魂について

ソウルsoul(魂)

きょうは何年ぶりかの投稿になります。
いつも訪問してくださってありがとうございます。

このブログに訪問してくださったあなたが、もしも自分の信念をもって足りているとするならば、あるいはすでに事の真実、ものの道理について頂上を極めたと思っている方ならばこの先に読む進必要はないかと思います。

だが人生は一つの旅であると同時に冒険であること、ソウルsoul(魂)は常に新しい視野、新しい道と深さを求めてやまぬものであるというお考えをお持ちならばぜひお読みいただいて、ソウルsoul(魂)成長の一助になれば幸いと思います。

このブログの記述は古来からの正しい教えと何ら矛盾するものではありませんし、道を迷わすような意図があるものでもありません。
また押し付ける意図もありません。
まして宗教など立ち上げる意志などは毛頭ありません。

私たちの地上生活と、死んでなお後にも続く魂の旅路に必要不可欠の霊的な知識を述べていきますが、きょうは序文に止めておきます。
そしてまたの機会があれば投稿させていただきます。

もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に更なる明かりを灯(とも)し、魂を広く大きく豊かにしてくれるかもしれません。

読者の方々の理性や感情を逆なでたり知性を侮辱するものもありません。

その理由は、愛と奉仕の精神から投稿しているからということでご理解いただければと思います。

金銭的な利益は一切無く、私が利益とするものがあるとすれば、それは読者の心の平和と安らぎだけです。

頑固(かたくな)な心、石ころのような精神では本当の理に触れることも気付くこともないでしょう。

受容性に富む心、素直に受け入れ、謙虚に学ぶ心においてのみ花開くときがくるものですね。

私たちがそのような気持になるまでには、大宇宙の摂理、自然の法則のなかの真理を私たちの心の中核として受け入れなければなりません。

その為には、数々の人生体験を耐え忍ぶというプロセスが必要不可欠でしょう。

一つの試練を経た方ならば、辛く苦しく無情に思える経験もされたかもしれません。

自分一人この世から忘れ去られ、無視され、一人ぼっちにされた侘(わび)しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされたかもしれませんね。

しかし、私のわずかな経験(71年)からすれば、心は逆境の中にあってこそ成長させてもらったと感じます。

黄金は原石から破砕(はさい)と精錬(せいれん)を経てはじめてその純金の姿を見せるように、もしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、いま私が述べる言葉の中に共鳴するものが随所に発見されるでしょう。

しかし、あなたの理性が反発することは遠慮なく拒絶なさってください。

あなたの常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。

私自身もあなたと少しも変わることのない人間として一個の存在です。

ただ私は、死後もなお続く人生の道を少し先まで探求し、そのことを先人や師から学び、また、私の霊的な背景の方々からも折に触れてメッセージを頂き厳しい指導をいただいて歩んできました。

誰もが直面するであろう新しい人生、そしてより広大な人生がどのようなものであるかをです。

天という宇宙の意識に向き合うとき、文明と科学と経済に、そして自我に翻弄(ほんろう)されることなく謙虚さと畏敬の念があるならば深遠な自然の理に気づかれることでしょう。

ここでいう自然の理とは偏りのない宇宙の営みのなかにある普遍的意識の存在と、人間の調和された心一如であり、そのことが真理であることをいうものです。

この真理こそが私たちの自信と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われることのない、掛けがえのない霊的叡智(えいち)をもたらし、あなたの心に霊的次元の太陽が存在するでしょう。

天空の太陽も、あなたの心の太陽も、いつもその輝きを失っていません。
見えないところでも常に輝いています。

わたしの言葉を活字で読んで厳しい批判をくださった方もおられましたが、慰めを得たと言ってくださる方々も多くいらっしゃいました。

それまでは孤独な思いの中で生きてきたと想いで暮らしていた方もいたでしょう。
しかし、決して一人ぽっちではなく、見えない世界からの大いなる愛に包まれていたことに気づいてくださった方々もいらっしゃいます。

わたしの言葉がたった一人の方の心(魂)の核心にふれて心の目を覚まし、執着のないことがどれだけ自分を解放するのかに気づいたことを知るだけで、わたしは何よりもうれしく思います。

みなさんが心の闇を光明に切り替えるごとに迷信が退散していき、頑固さから離れることで偏狭さが薄れるれ、その都度あなたの心は喜びで満たされるはずです。

心に関する霊的知識を正しく理解され、地上の善男善女が天の愛の存在に気づき、その愛の摂理(せつり)を正しく理解すれば、三次元(この世)を超えた大いなるものの存在に感謝の心が湧くでしょう。

そして、物的世界(この世)のいかなる力をもってしても、与えることも奪うこともできない豊かな愛の存在、慈悲の存在に無上の喜びを覚えるでしょう。

空を雲がよぎり、日の光が陰ります。
やがて夜になり、星がまたたき、淡い月の光が夜空を照らします。
辺りが闇に包まれ、夜のとばりに被われます。が、やがて又、太陽が昇り、こうこうたる光を放ちます。

太陽が輝きを失ったのではなく、見えないところでも常に輝いていたわけですね。

これと同じように私たちの肉体は睡眠に入っていきますが、実際のところ肉体は休息をとっても魂は一時も休むことなく動き、あの世の光のチャージをいただいてくるのです。

私たち人間はただ眠っているだけではありません。

天の摂理は、私たちがそのすべてを理解できなくても、一瞬の途切れもなく働き、変わることがありません。

自然界の宇宙意識と、調和された人間の心は宇宙と一体です。
まさに不二一体です。

宇宙と人間の心(魂)が一体であることの原点は調和された愛だと信じるところです。

そう思うとき、又してもわたしの心に大宇宙への感謝の気持が湧いてまいります。

過去も現在も未来も一点なり。
繋がった時間の経過の中に私たちが輪廻して今日も生かされています。

宇宙の営みのなかにある摂理と、秩序の根底にある唯一の意識を理解するには自然現象にだけ目をやるだけでは難解でしょう。

その営みの奥にある形の無い働き、意識、相に心を傾けることで理解が可能となってきます。

そして理解が深まるほどに、自身の愚かさや、ソウルsoul(魂)というものの素晴らしさに気づかされるでしょう。

※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。

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Posted by kansindo