出逢いと別れと

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この世に命をいただいて65年。

人と人がつなぐ手に、また手をつないで生かされてきたと思います。

そしてそういうなかで良い出逢いがあり、悲しい別れもある。

生まれてこの方どれだけの出逢いと別れを知ったであろうか。

そういう積み重ねの上に今の私がいるのだから、まさに人生は人と人のつながりで成り立っていると実感します。

地球上に生きる人口が約70億人として、私自身が生涯を通じて出逢う人数はとなると、それは微々たる比率にしか過ぎないかもしれないが、しかし、それでもその微々たる出逢いと別れはとても大きなものです。

一つ一つのどのような小さなすべての出逢いにも必ず意味がありました。

別れによってしか気づけないこともあります。

出逢いと別れによって学ぶ喜びと悲しみは、私の心を成長させてくれました。

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人間関係が上手な人は「自分を変えようと心がける人」

eye4鏡に映る自分姿と自分

友人の間で何気ない言葉のやり取りから気分を害してしまってぎこちない関係になったり、職場の中で問題がおこるのは「あの人の言い方が悪いからよ」といっていつも人間関係につまずいている人。

他人もまた自分の姿を映す鏡のような存在ではないだろうか。

自分次第で相手も変わるからです。

トラブルがなく、自分を生かすにはどうしたらいいのだろうかということになると、自分にとって何が欠けているのかとか、何が必要かという新たな取り組み、加えることで改善しようとする方法が多いかと思います。

ところが自分の中にある癖(傾向性)というものをそのままにして新たな取り組みを重視してしまうと、自分の短所、癖に目を向けることがないままに方法論に走ることになりかねません。

怪我して傷口が化膿していたら、それは化膿した膿をキレイに取り出してから消毒をしてお薬を塗っておくことが必要です。

これと同じように、塗装した下から鉄がさびて浮き上がってきたら、先ずは、その錆をキレイに落してから錆止めを塗ってそれからペンキを塗ると塗料の上に錆が浮かび上がってきません。

化膿した傷口の処置も、錆の浮かび上がった塗装面の手入れも、人間のトラブルも同じで、原因は、私たちの心の内にある錆、即ち欲望や、自己都合、思いやりのない言葉、こういったところから発生する場合が多いかと思います。

これも一つの人間の癖(傾向性)として個人差があり、どうしても人間関係で円滑さを欠く傾向のある人の場合、その人自身の対応の仕方にも問題があることが多いのではないだろうか。

正しいことを言っているのですが、「言葉に棘がある言い方」ということがあります。

人と協調する、社会と協調するということは、「自分を生かす」ことから始めなくてはならないのでは思うのです。

それでは「自分を生かす」とはどういうことをいうのだろうか。

人間関係をよくするための二通りの方法

先ずは第一に、相手を変えること。

これは例えば、会社という組織の中においては、個人の間違った言葉や行動を指導するという意味においてはごく当たり前のように行われているだろうと思います。

しかし、仕事に関係なくプライベートなところで間違った言葉や行動をしている事に対して誰が注意するのか、アドバイスをするのかとなるとなかなか難しいところがあるでしょう。

親しい仲でも忠告しがたいところがあるだろうし、人によってはアドバイスでもしようものなら逆に猛攻撃される場合もあるかもしれません。

こうしてみると相手を変えるということは中々困難だということがわかります。

相手が変わろうと思っていないのに変えようとするから無理がある。

それは夫婦でもそうだし、兄弟でもそうだし、親子関係においてもそういう問題が実に多いのです。

相手を変えようとすることを人間は考えがちですが、それではそう考えている人自身には問題がないのかということをようくみて状況観察しますと、実はここにも問題がある場合が多いこともわかってきます。

欠点を指摘する人は、他人の欠点を指摘することによってしか自分の優位性とか存在価値を確認する術がないという、いわば心に余裕がない人の場合もそうなる傾向があります。

それでは人間関係を良くするにはどうしたらよいのかということになります。

第二に、自分が変わること。

相手を変えようとする意識を強めるのではなく、先ずは「自分ができることをしよう」という考えをもって行動することで自然に周囲の接し方が変わってくることを体験すれば、人間関係の在り方にも自信がもてるようになってきます。

間関係では、一般的に相手が変わってほしいことを先に願ってしまう。

理由は単純で、そのほうが楽だから。

「相手が変われば、自分も変わるのになあ」

人間関係改善のために、相手が変わってくれるように願います。

また実際に相手に「変わってよ」とお願いすることもあるでしょう。

すると、相手には、自分の人格・価値観・考え方を否定されたように感じてしまい、余計に変わりたくなくなります。

作用することによる反作用が働くことになります。

これではうまくいきません。

相手は相手であり、自分は自分です。

皆それぞれに固有の心をもっています。

人間「無くて七癖」という諺が示すように、どんな人でも一つや二つの癖はもっているものだということでしょう。

ですから、相手を変えようとすると、うまくいきません。

しかし、自分を変えようとすると、うまくいきます。

人間関係が上手な人は「自分を変えようと心がける人」です。

相手が変わることを欲するのは「他力本願」

自分が変わろうと努力するのは「自力本願」

自分しだいで、いつでもどこでもですから、これほど自由な世界はありません。

相手を変える前に、まず自分が変わることを心がけたいものです。

自分を変える方法

先ずは自分を知ることから。

性格(自分の癖)、好み、趣味、行動パターン等々

自分自身の好きなところ・嫌いなところ

長所・短所など

このようにリストアップされた自分を否定せずに認めること、受け入れることが大切です。

受け入れるとは短所を素直な心で改めることでもあります。

自分をどう変えたいか

性格、外見、行動など

今の自分からなりたい方向を決める

自分を変えるための行動

これは自分のために行うことで、習い事を始めることもいいだろうし、

あるいは起床時間を変える・決める

今までになかった分野の本を読む

心の癖を変える努力を決心する

自分が思ったことを言葉にしてみる

人の為に、あるいは社会の為に何かを一つだけしてみること。

以上のように心の癖を変える努力をすること。

人の為に、社会の為に、何かをすることだけでも随分と自分自身が変わってくること請け合いです。お試しあれ。

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ひたすらに

78d88_london_2012_3463b0ac58f7f9aff4b93450d51ab08fどんな世界でも、

どんな小さなことでもいい、

自分が好きなものや夢を見つけ出して、

それに向かって全力で突進していく、

必要のないことや、

自分を弱気にさせる迷いなどやめて、

何かひとつ目標をもって努力する、

これが大切ではないだろうか。

嫌々時を過ごしたり、

過去に自分を縛りつけたり、

この先を憂いていても人生楽しくないでしょう。

いま為すべきことだけに、

ただひたすら専念することが大事ではないでしょうか。

結果以上に、

必死に努力している姿はいちばん美しく輝いています。

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許すこと

403人間である限りは、誰にも間違い、過ちはあるもので、私自身もたくさんのミスや過ちも犯しました。

そして人それぞれに個性があり価値観もあり、判断の基準もことなることが多々あります。

そういう意味では相手と自分がまったく同じということはないと思うのです。

相手もあなたと同じ考えを持たないで当たり前。

「君は君 我は我也 されど仲よき」という言葉がありました。

そういう気持ちが大事なのでしょう。

自分の価値観と相手が同じ価値観と思わないこと。

自分が一個の個性をもった人間であると同時に、一人の心ある人間である時、初めて他人とも真の愛の関係に入れるのではないかと思います。

みんな自分は自分、あなたはあなた。

私と違うあなたを尊敬する。

相手の人も、自分と違う私を尊重してくれる。

そして、その間に愛というものが育っていくように思います

一人ひとりは別な存在ではあるが理解や共有、尊敬や尊重、そして愛し合える立場にある。

しかし反面、出会いには別れがついてまわる。

人間の出会いにも一時的感情を抑えきれず、嫉妬に怒りを爆発させてあらぬ行動をとることによって別れにつながる場合もあるでしょう。

また、親しい人を亡くした友人に何と声をかけてやったらいいのか。

ただ傍にいて手を握ってあげるしかない。

何をいったら相手が慰(なぐさ)められるだろうかじゃなくて、本当に相手を思い遣る気持ちになると言葉がないほうが良い場合もあるもので

自分が親を亡くして悲しかったその悲しみと、友人が親を亡くしての悲しみとは、悲しみという点ではおあんじででもその状況や心の内にある内容は決して同じではない。

人生の機微が皆それぞれ違うからです。

機微とは、表面だけでは知ることのできない、心の微妙なおもむきや事情のこと。

お互い別々の人間だから、共通するところもあるけれども、わかり切れないところもあるものですね。

その意味で、人間は決して完全にはわかり合えない。

だからこそ、どれほど相手を信頼していても、100%信頼をすることは後々ダメージが大きくなる場合が多い。

全幅の信頼ということのなかには、自分の価値観からくる信頼や、憎しみや恨みの側面もはらんでいる。

だから信頼も98%にしておくことがよい場合がある。

何故なら、あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておいたほうが良いから。

人間は本来は完全なものですがしかし不完全なものです。

それなのに「あなただけは」と言って100%信頼するから、ギャップの分だけ、自分の思い通りにいかなかった分だけ許せなくなる。

100%信頼した出会いはかえって決定的なダメージで壊れやすい側面を持つことになる。

これは猜疑心とか駆け引きの心を持つことではなく、余裕を残しておくことで相手との人間関係を壊さないため、あるいは最悪の状態にしないための、バランスのとれた賢い心の置き方でもあります。

「あなたは私を信頼してくれているけれども、私も万能じゃないから間違う余地があることを忘れ ないでね」ということ。

「私もあなたをほかの人よりもずっと信頼するけど、あなたもパーフェクトじゃないと私は知っているから、間違ってもいいんだよ」ということ……。

そういう「ゆとり」が、その2%にあるような気がします。

間違うことを許すという「ゆとり」、それは、友人関係、恋人どうし、夫婦関係、会社の人間関係、等々、全ての人間関係のなかにおいても大事なことでなないでしょうか。

誤解のないようにしていただきたいのですが、決して不信感を植えつけさせる為に述べているのではありません。

それはないとは思いますが、私自身は100%信頼されたら少し重く感じます。

私は人間です。

私は逃げるつもりはないが、間違う余地を残しておいてほしいし、誡実に生きるつもりだけれど、間違うこともあるかもしれません。

約束を忘れることもあるかもしれない。

そういうときに許してほしいから。

2%の余裕をいただきたい。

許すことのわずかな余裕は自分へも、相手のためにも心に持っていたい。

毎回訪問してくださっている方々に心から感謝申し上げます。私的な都合ではありますが、仕事が多忙であること、電話、メール、面談カウンセリングが多い為、今後は当分の間、毎週月曜日にブログを更新する予定でおりますので宜しくお願い致します。時間のとれたときには単発でアップすることもあろうかと思います。

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心まで破壊するエネルギー

img_1ある相談日、私は大きなハンマーで胸を何度も打ち砕かれるような衝撃に耐えて60代主婦の愚痴を聞き、怒りの波動に疲れ切った。

彼女は開口一番から愚痴に始まり、終始不満と怒りを私にぶつけて最後までその調子は変わらなかったのです。

これでは彼女自身が心臓を患うのではないかと心配したが、やはり循環器科の薬を服用していた。

私も疲れ切ってしまって、さすがにこの方のカウンセリングは無駄だと思い知らされた経験があります。

人間はどういった時に怒りを感じ、その発信源はどこにあるのだろうか。
怒りによって夫婦が、親子が、兄弟が、友人が、同僚が、仲間が傷つき離れていく悲しみがあります。

そういう意味でいえば、怒りは多くの大切なものを失わせてしまいます。

しかし、怒れと言われても怒れないのが怒りの感情です。

喜怒哀楽という言葉に表現されるように、悲しみ、怒り、喜び、淋しさ、楽しいという人間の感情には、かならずそれが発生する原因があります。

人間の怒りの心理を探る際には、まずその怒りを引き起こす原因と切っ掛けについて考えていくことが大切となります。

私達が怒りを感じる時の代表的な例が『自分を否定された時』、「自分の思い通りにいかないとき」、「理不尽な場面に遭遇したとき」、「嫉妬がピークに達したとき」などでしょう。

では『自分を否定された時』とはどのような時でしょうか。

そのひとつは、行動ではなく人格を否定された時ではないだろうか。

例えば、仕事で遅刻をしたり仕事でミスをして、上司から注意をされるだけであれば、それは行動を指摘されただけになりますが、「お前はダメなやつだ。」「会社に必要がない人間だ。」と言われれば、それは人格を否定されたと受け取られるでしょう。

比較の論理

行動人格への指摘は異なるもので、相手の受ける印象も違ってくる。

例え行動が間違ったとしてもそれは人格の否定にはつながりません。

もし人格を否定されてしまえば、その人は、自分が優れた人間であるか、出来の悪い人間であるか二者択一を迫られてしまうことになります。

そして、俺は無能な人間だ、自分をダメな奴だと思い落ち込んでしまうか、「そんなことはない!」と反発して怒り心頭してしまうかのどちらかとなってしまうでしょう。

人格への良し悪しという白黒は否定へつながることになるのです。

また、女性がアドバイスをしたことで男性が『自分を否定された』と思いこみ、怒りに変わってしまうこともあります。

これは恋人同士のトラブル、夫婦間のトラブルにおいて非常に多いので、ぜひとも覚えておいて欲しいのですが、人間は『わかっていることを指摘される』と自分を否定されたと思いこんでしまう傾向があります。

この様な背景には『同等』や『相手が下』の意識が傾向としてあるからでもあります。

あるいは自分が上だという意識がある人が相手から言われた場合も怒りに変わりやすい。

だが、このような意識は自我にほかならいということも知っておかなければならいことです。

女性の多くは恋人・夫に対し、愛する人だからこそもっと成長してほしい、魅力ある人間になって欲しいと願うもののようです。

そしてその要求はふたりが親密になればなるほど大きくなっていきます。

実はこのことがいき過ぎると相手の大きくなった要求が怒りや破壊につながる場合も多いのです。

どれほど親しい関係であっても言葉にすることで相手の心を強く刺激したり、怒らせる結果になる場合もあるということでしょう。

例えば、子どものいる家庭で、夫が休日にゴロゴロしている時、妻が「お父さんなんだからもっと子どもの前ではしっかりして。」とか「子どもの前でだらしないかっこうしないでよ。」と言ってしまうことがあるでしょう。

しかし、そういう時、その男性はそのことをすでに頭の中ではわかっていることも多いのですね。

女性からアドバイスされ、男性がカチンときてしまう。

わかっているけれどもどう対処してよいのかわからない、わかっているけれども冷静にすることができない。

わかっているけど、きょうだけはのんびり、ゆっくりしたい。

頭ではわかっている時に他人からわかっていることを言われてしまうと男性は自分自身を見下されたと思いこみ、それが怒りに変わってしまうことも少なくないのです。

実はこういう状態の男性は、まだ心が広いという境涯まで成長していないのです。

この辺の男性心理を知っておくことも大切です。

こういう時、女性側には悪気はありません。

むしろ私は、女性側は正しい事を言っていると感じます。

しかし、いくら正しい事を言ったとしてもそれが相手に正しく伝わるとは限りません。

また正しいからと言ってストレートに言ってしまうことも注意が必要かと思います。

そういう意味では、女性が男性にアドバイスをする時は、工夫が必要です。

賢くこなす方法

限りなく男女関係をスムーズにするためには、男性に対し、命令形ではなく、お願いするような、一歩、謙虚な言葉遣いすると効果は大きいでしょう。

またはある程度の信頼をよせて待つことも大切でしょう。

ところが、人格を否定につながるような言葉を言われても、また、すでにわかっていることをアドバイスされても、まったく怒らない男性もいれば、怒る男性もいます。

その違いはいったいなんなのでしょう?それが自我です。

心は一つの器です。

器の大きさやその特性は個人差があります。

怒りを少なくしたり、減らしていくには、自身の理性を最大限働かせて冷静に行動する「間」が必要です。

危ないと思ったとき「一呼吸」の間が怒りを静めてくれます。

怒りを相手のせいにしているうちは自我心が改善されていないことになります。

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選択はすべて自分に任されている

fb72b27f5ee891f15627dfcee4b4e2c7人生は運に翻弄されるのか?

人生は多分に「運」に左右されるとする考え方があります。

世間では仕事で業績をあげれば、「運が味方をしてくれた」といった言い方をする場合がありますが、これは自分の努力部分については謙虚にという気持ちからそういった表現をすることもあるのでしょう。

飛ぶ鳥を落とす勢いで業績が上昇しているときや、出世街道を邁進しているひとは「勝ち運に乗っている」などとも形容されることがあります。

たしかに、能力や実力だけが成功と失敗を分かつものではないでしょう。

だれもが認める高いスキル(能力)を持ちながら、それが結果として表れない人がいる一方、それほど高いスキルと思われないのに、順調に好結果がついて回るという人もいます。

そんな不条理を説明するのに使われるのが運の良し悪し、ということになるのかもしれません。

実際、自分の能力や努力ではいかんともしがたいものに対して、運を持ちだせば納得しやすいという点はあるでしょう。

「自分は運に見放されている。いまさらあがいてもどうにもならない」そう決めつけて、人生を諦めてしまう。

しかし、運は、ある人には積極的に味方し、別のひとには見向きもしない、ということが本当にあるのでしょうか。

人生は運に翻弄されるものなのでしょうか。

運に向かうひと、背を向けるひと

砂漠のなかで水筒に入った水が半分あるとします。

まだ半分あるという考え方と、もう半分しかないという考え方、あなたはどちらでしょうか。

この発想の違いは、運ということに大きくかかわってきます。

前者の明るく前向きな発想ができる人は、厳しい状況に立たされても、可能性を信じて積極的な取り組みをします。

こういう人は、失敗は失敗としていち早く気持ちを切り替え、むしろ、それを糧にして厳しい状況を切り抜けるための努力をつづけるのです。

そういうときには、囗から出る言葉も「頑張るぞ」、「必ず状況はよくなる」といったくじけない意志を感じさせるものばかりです。

体も心も言葉もぶれがなく、一点に集中している生き方といっていいでしょう。

かすかな水滴も一点に集中すれば、やがては岩をも突き通します。

こんな精神で臨んだなら決して状況が変わらないはずがありません。

これが結果的に「運がいい」「運に恵まれた」ということになってくるのです。

こうしてみると、幸運はどこからかやってきたのではなく、自分が運の方向に道を開き、近づいて行ったということがわかるでしょう。

否定的で後ろ向きな発想しかしできない人はひとは、自らしてまったく逆の人生を送るしかありません。

過酷な状況にいることをくよくよ思い悩み、同じ所でその場に縮こまって、同じことに拘り堂々巡りをして「夫は変わってくれない」、「私は結婚運が悪い」などと「運の悪さ」を嘆くのです。

これではどこにも光明が見出せるわけがない。

運にみずから背を向けてしまっているからです。

自分で運に向かっている人は、周囲に対して気配りができ、他人のために何かをすることを厭いません。

そして必要なときは批判を恐れず意見を伝えます。

だから、結果的に周囲から気配りをしてもらうこともできますし、力を貸してもらうこともできるのです。

「善因善果」という言葉があります。

善きことを積み重ねていると、必ず自分にとって善い結果が得られる、ということです。

逆に心不調和に悪行にどっぷりとひたっていれば、悪い結果しかもたらされません。

「悪因悪果」です。

良き運を引き寄せるも、悪しき運に翻弄されるも自分次第。

運はだれにも等しく大宇宙に遍満しています。

要はそれに真っすぐに向きあうか、背を向けるかだけです。

選択はすべて自分に託されています。

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努力に勝る天才は無し

ねこお願いありがとう会話の中で自分の成功した話はしやすいが、失敗については話せない、話したがらない、話したくないということが多いのではないだろうか。

そういう私も正直に申し上げて、これまでの人生65年間にどれだけの失敗があるのだろうかと考えてみたら数えきれないほの失敗があります。

ところが、その数えきれないほどの失敗によって気づかされたこともとても多い。

自分がそうでしたが、とかく失敗すると気持ちが折れてしまったり、やる気をなくしたりしがちなもので、失敗したところでやめてしまうから失敗になるのであって、諦めずにある程度の結果がでるところまで続ければ、それは立派な成功になる。

だがその為には常に信念を持って自分んが今何をなすべきかを考え、そのなすべきことにひたすらに邁進していくことが大切だと思います。

人間は、やるべきことをやらないときほど、できないことの理由や弁解をならべたりもしますが、これではやり遂げることはできません。

毎日の仕事の中において自分を褒めてあげたいという心境になる日を一日でも多く持つことは自分への励みになるものです。

ですから精一杯の努力が必要なのです。

そういう日を積み重ねたいものだと思います。

仕事はただお金のためだけに働くのでは虚しくなりますし、不満もでてきます。

仕事に取り組む姿勢は、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させるという大前提が必要でしょう。

そのような意味から、苦難がくればそれもよし、順調ならば更に良し、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切ではないだろうか。

そして何年かして気が付いてみれば成長している自分に嬉しくなることもあります。

生きていく様々な局面で、一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。

そうしたいわば紙一枚の取り組みの差が、大きな成果の違いと心の成長の差を生む。

正に、努力に勝る天才はいないという所以でしょう。

また、偉人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て、自分の持ち味に合わせたあり方を生み出さなければ自分が生かされてこない。

私生活においても、仕事においても、人生において、叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。と考えられる人は心の器が更に大きくなるでしょう。

そして他人はすべて、自分よりも劣る、自分が上と思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっている、と思うことが成長するために欠かせない。

反対に人間の持ちもので一番、危険なものは驕(おご)りです。

驕りとはうぬぼれること、思いあがること、慢心すること、いいきになること、をいう。

恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしもまたよし、何事も結構という囚われない気持が大切で、恵まれても驕りはいけない。

驕りのある人からは人が離れるし、結局は自分の人生を衰退させることになります。

また考えはするが悩まない、そういうように思考を変えることができ、感じることができれば人生は決して心配することはない。

これまでの失敗の原因やトラブルの原因、諸問題の原因を素直に認め、「これは非常にいい体験だった、尊い教訓になった」というところまで心を開く人は後に進歩し成長する人だと思います。

心を開くとは物事に執着せず素直謙虚に学ぶこと。

我が家のまわりもずいぶんと緑が出そろいました。

この季節を待ちわび、日差しや風を楽しむように、人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、すべてのことに対して生き甲斐も感じられてきます。

人間というものは、気分がとても大事です。

気分が腐っていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。

しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動力が増してきます。

生きる力がこみあげてきます。

感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。

「ありがとう」と言うほうは何気なくても、言われたほうはうれしい。

ですから私はいつでもどこでも「ありがとう」と心からいいたい。

人は何度やりそこなっても「もう一回」この勇気を失わなければ必ずものになります。

信念を持ち、自分の道を力強く歩めば成功をおさめても有頂天にならず、失敗しても心に失望はありません。

成功した人は、普通の人なら、その困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしています。

人生にはカメのような一歩一歩の歩みが大切。

二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば、つまずき、捻挫もするし、大きな失敗もする。

だから地道な一歩が大切。

体の若さは有り難いが、もっと大切にしたいのは、柔軟な心の若さではないだろうかと。

信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものであると思うのです。

失敗は財産となります。

一方、失敗より厄介なのが迷いです。

何事も迷うということは、一種の欲望からきているところが多い。

これは私の経験からの言葉です。

ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、お金がほしい、物が欲しい、という欲望から迷いがでてきて、ほんとうに自分に必要なことを見失っています。

それを捨て去れば問題はなくなりますし、正しい判断ができます。

やはり、人間は足ることを覚えなくてはなりません。

足ることを覚えれば物を大事にします。

粗末にはできなくなる。

使えるうちは使い切りたい。

しかし、そのような迷っている人でも要求や求める気持ちが優先されているうちは気づかないが、実は誰にでも与えるものはあります。

笑顔を与える、自分が求める言葉や思いや行動や活動から逆に与える思い、言葉、行動、活動という施しへの転換をはかりたい。

それができたら人は変わるし、周囲は変わるし、地球は変わる。

心からの「ありがとう」は要求するものではなく、相手に喜びを与えるものでしょう。

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病気と食べ物

r医食同源

食べ過ぎと栄養過多

『必要以外のものはもたない』これは環境にもいいし、身の周りが楽だし、精神衛生上もとてもいい。

このような考えの生き方は健康にとっても重要なことですが、今朝は食事が体に与える影響について述べてみます。

今はメタボリックシンドローム(内臓脂肪の蓄積によりインスリンの働きの低下)が問題となっていますが、高血圧、高脂血症、高血糖、高体重などは殆ど食べ過ぎによる栄養過剰からといわれています。

『腹八分に病なし、腹十二分に医者足らず』という言葉もあるように、食べ過ぎて病気をすることのないようにとの意味で真髄を突いています。

30年前の医者の数は約15万人。現在は約28万人で倍近く、一方、現在ガンで死亡する人は約三十四万人。医者が増えても、医療費をいくらかけても病気はなくなりません。

これは何故でしょうか。

ある医学博士が言っています。

『ガンで死ぬのではない、ガンの治療によって死ぬのだ』と。

これが全てではないだろうが、手術と抗がん剤によって体力のない人はかえって悪化するケースがあること、死期が早まることを言っています。

生き物のなかで病気が多いのは人間と飼われているペットだというデータがある。

野生の動物はいつも空腹であり、百獣の王ライオンも、三日に一度ぐらいしか食事にありつけないといわれています。

あのサバンナでは狩りの厳しさも自然のなかで生きることの条件なのでしょう。

実は人類も飢餓の歴史が多くあったようです。

人間は空腹になると、グレリンというホルモンが分泌されて、脳の海馬の血流がよくなるといわれています。

満腹のときよりは空腹の時のほうが頭は働くように、飢餓のなかで人類は様々なものをつくりだしました。

活動の元となるのは糖分ですが、血糖値をあげるホルモンはグルカゴン、コチゾール、アドレナリン、ノルアドレナリンと多数あります。

しかし、血糖値を下げるホルモンはインスリンの一つだけ。

つまり、体はもともと低血糖、空腹に耐えられるようになっているわけで、今の時代は食べ過ぎだということです。

従って、健康の為には『腹八分』が重要ですが、厄介なのは八分目がわかりにくいこと。

そこで腹八分の条件。

①早食いしない。よく噛んで食べる習慣。

②満足した時はすでに八分を超過。

③少し足りない時が腹八分。

④デザートの分は主食を減らす。

⑤次の食事の時に、お腹が空かないのは腹八分超過で食べ過ぎのせい。

⑥次の食事のときにお腹が空く程度の食事にする。

これらを守れば腹八分は自然に抵抗なく達成され、ダイエット効果抜群、痩身効果アップです。

体は空腹時こそ免疫力がアップする

人間も動物も、病気やケガをすると、それを治すために熱がでるか、食欲がなくなるかのどちらかです。

それは体が本能で病気やケガを治そうとしている状態で、免疫力といいますが、免疫力とは血液中を遊走している単細胞『白血球』の働きのことでもあります。

白血球は元々、細菌やウイルス、老廃物を食べていますが、今のように人間の血液中に栄養がたくさんあり過ぎると、白血球が働く必要もなくなり、病原菌などを食べてくれません。

逆に空腹時にこそ白血球の貪食力が増し、免疫力があがるのです。

また体温が1度あがると、白血球が元気に動き回り、免疫力は一時的に五倍にも上昇するといわれています。

健康を維持するには一日最低一回は空腹の時間をつくることと、汗を流すことが大切なのですね。

『朝食が大事』という話しがありますが、それは人間が日の入りとともに眠り、日の出とともに目覚めていた時代の話し。

ここまではいかなくても私の場合は10時半~11時には布団に入り、夏場なら5時には目覚める習慣となっているため腹八分の朝食を7時に頂く。

現代のように夜遅くまで飲食をし、12時過ぎまで起きている生活では、胃腸が休む時がありません。また朝は汚れを落とす、排泄する時間でもあります。

人にもよって程度の差はありますが、生理的にも、朝は吐く息が臭かったり、ベタベタの汗をかいていたり、目ヤニが出たり、小便が濃くなっているものです。

あきらかに人間の体は日中と朝の時間では状況が違うのです。

現代の生活を考えれば朝食を少なめに足りないくらいにセーブすること、しかし、運動や働くためには栄養も必要ですからニンジンジュースがとても良い。

ニンジンには、体に必要なミネラルやビタミン、糖分が含まれていますし、そこにリンゴを加えると味がまろやかになって飲みやすいうえ、健康効果も高まります。

ショウガに黒糖かハチミツを加え熱いお湯を注ぐと飲みやすさと体温アップ、栄養補給と三拍子が揃いますし、体がポカポカしてくるのがわかります。

できればジューサで手作りした生ジュースが理想的ですが、朝の忙しい時間が無理な人には市販のものでも代用していいでしょう。

これだけではありませんが、皆さんそれぞれに工夫をされているかと思います。

『プチ減食』で体のリセット、免疫力アップ、体温上昇、みずみずしい肌、美容効果がえられます。お試しあれ。

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煩悩を否定しない

1000637_top渋柿は天日に干すから美味になる

私が子どもの頃のおやつというと特別にお店から買ったお菓子とかではなく、自分で小麦粉をヤギの乳で練ってお砂糖を少し入れ、フライパンで焼いただけのお焼きだったが、今思うと贅沢なおやつかもしれない。

晩秋から初冬になると、木に残っている柿の実が雨風や太陽にさらされて渋がとれて甘みが出てとても美味でした。

収穫した柿の実は皮をむいて串にさし軒下に干しておいて冬の間のおやつになりますが、これもまた甘みが増してとても美味しくいただいものです。

渋柿はそのままでは食べられませんが、自然にさらして天日干しをすることによって熟成され、渋がとれて甘みとビタミンが豊富になります。

人間も、この柿の如く形こそ大人になったとはいっても、渋のようにそのままでは邪魔をして食べられない、つまり熟成されていないところが多々あるのではないだろうか。

言いかえるなら渋は人間の煩悩にあたるでしょう。

煩悩という言葉を知っている人は多いと思いますが、人間には煩悩の数が百八つあると表現しています。

表現としては百八つですが、それだけたくさんの欲望をもつのも人間だということでしょう。

除夜の鐘が大晦日には聞こえてきます。

旧年に百七つ、年が明けて一つ打たれる百八つの鐘には、その煩悩を消し去って、清新な心で来るべき年を迎えたいという、願いが込められています。

しかし、いかんともしがたいのが、煩悩というものです。

夫婦の間でくりひろげられる言葉のなかには、グサッと心を刺すような言葉にショックを隠せないときもあるでしょう。

職場で心ない言葉によってノイローゼになって退職した人もいました。学校では先生が生徒を差別扱いして生徒や親御さんからブーイングされていることもありました。

生徒同士の陰湿なイジメにあい学校にいけなくなっている子どももいました。

身の丈以上の生活設計を立てて新築をして支払い不能となり家を手放した家族もいました。

財や地位、権力や名誉がほしいという欲望に弄されて人間関係を悪くしていてもそれに気づけない人間もいます。

お金にならないことには嫌な顔をする人間もいます。

社会や他人に向ける怒り、物にこだわる執着……。

これらの煩悩は、人間に拭いがたく纏(まと)わりついています。

煩悩を捨て去ることができれば、悩みや苦しみから解き放たれ、安らかで穏やかな人生が約束されそうです。

「煩悩を捨てれば、ひとは悟りを得られよう」という教えがありますが、ただし、これはもっと広くとらえるべきで、できるだけ煩悩に振り回されないような生き方をしなさい、という教えだ、と思います。

煩悩を完全否定するとなるととうていできないのですが、「煩悩即菩提」という言葉が教えるように、煩悩も悟るための条件であると受け止めれば心が楽になってきます。

甘く美味な干し柿ができるには渋がかかせない条件のようにです。

「煩悩即菩提」という言葉は、

煩悩もよくよく心して調えることができれば実に清らかなもので、衆生を救済する菩薩のようにもなるということでしょう。

わたしは煩悩は消そうとするのではなく、生かすことを考えるべきだ、と思っています。

干し柿のうまさは渋によるところが大きいのです。

渋を活かすには天日にさらして熟成させる必要があります。

私たちもたくさんの経験をし、そのことによって菩提心、つまり慈しむ心や愛を施す心が育って熟成されてくると思うのです。

こうしてみると、煩悩と言う心の欲望を完全否定することよりも、うまく活かすことを考えれば、生きる糧にもなり、人生に彩りを添えるものともなるでしょう。

ちろん、使い方を間違えれば、人生を誤らせる危険なものにもなるのですが……。

自分の中にある煩悩を拾い出してみてください。どれだけの欲望があるでしょうか。

もし自分が心の広い人間になりたいと思うなら、先ず、自分の中にある数多くの欲望のうちの一つを他人に与えることを実践することです。

「あの人の愛が欲しい・愛されたい」「あの人と仲良くなりたい」と願うならその心を相手に与えることから始めることです。

自分が望むことは相手も望むことですから、自分が望んでばかりいることが自己中心的な心であり、煩悩だということになります。

要は、欲望という煩悩はバランスが取れていれば、持っていて必要なものだということでしょう。

欲望という煩悩は集めるだけではやがて自分の心に苦しみをつくることになります。

ほんとうに自分に必要なものは何かを知ること。

それは欲しいものではなく、なくてはならないもの、を知ることです。

そして解き放すこと、つまり与えることが煩悩を減らす最良の妙薬だと心得たい。

与えることは無上の喜びを分かち合うことになります。

お釈迦様は例え話をなさいます。

「人間の欲望は、たとえ、ヒマラヤの山を黄金に変えたところで、満たされることはない」

ヒマラヤの山はどの黄金とは、無尽蔵な黄金ということの比喩ですが、どれほど多くのもの財産を手に入れても、さらに、またさらに求めずにはいられなくなって、決して満たされることがないのが、欲望なのだということを示しておられるのでしょう。

名誉や社会的地位にある職業によって驕り高ぶるプライドに慢心する心も同じです。

このことは物やお金のことだけではなく、夫婦愛についても言えるかと思います。

「女房のあれが不満だ、俺を理解していない」という夫、「私がこれだけ頑張っているのにどうして」と嘆く妻。

欲しい、要求、と煩悩を集めるばかりでは、次々に新たな煩悩を生むことにしかなりません。

いつも相談者と対面していて感じることは、邪気をもっておいでになる人が多いということです。

邪気とは、心の内にある煩悩のことであり、足ることを忘れている欲望のことであり、何かに拘って病んでいる自縛の心です。

いつもそうですが、自分を苦しくさせているのはあなた自身なのだということを悟っていただくためのお話しをさせていただいております。

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電話相談の内容をもう一度

1301「中絶・水子供養についての質問」についてメールでのやり取りはアップできましたが、相談者のHさんと電話で話した部分については掲載できていませんでしたから、今回は記憶をたどりながらその部分を掲載しておこうと思います。

電話での1時間以上の会話を思い起こしながらの文章化ですから内容として欠けている点についてはどうぞご容赦いただき、且つ、電話で話し忘れたことについてはこの場を以って補足をさせていただきます。

実は、このことは相談者のHさんからの要望でもありましたのでその意向を紹介しておきます。

「観童先生にひとつお願いがあるのですが、電話相談で私にお話してくださった内容をブログに掲載していただけないでしょうか?

(特に、普通の殺人と中絶を一緒くたにすることの誤りや、一生罪を背負って苦しむことは償いにならないことなど)

私もそうでしたが、中絶経験者はみんな「自分は人殺しだ」とか、「一生許されないし罪を背負っていかなければならない」、「ずっと苦しみ続けることが償いだ」などと考えていると思います。

そういった人々に向けて、是非ともメッセージを送ってほしいのです。

私は電話相談のおかげでだいぶ心が軽くなりましたし、先ほど申し上げたような生き方をしていこうという決心もできました。

観童先生の言葉で、私と同じように救われる方もきっと多くいるはずです。

私も今後また心が不調和になってしまったり、迷いが生じてしまった時には、そのブログ内容や、観童先生からいただいたメールを読み直して気持ちを落ち着かせたいとも思っております。

ご検討いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。」

さて電話での内容ですが、先ず最初に、中絶することと、人間が人間を殺すことは意味合いが異なるということについてお話ししましょう。

世の中には他人から注意をされただけで切れてしまって相手を刺し殺したという事件もありますし、兄弟が財産争いをして殺害に及んだという悲しい実話もあります。

また、子どもが親を殴り殺したという痛ましい事件や、親が子どもに手掛けて殺してしまったという事件も後を絶ちません。

私が直接受けた相談者のなかにも親を殴って大けがをさせた大学生がいましたが、彼の話しでは「殺意を抱いた」と話していましたし、幼少の頃から家庭をかえりみない父親への不満がそうさせた原因であることがみえてきたのでした。

残念ながらこの家庭は修復できないところまでほぼ崩壊していました。

少し脱線しますが、今現在でも世界の各地で戦争がおこなわれ、兵士は勿論、多くの民間人が犠牲になっています。

これもまた大義があるとはいえ殺人に変わりはありません。

このような殺人行為は人道上許されるものではないということも私たちは知っています。

こうしてみると殺人には、自己都合(不満、怒り、憎しみ、恨み)、政治的都合というエゴからくる感情が暴走して殺人に到っている場合がほとんどです。

殺人という人間の犯す罪には、社会の秩序を守る為の法律が適用されて裁かれますが、当の本人が法律にしたがって刑期を終えたから自分は許されたと勘違いしてしまえば、再犯の可能性だってあり得るでしょう。

何故なら、心からの反省、悔い改めが成されていなければ、本人の心の罪はそのまま厳然としたエゴとなって魂に残るからであります。

一方、今回の相談者Hさん(男性)のように、20代という若さでありながらも彼女が妊娠6週目で中絶という結果に対して、自責の念で相当に苦しんでいたことは、いただいたメールの内容や電話での内容から十分察して余りあるものがありました。

事の重大さを安易に考えて彼女のことを気遣いもしない、労(いた)わりもしない男性もいるなかで、相談者は妊娠、中絶という過ちを真摯に受け止め、不眠になるほど、痩せるほど苦しんだのです。

この心からの懺悔の気持ちが大切なのであって、二度と同じような過ちをしないという決心こそが自分を救う道であるということと、そういった素直な気持ちこそが彼女に対する愛情であり、誠意でもあろうかと思うのです。

過去の記事でも申し上げましたように、妊娠初期6週目の段階ではまだ胎児には魂が宿っておりません。

受精した途端に魂が宿るという表現をしているサイトや思想もあるようでうが、実際は受精したときはその瞬間に新たな生命体の営みが誕生するという意味において宇宙とつながりができると理解すべきであって、宿る事とは違います。

厳密には肉体が形成されていない受精卵に魂がやどることは医学的な見地、物理的見地、霊的な視点からいっても無理があります。

受精卵が細胞分裂を繰り返し、人間としての肉体が形成されてきますと3か月頃には心臓の細胞も形成されやがて鼓動が始まります。

この心臓の鼓動が始まる時期が霊界から肉体に魂が出入りできる条件が整ったときであります。

胎児への魂が宿るというタイミングに関しては、人間の死を考えてもらうと分かりやすいかと思います。

寿命が尽きて死を迎えたときに霊体は身体から抜け出ていますが、まだ完全に切れたわけではなく、肉体と霊体は霊線(光子線)によってつながっています。

そして心臓の鼓動が止まったその瞬間に完全に肉体から分離されてしまうのです。

肉体は心臓の鼓動によって維持されているわけですから、鼓動の停止が本当の肉体死であり、魂が完全に分離する瞬間であります。

つまり心臓の鼓動が始まるときが魂が宿るときであり、鼓動が停止するときが分離するときだということです。

しかし、こういった真実を立証することは限りなく不可能に近いことです。

それは3次元に生きる人間に対して、4次元の肉眼で見えない世界を証明することは今の科学では証明できないからです。

次元差を超えられない壁がここにあります。

早期の中絶という問題は子宮壁を削り取ることになりますが、この時に着床した受精卵も同時に処置されることになります。

母体の痛みもさることながら、それ以上に女性の精神的な苦痛は計り知れないものがあるでしょう。

この中絶という問題は特に3カ月に満たない場合について霊的な視点からすれば、魂の宿っていない胎児は人間としては完全ではなく、母体の一部というように説明した方がより分かりやすいかと思います。

誤解のないようにしていただきたいのですが、このことは新たな生命の営みを軽んじているのでもなく、厳粛な生命誕生の真実を申し上げているということであります。

中絶イコール殺人という風潮は正しい解釈と理解が成されていないこと、霊能者といわれる人々や寺院のなかには中絶を理由にしっかりビジネスにして営利主義に走る者たちが多くいます。

こういう人たちが中絶は殺人だといって不安感や恐怖心をあおり立てて間違った情報を蔓延させてきたのである。

あまりにも簡単に殺人という言葉を使いすぎることによってどれだけの人たちが精神的ダメージを背負い、自縛し、心のなかに影を落としているのか、大いに弊害を危惧するところです。

魂の活動

妊娠3か月以上の胎児に宿った魂は、胎児に入ったままではなく、誕生の瞬間まで胎児の肉体を抜け出て4次元に戻ったり、肉体に戻ったりと自由に出入りしています。

そういう意味では生まれたあとの私達のスピリットとは違い、胎児に宿っている魂の場合は非常に行動範囲が広いということがいえます。

それは何故かというと、まだこの世に生まれていない魂は非常に4次元とのつながりが深く、また私たちのような不要な先入観や知識、心の曇りがありません。

それだけに非常にクリーンな魂だといえるのです。

それがどれだけ大切な事であるか、生まれたばかりの赤ちゃんや、幼児をみているとわかりますが、まだ何も分別のつかない幼児が誰かと会話しながら遊んでいることがあります。

誰と話しているの?と聞くと「知らないおばちゃんと遊んでるの」という。

これは幼児の作り話ではなく、幼い子にはよくあることで、幼児の方が4次元世界を見やすい条件が残っているということである。

そして年齢を重ねていくことによって知識や経験、先入観、エゴが心に出てくるにしたがって心の眼が閉じてくるのである。

何の先入観や既成観念もないほうが霊視ができやすということです。

このことはお母さんのお腹にいる胎児にもいえることであって、まだこの世の空気に触れていない魂は非常に4次元とつながりやすいということです。

次に、3か月を過ぎて胎児に魂が宿ったあとのやむを得ない事情による中絶の場合、その魂はどうなるのかという疑問が湧いてこようかと思います。

先ず、胎児が中絶される前に胎児から魂が離れますから直接的な痛覚というものからは解放されることになります。

これに関しては医学的な問題や法的な問題を一旦わきにおいてお話しをしましょう。

実際お腹に命を宿している(いた)女性にとっては中絶ということ自体納得しがたいものでることは当然のことであります。

しかし、罪悪感を抱いて悩み苦しみ続けることは、償いでもなんでもなく、むしろ心を曇らせるという意味において罪であることから、悔い改め、懺悔は由としても、長期にわたって悲しみ、苦しむことは決して自分自身の為にも子の為にも、霊的な進歩にはならないのです。

胎児に宿った後に中絶されたその魂は本来、霊界において、ある程度のステージまで修行して煩悩から解放された境涯の魂であること。

そのうえで胎児に宿るチャンスをいただいたのですから、中絶されたからとはいっても親や兄弟たちを呪うような悪業をすることはないのです。

まだこの世に生まれていない魂たちは、私たちがもっているような3次元的な狭い価値観ではなく、心が全てであるという境涯にまで自分の心を昇華させた立派な悟りを経た大人たちであるということを知っておいてほしいものです。

胎児に宿った魂がこの世に生まれることができなかった場合、中絶、死産、流産した魂をあの世においては救済の手が天上界より差し伸べられ、養育施設で手厚く保護され大事に成人するまで育てられます。

この点についてはこの社会も福祉という制度の下に同じように施されていることを見ればご理解いただけるのではないでしょうか。

福祉についてもあの世の実態がこの世の現象として反映されているだけのことです。

もう一度申し上げておきましょう。

水子霊は中絶されてしまったとしても決して祟ったり親を恨んだりすることはないし、天上界でしっかり保護されているということや、自分がしっかりと調和した心を持ち、罪悪感に固執せず明るく前向きに生きていくことこそが最善の供養になるということを知っていただきたい。

明るく前向きに生きるとは先ずは、自分自身の心を愛によって満たすことが先決であり、そのうえで多くの人に笑顔で優しく接し、愛のある生き方をすることでしょう。

いつまでも中絶したことを悔いたり、罪悪感に囚われていることが供養ということにはならないのです。

前を向いて明るく生きることにも勇気と決断は必要です。

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