって、相違があって自然なのでしょう。

なぜなら、心も親が与えたものであり、親の分身だと思うなら、その思考性や行為のすべては同じでなくてはならないからです。

残念なことに、一定の年齢になってくると自分の主張をし、親のいうことを利かない子供が多い事実を考えなくてはなりません。

従って親達の、子供の環境や教育についての育成は、溺愛でなく、家柄や利己的な考えを捨てた純粋な心からの愛でなくてはならないということです。

地位や知識が高く、子どもたちを指導する立場にある人でも、私生活では必ずしも心やさしく、家族や縁者から尊敬されているとは限らず、逆に社会的には立派な職業といわれる仕事に就いていながらも人間としての温かみのない、どこか冷たささえ感じさせ、近づきがたい人もいます。

子供が子供自身の思った通りの道を歩きはじめると、ご両親の中には『あんなに可愛がって育てたのに、親の恩を忘れて、親不幸をしている』などと嘆く人もいる。

これは単なる文章ではなく事実に基づいて記述させていただいていることです。

しかしこれも親のエゴイズムでしょう。

報いを求める、そんな心を言葉にするぐらいだから子供達は自分達の真実の道を求めて去ってしまう。

こうして親との間に距離ができていくのです。

親子相互の対話の不足を考え、子供の人格を認めてやることも親の愛であろう。

対話のない家庭、親のエゴを優先した家庭の中には孤独な子供達が育ってしまう、これも現実です。

両親は、『与えた』と思う心があるから、親の尺度ですべてを計り、子供を叱りつけます。

親の意志に反したことをすれば、きびしく怒り、肉体はおろかその心まで束縛してしまう。

大人は、こうしたことを良く考えて、子供達を指導することが必要でしょう。

最も自由自在の中で、良く心の在り方を教え人間としての道を教え、感謝と報恩の意味をさとし、両親が自ら、行うことの大切さを示した生活環境を造り出すことが先決ではないかと思うのです。

純真な子供心を、素直に育ててやることが、より良い豊かな心を大きく育てる道、これが本当の愛情と思われてなりません。

相談をいただく度に涙を流す子供の悲痛な心の叫びを思うと胸が張り裂けそうな思いがします。

きびしく叱ることも、偏りのない判断によるものであれば、その真心が子供心に響くことです。

大事な場面で親の感情というエゴをもって怒ってはならないし、溺愛によって過干渉になってもいけないでしょう。

子供と親の対話、日々の行動が、心の交渉が、愛の心をより豊かに育てて行く。

子供の心もそこではじめて広く人々と溶け合うようになり、自分自身の心を磨いて行き、円満な人格を作って行くのである。

また先走ったおせっかいもやる気を失わせ距離を作る要因となるから気をつけなければならない。

親が子を放任し、正しい道をその愛情によって示さない生活の中で育てられた子供達は、気の毒といわざるをえない。

たとえば学校の成績ばかりを気にしている親の心が自己慢心にしかすぎないということに気づいていない。

心の中の知識の領域だけが発達しても、心にゆとりがなく情緒のない人間は、人生での正しい判断すら決定することはできない大人になるであろう。

智性は、人生をいかに正しく生きるかという、調和した生活をするための早道であって、自己保存、自我我欲の道具ではない。

『智策、智に溺れる』の愚を犯してはならない。

知性理性本能感情、そして想念の領域が調和された、円満な人間に成長することが最も重要である。

試験、試験の人生は、自己保存的な、偏った人格を造り出し、人間本来の心を失ってしまう結果にもなってしまいかねないから心しなければならないでしょう。

また本能的な領域だけが発達しても、不調和な人格を造ってしまうものである。
いずれにしても心の不調和が、想念に曇りを造り出し、心の病に発展しているケースの多くをみてきました。

心の病は自身の問題ではあるがさかのぼると幼少時の家庭環境にまでたどり着くのである。
不調和な満ち足りぬ心の病いは、調和された生活以外、修正することは不可能であり、 根本的には薬で治るものではない。

実際に、不登校状態にある子どもを心療内科に連れて行って向精神薬漬けにされていた子どももいますが、無知な親にも責任があるだけではなく、そういった薬を処方して服用するまでは何もなかった副作用に苦しませるビジネスライクな医師にも大いに疑問をもってしまいます。

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不登校の背景

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原因

不登校という問題はその本人が一番つらい思いをしているのですが、その親もまた悩みの種となって長期間苦しんでいる実情のようです。

その原因には、家庭での親子関係、家族間のトラブル、学校でのクラスメートどうしのトラブルや、先生と生徒間のコミュニケーション不足や不信感、対応上の不手際、等々様々あります。

例えば、直接いただいた相談では「いじめ」があげられます。

多分これが一番多い問題であろうと思います。

きっかけは交遊関係における問題ですが、クラスメートから急に無視されるようになったり、みんなの前で悪口を言われたり、ありもしないことを言いふらされたりしていじめられてしまうことえと学校には行きたくなくなってしまった、行けなくなってしまった、というケースがあります。

また、仲が良い友達と何かしらがきっかけになってケンカしてしまった場合も不登校の原因になってしまう可能性がありますし、実際にそういったことがきっかけで不登校になった子の相談もありました。

このように対人関係、特に友人関係における問題というのは子供たちにとってはものすごく重大な問題なのです。

次に先生と生徒の関係が挙げられます。

先生というのは子供にとって良き理解者の先生ばかりが学校にいるわけではないということ。

言葉はきついかも知れませんが、性格が悪い先生だったり、相性が合わない先生だったり、露骨に好き嫌いで生徒を差別扱いする先生や、ワンマンな先生、強引な先生、色んなタイプの先生がいます。

本来はこういうことがあってはならないのですが、やはり先生といえども人間です。

どういった先生と関わるかによっても不登校の原因になってしまったりする現実があります。

最後に不登校のきっかけになる原因のひとつとして「学業不振」が挙げられます。

勉強についていけなくなると授業そのものが苦痛なものとなり、ついていけないところに先生からの度を過ぎた暴言等があるとそれがきっかけで不登校の原因にまで発展してしまう場合もあるでしょう。

このように学校生活において、不登校の原因となるものと言うのはたくさんあることが分かります。

きっかけをきちんと見極めて対策を講じていくことが大切となります。

家庭生活に起因する不登校

次に、不登校になってしまう原因として家庭生活におけるトラブルです。

例えば、家庭環境が急に変わってしまうと言うこと。

両親が離婚して環境が変わってしまった、親がリストラにあって経済的に生活環境が急変変してしまったことが子どもにまで影響したケースがあります。

離婚やリストラは今の世の中では決して珍しいことではありませんが、当の親自体が精神的に余裕がなくなってしまったこと加えて、子供はもっと余裕が無くなり、どう対応していいかわからなくなり、自分の殻にとじ込もってしまうケースも少なくはないのです。

いわゆる家庭の不和が起因する例も少なくないということです。

親子関係の悪化は子供への期待から始まる

子供と親の関係性について

母親が教育ママだったり、父親の期待に答えなければならなかったり、父親が仕事ばかりで家庭を顧みず、全く子供に興味がないと言ったケースですが、これらも実際にあった相談内容です。

小学生の低学年頃までは親の言ううことに従って「素直な子」「いい子」でいた子が、中学生になって思春期といわれる時期になると「自我」という心の領域がハッキリと表面に表れだし、自分の意思表示を行動で示すようになってきます。

このときにこれまで抑圧されてきた自分の心が反発心となって言葉や不登校というかたちになるケースもありました。

子供自身は、なんのために自分がいるのかとか、自分では何がどうなっているのかは明確に分別できてはいなくても自分というものを主張しだしているのです。

最後に家庭内の不和状態に起因する問題

家庭内で両親がケンカばかりしていつでも暗い雰囲気、いづらい雰囲気だとすると子供は現実に対する価値観を失ってしまう場合があります。

そういった失望感、悲しみ、というものが将来に希望が持てなくなったりして学校に行く意味を見いだせなくなってしまう場合があります。

不登校の子どもへの対応

「不登校」や「登校拒否」をしている子供に関して、なんとかしてあげたいと思うのは親も先生方も同じだろうと思うのです。

しかし、対処方法に関してはマニュアルと言うのは無く、不登校の生徒の数だけ対処方法があると思って取り組んでいただかなければ改善には結びつかないと思うのです。

それぞれの状況に応じた対応が欠かせないのが不登校、登校拒否への必須条件だと実感するところです。

絡まってしまった糸を強引に引っ張ったり、無理やりほどこうとしてもかえって絡まってしまって状況を悪化させることになりかねません。

糸ならば切ってまたつなげば事足りることもあるでしょうが、人間関係という糸は簡単に切ってつなぐということができない場合が多いのです。

仮に、切ってしまってもその部分わだかまりが残ってしまうことが多いでしょう。

ですから時間をかけて、ゆっくりと心のもつれを解きほぐすこと、つまり子供のおかれた状況、立場、思いというものを受け止め理解してあげるところから始めなければなりません。

押し付けではなく、時には「待つこと」が大事な場合が多々あります。大人の分別や都合で事を進めることについてこれない場合があるからです。

黙って、じっくり待って子供の方から歩み寄ってくるのを待ってみる配慮も必要でしょう。

そうすることで、徐々に絡まった糸もほどけてくることがあります。

親側はその間心配で仕方ないでしょうから、専門のカウンセラーや学校の先生がたと連携をとっておくようにすることもいいでしょう。

不登校を改善させるには少しずつ焦らずに絡まった糸をほどいていき、子供の不登校の原因となる事を分かってあげて、適切な対応をして行くことが改善への近道になると思います。

いじめと不登校

いじめという問題は昔からありましたが、私が中学生の時(53年前)はクラスに1人はいじめから助けてくれるような硬派のヒーローがいたものでした。

しかし、今ではいじめられている人を助けてしまうと今度は自分がいじめられると言ったような恐怖感にかられてしまい、結果的に長いものには巻かれろみたいな感じで見て見ぬふりをしている状態が多数あるといった現状にあるようです。

いじめと言うのは実に大変なことで、恐喝や暴力と言った目に見えるものから、無視や仲間はずれと言った目に見えにくい陰湿のものまでさまざまあります。

こういったことが深刻化してくると、受けた子どもは不登校になってしまったり、学校で受けた不条理などに対する怒りを家庭内暴力として行うようになったり、最悪は自殺までに発展してしまう危険性もあるのです。

不登校になった子どもと話してみて感じることは「孤独」の部分です。

周りは楽しそうなのに自分だけが仲間に入れてもらえない。

自分が何をしたのだろう。

先生も取り合ってくれない。

先生に相談したら逆に先生に怒られてしまって不信感で不登校になった。

こういった理由から悲しみと怒りが入り交じって孤独感に襲われて苦しんでいる子どももいます。

自分のことを友だちも親も、先生さえも分かってくれない。ということになれば当然、孤独感に苦しむ、人間不信になるのはあたりまえのことです。

いじめが原因で不登校になってしまった場合、原因がイジメであると親が知ると、後先を考えず感情的になって学校に押し掛けて捲(まく)し立てるといった行動に出る親がいますが、これは本当に要注意行動であって、何の解決にならないだけではなく、かえって事態を深刻にし、悪化させてしまうことになります。

親は子供がかわいいので良かれと思ってする行動なのですが、子供にとってはその行動をとったがために余計いじめられるのではないかという恐怖感に怯えてしまう可能性があります。

そしてそういった事態になる事例もあるのです。

ですから慎重に物事を進めていくよう冷静な大人として、事態の把握がなされた上での対処が必要なのはいうまでもありません。

子どもたちの不登校の問題は簡単ではありません。

それだけに大人が変われば子どもが変わるということも忘れてはならない重要な基本姿勢であります。

親は「同情」と「共感」は違うということをよく理解しておく必要があります。

不登校が原因で親子で喧嘩があるなら、それは分かりあえていない親子だということ。

こどもの辛さ、心の痛みが分からない、共感できなければ子供に手を差し伸べることはできません。

不登校の問題については非常に深く広い問題があり折を見て再度取り上げてみたいと思います。

霊的な背景の影響によるケースもまれにみることがありますが、それはまたの機会に視点を変えて取り上げてみたいと思います。

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娘のたった一つの願い

夫婦喧嘩

男と女は巡り会い、恋をし、結ばれる。

やがて子宝に恵まれて尊い命が誕生する。

親と子どもは同時に生まれる。

なぜなら子どもが生まれたときに初めて親が誕生するからだ。

子どもが授かったことの嬉しさや、責任を忘れ、あるいは知らず、親になりきれない大人もいるだろう。

今朝は相談者の快諾をいただき、そのまま掲載させていただけることになりました。

訪問してくださった皆様の参考になればと思います。以下。

 

8月24日 受信

観童先生。おはようございます。

今朝は朝からとても悲しくて、泣いてしまいました。

今日は長女の中学校生活最後の試合でした。

小学生の頃から強いクラブチームに所属していた娘は、司令塔選手として頑張っており、厳しい練習にも耐えて素晴らしいプレイヤーに成長しました。

とても頑張り屋で努力家の長女は、学校の勉強も努力して成績も良く、クラスのお友達や先輩後輩からも親しまれて、小学校の卒業文集では、〇〇ちゃんがいたから引きこもりにならずに学校が楽しかった。

というような内容を書いて下さったお友達が何人もいて、長女の明るさに私も励まされております。

中学校に入学してからも、未経験のチームメイトを引っ張って、キャプテンとして本当によく頑張っていました。

お友達のお母さん方からも、「部に引っ張ってくれて本当にありがとう。」と言って頂き、「厳しい練習に耐えられたのも、いつも明るくはげましてくれた〇〇ちゃんのお蔭です」と、本当にもったいない言葉をかけてもらいます。

いつも謙虚に感謝を忘れずを心にしている長女です。

そうなれましたのも娘を支えて下さった先生やお友達のお蔭様だと、私の方が大変感謝なのですが・・・・・。

子供にスポーツをさせたきっかけは、主人の家系の糖尿病を絶ち切りたかったことからでした。

何か厳しい事に直面すると、お酒や食べる事、遊びに買い物に逃げる家系の心ぐせが、とても嫌で、厳しい事から逃げずに乗り越えられる喜びや、人の役に立てる喜びを味わえる子にしたかったのです。

まずは親である私が見本をと思い、自分自身の心ぐせを徹底して改めようと努力しました。

まずは朝は誰よりも早く起きて、美味しいご飯を作ること。

どんなに疲れていても笑顔でいること。

絶対に人を責めないこと。

これは、外では出来るのですが、家の中では本当に努力のいることでした。

特に主人に対しては、本当に精進でした。

主人は家に帰るとたくさんの我がままをそのままぶつけてきます。

にっこり笑って「はい♪そうですね♪」とはとても言えないことも度々あり、私にとっては家庭が一番厳しい修行でした。

昨日も主人にいつもの様にお弁当を作って渡しましたが、気難しい主人は、自分の中で何か気にいらないことがあったのでしょう。「いらない!」とお弁当をおいて出勤しました。

私はまたか。と思いましたが、気を取り直して、お弁当にごめんね。と謝りました。

子供たちは小さい頃からそんな主人のわがままぶりを見ているので、逆にお弁当美味しかったよ。とか、ママいつもありがとう♪と私を気使ってくれます。

子供は本当にいい子に育ってくれるのも、そんな主人のお蔭なんだと思うことにしておりました。

好き嫌いが多い主人はお野菜など、食事を残す分だけ子供たちは、絶対に残さず食べてくれたり、経済が厳しいのをわかっている子供たちは、自分たちの欲しいものを我慢してくれています。

そういう時に、主人は仕事で自分の思い通りにならないストレスを大きな買い物をして発散するのを見て、娘は、自分のことだけ考えないで周りの人に心を配ろう、と学び、少ないお小遣いを一生懸命貯めて、お友達にお誕生日プレゼントを買っていたり、根性のある前向きな性格に育ってくれているのが、本当に心の救いです。

そんな長女が初めて主人にわがままを言いました。

それは、小学校の時から一度も見に来てくれることのなかった、最後の今日の試合をお酒を抜いて見にきて欲しいというものでした。

主人はアルコール依存性なのでしょう。365日、一日もお酒を飲まない日はありません。

糖尿病で入院した時もロッカーに大量のお酒を隠して飲んでしました。

きっと仕事中も飲んでいると思います。

休みの日は朝から飲んでいます。

私はそれでも、子供たちにお父さんはよっぽど仕事が大変なのかも知れないね。

それで気が落ち着くなら受け入れておこうね。と育てていましたが 子供たちの中ではお酒を飲まないよそのお父さんが本当に羨ましいと心の奥では思っていたと思います。

私もアル中の母に普通のお母さんが羨ましいと何度も思いましたから。

でも 子供にはわからない何か辛いことがあるのかな?と思って気にしないようにしておりました。

長女のお願いを聞いた主人は「わかった」と言ってくれ、長女は本当に嬉しそうでした。

終わり良ければすべてよしで今までの事はすべて水に流して、今日は長女の為に精一杯 夫婦で応援出来る!と私も嬉しかったのです。

ところが、朝早く出る為と、早朝から準備をしていると 主人が起きて来ました。

足がつって痛いというのでさすってあたためると、すぐにおさまり、良かった。とホッとしてまた台所に立つと、「プシュッ」と音がしました。

振り替えるとビールを飲んでいる主人がいました。

私は肩が震えるのを押さえて「今日は娘の試合ですが!」と言うと、「わかってる。一杯だけだ。」と主人。

私は長女の心を思うと涙が出て止まりませんでした。

健全で純粋な場である試合会場でお酒の匂いぷんぷんでは、とても行けません。

甲子園会場とは全く違います。

起きてきた長女はお酒を飲む主人を見て、やっぱりそうだよね。と悲しい目をしていました。

私はごめんね。と長女をギュッと抱きしめて、この子の痛みを全部すいとりたいと思いました。

女は笑顔でいってきます。と出かけました。

主人は自分のことしか考えてないと思うのは間違っていますか?

今思うと足がつったのも、お酒を飲もうとして立ち上がった主人の心の間違いを改めなさいという、自然の法則の気がしてなりません。

飲んでさらに足の付け根に痛みがはしり、全体の足が痛いと訴えていますが、私は自業自得です。と冷たい心がやみません。

さすってあげようとも思えません。

先生。いつもの様に笑い飛ばせる勇気と元気を下さい。

 

同日返信

唯一の救い

こういった言葉を使ったらあまりにも失礼でしょうか。

それは今の家庭環境下で長女の娘さんがとても健やかに成長しておられるということです。

子どもは誰もが家庭環境の影響、友人の影響、社会の影響、教育の影響をうける中で成長していきます。

なかには不遇な環境に不満の気持ちが向き過ぎて荒れる子供もいます。

子の姿は親の姿そのものといえましょう。

あなたが明るく成すべきことを淡々とこなしてきたことを、娘さんはずうっとみて育ってきたのです。

それが今の娘さんの姿です。

「手塩にかけて育てる」ということを実践してきたことの証が娘さんの姿でしょう。

ご主人の姿から学んだことは、「こうあってはならない」という自覚だったのではありませんか?

ご主人は優しい方かと思いますが、人間の優しさは、反面、優柔不断とう側面をもっています。

しかし、ほんとうの優しさはそうではありません。

自分に責任を持って律することができ、他に寛容でありながら、人を思い遣るこころをもっていることかと思います。

しかし、娘さんのただ一つの願いを聞き入れるという、父としての慈愛を忘れていましたね。

「求不得苦」という言葉があります。

ご存知でしょうが、求めても得られないことを言い表しています。

そして

「愛別離苦・あいべつりく」愛する者と必ず来る別れの苦悩があります。

「怨憎会苦・おんぞうえく」怨み憎んでいる者に会うことの苦しみ。

「五蘊盛苦・ごうんじょうく」人間の肉体と精神)が思うようにならないこと。

これが人生でおこる人間の現実です。

しかし、あなたは娘さんの明るい姿に勇気と元気をもらいながら生かされてきました。

ありがたいですね。

家庭という形態をもってそれぞれが関連して生かされた生活をしています。

しかし、肉体は親子でも、魂は夫婦でも、親子でも固有のもので遺伝ではありません。

根本的にはれぞれが自己責任において向上するしかありません。

ご主人は自分のカルマを改善して向上するどころか、上塗りして還ることになるかもしれませんね。

こればかりは如何な夫婦といえども、ご主人の心根は変えられないのです。

心の不調和は様々なかたちをもって自覚症状として身体に現れてきますし、不摂生をすれば病気もするでしょう。

また、身体の不調によって心に不安が生まれ翻弄されるのも人間の弱さでもあります。

これは肉体への執着の強さがそうさせます。

しかし、心(魂)と身体の主従関係、すなわち心が主で、肉体が従う立場、人生の乗り物であることを知るならば身体に翻弄されてはなりません。

ご主人の心には、自分が生まれ育った家庭環境における業が深く潜在しているのではないでしょうか。

そのことに気づき、自身が悔い改める勇気と決断がなければ、これからの生活意識や態度が変わることはないでしょう。

そういう意味では、あなたが言うように「自業自得」ということになります。

先ずは、あなたは自分の人生を生きることです。

淡々と。

観童

 

同日夕受信

観童さま。早速のお返事ありがとうございます。

「自分の人生を生きなさい」というお言葉が心に響きました。

主人には主人の娘には娘の私には私の生き方があるんだ。と思いました時、主人に理想や正しさを求めている自分に気づき、私は自分自身を律しようと気持ちを切り替える事が出来ました。

それから、腹が立って「絶対に一緒に応援には行きたくない!」という私の思いは、横において、母親として長女の喜ぶことをと視点を変えてみるとやっぱり主人に応援に来て欲しいだろうな。と思いました。

主人にお願いをして、(嫌がっておりましたが)朝からお風呂に入ってもらいお酒を抜いて、スッキリした顔になり一緒に夫婦揃って応援に行きました。

長女はすぐに気づき、お父さんのしらふの顔にとても嬉しそうな顔をしていました。

試合はかなりの竸戦でしたが、長女らしい最後まであきらめないねばり強いプレーを見せてくれ、試合に勝つことができ感動をいただきました。

私はこの長女の頑張りを主人に見てもらえたことが、本当に良かったと思いました。

今朝 観童さまにお言葉をいただいていなかったら、悶々とした思いで、きっと一人で応援に行ったと思います。

親子共々最後まであきらめないという心に変えてもらい、感動をいただき、本当にありがとうございました。青樹君子(仮名)

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教師のうつ病・子どもたちの不登校

のびのび教育

子どもが学校に行けない。そういって相談にみえる親御さんや子供もいる。

その年齢は小学生、中学生、高校生、医大生と様々で教育現場の教師自身のうつ病相談もある。

さて日本の教育事情について触れてみたいのだが、それには少し時代を遡ってみる必要があると思いますので述べてみます。

昭和二十年八月、日本は太平洋戦争に敗れた。

当時は、戦争に勝ったアメリカのものはすべて正しいものとして、アメリカ占領軍は自国のやり方を日本に押しつけ、日本は無条件にそれを受け入れてきた。

戦後数十年と年月が経つにつれて、そのアメリカにもいろいろな所に破綻をきたして没落しつつある現象がみえてきたのである。

没落するということはアメリカの手法も全てが正しくなかったということであろう。

ここで何もアメリカを否定しようとしているのではない。実際にアメリカの支援によって日本が復興し経済が発展してきたことは事実であるからだ。

私がここで取り上げようとしている問題は教育と家庭の問題です。

アメリカは家庭が崩壊してきた。

ニューヨークでは、小学生の高学年にまでコンドームを学校で生徒に配り、護身のためのピストルを持だせようかというところまできていた時期があった。

現代でも銃の所持には世論が割れているなかで、未成年者の無差別の銃乱射による多数の死者が出る事件は後を絶たないのである。

日本の左翼の学者・教育者達(日教組)が、理想として、日本の児童を共産党の闘士として育成しようとしてきた部分では、そのソ連を中心とした社会主義圈は平成元年11月9日、ベルリンの壁の崩壊によっていとも簡単に崩壊し、分裂し、社会・共産主義は否定された。

アメリカが行ってきた資本主義・自由主義も、ソ連が行ってきた共産主義も、アメリカ、ソ連の没落崩壊によって間違いであるということが実証されたところは周知のとおりであろう。

昭和35年にアメリカに起こったウーマン・リヴ運動(女性解放運動・男女平等の思想)もアメリカの家庭の崩壊をもたらしたことで失敗であったと認める有識者たちがいます。

その余波を受けた日本のウーマンーリヴ運動もたくさんの悲劇を残して失敗に終り、ウーマンーリヴ運動を正しいと信じてきた人達は今その後遺症に苦しんでいるのである。

冷静に考えればわかることであろうが、本来の男女平等は家庭を崩壊してまで社会にでることにあるのではないはずです。

仕事を通じて社会に出ることは良いのですが、しかし、あまりにも社会進出が男女平等の模範であるが如くに捉えてしまうところに問題が発生してきたのである。

男が男としての役目を果たさず、女が女としての役目を放棄して自分本位な自由を求め、結果として家庭のバランスが崩れてしまい離散してしまう。

アメリカのカリフォルニア州ではとうの昔に離婚率が50%をこえているのである。

親としての義務は離婚後も半々について回るということであれば、一週間の間に父親と母親の間を行ったりきたりする子供が大勢いるといいます。

ある家庭の娘の友達の一人は、母親のところで数日暮らし、残りの数日を父親の家で過ごしていたという事例があります。

現に、家庭が崩壊して初めて間違った価値観であったことに気づいたものの、すでに事態が収受できないところまで悪化していたという家庭は多い。

経済優先にし過ぎた生活、社会進出を優先しすぎた家庭疎かの生活がどれほどの犠牲を払うことになるか、アメリカによって教えられた誤った出産の方法、育児の弊害は大きかった。

産婦人科の都合に合わせた陣痛促進剤の投与にみる弊害、人類発生以来、何十万年と人類は自然分娩をし、自然に育児してきたのである。

西洋の近代科学は「人間の力で自然をつくり変え征服する」という思想によって発達してきたが、ここに到って手痛い”しっぺ返し″を受け(自然破壊による公害・人災)、人間は自然を大事にし、自然に順応しなければ生きて行けないということに気づき始めたのである。

いろいろな製品はつくり直しがきくが、人間の教育、特に出産、育児による失敗はやり直しがきかない。

出産、育児に失敗したら、その不幸は親も子も一生背負って歩かなければならないのだ。

胎教と出産(1~6)の失敗によって精神障害者も身体障害者も生まれてくる可能性があることは近年医学的にも実証されてきつつある

それだけに日頃の生活を原点に立ち返って見直す必要があるだろうし、それを心掛けたらいかなる障害児も生まれてくる確率は遥かに小さいのです。

厚生省はいろいろな障害児が生まれてきてから、莫大な税金を使って救護策を取るという姑息な政策の奔走するのではなく、積極的に障害児が一人も生まれない政策を取るべきではなかろうか

そのためには、厚生省は全国の各家庭に対し、家庭生活のあり方、胎教、育児、夫婦のあり方をフォローにするための家庭教育指導を行政の一環としてすればよいと思っている。

教育ということになると文部省の領分になるが、厚生省と文部省が協同してやればよいだけのことであろう。

ここで強調しておきたいことは「人間は人間として教育しなければ人間にはならない」ということである。

人間だから、生まれつきの才能があるからといっても、生まれたままで放って置いたら心ある人間にはならないであろう。

そこに胎教だけでなく、生まれてからの”躾”の大切さがある。

そのような意味合いからして、これから結婚する人にあっては、男女の立場、真の平等、夫婦の在り方、家庭生活の在り方について学んでいただきたいと願う。

このブログには様々な角度から人間の心というものについて詳しく書き記してありますので、検索ボックスにキーワードを打ち込んでいただければ、それに関連するコラムが表示されますから参考にしていただければと思います。

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オープンマインド

心を開く歩み寄る

心をひらくという言葉があります。この言葉はどのように理解されているのだろうか。

自分のことを何でも隠さないで話してくれることだろうか。

気付いたことや思ったことを何でも本音で言ってくれることだろうか。

それとも、こちらの意見をすべてOKしてくれる人のことをいうのだろうか。

心を閉ざしている人よりも心をひらいている人の方が、明るくて、朗らかで、誰とでも分け隔てなくつき合えるような印象があります。

しかしそれは「すべてをオープン」にして、何でも話す、何でも受け入れるということではないように思う。

コミュニケーションにおいて「心をひらく」というのはどういうことなのかを考えてみたい。

多くの価値観を受け入れることとも言われるが、とすれば人に対しては多くの人を受け入れるということになるだろうか。

そうはいっても、実際は誰も彼もの価値観を容認することはできないでしょうから、あるラインまでは受けいれるということでよいのではと思うのです。

例えば、何でも話す人。自分や家族に起こった身近な出来事、これまでの体験、自分の知っていることのあれこれ……。

どんなことでもオープンに話してくれる人がいたら、あなたはどう思うのだろうか。

一見、「何も包み隠さず、すべてを話してくれる人」は誠実そうな印象を持ちますが、その一方で、その人と人間関係を持ち続けることを考えると「もしかしたらこの人に知られたら、自分の話したことも他で話されてしまうかも……」という懐疑的な思いが浮かぶかも知れません。

「ここだけの話だけど……」というのは、いろいろなところで展開されている可能性が高いものでもあります。

また、何でも話してしまう人は、傷つく可能性が高くなることもあります。

自分の話したことについて、相手がどのように解釈するのかは相手次第であり、コントロールできるものではないからです。

会話というものは、素直な気持ちで話したことでも、誤解や言葉の行き違いから、こちらの意図とは異なる受け取られ方をすることもあるでしょう。

タテマエを気にせずにいつでも本音で語る人も同様で、本音であるがゆえに誤解を招きやすいことがあるものです。

例えば「気付いたことは何でも言って下さい」という人に「では……」と歯に衣着せぬ物言いで、建設的な批判という名のダメだしをしたとしたらば、仮にその中に役立つ情報が入っていたとしても、突然、嫌な顔をされることもあるでしょう。

ストレートな話し方が良いとも限りませんし、この辺は節度の問題、話すことの程度問題ということになってくるのではないだろうか。

また、正しいことだからといって、そのままハッキリと話してしまうことで言葉に柔らかさがなくなったり、あるいは相手の心に突き刺さるような印象を与える場合もあります。

では逆に、心を閉ざしている人というのは、どんな人をイメージするのだろうか。

自分のことをまったく話さない人、こちらが話していても下を向いたりよそ見をしたりして少しも目を合わせない人、こちらの意見をまったく受け入れない人……という感じでもある。

せっかく関わる機会があっても、その相手がまるでバリアをはっているか、鎧(よろい)を着ているかのような雰囲気を醸(かも)し出していると、つき合いやすい印象は持ちにくいものです。

でも、だからといって、前述したような「フルオープン」の状態になって自分のことを無防備にすべて話すことや、相手の要求にすべてOKするといったことが、快適な人間関係の中で求められているわけではないのでしょう。

心をひらくことは、より良い関わりを持ちたいと思った人に、自分という人間を理解してもらうことでもあり、また関心を持ってもらい、相手の考えていることにも柔軟に耳を傾けていますという姿勢をとることでもあるでしょう。

心を開くこと「オープンマインド」は、お互いに気分の良いコミュニケーションを持つためにこそ役立てたいものです。

だとしたら、それはどんな心の開き方なのだろうか。

肩の力を抜いてみよう。

私が程よく感じる「心をひらく」という状態は、心に「すきま」をつくっている人です。スキマ即ち、ニュートラルがあると余裕が生まれます。

スキマが空いていると、風通しがよくなります。スキマが空いていると、執着しなくなります。

執着しないことでかえって物事を客観視することができるようになります。

逆に、不必要な拘りや執着心は人の言葉を曲解して理解したり、誤解したりすることになりがちなものです。

人の意見には聞く耳を持たず、頑なに自分の正義に固執している人は心にスキマ「ニュートラル」がありません。

何を言っても受け入れてもらえる余地がなく、跳ね返されてしまうとするならば、このような関わりはとても気分の良いものだとは言えないでしょう。

こちらの話に耳を傾けてくれたり、相手の話を謙虚に受け止める姿勢があって、心のどこかにその情報が入るスキマを感じられたとき、私たちはコミュニケーションが持ちやすくなるのではないだろうか。

また、自分の思いや考えていることを一切見せないでいる状態も、ぴったり扉を閉めて一分のスキマもないような印象です。

無防備に何でも話すほど全開にしなくてもいいが、ちょっとのスキマからその人の大切にしているものが覗けたら、私たちは次のコミュニケーションを考えやすくなります。

大切にしているものを分かち合うという、せっかく肩の力が抜けて心のスキマ「ニュートラル」ができたなら、愚痴や文句ではなくて、気分の良いものを語り合わなくてはならないでしょう。

悩みを打ち明けるのは悪いことではありませんが、その関係を心地よくするという意味ではあまり効果的ではない。

それよりだったらむしろ、最近嬉しかった出来事、お気に入りのモノ、自分が大切に思っていること等、それを語る顔が思わずほころんでしまうことを話す方が、より良いコミュニケーションに繋がりやすいでしょう。

もしも、そこにお互いの共通しているものを見つけることができたら、その関係は不思議なくらい近くなります。

心のスキマを空けて自分が大切にしているものをちらりと見せることができたら、きっとこれまでとは違うコミュニケーションが生まれるのではないだろうか。

歩み寄る

固く閉ざした心には、誰も何も届けられません。

オープンマインド即ち、心を開くことの必要性は自分と他人だけの関係に限ったことではありません。

夫婦で争いの絶えない家庭の場合、何らかのかたちで子どもの心に歪んだ精神構造を造ってしまっています。

理由はその家庭によって様々ではあるが、いずれにしても理由の如何を問わず、自我を通しては家庭平和は望めない。

妻に対する思いやりに欠け、言葉が足らずに心が伝えられない夫、言葉がきつくて夫のプライドを削いでしまい、夫の欠点を子どもに愚痴る母親、そして手をあげられる妻。

幼いころはお母さんの言ううことを聞いていたいわゆる「いい子」が思春期になって反抗的になり、やがては「偉そうなことを言っている自分はどうなのよ」と子どもに逆襲される親。

暴力はあってはならないが、このような家庭の妻の最大の問題点は、いつも自分が正しいことである。

そして、逃げている夫であり、父である。

家庭内においてもそうですが、夫婦喧嘩は100%片方だけが悪いということは少ないものであることは、これまで相談者の話を聞いてきたなかで実感することです。

ただ価値観が違うという理由だけで離婚にまで踏み切るとするならば、これは子どもにとって悲劇であり、人間不信のネガティブな火種を子どもの心に点すことになる悲しみであろう。

家庭の不和によって精神不安定になり、それが常態化し、無気力になり、一貫性が無く、対人関係に支障をきたしている子ども、社会に対応できない青年ができあがっている。

いつも一生懸命に仕事をし、何事にも真剣に取り組むお母さんは、傍目には努力家で真面目な人とみえるでしょう。

実際にその通りであるが、しかし、このお母さんは言葉に刃をもっているために時折グサッと子どもたちの心を突き刺してきたのである。

そして他人に対しても、いつも自分の口数が多く、最後も自分の言葉で終わりたいのだ。

冷たいお母さん、頑張ればっかり言っているお母さん、どうしてやらないの、勉強しないとついていけなくなるよ、と追い立てるお母さん。子どものペースなど関係なしで自分の価値観を押し付ける。

このお母さんは社会でも同じように相手の心に刃を突き刺しているのであるが、自分は気づいていない。

そして、自分の生まれ育った家庭環境が同じような劣悪な環境だったのである。

正に因果は巡るとはよく言ったものだが、しかし、そうであってはならないだろう。

心をひらくということは、全ての枠を取り払うというものではなく、今よりも少しだけ肩の力を抜いて、自分の心の隙間「ニュートラル」を覗いてもらえるように、その人の方に身体を向けたり、もう一歩距離を近づける、つまり歩み寄る ということなのかもしれません。

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