供養

額から玉汗を流しながら夏の暑い盛り、膝の痛みに耐えてひたすら歩くS.Sさん66歳(主婦)は、お遍路さんとなり四国霊場八十八か所の巡礼をしていた。

S.Sさんは仲の良い最愛のお姉さんを亡くして、涙に暮れる日々を送り家族も心配するほど沈んでいたのです。自分でも睡眠薬を使用していて、うつ病状態だといっている。

八十八か所の霊場を回り、行く先々のお堂に安置される仏像の前で、しばし合掌瞑目する後姿を想像すると傷ましくさえ思える。

巡礼から帰った彼女は膝の痛みに耐えかねて治療にみえた。勿論、初対面のため事の経緯は知る由もないが、体に関する問診の時点で彼女が背負っている心の悲しみと、見えない存在を私は既にキャッチしていた。

尋常ではない悲壮な状態であるが、しかし、その内容はとなると一般的に傍目(はため)からは知り得ないことです。

膝の施術終了後に別室に招いて事のいきさつを聞かせていただいた。彼女は泣いた。泣いた。

私は問いかけた。

観童ー『S.Sさん。あなたの悲しみの身代わりはできませんが、十分理解できますよ。ところで、あなたが思う供養とはどのようなものですか?』

S.Sさんー『家では毎朝、仏壇に供え物をして、経本を読み仏さんを拝んでいます。』

観童ー『話は変わりますが、あなたが子供たちに希望する親孝行とはどのようなものですか?』

S.Sさんー『家族が仲良く平和であれば後は何も望みません。』

観童ー『その思いは今も、あなたがあの世に行っても同じですよね?』

S.Sさんー『はい。そうです。』

観童ー『ということは、何も要りませんよね?』

S.Sさんー『はい。子供や孫たちが皆しあわせであれば、それで満足です。』

観童ー『あなたがあの世に逝ったあと、意味のわからないお経をあなたのためにと子供たちに読誦(どくしょう)してほしいですか?』

S.Sさんー『いいえ、思いません。』

観童ー『あなたも望まないことを今まで亡くなったお姉さんの為にと思って意味の分からないお経を唱えてきましたよね。あなた自身が望まないようなことを故人の為にすることは果たして、親切でしょうか?亡くなったお姉さんはお経を望んでいると思いますか?お姉さんは生前にお経の意味を知っていましたか?』

S.Sさんー『。。。。。。。(ー_ー)!!』

観童ー『本当の供養は、故人の意思を尊重して思いやることだと思えませんか?』

S.Sさんー『その通りですね。』

観童ー『あなたが毎日、毎日、お姉さんのことを思い悲しみ、心までうつ状態になっていたらあの世のお姉さんは、あなたの姿をみて悲しむだけなんですよ。お姉さんが一番うれしいのは、あなたが心穏やかに健やかに生きることなんです。数十年後にはあなたもお姉さんと同じ立場になるのですよ。その時に、あなたの子供たちや孫たちが毎日、毎日、悲しんで泣いてばかりいたら、あなたもあの世で切なく哀しくなるでしょ。』

S.Sさんー『初めて大事なことに気が付きました。』

観童ー『あなたは真の供養の意味を知らなかったために間違えていただけです。これからはあなた自身が心健やかに生きることを考えてくださいね。』

S.Sさんー『はい。ありがとうございます。』亡くなったお姉さんの霊もそばで聞いて涙していた。

こんなやりとりを1時間ほどしてたくさん涙を流したが顔に少し笑顔が見えた。

S.Sさんは現在、心身共に健やかに日々を過ごしておられます。

先祖供養の真意を知り、人は何のためにこの世に生れて、何の為に生きるのか、そして誰もが迎える死をどのような心構えで受け止めるのかを学び知ることは人生を良きものにするためにも必要なことでありましょう。

日本の国はおおよそ葬儀は仏式であろうが、これまでの因習のために、どこの家庭でも供養という美名のもとに仏壇の前で訳のわからないお経をあげ、線香や供物や灯明や金銭などを供えてきた。しかし、これで個人が成仏できるか否かは全くの別問題であることは殆んどの人々が知る由もない。

事の真実はというと亡くなるまで何かにつけて執着して囚われていた心の人間が死んだ途端に悟って成仏することはありません。

生前は言葉も荒く、行動も自分勝手な自己中心的な心の人間が死んだ場合、4次元世界に移行したからといっていきなり成仏はできないのです。4次元のあの世は何段階にも分かれていて魂のクリーン度(執着度)によって行く世界が異なります。

執着度とは不満、愚痴、怒りからくる心の不調和のことです。偏った心はそのまま執着となります。煩悩という言葉がそれです。調和とは右にも左にも偏らないバランスのとれた心の状態をいいます。中道という言葉がそれです。

従って、心の不調和な人の魂は自分のレベルに沿った次元のあの世にしかいけません。

このような魂は私たちがいくら形骸化したお経をあげようが心に届くことはないのです。

それがあの世とこの世の秩序であって仕組みでもあります。

唯一、供養の手段としてできることは、この地上に生きている私たちが先ず、心健やかに暮らすことを故人にみせてあげることです。

この世の和気あいあいとした家族の姿や兄弟の姿、子供の姿をみることで故人も気づくことが最良の供養となるのです。これがまさしく愛であり、慈悲です。

真の供養とはお経や供物にあるのではなく、私たちが不満愚痴を言わず、足ることを知って、怒ることをせずに心健やかに生きること。このような生きざまを故人、先祖に見ていただくことです。

これが最大の親孝行です。親孝行が最大の供養なのです。先祖供養は調和された家族愛にあるということ。仏壇の前の勤行に非ず。

こころ

安住することなく

正しき真理をも知らず

信ずることの

定まらざるもの

かかるひとに

智慧は満つることなし

心と言うものはいつも止まることなく動いているものだが、事の善悪、社会の秩序なども悟ることなく、まして自分自身も他人も天地の真理も信じることのできない人は、心の底から湧き出る工夫も生き方もない。

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叱ると怒る

叱ると怒る

『こらっ~。おまえの教育が悪いからこんなことをするんだよ。』と3歳の子供の行動をみた若いパパが奥さんに怒鳴っている。

怒るほどのことでもない他愛のない様子ではしゃいでいる幼児に、パパの虫の居所が悪いのだろう。一見どこにでもある光景です。

しかし、このような家庭環境が子供にとって一番よくない環境であることに、この若いパパ自身が気づいていないのです。

叱ると怒るは理性と感情の違い。

しつけのために叱っているつもりが実は感情を爆発させているだけ。

誉める時には『さすがパパの子』といって、気に入らない時は『この子はママにそっくり』『この子はお婆さん(義母)にそっくり』という矛盾。このような状況は逆の立場もあり得る。このようなパパやママは間違いなく批判したお爺さんやお婆さんと同じ道をゆく。

愛情はあるのだが、その在り方が違っている家庭環境は意外と多いのです。

『子供の事を最優先に考えてやってきたのに一人前になったと思ったら彼女の言いなりで情けない。』一人前になるまで育てたんだからこれは立派なこと。だが、子離れできていない。自分が若いときはどうだったの?自分が歩いてきた道でしょ。

『夫の両親と20年以上も同居して我慢ばかりさせられてきたのに、感謝の言葉もない。』と言った後に『いったい私は何をしてきたんでしょう』という。

代償を求めてする行いは必ず不満がでることを知らなくてはならないし、感謝を求めてするくらいなら、しないほうがよい。まさに煩悩の炎がメラメラと燃えている状態です。

燃え上がった炎の後には必ず灰が残るように、心のなかでこれと同じことがおこればこの灰が心を曇らせます。曇った心では理性ある冷静な判断ができようはずもありません。

『自分の愛を受け入れてほしい』『自分の頑張りを認めてほしい』という気持ちは自己愛です。この自己愛に偏った大人の場合は、相手が望むことを与えること。望まないことは押し付けないことが愛の順序だと気づいて欲しいと願う。

自分中心の愛の押し付けで本当は相手の事を心から思っての行動にはなっていない。だから我慢という言葉になってくる。厳しい環境のなかで心は磨かれるものであると気づくことが大切です。大人になるということは、そういうことではないだろうか。

おろかなるものも 

おのれ愚かなりと思うは

彼これによりて またかしこきなり

おろかなるに

おのれ かしこしと思うは

彼こそ まことおろかといわる。

自分は愚かだと思っている人は実は自分を知っている賢い人なのだ、逆に俺は知識もある、人よりできる、俺は、俺はと思う人こそ心の驕(おご)りがある人で最も愚かな人なのだ。ということでしょう。

自分に都合が悪い事は避けて通る。自分に都合のよい事には強気になる。

これが人の盲点であって、自我です。

しかし、都合のわるいことを避けて通る人はそのことを生涯心に背負っていくことになるでしょう。

 

 

目眩(めまい)

岩手県 盛岡市 めまい メニエール病 これまで改善できなかった症状に光りを差す頸椎の棘突起調整法(捻じれ正す)。この技術は研究の末に完成された私のオリジナルテクニックで、相当改善率の高い整体術です。

この技術によって、これまで多くの方のメニエール病、めまい、ふらつき、頭痛、片頭痛に結果をだしております。

 

YMさん69歳男性(農業)
深夜2時にいきなり下着を取り替えるほどの冷や汗が出て動悸がし、心拍数も90を超えていてパニック状態になった。激しいめまいのため立ち上がることができず恐怖感が襲ってくる。
救急車で搬送されて心電図、脳波、耳鼻科など全ての検査をしたが特に異常は発見されなかった。しかしめまいと吐き気はおさまらず点滴と服薬で帰宅したが、翌日もめまいは治まらず動悸がして吐き気もする。

このような状態が5カ月続いていて治まらない。心療内科で処方された薬を服薬するも改善がみられないという状態。知人が見かねて観身堂に連れてきた。チェックしたら頸椎に問題があった。

整体施術受けて帰ったその夜は、めまい(目眩)も小さくご飯を食べても吐き気が少なかったという。動悸はなくなった。その後は数回の整体を受けにこられて徐々に症状が薄れて完治した。

これまで長期にわたって苦しんだだけに順調に回復したのには、不思議でならないと喜んでいた。このように、めまいの患者さんは後を絶たない。しかし、回復する。

首(頸椎)は脳と胴体をつなぐ中枢部分であり、自律神経が集中する重要なポイントである。

この方は頸椎の5番と6番の棘突起が右と左にそれぞれ捻じれていて首の周囲の靭帯と筋肉に、かなり張りがあり硬結状態であった。

それが更に顎関節の筋肉、更に耳の後ろまで硬く張りを作っていた。このような状態は耳の内奥にある三半規管の働きを阻害することになり、結果的にめまいを発症することにもなります。

対処
頸部の深層筋のチェックとほぐしを丁寧に行い頸椎の捻じれを頸椎棘突起矯正法によって正しい位置に戻す。
この調整法は、めまいのほかにも片(偏)頭痛、突発性難聴、耳鳴り、手のしびれには欠かせない施術法でもあります。
施術後の爽快感にビックリされますが頚椎骨格のバランスがとれることによって筋肉や靭帯、神経、血管にかかる不必要な負荷が取れることが大きなポイントです。三半規管の働きにも影響し改善の要となります。
脳から出た血管(椎管動脈)と神経は頚椎(首の骨)の中を通っていて頚椎一個一個から枝分かれしながら機能しています。頚椎の捻じれは神経と椎管動脈の圧迫にもつながる。
上記の棘突起矯正法は独自の開発技術で、即効性に優れている。体験していただき、めまいから解放され想像以上の爽快感を味わっていただきたい。

めまい原因
◎頸椎の捻じれから。
◎肩こり、首の凝りから。(脳内の疾患は除く)
◎自律神経失調から。
◎低血圧から。高血圧から。
◎頸椎の突起部分が人によっては右あるいは左に捻じれている方がいます。
◎捻じれは仰向け状態で首の下に手を差し込み指でなぞってみると、それがはっきりとわかります。
◎これは首の骨(頚椎)が捻じれていることを意味します。

めまいや身体の動揺感をひっくるめて「めまい・ふわふわ」といいますが人によって、その感じ方はさまざまです。

めまいや身体動揺感は腫瘍や動脈硬化性の循環障害など重大な病気が原因で起こることもあると医学では捉えているようです。

もし、物が二重に見える、手足の痺れ、舌のもつれ、激しい頭痛などが同時にあれば脳梗塞などの疑いもあるため、このようなときは専門医の診断を受けることも必要でしょう。

観身堂でお受けしているご相談は、現代医学でいうところのメニエール病や突発性難聴、良性発作性頭位めまい症など、そして、検査では病気が見つからない、原因がはっきりせず病名がつけられないような症状です。

頚椎の捻じれやすべり症、ムチ打ち症の後遺症からくるめまいなど、あるいは首の凝りから来るめまい、精神疲労からくる目眩などを施術の対象として応じております。

めまい(目眩)の症状
★ぐるぐると景色が廻る
★自分がぐるぐると廻る
★発作的なめまいが怖くて一人で外出できない
★吐き気をともなう
★肩や首筋の凝りや張りがひどい

ふわふわ感

■地に足が付かない感じ

■雲の上を歩いているよう

■自分の身体ではないよう

■なんとなく不安定な感じ

■地の底に吸い込まれそう

■目の前が暗くなる感じ

■地上に倒れこみそうな感じ

■頭の中がボワッとする

めまい(目眩)の随伴症状
■ 頭重、頭痛、耳なり、難聴、肩こり、首筋のこり、無気力、疲労感、動悸、不眠、不安感、吐き気。

病院で検査をしてもはっきりとした原因がみつからないため、これといった薬がなく、精神安定剤を処方されることが多いようです。

その後、症状のあるなしに関わらず、なんとなく飲んでいないと不安だという理由で何年も精神安定剤を飲み続けている方もいらっしゃいます。

精神安定剤はその作用も様々な段階や種類があり、症状に応じた処方箋ではあるでしょうが、しかし、根本的に副作用のない薬は存在しないと公言する勇気ある一部医師の薬学説を支持したい。

フワフワする感じ、あるいは めまいの発作がいつ起こるかわからないという恐怖感。 これは、はた目から見てもわからず理解してもらえないもどかしさがあります。

けれど、本人にとってはとても苦痛なことなのです。他人になかなか理解されないもどかしさ、ストレス、緊張感が長く続くと、その精神的ダメージが症状となって表面化してくることがあります。

理由のわからない不安感で気持ちが落ち着かなくなってしまう。夜眠れない。人前でパニックになってしまい一人では外出できない。家から一歩も出られなくなってしまった。めまい、ふわふわの延長線上に、あるいは同時進行でこんな悩みを抱えている方も多くいらっしゃいます。

いろいろ試してみてダメだった方には特に体験されることをお奨めいたします。

岩手県 盛岡市 滝沢村 『東洋整体療術院・観身堂』

食と病気

栄養過多による病気

『無駄なものをもたないこと』は環境にもいいし、身の周りが楽だし、精神衛生上もいい。このような考えの生き方は健康にとっても重要なことです。

そして今はメタボリックシンドローム(内臓脂肪の蓄積によりインスリンの働きの低下)が問題となっていますが、高血圧、高脂血症、高血糖、高体重などは殆ど食べ過ぎによる栄養過剰からといわれています。

『腹八分に病なし、腹十二分に医者足らず』という言葉もあるように、食べ過ぎて病気をすることのないようにとの意味で真髄を突いています。

30年前の医者の数は約15万人。現在は約28万人で倍近く、一方、現在ガンで死亡する人は約三十四万人。医者が増えても、医療費をいくらかけても病気はなくならいのです。

これは何故でしょうか。

ある医学博士が言っています。『ガンで死ぬのではない、ガンの治療によって死ぬのだ』と。これが全てではないだろうが、手術と抗がん剤によって体力のない人はかえって悪化するケースがあること、死期が早まることを言っています。

生き物のなかで病気が多いのは人間と飼われているペットだというデータがある。

野生の動物はいつも空腹であり、百獣の王ライオンも、三日に一度ぐらいしか食事にありつけないといわれています。あのサバンナでは狩りの厳しさも自然のなかで生きることの条件なのでしょう。

実は人類も飢餓の歴史が多くあったのです。人間は空腹になると、グレリンというホルモンが分泌されて、脳の海馬の血流がよくなるといわれています。満腹のときよりは空腹の時のほうが頭は働くように、飢餓のなかで人類は様々なものをつくりだした。

活動の元となるのは糖分ですが、血糖値をあげるホルモンはグルカゴン、コチゾール、アドレナリン、ノルアドレナリンと多数あります。

しかし、血糖値を下げるホルモンはインスリンの一つだけ。つまり、体はもともと低血糖、空腹に耐えられるようになっているわけで、今の時代は食べ過ぎだということです。

従って、健康の為には『腹八分』が重要ですが、厄介なのは八分目がわかりにくいこと。

そこで腹八分の条件。

①早食いしない。よく噛んで食べる習慣。

②満足した時はすでに八分を超過。

③少し足りない時が腹八分。

④デザートの分は主食を減らす。

⑤次の食事の時に、お腹が空かないのは腹八分超過で食べ過ぎのせい。

⑥次の食事のときにお腹が空く程度の食事にする。

これらを守れば腹八分は自然に抵抗なく達成され、ダイエット効果抜群、痩身効果アップです。

肉体は空腹時こそ免疫力があがる。

人間も動物も、病気やケガをすると、それを治すために熱がでるか、食欲がなくなるかのどちらかです。

それは体が本能で病気やケガを治そうとしている状態で、免疫力といいますが、免疫力とは血液中を遊走している単細胞『白血球』の働きのこと。

白血球は元々、細菌やウイルス、老廃物を食べていますが、今のように人間の血液中に栄養がたくさんあり過ぎると、白血球が働く必要もなくなり、病原菌などを食べてくれません。

逆に空腹時にこそ白血球の貪食力が増し、免疫力があがるのです。

また体温が1度あがると、白血球が元気に動き回り、免疫力は一時的に五倍にも上昇するといわれています。

健康を維持するには一日最低一回は空腹の時間をつくることと、汗を流すことが大切なのです。

『朝食が大事』という話しがありますが、それは人間が日の入りとともに眠り、日の出とともに目覚めていた時代の話し。

ここまではいかなくても私の場合は10時半には布団に入り、5時には目覚める習慣となっているため腹八分の朝食を7時に頂く。

現代のように夜遅くまで飲食をし、12時過ぎまで起きている生活では、胃腸が休む時がありません。また朝は汚れを落とす、排泄する時間でもあります。

人にもよって程度の差はありますが、生理的にも、朝は吐く息が臭かったり、ベタベタの汗をかいていたり、目ヤニが出たり、小便が濃くなっているものです。あきらかに人間の体は日中と朝の時間では状況が違うのです。

現代の生活を考えれば朝食を少なめに足りないくらいにセーブすること、しかし、運動や働くためには栄養も必要ですからニンジンジュースがとても良いです。

ニンジンには、体に必要なミネラルやビタミン、糖分が含まれていますし、そこにリンゴを加えると味がまろやかになって飲みやすいうえ、健康効果も高まります。

ショウガに黒糖かハチミツを加え熱いお湯を注ぐと飲みやすさと体温アップ、栄養補給と三拍子が揃います。体がポカポカしてくるのがわかります。

できればジューサで手作りした生ジュースが理想的ですが、朝の忙しい時間が無理な人には市販のものでも代用していいでしょう。

『プチ減食』で体のリセット、免疫力アップ、体温上昇、みずみずしい肌、美容効果がえられます。お試しあれ。

(^.^)

 

パニック障害

パニック障害 あがり症 対人恐怖症 動悸 ふるえ 岩手県 盛岡市 滝沢市

★各人の個性が自分の人生をつくる。

★心の傾向性(癖)に気づけば自分が変わりはじめ改善に向かい始める。

★避けられないことを避けようとすれば一生そのことに支配される。

●身体の不調原因は肉体だけの問題ではありません。不安と恐怖、過度な緊張、そして挫折や悲観や絶望にもある。最悪は怒りです。

つまり、体の不調は心に起因するものがあり、それが重要な位置を占めているということです。

しかし、希望を捨てなければ道は必ず拓けるし克服できる。そのお手伝いをいております。

●心のケアは(カウンセリング1~2時間)奉仕活動のため無料です。

●長所、短所を含めた心の傾向性(癖)を知ること。傾向性の修正を始めることで身体に与える影響は変化をし始めます。

●私のQ&A方式カウンセリングによって実践し、パニック障害を克服できた方々がおられます。

●これまでの精神科、心療内科、メンタルクリニック、カウンセラーその他、病院などのマニュアル化された治療とは根本的に内容を異にするもので、Q&Aのなかで心の深いところに抑圧されているマグマを解放するために幼児期までさかのぼって深層心理にアプローチしていきます。

●パニック障害の発作で死に至ることは重篤な心臓疾患がないかぎり殆んどありません。この点はご安心ください。

●ただ、発作時の恐怖感が心の中に残るために再発作のときの状態を考えて恐怖感に陥ったり、不眠症になったり、イライラしたり、あるいは発作的に怒ってしまったりします。このような心理状態を根本的に改善する内容のカウンセリングです。

パニック発作の症状を紹介しておきます。
★心悸亢進(しんきこうしん)、心臓がどきどきする、または心拍数の増加
★発汗
★身震い、手足の震え、
★呼吸が速くなる(過呼吸)、息苦しい、
★息が詰まる、圧迫感、
★胸の痛みまたは不快感、
★吐きけ、腹部のいやな感じ、
★めまい(耳鼻科に異常なし)、不安定感、頭が軽くなる、ふらつき、
★非現実感(自分が自分でない感じ)

★自分を失ってしまう、発狂するのではないかと感じる、
★死の恐怖感、
★知覚異常(しびれ感、うずき感)、
★寒気または、ほてりやそのほかに、口の渇き、腰がぬけるといった発作症状が突然発症し、多くの場合、数分から数十分持続して自然に消失する場合が多い。

予期不安
パニック発作がまた起こるのではないかと強く恐れます。この恐れのためにこれまでの生活が変化する。この予期不安はパニック障害の主な症状です。

過去における発作のトラウマについては深層心理を幼児期までさかのぼり解放することで安心感が生まれ不安感が薄らいできます。心理学を超えた心の闇の解放にお手伝いいたします。

広場恐怖
パニック発作を強く恐れて、すぐ逃げ出せないところ狭い空間や助けが、たやすく得られない状況を嫌い、外出が嫌になり、回避する状態を広場恐怖といいます。パニック障害を発症した人の7割は多かれ少なかれ広場恐怖が出ているといわれています。

非発作性愁訴(しゅうそ)
激しくなく、持続的な種々な症状。急性期を過ぎると出現する。具体的には、息苦しい、胸がザワザワする、地面が揺れるような感覚、頭が重い・痛む、体が重い、目がちくちくする、血の気が引く、頭の浮動感、雲の上を歩く感じ、手足がしびれる、微熱、耳がツーンとする等々。

パニック性不安うつ病
気分の浮き沈みが激しい、夕方近くや夜になると理由なく泣く、時に自傷行為、食欲亢進、寝ても、寝ても眠い、体が重りをつけたようにだるい、言葉に敏感に反応して切れたり、強く落ち込む、いろいろな逸脱行動が出る。

これまでパニック障害で相談にみえた方々の共通するお話し13項。

●発症してから数か月、数年、あるいは10年以上にわたって服薬しているが改善がみられない。

●悪化している。

●医療機関でのカウンセリングとは言っても数分間の体調報告が主で処方箋を変えながら経過をみるだけの繰り返し。

●何件か心療内科、メンタルクリニックを変えてみたが変化なし。

●通院していて先生があしらうようになり冷たくなった。

●不安感があるため質問したら叱られた。

●薬をやめたいができない。

●薬だけの治療に不安と疑問をもつ。

●先生に話を聞いてもらえない。

●対応の仕方が自分の気持ちを正直に話せる状況になく、流れ作業みたい。

●パニック障害を克服した本人はいう。『パニック障害は薬では治りません』と。

●頸椎のアンバランスが原因でパニック障害を招いていた。(矯正可能)

●減薬、断薬に失敗して悪化した。

パニック障害へのお問い合わせ&カウンセリングは無料(奉仕活動)

岩手県 盛岡市 滝沢市

メールお問い合わせ(無料kandou0822@yahoo.co.jp

 

心のメタボ

現代に生きる私たちは、モノや組織や社会など、さまざまな事柄に囚われながら生きています。

物欲、出世欲、悪事への誘惑、嫉妬、執着などの禅でいう煩悩にがんじがらめにあっているわけです。これが心の肥満でありメタボです。

肉体的なメタボには異常なまで気を使い、食べ物や運動など、お金を使ってまで何とか痩せようと努力するのに、心のメタボについてはあまりにも無頓着です。これでは本当の幸せを実感できるはずもありませんね。

そんな生活も禅を少し学び、取り入れることで、豊かさを感じるようになってきます。

禅はインドの達磨大師が中国に伝えたあと長年にわたて育てられて日本に伝えられてからは、鎌倉、室町時代に興隆し、今日まで脈々と伝えられています。

禅の特徴は、『文字や言葉に囚われることなく、今、ここに生きる人間の心そのものをテーマにする』ということで、『本来の自己と出会う』ことが禅の目指すところです。

つまりまったく形を持たず、心の問題を扱う精神的なもので、哲学でもあります。

人間がこの世を生きていくための根本的な心の在り方を教えていると言えるでしょう。

自分を徹底的に見つめ、他人の価値観に振りまわされないように、そして余計な悩みを抱えないように、無駄なものをそぎ落とし、限りなくシンプルに生きる。それが禅精神の生き方です。

目指す心は一点の曇りもない心を見出すこと。覚者の眼から観れば『この世に存在するもの全ては仏性をもち、真理の丸出しだ。』と映ります。

この高く深い真理を体得すること、それが禅そのものであり、その心を日々の暮らしのなかに少しでも生かすことが禅の目指すところです。

この素晴らしい禅の教えを是非、生活に活かしてみてください。難しく考える必要はありません。

先ずは、手放すことから始めてみましょう。私たちは物事がうまくいかないと、『何かが足りない』と思ってしまいがちですが、今の状況を変えたいなら、『得る』よりも『手放す』ことが先決です。

そしてこのことが原点に立ち返らせて、見失っていたものを確認できることになり、結果的に状況を変え、困難を乗り越えていくことになるものです。

執着を捨てる。思い込みを捨てる。持ち物を減らす。心と体の荷物を捨ててシンプルに生きることです。メタボは体だけの問題ではなく心の問題でもあるのです。

涙を流した後は、心がスカッと晴れるもの。心が洗われて、また頑張ろうという気が湧いてくる。

手放した瞬間に、新たに入ってくるのは『豊かさ』です。『気づき』の瞬間です。

物をたくさん持つのが自由ではありません。

大切なのはモノを自由に生かす心をもつことです。

そして無駄にしない。使い切ること。そういう習慣を持つことで心は美しく磨かれていきます。

禅の美とはシンプルであることの美しさです。生活も心も、不要なものを徹底的に削ぎ落としたところに美しさがあります。内面から輝く美しさは心からにじみ出てきますが、禅はそれを育てます。

まるで一輪挿しの如くです。如何なる時も心を自由にしておく。

いま為すべきことを只、無心に行うこと。

無心とは囚われずです。

これこそが禅の境地です。

 

現代生活の空虚感

敷石のなかに蹲踞(そんきょ)する自然石と少し生えた苔(こけ)だけの庭園、徹底的に余分なものをそぎ落とし、的を絞った姿が訪れる私たちの心を静寂の世界に導き、ひとときの安らぎを与えてくれる。(京都、竜安寺の春)

現代の世の中を生きる私たちは、漠然とした不安や、得体のしれない空虚感が心を支配しています。不況の中で、今の生活が立ち行かない、未来がどうなるのか、昔は良かったなどと思い悩む人が多くなりました。

この不安はどこからくるのでしょうか?団塊の世代と、そのうえの中高年の方々は、まさに高度経済成長期の真ん中を生き抜いてきました。

その頃は、モノが豊かになればなるほど、生活が豊かになるという方程式があり、それに沿えば、自分も家族も社会も幸せになると思い、まっしぐらに進んで来たのです。

物の豊かさ人間の豊かさであり、心の豊かさだと確信していたのです。

ところが物が溢れ豊かになったはずなのに、どこか虚しい。そして不況になり、先行きが不透明になってくると、更に不安が頭をよぎる。うつ病に苦しむ人が増え、家庭が崩壊したり、自殺者がでたりします。

本当の豊かというものは、物の豊かさなのではなく、心の豊かさではないのかということに、日本人も、欧米の人々も気づき始めたのです。

女性であれば、綺麗にみえる服を一生懸命にお金を貯めて買います。ところが、クローゼットを開けると似た服がすでにある。そして買ったことに、その時だけ満足して、またクローゼットにしまい込む。するとまた次のが欲しくなる。

物を追いかけるということは、次は何を買おうか、という連鎖です。結局、終わりがないから、いくら物が手に入っても、入っても決して心が豊かにはならないわけですね。

私たちと100年前に生きていた方々と、どちらが実感として豊かさを感じていたか?

物や便利さ=幸せということが方程式なら百倍どころか、それ以上に現代人は幸せを感じなければならないことになりますが、実際はそうではありません。

百年前の人たちは、例えば、秋がくれば体いっぱいに景色や空気、或いは渡り鳥などから季節を感じ、そろそろ冬の支度をしなければいけないとか、ああ今年も豊作でよかった、自然に感謝となる。

現代人はそういうプロセスが殆どなく、スーパーに行けば季節は殆ど関係なく何でも買えるため、自然との関わりが何もなくなっているのです。それではどうすればいいのか。

今の社会を百年前に戻せということではなく、少なくても十のうちの三つでも四つでもいいから実感を持つ生き方として取り込んでいけば、生活に対する姿勢が百八十度変わるはずです。

物事の本質を捉え、生活の一つ一つを大切にして実感を持つこと、これこそがの考え方です。

今、禅に対して世界中が注目しています。モノからの時代へとシフトして行こうとするなか、禅の役割がこれからもっと重要になっていくでしょう。

日本の和食や寿司が西洋で注目され普及する背景には健康への配慮があるからですが、同時に日本の文化が魅力に溢れているからでもあります。

私たちは子供たちを自然のなかに溶け込ませる機会をつくっていかなければならない。

禅寺には何もないシンプルな庭があるだけですが、そこに静けさと豊かさを発見し感動する欧米人が増えているのです。そしてニューヨークにも日本庭園がつくられるほど禅文化が愛されるような時代になりました。

何もない事の豊かさは禅の精神に脈々として生きています。

後進国より発展途上国、発展途上国より先進国と、豊かな経済と文明のなかで心を見失っていることの危機感を思わずにはいられない。

『都会ほど心を病む人が多いのです。』とマザーテレサはいっている。

さて、中国は唐の時代のこと。百丈(ひゃくじょう)和尚が修行僧時代の逸話で、馬祖(ばそ)老師のお供をしているときのお話です。

野鴨(のがも)が足元からバタバタっと飛び立ちました。

馬祖老師がそれをみて『あれは何か』と百丈に聞きました。百丈は答えます。

『あれは野鴨です。』と答えました。『どこへ行った。』『向こうへ飛んで行きました』すると馬祖老師はいきなり百丈の鼻の頭をひねりました。『いたた!』と叫ぶと、馬祖は、『どこへも行きはしないではないか』といいました。ここで百丈は気づいたといいます。何に気づいたか。

この場合、対象は野鴨です。鴨とそれを見ている自分が一つになったとき鴨も自分も無く、まったく一如でなければならないのですが、百丈は鴨と自分が一つになるほど心が深まっていなかったのです。

心が深まっているならば馬祖の『どこへ行った?』の問いに、百丈が自分を指して『ここにいます。』と答えたら合格点ということになるのでしょう。

私たちが座禅などしてその心境が深まりますと、対象と自分が一つになったように感じます。

経験のない方に説明するのは絵に描いた餅の味を説明するようなもので難しいのですが、対象からの音や光りなどの刺激によって、自分が光ったと感じる時があり、禅の世界ではそれがひとつの悟りとも言われています。

私の場合は三昧になって深まったときに、脳天から雷に打たれた如くの電気的刺激が全身を貫いた事があり、以来私の中で価値観が変わっていくのを実感しています。

自分と相手、つまり対象とは別ではない、このことを表現する言葉に『自他一如』という禅語があります。自分と他人、自分と自然、自分と動物、自分と気象、自分と物というように全てが同じ存在と思えたら人生観が変わります。

 

 

男と女の役目

天地創造から男女の役目

古事記は紀元711年。太安萬呂(おおのやすまろ)がまとめた史書であるといわれている。

上、中、下三巻から成っていますが、上巻には、天地、自然、國土、人間がいかにして生成し、人間の生死がどのようにして生じたか、人間の根本問題に関する古代日本人の解釈が、直感的に説話的に書かれています。

世界の最古の歴史書の中で、日本の古事記ほど天地の創造と人類の誕生を見事に描いているものは他に知らない。

例えば旧約聖書の創世記は、古事記にくらべれば、おおざっぱに思えますし、また古事記には日本人の霊的自覚の高さ、精妙さを感ぜずにはいられない。

古代日本人が、天地創造と國土人類の創成をどのように考え、どのように伝えてきたか、中国の文字を借りて書いたものであるといっても、その格調の高さは世界の歴史書、古記録の中では第一等のものであり、私たちは先祖がこのような素晴らしい伝誦の記録を持っていたことを誇りとしなければならないと思います。

では、その古事記の一部分をやさしく噛み砕いて書いてみます。

古事記は日本神道の原点ともいえるが、ここには「人間、男女の原理」即ち、男と女のこころの在り方、男女の役割、結婚、夫婦の調和の原理が示されている。

「天地が創造される以前に、この大宇宙には、この大宇宙を創造し支配していられる天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という神さまが大宇宙の中心にいられました。

この天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、天地を創造しようと心に思われて、陽の原理として高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、陰の原理として、神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二柱の神をおつくりになり、万生万物すべてのものは、この陰と陽の原理によって創造されることになりました。

陽の原理である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)はのちに伊邪那岐神(いざなぎのかみ)として、また、陰の原理である神皇産霊神(かみむすびのかみ)はのちに伊邪那美神(いざなみのかみ)として現れました。

国土創りが終わり、人類がこの地球に住める環境が整えられた時に、陽の原理である伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は、陰の原理である伊邪那美神(いざなみのかみ)に向かっていわれたのです。
『吾が身は成り成りて、成り余れるところひとところあり、汝が身はいかになれゆや』(私の体は立派に創っていただいたが突き出したところが一か所あります。)と、いわれた。

女の伊邪那美神は答えられました。『吾が身は成り成りて、成り合わざるところひとところあり』(わたしの体は立派に創っていただいたが、足りないところが一か所あります。)といわれた。

そこで男の神さまが女の神さまに向かっていわれました。『吾が身の成り余れるをもって、汝が身の成り合わざるところに、さしふたぎてみ子生みなさんと思うはいかに』(私の突き出たものを、あなたの足りないところに、さしふさいで、子供を創りたいがどうでしょうか)と。

女の神様が応えた。『然かえけむ』(それはよいことです)

そこで、女の神さまが男の神さまに向かって、

「あなにやし、え、おとこを」(なんとまあ、うるわしい、うつくしい男であることよ)といわれて、

つぎに、男の神さまが女の神さまに向かっていわれました。「あなにやし、え、おとめを」(なんとまあ、うるわしいうつくしい女であることよ)

そのようにいわれて、み子を生んだら、足の立たない骨の弱い子供が生まれたというのです。この子のことを「蛭子」(ひるこ)と書いてあります。

どうしてこのような骨のない足の立たない子供が生まれたのであろうかと、ふしぎに思われて、天に上って、天の中心にいられる創造の神にその理由を聞かれたら、

「女、先立ちてふさわず、還り下りて、あらためていへ」(男よりも女が先にでて声をかけたことが宇宙の秩序にそむいたのである。だからもう一度地球へ帰って、いい直しなさい)と天の神さまは答えられたのです。

そこで今度は、男の神さまが先に女の神さまに向かって「あなにやし、え、おとめを」と言葉をかけられ、つぎに女の神さまが男の神さまに向かって「あなにやし、え、おとこを」と言葉をかけられて、営みをしたら、この日本の國が誕生した、というのです。

女が男の先にでることは自然の法則にマッチしないばかりか、不調和の原因となり、トラブルの原因となることを教えているのです。

つまり、この古事記の神話は、天地一切は陰陽の原理の調和によって回転しているということを示しているものなのです。
陽(+) 男  雄  雄花  陽電気  陽電子
陰(-) 女  雌  雌花  陰電気  陰電子

このように宇宙の法則は科学の真理でもあるし、人類の営みは男女の和合によって完成されなければならいことを古事記によっても証明されると考えてよいでしょう。

男女の関係はどうあるのが最良の営みなのかを次回にまた、もう少し踏み込んで続きを書いてみます。お楽しみに。

 

雨にもまけず

生きるとは

昨年3月11日午後2時46分東日本沿岸。

津波が多くの人命と町を飲み込んでから今日で1年になる。

愛犬抱え、電線伝い…「生かされた命、役立てたい」岩手県大槌町Uさん(63)「生かされた、と思っている。今は自分にできることをやるしかない」。

Uさんの壮絶な体験は、人生観を大きく変えた。津波が押し寄せる直前まで、妻のY子さん(62)と地震でめちゃくちゃになった室内を片付けていた。自宅は海の近くだったが、「ここまで来るはずはない」。

血相を変えた長男らが自宅に飛び込んできても、危機感はなかった。異変に気づいたのは、長男にせかされるように妻が避難するのを見送った直後だった。

2階建ての家々が倒れながらいっせいに押し寄せてくる。「津波だ!」。2階に駆け上がり、愛犬を抱えて逃げようとした瞬間、海水が玄関を突き破り、階段の下から噴き上がってきた。

屋根に逃げると、海水が渦を巻いていた。「助けて」という叫び声に見渡すと、津波で家屋が倒壊し、屋根に避難していた人が海に落ちていくところだった。何人もの人が波にのまれていた。

風上でプロパンガスが爆発し、足元の屋根に火が付いた。「火がつかないところに逃げよう」。愛犬を抱え、電線をたぐるようにしてがれきの山を登り、海水に漬かりながら近くの住宅2階に移った。

そこで消防士に誘導され、やっとの思いで陸上へたどり着いた。「生きるってどういうことか」。

震災後、Uさんの価値観は一変した。形あるものを一瞬で失った苦しみの中、抱き合い、肩をたたいて励まし合う人々の姿に、『雨ニモマケズ』とうたった宮沢賢治の思いがようやくわかった気がする」とかみしめた。

Y子さんと長男、愛犬とも無事だったUさんは、津波を忘れてはいけないとの思いから、今はパソコンに自宅周辺の航空写真や津波の高さを再現した画像を保存。機会があるたび当時の様子を説明している。

「みながともに生きられるまちにしたい。できることはわずかだが、その原点に立ち続けたい」という。

災難にあい極限状態のなかにありながらも生かされた命を精いっぱい生きようとする人がいる半面、震災が原因と判定できる自殺者が多いことを政府が公表し遅い対策に乗り出した。

仮設住宅の住人にも先を悲観したり、震災で家族を失った悲しみから自ら命を絶つ人がでている。誰もそれを批評することなどできるものではない。

亡くなられた方々へ、ただ心から哀悼の意を捧げます。

Uさんが心に浮かんだという詩を掲載いたします。

「雨ニモマケズ」

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち 慾はなく

決して怒らず いつも静かに笑っている

日に玄米四合と味噌と

少しの野菜を食べ あらゆることを

自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず苦にもされず

そういうものにわたしはなりたい(宮沢賢治)

 

うつ病

岩手県 盛岡市 滝沢村 うつ病

Aさん35歳 初対面、目に活気が無い。うつ病を患って診療内科に通院してるが一向に改善されず、もう5年にもなるという。薬を6種類も服用し、夜は眠れない。朝は起きれない。朝食はみかん1個だけ。これでは体に力が入るはずもなく、薬の副作用だけが強く反応することになる。

私は幼少の頃の家庭環境に問題があると思い、幼い頃までさかのぼって話をしだすと溢れる涙をこらえきれずに、せきを切って泣き出した。彼女は、そこから1時間ほど心療内科で話せなかったことを話してくれた。

相談に来る方も、それを受ける私も、症状が改善されることを望んで取り組むのですが、うつ病の改善は取り組むにあたって切り離せない重要な問題があります。
それは精神(心)の働です。
私が重要視する大きな3系統の働き。
①肉体は自律神経の支配下にあり機能しています。
②自律神経は脳の支配下にあり機能しています。
③脳は精神(心)の支配下にあり機能しています。
『人間としての肉体の働きは正常な精神(心)の働きによるものです。』

現代医学では神経系統と脳の関わりまでは進歩向上してきていますが精神(心)と肉体の因果関係をあまり重要視して取り組んでいないのが現状のようで、それは心療内科の実情をみても理解できるところです。

とはいっても心療内科でカウンセラーを雇用して対応するには費用もかかり医院の報酬利益が薄いため常駐していないのが実情のようですし、専門のカウンセラーが育成されていないということも起因しているようです。この辺の事情は、国の行政にも責任の一端がある。

従って医師がうつ病患者の話しを聞ける時間も少なく、わずかな数分の時間だけで患者さんに対応して後は薬の種類を何度も変えて様子をみるというパターンが多いと相談者からよく聞きます。

はたしてこれで真に精神面(心)の改善が得られるのでしょうか?答えは否です。

何故なら薬が治せる精神(心)の疾患は限界があることと、精神的疾患は自らの勇気と努力によってしか改善や向上ができないからです。

心療内科で話せなかったこと、話さなかったことを、私とのカウンセリングでは話し出します。それも、うつ病をになっている一番の根源的な部分をです。

幼児期の記憶までさかのぼって心の抑圧を解放する内容でおこなっています。その抑圧に触れたときに、たくさんの涙とともに解放されていきます。無表情に笑顔がもどります。

以前、みのもんた氏のテレビによく出演していた医学博士の高田明和氏は40代の頃、自らがうつ病に苦しみ知り合いの精神科医に相談し薬を飲み始めます。

しかし、副作用に苦しみ悪化するだけでした。意を決して薬を絶ち、自身の心の傾向性や正しい在り方を見つめ直したと赤裸々に著書に記しています。そして自身で努力して完全に心身を蘇らせたのです。

本人は取り組む決心と勇気があれば、うつ病は克服できると言い切っています。

私も同意見です。カウンセリングによって、うつ病に苦しみ、たくさんの薬を常用していた方々が改善、または治癒されて健康に日常生活をしている事実があります。

しかし、これは心療内科でのマニュアル化された数分間のカウンセリングとは内容も流れも全く異なるもので、多くの実践経験から生れた退行心理抑圧解放のアプローチがあるからできることです。

厚生省の調査では特に近年うつ病患者は増え続け全国で100万人を超えてしまいました。しかし、病院を訪れていない鬱の患者さん、予備軍の方々は相当な数にのぼるとされています。

原因としては社会環境の悪化。家庭環境の悪化。ライフスタイルの問題。心の傾向性。価値観の相違による葛藤、その他等など。

うつ病は肉体的(脳内の神経伝達機構の障害)原因で発症しているとばかりは思いません。

何故なら脳細胞に問題あって発症するなら脳細胞の障害が良くならない限りうつ病は改善治癒しないことになります。

しかし、現実に根本的深層心理のカウンセリングによって抑圧されたトラウマが解放されて改善するケースがあるからです。この事実を現代医学ではどう説明するのでしょうか。

カウンセリングはQ&A方式で問いかけをし、答える言葉に相談者の心の傾向性と深層心理を確認します。

その深層心理にはご本人がうつ病を発症するまでの経緯きっかけ心の傾向性がすべて内在されています。

アンバランスな精神は時間とともにやがて自らを傷つけ肉体までもむしばんでいきます。この心の傾向性が自分の人生に、肉体にどれほど大きな影響を与えているかを知れば、その時点からうつ病は改善回復に向かいはじめるのです。

その為の努力をするのは自分自身です。私はお手伝いをするだけです。他人はそれを理解できても身代わりにはなれません。だが決してあきらめないでいただきたい。

希望を捨てないでいただきたい。自分が為してきた結果はすべて何事も肉体が作り出したことではなく、精神(心)の働きがあったからできたことです。

すべての現象の創造主は自分自身です。このことが理解できたとき初めて価値観にも変化がおきてきます。

症状には、憂うつ感、無関心、無感動、不眠や過眠、自己否定や罪悪感、自殺への衝動などがある。実際に自殺に至るケースもあり、程度によっては入院を余儀なくする場合もあり周囲の注意が重要なケースもある。

心療内科の治療では、そう状態とうつ状態それぞれを抑制する気分安定薬や睡眠導入剤、抗鬱剤などの薬物による療法が中心となっています。

現代医学の説明では、病因はっきりわかっていないが、脳内の神経伝達機構の障害によるものという説が有力。

しかし、このような解釈は肉体細胞である脳に問題あるからうつ病だ、躁うつ病だということになります。だから脳に作用する抗うつ薬を処方して様子を見ることになる。

セロトニンの問題がそれです。薬が効果なければ別な抗うつ薬を試すというパターンは依然として心療内科の常道です。

これで改善されなくて病院を変えてみたりはするが相変わらずうつ症状は改善されず長期に及び辛い生活を余儀なくされているのである。

無料カウンセリングのご希望はkandou0822@yahoo.co.jpへお問い合わせください。

岩手県 盛岡市 滝沢村 うつ病