煩悩を否定しない

1000637_top渋柿は天日に干すから美味になる
私が子どもの頃のおやつというと特別にお店から買ったお菓子とかではなく、自分で小麦粉をヤギの乳で練ってお砂糖を少し入れ、フライパンで焼いただけのお焼きだったが、今思うと贅沢なおやつかもしれない。
晩秋から初冬になると、木に残っている柿の実が雨風や太陽にさらされて渋がとれて甘みが出てとても美味でした。
収穫した柿の実は皮をむいて串にさし軒下に干しておいて冬の間のおやつになりますが、これもまた甘みが増してとても美味しくいただいものです。
渋柿はそのままでは食べられませんが、自然にさらして天日干しをすることによって熟成され、渋がとれて甘みとビタミンが豊富になります。
人間も、この柿の如く形こそ大人になったとはいっても、渋のようにそのままでは邪魔をして食べられない、つまり熟成されていないところが多々あるのではないだろうか。
言いかえるなら渋は人間の煩悩にあたるでしょう。
煩悩という言葉を知っている人は多いと思いますが、人間には煩悩の数が百八つあると表現しています。
表現としては百八つですが、それだけたくさんの欲望をもつのも人間だということでしょう。
除夜の鐘が大晦日には聞こえてきます。
旧年に百七つ、年が明けて一つ打たれる百八つの鐘には、その煩悩を消し去って、清新な心で来るべき年を迎えたいという、願いが込められています。
しかし、いかんともしがたいのが、煩悩というものです。
夫婦の間でくりひろげられる言葉のなかには、グサッと心を刺すような言葉にショックを隠せないときもあるでしょう。
職場で心ない言葉によってノイローゼになって退職した人もいました。学校では先生が生徒を差別扱いして生徒や親御さんからブーイングされていることもありました。
生徒同士の陰湿なイジメにあい学校にいけなくなっている子どももいました。
身の丈以上の生活設計を立てて新築をして支払い不能となり家を手放した家族もいました。
財や地位、権力や名誉がほしいという欲望に弄されて人間関係を悪くしていてもそれに気づけない人間もいます。
お金にならないことには嫌な顔をする人間もいます。
社会や他人に向ける怒り、物にこだわる執着……。
これらの煩悩は、人間に拭いがたく纏(まと)わりついています。
煩悩を捨て去ることができれば、悩みや苦しみから解き放たれ、安らかで穏やかな人生が約束されそうです。
「煩悩を捨てれば、ひとは悟りを得られよう」という教えがありますが、ただし、これはもっと広くとらえるべきで、できるだけ煩悩に振り回されないような生き方をしなさい、という教えだ、と思います。
煩悩を完全否定するとなるととうていできないのですが、「煩悩即菩提」という言葉が教えるように、煩悩も悟るための条件であると受け止めれば心が楽になってきます。
甘く美味な干し柿ができるには渋がかかせない条件のようにです。
「煩悩即菩提」という言葉は、
煩悩もよくよく心して調えることができれば実に清らかなもので、衆生を救済する菩薩のようにもなるということでしょう。
わたしは煩悩は消そうとするのではなく、生かすことを考えるべきだ、と思っています。
干し柿のうまさは渋によるところが大きいのです。
渋を活かすには天日にさらして熟成させる必要があります。
私たちもたくさんの経験をし、そのことによって菩提心、つまり慈しむ心や愛を施す心が育って熟成されてくると思うのです。
こうしてみると、煩悩と言う心の欲望を完全否定することよりも、うまく活かすことを考えれば、生きる糧にもなり、人生に彩りを添えるものともなるでしょう。
ちろん、使い方を間違えれば、人生を誤らせる危険なものにもなるのですが……。
自分の中にある煩悩を拾い出してみてください。どれだけの欲望があるでしょうか。
もし自分が心の広い人間になりたいと思うなら、先ず、自分の中にある数多くの欲望のうちの一つを他人に与えることを実践することです。
「あの人の愛が欲しい・愛されたい」「あの人と仲良くなりたい」と願うならその心を相手に与えることから始めることです。
自分が望むことは相手も望むことですから、自分が望んでばかりいることが自己中心的な心であり、煩悩だということになります。
要は、欲望という煩悩はバランスが取れていれば、持っていて必要なものだということでしょう。
欲望という煩悩は集めるだけではやがて自分の心に苦しみをつくることになります。
ほんとうに自分に必要なものは何かを知ること。
それは欲しいものではなく、なくてはならないもの、を知ることです。
そして解き放すこと、つまり与えることが煩悩を減らす最良の妙薬だと心得たい。
与えることは無上の喜びを分かち合うことになります。
お釈迦様は例え話をなさいます。
「人間の欲望は、たとえ、ヒマラヤの山を黄金に変えたところで、満たされることはない」
ヒマラヤの山はどの黄金とは、無尽蔵な黄金ということの比喩ですが、どれほど多くのもの財産を手に入れても、さらに、またさらに求めずにはいられなくなって、決して満たされることがないのが、欲望なのだということを示しておられるのでしょう。
名誉や社会的地位にある職業によって驕り高ぶるプライドに慢心する心も同じです。
このことは物やお金のことだけではなく、夫婦愛についても言えるかと思います。
「女房のあれが不満だ、俺を理解していない」という夫、「私がこれだけ頑張っているのにどうして」と嘆く妻。
欲しい、要求、と煩悩を集めるばかりでは、次々に新たな煩悩を生むことにしかなりません。
いつも相談者と対面していて感じることは、邪気をもっておいでになる人が多いということです。
邪気とは、心の内にある煩悩のことであり、足ることを忘れている欲望のことであり、何かに拘って病んでいる自縛の心です。
いつもそうですが、自分を苦しくさせているのはあなた自身なのだということを悟っていただくためのお話しをさせていただいております。
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