己を知ると・分を知る

1自分を知れば、今の自分ができることと、できないこと、やってはいけないことがハッキリしてくる。

そして、もし自分のやりたいことが、自分のやれる範囲を超えていそうでも、気持ちのうえでは諦めてはいけない。

何故なら、己を知ることと、分を知ることは、似ているようではあるけど、決定的に違うから。

分を知るということは、「分をわきまえる」ということだと思うのですが、現在では死語に近いというか、「分をわきまえない」人が多いかも知れません。

「分をわきまえる」とは「その人に相応しい行動をとっている」という意味で、その人にふさわしくない言動、服装などをする人や、身を飾る、自分を過大評価して大きな事ばかり言う。

つまり「身のほど知らず」と批判されたものだと思うのですが、現在は「何でもあり」の風潮があるせいか、ほとんど注意されませんし、それを教えてくれる人も少ない時代かも知れません。

分を知る、ということは決して自分を否定することではなく、むしろ今の自分はこうだということを肯定したうえで、物事に向かうということでよいのではと思います。

しかし、自分を知るということは、常に自分の過去や、今の自分をみつめ、必要とあらば自分を改めるという心の勇気を持つことだろうと思いますし、諦めることとは違う。

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幼い子の憑依はなぜおきるのか

5520d8e9118d7c2c980737c097dcf0d0_s(1)以前にも幼い子の夜泣きや、異常な泣き方についてふれたことがありますが、今朝はこれまでの相談内容には幼い子どもたちの霊障、赤ちゃんの霊障ということがありましたということについて再度述べてみたいと思います。

事例をいくつか述べてみましょう。

赤ちゃんの誕生を祝い、健康と長寿を願って神社に詣でたその日から夜泣きが始まり、だんだん酷くなって大変な思いをしたという例。

赤ちゃんのときから異常なほどの泣き方をして小児科に相談したが、何も異常が見つからず手の打ちようも無く、親の方が疲れ切ってしまってノイローゼ状態ですという例。

4歳の保育園児がご飯も食べられず、夜泣きやお昼寝の途中にいきなり火をつけたように異常な泣き方をして怯えていたという例。

夜になってお布団に寝ると決まって下半身がサワサワして気持ちが悪いという小学3年生の子の事例。

家の床下を指差して人が寝ているという幼い子の例。

見えない人と会話している幼児の例、等々たくさんあります。

中学生、高校生、大学生でも霊障に苦慮している人たちはたくさんいます。

実は、自分のことでありながらも、霊障の事実やその原理、仕組みということを知らないがために、大変つらい思いをしている思春期の子どもたちは意外と多いのです。

健康祈願と健やかな成長を御祈祷するはずの神社に詣でて何故霊障がおきるのか。

お墓参りに行ってなぜ体調を崩してしまうのか。

お葬式に行って具合悪くなる人。等々。

きょうは幼い子どもの霊障について述べてみようと思います。

赤ちゃんの夜泣き

なぜ赤ちゃんの異常な状態ともいえるような夜泣きがあるのだろうかということを考えてみますと、一つには体の健康状態の影響による夜泣きが考えられます。

そして赤ちゃんの欲求(排泄で気持ちが悪い、お腹が空いてオッパイが欲しい)からくる夜泣きもあるでしょう。

ところが、そういった兆候がまったくないにも関わらず酷い夜泣きをするということであれば霊障を疑ってみることも必要かと思います。

一つには、その子の魂が過去世において何らかの霊的な覚醒をしている場合、あるいは霊的なことについて学んだことがあるということ。

もしくは宗教的教義を学んでいたことが霊的進化につながっているというケース。

つまり、上記のような学びは、今世において霊的次元へのコンタクトされやすい魂となって誕生しているという場合です。

霊的な覚醒は、良くも悪くも、異なった次元とコンタクトされやすいというリスクがつきものだということ。

それだけに、自分自身が心を乱さないような生活を心がける必要があります。

そうはいっても、幼い子どもの場合は自分で心を調えるなんてできるはずもなく、できる限り親御さんが家庭環境を調和させるようにする努力をしなくてはなりません。

心の安らかな光の波動で家を満たすということです。

ただでさえ敏感な子の場合、家庭環境に不調和な部分があれば尚更その不調和な波動によって霊障が増してくることにもなりかねません。

そのような意味で言えば、親の生活習慣や家庭環境が赤ちゃんや幼児にとって好ましくない環境である場合も夜泣きや、急変した異常な泣き方になる場合があろうかと思います。

こういった夜泣きや、異常な泣き方は、適切な対策が講じられることで、その日から、あるいは数日で治まる場合もあるでしょうが、そうでない場合は数週間、数か月、一年、二年と続いている事例もあります。

赤ちゃんや幼児の健康を医学的にとらえた場合、お母さん、お父さんの仕事や日頃の生活習慣が赤ちゃんに与える影響はとても大きく、赤ちゃんの体内時計を乱すような生活が最も問題があるとされています。

生れた時から異常なほど夜泣きする赤ちゃんもいますが、この場合は、霊障に限らず、お母さんの体内にいるときから赤ちゃんにとって家庭環境が良くなかったということも否定しきれません。

霊的背景

赤ちゃん、幼児がすこぶる健康で、生活習慣も特に赤ちゃんに悪影響を与えるようなことは見当たらない場合は原因がどこにあるのか。

事例としては、お母さんが老人ホームで働いているということで連れて帰宅するということがありました。

意外と老人ホームは霊的には結構キツイものがあります。

ホームで亡くなる人も多く、心不調和な老人も居住していますから霊的にはかなりステージが低い環境であることは間違いありません。

このことは私自身が直接ホームを何度も訪れてみて、施設と仏間を拝見し、実感したことですから述べておきました。

赤ちゃんの前世

大人なら邪気をもらうということもそれほど問題なく考えられるけど、どうして純粋で無垢な赤ちゃんまでそういうことになるんですか?という疑問を持つ方もいました。

当然の疑問かと思います。

確かに赤ちゃんは大人と違って、何年も生きて心に汚れを溜めている訳ではないという意味では心の波動が低いはずもなく、荒いはずもなく、不調和でもありません。

そういう穢れのない赤ちゃんが何故霊的な影響を受けてしまうのかとなると、実は、魂というのは生まれ持った個性、特性があって、その特性は前世、過去世から引き継がれたものであるということ。

ですから、赤ちゃんによっては霊的に敏感な子もいれば、鈍感な子もいるのです。

敏感な赤ちゃんや幼児の場合は、人ごみのなかに入って行った時など、人々の邪気に触れることによってぐずったり、泣きだしたりする場合があります。

あるいは、お父さんや、お母さんが仕事をもっていて、職場で邪気をもらったまま家に帰ってきて赤ちゃんや子供に触れることによって赤ちゃんが夜泣きをするという流れもあります。

こういった場合にも浄化をしますとやはり夜泣きが治まります。

こういう場合は、赤ちゃんに問題があるのではなく、お父さん、お母さん、家族のほうに何らかの霊的な原因、あるいは不調和な心の波動を放っているということも考えてみる必要があります。

例えば、以前の記事でも述べたことがありますが、夜泣きをする赤ちゃんの浄化をすればすぐに治まるのですが、再び夜泣きを繰り返すということがありました。

よくよく家庭環境を聞きましたら、赤ちゃんのお母さんのお母さん、つまり、お祖母ちゃんが宗教にハマっていて、その教団から様々なお守りやご利益グッズを家に持ち込んで、子どもの身につけさせていることがわかりました。

これがとっても良くない。

宗教団体名は公表できませんが、非常に欲望の渦巻いている教団で、被害者もあり、怪しいカルト教団といってよいでしょう。

こういう場合はその宗教に関わっているお婆ちゃんが邪悪なものを被って家に連れてくることによって赤ちゃんが敏感に反応した結果だということがいえます。

宗教というものは、その教団の教祖、幹部たちの精神ステージがどの段階にあるのか、教祖の心の内にはどのような志があるのか、足ることを忘れた自我からくる欲望があるのかによって、その背後で暗躍する見えない霊達たちの存在も大きく、信者やその信者に間接的ではあっても関わる人たちにまで影響するのです。

善なる波動は愛として影響し、邪悪な波動は災いとなって悪影響を与えてしまうわけです。

それは神社であっても寺院であっても宮司や神職たち、そして僧侶たちの心如何で同じような現象が起きてくるということです。

神社全体の霊域が非常に清浄なものであれば、境内もその周囲、拝殿も、空気が柔らかく、澄み切った感覚というかたちをもって感じられるはずであります。

逆もまた然りであります。

人間の発する心の波動は、その人の魂のステージを如実に表すエネルギーとして、邪悪な世界の住人達にも通じるし、比較的高い次元の諸霊たち諸天善神や神仏にも通じるものです。

ですから心如何によっては、それはそのままあの世の邪悪な霊達からもコンタクトされるということにもなりますから、務めて自身の心の調和を心掛けて生活していく必要があるわけです。

赤ちゃんや、幼児の夜泣きは生活環境からの影響があることは勿論ですが、一面にはこういった霊的な影響によって発生する夜泣き、昼の突然異変ということも事実としてあるということを、私自身が直接関わったことで何度も体験して確証を得、学ばされたのでした。

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形あるものに拘らない安心の生きかた

imgrc0062743262子どもでも、大人でも、欲しいものとなると自分の支払い能力をかえりみずに買ってしまうということがあります。

「ほしいもの」と「必要なもの」こういった分別を以って判断できることが物に心を惑わされない、安心の境地で生きる気づきかもしれません。

人生には悩みや苦労が尽きませんが、安心の境地に立てば、それさえも自分の魂の鍛練、こころの浄化のチャンスと捉え、ごまかすことなく正面から向き合っていくことができるように思います。

ところが結構、悩みや苦労のなかで迷い、もがいて、生きている人は多い。

そして、何とかそこから拔けだす道を模索していきます。

貧しさから這いあがったり病気を克服したり、人間関係の葛藤を吹っ切ったり……。

しかし、依然、安心は訪れません。

悩みや苦労を乗り越えると、そこからまた新たな悩みの種が芽をだしてきます。

わかりやすい事例を述べてみます。

欲しいものが手に入らないことも、当事者にとっては真剣な悩みのひとつかもしれません。

隣の家から子どもがピアノを弾く音が聞こえてくる。

こころがちょっと動揺します。

「うちにも同じ年頃の娘がいるのに、ピアノなんてとても買ってやることはできない。子どもの頃から音楽にふれあうのはいいことだ、とわかっているのに……」

そんな考えにとらわれると、ピアノが必要不叮欠のもののように思えてきます。

「〇〇ちゃん。ピアノ欲しい?」「うん。欲しい」と4歳の女の子が答えます。

さて、悩みは増幅します。

そこで、ご主人は残業に残業を重ね、妻はパート勤めにでて、何とかピアノを購入する資金を調達したようです。

念願のピアノがわが家に運び込まれて、悩みは克服されたかに見えます。

しかし、買ってもらった4歳の子は半年もしないうちに飽きてしまってピアノには向かわなくなってしまったし、教室にも行きたくないということになった。

それに加えて今度は親しい友人から、子どもに家庭教師をつけたことを聞かされたようです。

「家庭教師かあ、なんとかならないかな」と5歳になった子に家庭教師をと考えるようになった。

何かを得ようとする悩みは、克服したと思ったそばから、同し悩みを生みだします。

「求不得苦」という言葉が教えるように、求めても得ることができないことの苦しみは人生にはつきもので、まったく鬼ごっこ、無限地獄の図です。

「あれが欲しい、これも欲しい」と思っても、人間はすべてのものを手に入れることなどできない。

そのことは誰もがわかっているのですが、いつしかこの鬼ごっこに迷い込んでしまうのですね。

こころをゆたかにする生き方

弘法大師空海はこんな言葉を残されています。

「智慧あるものは悟りを完成し、愚かなものは生死(まよい)をこしらえる」

生死は敢えて迷いと読みます。

愚かさが迷い、悩み、苦労をつくりだすということでしょう。

気づきは安心と同義です。

愚かでいるあいだは安心は逃げていくばかりで、苦しみ、葛藤が続きます。

形のあるものにこだわり、得よう、取ろうとすることの愚かさを先人たちは教えてくれています。

本来、形などあるはずもない心で、形あるものに拘り、満足しようとするのが人間の愚かさと示しています。

先の例でいえば、ピアノは形のあるものですが、それを得ようとすることは、隣人に負けない暮らし、豊かな暮らし、他人から羨まれる暮らし、といったものを取ろうとすることでもあります。

しかし、ここに豊かさは無い。

豊かさはこころで感得するものですから、ピアノを手に入れて得たと思い込んでいる豊かさは幻であり虚妄でしかありません。

次に何かを取ろうとしたとき、瞬時に消え失せてしまいます。

物は瞬間的な満足だけであって、さらに満足を求めて何かを欲します。

豊かさを感じるために本当に必要なもの、得なければいけないものは、それほど多くはありません。

形あるものへのこだわりをやめ、いたずらに得よう、とすることの愚かさに気づくことだけです。

先の事例の場合、我が家にピアノはないが、聞こえてくる隣家のピアノの音を聞きながら、家族が笑顔を向け合いながら団らんの質素な食卓を囲む。

そんなところにも豊かさの風情があったのではなかろうか。

安心があります。

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執着は「最後」にでる・裸で生まれ、裸で帰る

padma-med「与えられた時間」を精いっぱい生きる

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす・・・・・・・・・・。

よく知られた『平家物語』の書き出しです。

どんなに勢い盛んなひとも、必ず、衰えを迎えるのがこの宇宙の定め、生者が滅するのもまた、理(ことわり)と教えてくれています。

この世に生を受けた瞬間にすでに決められているのが、唯一、どなたも漏れることなく必ずその生は死を迎えるということです。

健康に留意すれば病は避けられるかもしれないし、大の病がが小になるかもしれないし、心持ちしだいで老いを遠ざけることも不可能ではないかもしれません。

しかし、死を免れることはできません。

だから、人間は死を恐れる。

では、何が死の恐怖をもたらしているのでしょうか。

この世に対する執着です。

この肉体に対する執着です。

「もっとやりたいことがある」、「築いた財産を残して逝きたくない」、「別れがたい人がいる」、「まだやりたいことがある」、「まだ死にたくない」……。

病と闘って痛みや苦しみに耐えている人にとっては「この苦しみのままに死ぬのは怖い」という気持ちにもなるでありましょう。

私の従兄弟は43歳で骨肉腫に侵されて発症わずか一年で家族を残してこの世を去った。

見舞いに行った私の前で彼は泣いた。「俺が何を悪いことをしたのよ」と。

温かいやつだった。

私は何らの掛ける言葉もみつからず、ただ黙って彼の手を握りしめることしかできなかったが、その3ヵ月後に今生の別れとなった。

今でも時折、子どもの頃に一緒に布団に寝たこと、一緒に遊んだことが昨日のように思いだされるときがある。

存命であれば65歳のいい親父であろうに。

私は生きてこそいますが、死の覚悟をした死の寸前までいきましたから理解はできるのですが、死は理屈抜きで不安になり、怖い想いもするであろうと思います。

しかし、理由の如何を問わず、この世に思いを残していればいるほど、死を落ちついて受け入れることはできません。

執着心が強ければ強いほど、死への恐怖も増幅します。

それが我欲ならばなおさらです。

我欲とは、己自身の偏った欲望のことであり、感謝の心を忘れた執着の心にほかありません。

生きざまという言葉があります。

その人がどのような生き方をしてきたかということですが、その生きざまが如実にあらわれるのが、死を迎えようとする瞬問です。

そう、死にざまが生きざまをそのままに映しだすわけです。

私もやがてくるであろう死に際、しかも、死にざまはごまかしようがない。

かつて私の師に聞いたことがあります。

何人もの人間に引導を渡し、お浄上に送ってきた僧侶が、自ら病に冒され、病状が悪化の一途をたどり、余命いくばくもないという状態になったとき、「死ぬのは嫌だ。死にたくない。なんとかしてくれ」と生にしがみつき、凄まじい形相で息を引きとった人がいたと。

私の師から聞いた話も凄惨な話しですが、人生、仏道修行に明け暮れたはずの私の知人の僧侶が「なぜ?」と周囲から思われるような、自ら入水して命を絶ちました。

彼は、30年ほど前にはともに語らい、酒を飲んだ友でありましたが、貧しさと、淋しさと、孤独のなかにあって、最後に入水を選んだのでした。

わたしは実際、僧侶のそんな死にざまを眼にしています。

人品骨柄(じんぴんこつがら)申し分なし、とまではいかなくても、それほど欲の深い人間ではなかったのですが、不運もあり、居候の僧侶として寂しく、貧しい酒浸りの人生を絶ちたかったのかもしれません。

人間、たとえ僧侶であっても、医師であっても、七転八倒の苦しみのなかで死んでいくことも、珍しいことではありません。

66歳ともなると葬儀に参列する機会も多いものです。

財をなしてさんざん賛沢な暮らしをしてきた人の葬式は、総じて寂しいものです。

生前身につけていた指輪や腕時計など、値打ちのありそうな宝飾品はすべて外されます。

棺のなかのご遺体は、何も持たされずに旅立つのです。

寂しい話ですが、それが現実です。

裸で生まれ、裸で帰る理は誰も変えることができません。

よい想念を持ちたい

生前は見えなくても、それがそのひとの人生の総決算です。

地位や財産や名声などとはかかわりなく、人間の掛け値なしの価値を死にざまはあらわします。

周囲には平凡な生き方と見えても、あるがままに、自分を偉く見せるでもなく、他人に迷惑をかけることもなく生きてきたひとの死にざまは、穏やかで安らかなものです。

を従容として受け入れる気高ささえ感じさせます。

この世に思いをまったく残していない、ということではありません。

その思い、想念がよいものなのです。

「家族を残していくのは心残りだけれど、頑張ってしっかり生きていって欲しい。ずっと見守りつづけているから」そんな想念は、この世の家族を天上界から見守りつづけます。

しかし、「なぜ蓄えた財産を白分のためにもっと使っておかなかったのか、心残りでならない。自分の死で家族は贅沢三昧することになるのか」といった我欲、悪念はいけない。

悪霊となって家族に取り憑き、不幸をもたらす元凶にもなり、死者自身の死にざまも醜悪なものとするのです。

もちろん、どんな想念を抱くかは、どう生きたかにかかっています。

ちょっとは磨きをかけてお返しする

死後の世界があることを信じ、肉体がなくなっても魂は生きつづけると思っていれば、この世の人生もいい加減なものにはできません。

魂を曇らせない生き方、少しでも魂が磨かれる生き方をしようとつとめるはずです。

私たちの命である魂も肉体も、親やご先祖、そして神仏からお預かりしたものです。

生まれてきたからには自分の命だからと、ぞんざいに扱うことは許されません。

死とは、そのお預かりした命を神仏にお返しするだけのことです。

しかし、汚しに汚した命を神仏にお返しするのは心苦しいと思うのです。

大切に扱い、少しは磨きをかけてお返しするのが、人間の本分、生き甲斐というものではないだろうか。

親から、ご先祖様から、神仏さまからお預かりしたこの命は、この世で生きるにあたってはそのまま受けとることです。

生まれつき重篤な病気を背負った命も、障害をともなった命も、病気をしたその体も、そのまま受けとり、お返しするそのときまで一所懸命生きたい。

そこに死の恐怖などありません。

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目に見えない大切なもの

10032417N_b「おかげさま」

車、家、土地、お金、その他の物と、かつての私がそうでしたが、人間どうしても目に見えるもの、手に取ることができるもの、形のあるものを大事にし、それが優先されてしまう傾向があります

実際は目に見えるものはわずか数パーセントにしかすぎないのだが、この手に入れた「物」で幸福の多寡をはかるようになったのはいつの頃からでしょうか。

溢れ返る物を買いあさることに夢中になり、物に囲まれて感じる幸福。

物があるほど幸福、価格の高価なものを持つことが幸福と思えば思うほど悲しいことで、本当の幸福はそこにはないように思うのです。

人間にとって本当に大切なものは、実は目には見えないもののなかにあるのではないだろうか。

物に代表される目に見えるものなど、大切なものからすればせいぜい5%から10%あるかどうか、その5%~10%に振り回されて生きているとすれば、悲しいかな、これもまた現代社会の一面かもしれません

かつての日本人は目に見えないものに対する畏敬の念を強く持っていました。

感謝は声にしてあらわすところがありました。

いまは「お天道さま」という言葉自体がほとんど死語と化しています。

その結果、目に見えるものしか信じないようになり、社会から品格が薄れています。

金を儲けるためならどんな手段に訴えてもいい。

自分が成功するために他人を陥れてもなんら痛みを感じない。

地位や権力を利用して不当に欲しいものを手に入れる。

そんな感覚が社会にはびこっています。

そういった現象は、心を説く宗教の世界にも蔓延しています。

モラルは地に落ちたというほかはありません。

「おかげさま」という心もすっかり影を潜めてしまっています。

一日の終わりに感謝の気持ちを捧げて眠りにつくということを忘れたくはありません。

何もかも自分一人の力でなし得ている。そんな傲慢さにとりつかれているひとの多さが目立つのは悲しい。

しかし、生きているということはさまざまな「おかげさま」に支えられているということでしょう。

この世に生を受けることができたのは両親のおかげ、育つ過程にいろいろあったとしても両親はじめ数多くの周囲のひとたちの「おかげが」あったはずです。

いまの自分も、もちろん、仕事の面でもプライベートな部分でも、たくさんの「おかげ」をいただいて今があります。

もっといえば、この世に「おかげさま」なしに成り立っているものなど、ひとつとしてない、といっても決して過言ではありません。

現在、わたしたちが享受している文明も文化も、経済も、思想も哲学も、あらゆる科学も、先人たちがもたらしてくれたものです。

偉大な功績の背景にはあの世からの協力もあります。

そろそろそのことに気づくべきです。

とりわけ、両親に対して、今の自分の周りにいて関わりのある人たちには「おかげさま」のこころを持たなければいけません。

都合のいいときだけニコニコで、意に沿わない時は牙をむくというのではお話しになりません。

人間には情というものがあります。

とりわけ両親はじめ、兄弟姉妹の絆は深い情で結ばれているものです。

すでに故人ちなっている肉親がいればそれは「おかげさまで気づかせてもらったよ、ありがとう」と感謝の心をむけて供養としなくてはならないでしょう。

このような「おかげさま」という心は誰に対してもむけていきたいものです。

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お盆中の体調不良と霊的背景

お墓の引越しQ&A-2さっきまで何ともなかったのに、お墓参りした途端に急に後頭部が重くなったとか、頭痛がしはじめたとか、体や頭がファファするとか、目眩がするとか、あるいは体には病気がないけど急に動悸がし始めたとか、急に息苦しくなったとか、ということを経験している人もいるかと思います。

毎年のことですが、お盆を境に7月あたりから毎年きまってお助けメールや電話が集中して増えてきます。

「どうして私は毎年今の時期になると体調が悪くて気持ちが沈むんでしょう。不思議とお盆を過ぎると普通の体に戻るんです。」

「きょう、墓地に家族で出かけたのですが、その頃から頭痛がはじまり、気持ちがイライラして帰宅して今はあまりの具合の悪さに吐いてしまいました。」

「夫の実家に行って仏壇にお線香をあげてから調子がおかしくなり、動悸と目眩がして立っているのが辛くてがまんできません」等々、さまざまな状況を伝えてお助けメールがはいってくる。

なかには病院に行って検査をしたが何も異常がありませんでしたという方もいます。

医学的な検査では特にこれといった問題点はないのに、何故こういうことがおこってくるのか。

こういった現象は低次元世界の霊や人間の発するネガティブな心の波動エネルギーを体に受けると、その人の体の弱いところ、つまり、日頃の健康状態がよろしくないところに痛みやシビレ、あるいは疼痛、息苦しさ、動悸、頭重感、倦怠感、憂鬱感、脱力感、無気力、イライラ、感情的になる、などとなって表れやすい。。

心臓が思わしくない人は胸部が締め付けられたり、腸の弱い人はお腹が痛くなったり、首の状態が良くない人は目眩やファファ感となったり、その結果は随伴症状として吐き気まででたりします。

呼吸系の弱い人はいきなり咳きこんだりします。

なぜそう言えるのかというと、実際に連絡いただときに微力ではありますが、対象者とその環境(場所、家、建物)を浄化させていただきますと、数分後には再び「嘘みたいに治まりました」と連絡がはいるからです。

ですから霊的な原因がなく、肉体的な問題だけの症状であれば浄化をしてもさほど大きな変化はおきません。

霊的エネルギーに敏感な人ならわかるかと思うのですが、一年ではお盆が一番霊が騒ぐ時期だし、あわせて春彼岸、秋彼岸、そしてお正月という感じです。

「お盆や彼岸は死者の霊を供養するという意味では霊の活動もわかるが、なぜお正月が関係あるのか」という質問もあります。

これは日本全国の神社において年末年始の参拝客が集中するところにも原因があります。

参拝客の動向は、真の意味での信仰ということではなくても、単なるイベント感覚というような人たちや、若者たちの動向意識にもよるところがあります。

そういう人たちが拝殿にて思うことは「幸せに暮らせますように・彼女と結婚できますように・お金に困らないように宝くじが当たるように・健康でありますように・仕事が見つかりますように・その他さまざま」というように願い事がとても多いようです。

これらはすべて自分の努力次第、心がけ次第で何とかなることかもしれませんし(そうすべき)、自分の都合や、欲から、神社で祭祀する神?に願うことではないように思うのです。

大晦日の深夜からお正月にかけて全国で神社に詣でる人たちの数は大変な数です。

その人たちが同じように思うことは想念というエネルギーなって地上を覆います。

日ごろ心に不調和な思いを持っている人の願いは決してクリーンなエネルギーとして伝播するはずもなく、荒い波動となって感知され、影響を与えることになるわけです。

神社だから澄んだエネルギーに満ちているということではありません。

神社の霊域がクリーンですがすがしいものであるか否かの根本は、祭祀している宮司、その職員たちの心の波動、つまり調和度の如何だということになります。

そのような訳で、全国的に宗派の別はあっても大体は8月13日が盆の入りで、出が16日というのが殆どかと思います。

盆の入りには迎え火を焚き、出には送り火を焚きます。

こういう日本の歴史と伝統が人々の心に定着していますから、死んだ後にもその習慣が心の中に残っている人にとっては迎え火が好都合なのでしょう

亡くなった人に向けて「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お盆だよ。ご馳走を準備したからこっちに来て一緒にいただきましょ。」こういって先祖の人たちに語りかけるものですから、あの世の霊たちは渡りに船とばかりに招霊されて家やお墓にくるわけです。

霊によっては遺族や家族の腰にしがみついている霊もいますから、憑かれた人は腰痛で腰が立たないといって盆中は寝たきりということもあります。

伝統、文化による習慣は、良くも悪くも私たちの心に深く根ざして影響を与えているものです。

先日、「盆の入りに迎え火を焚いたらその晩に大勢の人たちの話声が聞こえて寝付けなかった」という80近くのお婆さんがいました。

私から浄化を学んだスタッフがそのお婆ちゃんと家を浄化したら、その晩は数人の話声になったといっていましたが、盆の出に送り火を焚いた夜も浄化をしたらば話声が聞こえなかったということだった。

そのお婆ちゃんに事情説明をしたら妙に納得していたといいます。

こういうことが現実におこってくると霊界とこの世とは非常に関連性があるものだということが理解いただけるのではないでしょうか。

一枚の紙には裏表があります。

表から強く押して字を書いたら裏にもその字の跡がつきます。

あの世とこの世は裏表の関係のようなものであって全く別物ではないということ。

常に連動していることがわかるかと思います。

それだけに現代の先祖に対する供養のありかたも決して正しいあり方とは言えず、文化や伝統に偏らず、正しく知っておく必要があろうかと思うのです。

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誠意をもって真剣に取り組む

0000256100c思うに、人と人の触れ合いはいつも戸惑いが伴います。

だからといって拒絶してしまうには及ばないこともあるし、さりとて相手に合わせようと躍起になればむしろ無節操なこともある。

どのような戸惑いのなかでも、自分の立場を見極め、いまとれる最も誠実な態度で人とふれあう真剣勝負をしていくしかないように思います。

それでもそれがあらぬ誤解を招いたとしても、何時かは解けると信じて対応するしかない。

そのときの自己都合による怒りを相手にぶつける人もいます。

このような時は一切関わらない態度で臨むのも方法かもしれないのだが、しかし、それもまた状況によっては余りにも大人げないようにも思う。

戸惑いを続けて自分を縛るのは不本意ではあるが、相手の心が静まるのを待つしかないことも世の中にはあります。

人間は本質的に感情的な動物であって、それがどの程度表に出るかでないかの違い。

どんなに権威があっても、学識の高い人であっても、真理を学んでいる人であっても、感情的なところをもつのが人間であることに変わりはない。

その意味でいえば、人間は、理性9割、感情1割で振る舞うように見えるが、何かしら自分の意に沿わないことがあるとすぐに怒りの言動に豹変し、感情9割、理性1割で動くことも珍しくない。

自分を知ること、その大前提を踏まえた上で人と接することが大切だろうと思います。

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戦死の誤報で母再婚 父2人のはざまで娘は

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上の写真は核投下の被害

戦争は個人の意思に関係なく大きなイデオロギー(社会集団や社会的立場・国家・ 階級・党派・などにおいて思想・行動や生活の仕方を根底的に制約している観念・ 信条の体系。歴史的・社会的立場を反映した思想・意識の体系)として働き、そのエネルギーは転変地異に勝るとも劣らない暴走となって多くの尊い人民を犠牲にしていきます。

日本の降伏

第二次世界大戦、日中戦争及び大東亜戦争並びに太平洋戦争において日本が、アメリカ・イギリス・中華民国・ソビエト連邦が共同で発した勧告「ポツダム宣言」を受諾して降伏しました。

日本で単に「敗戦」というと、この第二次世界大戦の降伏を指すのですが、ポツダム宣言の受諾を連合国側に通告したのは前日の8月14日で あり、玉音放送によって読み上げられた「終戦の詔書」の日付もその日となっているとしています。

ポツダム宣言

1945年7月 26日にベルリン郊外のポツダムで発表された日本の戦争終結条件を示したアメリカ、イギリス、中国3ヵ国首脳の宣言のこと。

これはポツダム会談の結果、アメリカ、イギリス両国の合意ができ、それに同会談に参加しなかった中国も同意して発表されたもので、同会談参加のソ連はまだ日本と中立関係にあったためにこの宣言には加わらなかった。

きょうは、公には終戦記念日ということもあり、戦争についてふれてみたいと思いまして、カナロコ by 神奈川新聞 8月14日(金)7時0分配信から転載させていただきました。

pttimage171以下、転載内容

の腕に抱かれ、ハンカチで口元を押さえる少女。

BC級戦犯としてフィリピンで死刑判決を受けながらも恩赦によって横浜港に帰還した元日本兵と、約10年ぶりに再会した子どもたちの写真が、1953年7月23日の本紙に載った。

その少女、尾畑慶子さん(76)=旧姓前川、横浜市鶴見区=は「これで元に戻れる、と思いました」と当時の心境を振り返る。

けれども、そこに母の姿はなかった。

夫が戦死したとの誤報を信じて再婚していたからだ。

市井の人の「戦争」は続いていた。

「私は覚えていないんですが、お葬式をしたと母から聞きました」と慶子さんは話す。

終戦から2、3年後に父・前川治助さんの戦死公報が届いた。

母の邦子さんは、生活を案じた近所の人の紹介で再婚した。2人の幼い弟は新潟の父方の実家に引き取られ、母は新しい父との間に妹と弟をもうけた。

治助さんがフィリピンの刑務所で健在だと分かると、邦子さんは煩悶(はんもん)した。

日本人戦犯の減刑のために奔走した横浜出身の歌手、渡辺はま子さんにしたためた手紙に「再婚したものゝ、前川が生存して居ると知つた其の時から、此の帰りを待ちわびて来た私でした」と真情を吐露した。

帰国がかなった53年7月の恩赦に加えて同年12月、さらなる恩赦で釈放されるまで、治助さんは東京・巣鴨刑務所で服役した。

その間、邦子さんは再婚した夫とともに巣鴨を訪れ面談した。

結局、邦子さんが選んだのは治助さんだった。

その気持ちを慶子さんは推し量る。「あんたが大人になったら分かる、とだけ言っていました。

結局、好きだったということでしょうね。

母は大恋愛で結ばれ、16で私を生んだんです」 治助さんは邦子さんを許し、新潟の弟たちも一緒に暮らすことになった。

横浜港で慶子さんが見せた涙には、新潟、横浜と離れ離れだった弟に再会した喜びもあった。

「うれしくてしょうがなかったんです」 一方で、新しい父は身を引き、妹と弟を連れて家を出た。

慶子さんにとって、その2人も大切なきょうだいだった。

内職に忙しかった母に代わり、赤ん坊のころから銭湯へ連れて行き、かわいがったのだ。

「会いたくて、親に黙って顔を見に行ったこともあります」

その弟は病で早世し、妹は慶子さんが20代前半のころ奉公に出されることになった。

そのことを慶子さんが伝えると、治助さんは自分が引き取ると言った。

戦後十数年、戦争に翻弄(ほんろう)された慶子さんのきょうだいが一つ屋根の下に集まった。

「私たちを育ててくれた新しいお父さんにも恩返しができたと思いました」

治助さんが亡くなったのは90年。フィリピンでのことは口を閉ざしたままだったが、かの地で10年間、家族を思い続けたことだけは確かだった。

慶子さんは、横浜港で父が最初に発した言葉を忘れない。「お前、腕は大丈夫か」。ごく幼いころ腕に負ったやけどを、ずっと心配していたのだ。

◆フィリピンのBC級戦犯

非戦闘員や捕虜などを殺害、虐待したなどの容疑でフィリピン政府が起訴した日本兵151人を指す。

79人が死刑判決を受け17人が刑死。エルピディオ・キリノ大統領の恩赦で帰国できたのは108人だった。

戦犯は首都マニラ郊外のモンテンルパにあるニュービリビッド刑務所に収監された。

教誨(きょうかい)師の加賀尾秀忍や、戦犯が作詞作曲した「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌った歌手の渡辺はま子らが減刑を嘆願した一方、日米両軍が激突し約10万人の民間人の命を奪った1945年のマニラ市街戦などを背景に、日本兵に対する住民の憎悪は根深かった。

自身も妻子4人を日本兵に殺されたキリノは、キリスト教精神に基づき恩赦を決断したが、必ずしも国民の共感は得られず、直後の大統選で落選した。

以上が転載記事の内容です。

私は思います。

戦争の背景にあるものはいつも政治や思想によるイデオロギーであり、その根底には根本的に人間としての個人の思惑というものが潜んでいると。

一国だけの利益や思惑を優先するあまり、戦いにまで発展してしまうのですが、戦争につきまとうのはいつも怒りである。

実はこの怒りは、何度もブログ上で述べてきたように、破壊のエネルギーとなって私たちの日頃の生活の中にもあるものであって、それは単なる個人感情だけではすまなくなり、その言動によって他人を傷つけたり、他人の人生の邪魔になったり、妨げとなることが多々あるものです。

子の心 親知らず

親はいつまでも子どもだと思っている傾向にありますが、実際は純粋な心であるが故に、親の言動にエゴをみて育ち心を歪ませていくのです。

親の心 子知らず

思うように行かないことがあるといつまでも言い訳をしたり、短気をおこして親にあたったり、親のせいにしたりする未熟な子もいます。

このように家族のなかにも戦争が絶えないという現状はたくさんみてきました。

願わくば仲良く暮らしたい。

戦争反対はだれもが思うことではありますが、その前に私たち自身の生活のなかで「怒り」の心を発しない生き方、相手に向けない生き方をしたいものだと思う。

怒りは、自分の意に沿わないことがあるときに湧き出してくる心であり、自我心(エゴ)といわれる自己保存、自己中心の未熟な心と受け止めたい。

お互いが気まずい関係になることはわかっているはずなのに、いざとなると感情をコントロールできずにその気持ちを相手に向けた言動でいつも後悔する。

こういうことを業というのでしょう。

業は時間をかけても修正していかなければならない。

個人の戦争も、国同士の戦争も、人類の戦争の原点は異なるものではないでしょう。合掌

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逆境に鍛えられて

0d1e13b4完全主義

完璧主義という言葉のもつイメージは、けっしてよいイメージとして受け止められてはいないようです。

自分の理想を追い求める考え方としては差ほど問題ないように思うのですが、完全ということに拘り過ぎるがゆえに悩みがあるということもあるでしょう。

  • テスト等点数化できるもので、95点でも満足せず、100点を目指す。
  • 芸術作品を、ほどほどの程度で世に送り出すということをせず、あくまで自分が納得する状態にまで仕上げることにこだわる。
  • 人生設計の上で理想の仕事を具体的に考えるのだが、ひとつに絞ってしまい、他は受け入れない
  • 理想のものではないので、先延ばしにしてしまう。
  • あまりにも完璧を求めすぎて、生産性が悪くなってしまう。
  • 理想に辿り着けそうにないので、行動しない。
  • できないことによって自分や他人の欠点ばかり見てしまう。
  • 完全に拘るがゆえに自他を批判してしまう。

自分理想に追い付けないままに妥協することも拒否する気持が強すぎて悩みとして抱え込んでしまう。

こういったことをみたときに私が問題視すべきだと思うのは、欠点ばかり見てしまうことだと思うのです。

この、完璧主義ゆえに自分の欠点に目が行ってしまい、自分を否定してしまうということになるからです。

この自己否定が精神を病むことになってしまって相談にみえるケースがあります。

冷静になって考えてみるとわかることですが、人生ですべてのことがうまく行き続けるということなどありようがないと思うのですがどうだろうか。

完全主義とはある意味で人生を拒否している態度になるかもしれません。

失敗が許されない、貧しさは認められない、人より劣ることなどあってはならない、自分の意に沿わないことは否定する、いつも自分は優位にたたなくてはならない・・・・・となったら、どれほどの他人や社会と軋轢(あつれき)をつくってしまうだろうか。

この世のなかでは、とても素晴らしい人にも出会いますが、稀には冷酷な人にも出会います。

感情の豊かな人にも出会いますが、表面は柔和に見えても自分の意に沿わないことがあると豹変して、潜在している感情が非常に激しく表にでてくる人にも出会いますし、心が枯渇した人に出会うこともあります。

自分に色々な事を教えてくれる人にも出会うが、他人をだます人に出会うこともあるだろうし、人の邪魔をする人に出会うこともあるでしょう。

また理解し合えない人間関係には、夫婦があり、親子があり、社会の人間関係がありとさまざまです。

しかし、人生はこういったリスクによって鍛えられることも事実です。

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あるがまま自然体で生きられたら

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生き甲斐々という言葉で片付けられるものではありませんが、どのようなかたちであれ私自信は仕事を続けていくことも一つの生きている証しだと思っています。

しかし、未だに自分の未熟さに悔しさをおぼえたり、申し訳なさを感じたりしますが、大きな流れの中で、今自分がどこにいるのかを絶えず自己確認しながら臨んでいるところです。

つまり、老骨ではありますが、まだまだ激しい流れの中で揉まれなくてはならないんだなと思うことにしているのです。

そして同時な大きな流れの中に流されてしまわずに、今の流れはどんな流れなのか、そして、今私はこの流れのなかでどのように泳ぐのがふさわしいのかを絶えず見極めていたい。

人生五十年、と言われていた昔を思えば、これからはおつりの人生なのかもしれません。

しかし、まだだ、まだだといういい意味での闘争心というか、チャレンジャーというか、心のエネルギーを持ち続けながらも、あるがままに自然体を忘れずに生きて行けたら……と思うのです。

いい時ばかりでもなく、苦しい時もあり、時には良かれと思って対応してはいても心ない言葉をいわれることもありますが、それでも生きているということは、生かされているということは、とてもかけがえのないことです。

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