憑依への理解

天国のりたろう 様のコメント: 2013年9月10日 9:25 AM

先生いつもありがとうございます。

今日の記事は私の過去そのものです。

私も精神を病んでいた時に憑依していた霊の話を元気になってから聞きました。(つらい思いをさせた。申し訳なくて成仏できない。)と言ってきてくれました。

私は(あなたのおかげで大切な事に気付かせていただきました。今では感謝しています。どうか成仏してください。)と祈りました。

憑依と言うと、霊だけが悪い印象をうけますがあの時の私の想念が呼んだと確信しています。

私は人の悪口や許せない人、嫌いな人の事ばかり思い暮らしていました。

私が呼んでいたのです。

その後ご先祖様たちが足るをしれ、みんな精一杯生きている許しなさい。など大切な事を教えていただきながら心を変えていきました。

まだまだ少しですが心が変わったように感じます。

憑依だと思い高いお祓いをうけるのではなく日常生活の小さな事を変えて行く事こそが治癒への道なのではと思います。

この世で苦しんでいる人びと、あの世で後悔している人の為に私たちができる事、それは特別な儀式や呪文ではなく感謝の気持を持って足るをしって生きることそれが人間、あの世、神様、ご先祖様みんなが喜んで下さる一番大切で簡単な事なんだと信じています。

返信

のりたろう様、お久しぶりです。

いつも訪問していただき、またコメントをいただきありがとうございます。

あなたも過去において霊的にも辛い思いをされた時期があったのですね。

よくぞ話してくれました。よくぞ耐えて乗り越えてくれました。

そして今は、お仕事を通じて人様の健康に携わっておられるということ、とても嬉しく思いますし、意義深いことではないでしょうか。

あなたが言うように、人の悪口、許せない行動、こういうことの当事者ともなれば、おそらく誰もが不愉快な思いをし、人によっては恨んだり、憎しみが湧いたりするものでしょう。

特に若い時はそうなりがちですし、私も若い時はムカッとくることが間々ありました。

しかし、年齢を重ねるうちに、怒りを持った時の心の苦しさは何とも耐えがたく、胸が締め付けられる感覚になり、気づかされることがあります。

いちど心を調和して安らかな境涯を味わいますと、怒りや愚痴などの邪悪な心がどれほど自らを苦しめることになるのかを嫌というほど思い知らされたのです。

憑依に対するあなたの受け止め方、対応の仕方、まったくその通りです。

自分が心を偏ることなく中道を生きること、バランスのとれた生活をすることが人々の調和に先駆ける行為であり、社会への貢献になることであります。

また、肉体先祖の喜びにつながることでもあり、あの世の迷える霊たちへの模範ともなり、供養となることにもつながるのであります。

このような基本が成されること。これこそが神仏の意に沿う生き方でありましょう。

地上に生きる私たちの生き方によってあの世の霊たちが良くも悪くも影響を受けるという事実は一般的には分らない事でしょう。

しかし、あなたも気づいておられるように、これは厳然とした真実なのです。

となると、こちらの状況によってはいつでも霊が関わってくるということになります。

例えば、9日の月曜日は私が主催する「心と体の健康教室」の日でしたが、たまたま昨日(10日)の朝に投稿した「気の毒な憑依霊」の事例を参加者の前で話すことになったのです。

そうすると会場に数体の霊が入ってきたのです。

これは話題にしたことが霊的現象という内容になったため、会場の霊域が霊と共鳴しやすい波長になったということの現れといえるのです。

このことを述べたのは、私たちが如何に心正しく生きなければならないかということを、この場を借りてブログを読んでくださっている方々に深く理解していただきたいと思ったからであります。

私達は、主観的価値観に偏ることなく、自分自身をも客観的に観る習慣を身につけて生活をして生きたいものだと思います。

のりたろう様。ありがとうございました。またお声を掛けてください。

観童 感謝

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