整体&ヒーリング「盛岡整体・観身堂」
私はこの整体という仕事に憧れて遅まきながらも42歳で始めました。
経験が重なるにつれて自身の身体から発する肉眼では見えないエネルギーと患者様から発するエネルギーを敏感に感じていることに気づき始めたのですが、それが何なのかは確証のないままに年月が流れていきます。
事例・1
何を学んだわけではありませんが、ごく自然に仰向けの患者様の頭部に両手を軽く添えて数分、そうすると患者さまの閉じている目から涙があふれて頬を伝って流れています。
このときの私の体には、
➡手から腕
➡腕から身体
➡身体から頭にかけてゾクゾクと鳥肌が立つような感覚が走っています。
腕をみるとやはり鳥肌がたっています。
涙している患者様に聞かずとも「主人が自殺して・・・・」と語りました。
この方は深い悲しみのなかにいたのですね。
事例・2
身長180㎝、体重80キロの立派な体格の男性を施術している時、一通り施術を終わって最後に仰向け状態で額と頭部に両手を軽く添えていたらこの男性体を震わせながら「嗚咽しはじめて、先生、何ですか?この感情は」と泣き声で語るのです。
このようにどなたに対してでも頭部に手のひらを添えるわけではありません。
判断基準も特になく、ごく自然にそういう動作をしてしまうときがあるだけです。
私の意識とは別な所で働きがあっての動作だと言ったら変に思うでしょうか。
整体施術後の患者様は通常は「体がスッキリしました。」というような言い方がほとんどなのに、こういうときに限って「心が楽になりました。」という言い方をするのです。
不思議といえば不思議ですね。
私自身は、特にヒーラーになりたいとかいうような気持ちはありません。
そもそも無理だと思っていますから。
その理由ですが、私の中でヒーラーと認める人間は世界でも数名だけだという思いがあるからでしょうか。
ですから私自身はヒーリングをするための修行といえるようなことはしていません。
敢えて言えば、サラリーマン時代の30代頃から禅堂に通って早朝に座禅をしていたくらなのでヒーリングとはかけ離れたことに没頭しています。
このときは、朝の6時~7時までの一時間365日殆ど休みなしで3年間勤め上げましたが不思議と辛いとは思いませんでしたし、魂の安らぎを実感できる楽しみの時間でもありました。
老師の教えがスポンジに吸収される水のように心に浸みわたる感覚を感じて何度も涙したものです。
多分、この3年間がこれまでの私の生き方のバックボーンになっていると思われてなりません。
この整体業界に身を投じたのも実は偶然だと思ってなく必然だと受け止めています。
何故か業界に入る前のサラリーマン時代から健康に対する興味が強くあり、少しずつ医学書や健康管理関連の書籍を参考にしていました。
人間に潜在している能力は幾多の才能があり、どういう才能が自分に備わっているのかなんて誰も分からないでしょう。
一つのことに真剣に取り組んでみて自分のもてる才能が自然に開花していくなかで、初めて自分のもてる才能に気づくことになるのではと感じます。
また私自身は、決してスピ系の才能があるとは思っていませんし、求めてなれるほど簡単な世界だとは思っていません。
スピ系にもその才能や能力の種類も多種多様です。
そしてスキルの高低、つまりレベルの高低があります。
気をつけたいのは、スピリチュアル面を前面にだしてアピールすればするほど中身が伴っていない実態が露見するのもスピ系の難しい側面だと理解しておきたいところです。
営利主義に走るスピ系は真実から逸脱して危険この上ないです。
私の場合、幼少の頃から次元の異なった世界のことが少しは見えたりはしていましたが、それが不思議だとも思わず訳もわからず成長してきたわけです。
近年の私の実体験ですが、10年前の3.11(東日本大震災、2011年(平成23年)3月11日に発生。)震災の発生一年前から周期的に同じ夢を診ていました。
岩手山が割れて頂上付近から流れるのは溶岩ではなく大量の水です。
そして、プールに水が満たされていくようにと表現すればわかりやすいでしょうか。
海の水位が上がって人里がドンドン水没していくのです。
同じ夢を三度見た時点で「これは大変なことが起きる」としか言いようがない、怖ろしい思いをしたことを今でも絵に書けるほど鮮明に記憶しています。
整体の業界にいる人たちのなかにはヒーラーになりたいと願う方もいます。
なぜかそういう方向に意識が向く傾向にあります。
巷にはビジネスとしてヒーリングセミナーを開講して認定書を与え、それを以って能力を伝授するというケースがたくさんあります。
がしかし、こういたスクールの殆どが期待に値するような内容でもなく実践では殆ど役立たないレベルでしかないことが多いのも実情です。
というのは私自身が実際にリサーチのために敢えて数種類を受講した経験があるからです。
ヒーリングというのは認定書もらったからとそんな知識を得るような簡単なものではありません。
本来のヒーリングは授与されるものではなく、自分自身が鍛錬のなかで育み開発し、気づくものだと捉えております。
人からもらったものは失われやすく、身につかず、自分が育んだもの、見つけたもの、気づいたもの、開発したものは永遠に失われることがありません。
毎日の整体施術をするなかで時折、クライアント様のエネルギー状態にマイナス波動を感じることがよくあります。
特に初めて来院する方の場合に+-の程度がハッキリとわかります。
整体を希望してくるときは身体のどこかしら不調でくるわけですからエネルギーバランスも不調になることは何ら不思議ではないでしょう。
巷でのヒーリングという言葉を用いた施術の場合、当然のことのように料金が発生しています。
付加価値を謳えば料金も結構な高額に設定されています。
確かに時間を要するわけですからそれもわかります。
肉体へのアプローチとして行う整体が多い中で直接肉体に触れることなく、あるいは軽いタッチで行うヒーリング整体、あるいは気功も含めてそれぞれに呼び名は違っても内容的なところでは相共通するところがあるでしょう。
巷にはヒーリング整体というようなことでそれを治療のメニューとして営業している整体院も結構あります。
当院は、一般的な整体施術を生業(なりわい)にしている治療院ですからヒーリング整体というメニューは有りません。
しかし、先に述べたようにクライアント様は、程度の差こそあれ肉体的にも精神的にも不調で来院するわけです。
私の場合はヒーリング整体のメニューこそ表示はしませんが、実際は日々の整体施術のなかで見えないエネルギー(邪気)にアプローチしてクリーンにする作業は日常茶飯事のことです。
観身堂のポリシーとしては最初からそうですが、能力の高低、スキルの差異はクライアント様が判断していただければ由としています。
このこと(ヒーリング?)でお金をいただくという考えは全く私自身のなかには全くありません。
ヒーリングをメニューとしている整体院、あるいはヒーリングを専門にしている中には、肉体レベルでの整体は限界があるという意見をお持ちの方もおられます。
だからヒーリングを取り入れているという。
それを言うならヒーリングが全能なのかとなると決してそうではないでしょう。
もし、限界という言葉を使うなら、その治療院の整体技術における限界点がどの程度のことを言っているのかだと思うのです。
お湯を沸かすのに60度が限界のガスコンロなのか。
100度が限界のガスコンロなのかの違いではないだろうか。
要は、身体にアプローチする整体であってもスキルの限界点がどの程度かによって大きくその施術効果に差異ができると確信するところです。
「ヒーリング整体を5回受けたけど何の変化も感じられず結構な料金を支払っただけです。」といって来院した患者様がおられました。
この方は動悸があってヒーリング整体を希望されたようでしたが改善が見られず、結果的に当院での施術2回で動悸は消失でした。
正しく理解してほしいのですが、ヒーリング整体が勝とか劣るとか、整体が勝とか劣るとかということは一概には言えないという事。
体や精神面の状況によってはヒーリング整体が有効であったり、本来の身体にアプローチする整体が有効であったりするでしょう。
どんな業種でもどんなサービス業でも、どんな製品でも良品もあれば粗悪品もあるように、整体のなかにも技術的なレベルで言うところのピンキリはあります。
Simple is Best(シンプルイズベスト)これ以上削るものがないという状態までいったら最良の状態という意味の言葉が示しています。
整体もヒーリングも付加価値で云々という余分なアピールなどが無い方が本当の意味で中身のある施術になっている場合があると思う所です。
世の中は狭いようで広い。
巷には、メディアで大々的にアピールしなくても中身の濃い施術をしている治療家やヒーリングを取り入れている方もいます。
藁にも縋るおもいでスピリチュアルヒーリングを希望するのは由としても、100%を期待することは危険だということも知っておいてほしい所です。
最後に!要注意!
「何回は来なさい」
「回数券を買えばお得ですよ」
「前世の・・・・・・・」
「水子が・・・・・・・」
「先祖の・・・・・・・」
この類の話しをするような治療院には行かないほうが賢明ですね。
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