正しい指導者の条件

社長

職場における上司、さまざまな場における先輩、教師、講師、アドバイザー、コンサルタント、教祖、といった指導者としてのいろいろな立場があります。

高度な技術をもちながらも、営利主義に偏り過ぎたために人が離れていくケース。

あまりにも一方的で傲慢なやり方をして人が離れていくケース。

ウソが多すぎて矛盾に気づき、人が去っていくケース。

こういったことはいろんな業界、場面でみられることがあります。

良い指導者としての資質というのはどういうことをいうのだろうか。

ある面では、専門的な知識や経験が豊富なこと。

そしてさらに一般常識が広いこと。

そして、それらを基礎として全体からモノ事を見て適切、且つ、偏りのない判断が出来ること。

こういったことは基本としてなくてはならない要件だろうと思うのです。

会社などにおいては、本来は自分でも出来る、そのことを部下などの他人に任せるのですから、何故そうするのか、どのようにするのか、その結果や評価は、そして反省はと、相手に納得させられなくてはいい指導とは言えないだろうと思います。

自分に厳しく、他人には寛容に、とよく聞きますが、必要な時は、あえて厳しい姿勢を貫いても、そこに他を思う、真の愛情と期待があれば、たとえ一時期の反発があろうとも、結果的にはむしろ強い理解と信頼と調和が得られるものと、指導者自身も信念を持つことも大切でしょう。

私の院内でスタッフの仕事の様子を見ていて、彼の足りなさ、ポイントに手が行き届かないという失敗は当然予測できるときがあります。

一度の失敗は見逃し、二度目は注意だけでなく方向性をも示し、三度目には、これは根本から指導のし直し…..と、自身の方向性をしっかり持つとともに、その失敗に対する善処の策も考えておかなければならい。

指導する相手に対しては、誰にでも差別なく、常に公平であること、言動が常に偏らず、安定していること。

これもまた不可欠な条件と言えるでしょう。

そして、自身に正直であること、素直であることも。

しかし、指導者だからといっても同じ人間です、必ずしも人格が高潔である必要はないと思うのです。

勿論、反社会的な言動や、マナーに反する態度などはもってのほかではありますが。

指導者もまたひとりの人間、人間臭い面があってしかるべき。

むしろ、そうした人間臭い弱点が見えることを隠さないことこそが、指導する相手の信頼と絆の基礎になる場合もあると思うのです。

私も小さな院を営む立場でありますが、自身は大いに人間臭くて、「アットホームな感じで気楽に来れます。」とよく来院者に言っていただきます。

若い人との年齢差があるような場合には、あえて相手に迎合しようとしないこと。

といって、彼ら独特のギャグや洒落に即座に切り返すぐらいのウイットも欲しいところ。

わざと挑発に乗ってやるぐらいの度量もあればなお良しではなかろうか。

良くない指導者

専門的な知識に欠け、一般常識の範囲も狭く、視野が狭く、実務上の知識にも経験にも欠け、一人の人間として感情的であったり、傲慢であったり、話しが二転三転したり、利己的であったり、一貫性に欠けるようではよろしくない。

それ故、正しい判断と全体からの計画性に欠け、また、正しい指導や教育が出来ない。

ことに、なによりも現場の実体を正確に把握していないことは何をかいわんやである。

したがって一旦、問題がが起きると、その本質を理解出来ないまま、大慌てし、まず部下に怒り、責任を転嫁し、対処を押し付け、保身を考える。

またそれ故に、自身では進んで正しい対処を出来ず、やろうともせず、適切な対処法を指導することも出来ない。

意欲も無く、その性格や日頃の不適当な言動によって、部下や指導の相手を掌握出来ていず、信頼も得ていない。

私自身も、これまで何十年と、人を育てるには何が大切かを考えては実践してきました。

まだまだ未熟であり、進歩したい思いは潰(つい)えることがありません。

しかし、私自身は決して精神論だけに走らずに、物事を具体的に示せる体制でありたいと思っている。

ですから、自らが、規範を行動で示せる人間でありたい。

宗教界の正しい指導者

もういちど整理をして述べておきましょう。

正しく人を導くことができるを人は、すべての人に対して寛容であります。

正しい指導者は、見ること、思うこと、語る事、行うことに拘りや、執着がなく、決して傲慢ではない。

そして、正しい指導者は人の心を観る力にも優れていますし、冷静さと知性に溢れていますから、周りの人たちの甘言に欺されることは絶対にない。

宗教の世界においてトラブルがあれば、あれは側近が悪いのだ、教祖は悪くないといわれている教祖がいるが、そういう教祖は人を見る力がないといっても過言ではないでしょう。

この世で悩み苦しんでいる人たちに対して正しい生き方、心の在り方を説かれる人の場合、高次なステージの魂ほど、単独で、一人でこの世に出てこられることはない。

高次な魂の人というのは、例えて言うならば、仏教的には、如来界の人、つまりお釈迦様であり、キリスト教的には、イエスキリストその人です。

こういったステージの魂は、必ず手足となって働く人達を引き連れて、グループを持って出てこられ、後に巡り会って志をひとつにする。

過去においては、釈迦の場合、十大弟子とか、キリストの場合、十二使徒といわれる優秀なステージの人があったようにです。

こういった弟子たちはこの世での単なる偶然によって弟子になったのではなく、あの世においてすでに弟子として輪廻してきたなかで再び、この世でも一緒にやりましょう、という約束のもとに降りたのです。

だから、現在目本の宗教界に「自分は釈迦の生まれ変わりである」と一人でいっている人もいますが、その人は手足となって働いてくれる本当の縁生によるグループを持っていないことをみれば明らかなように二セモノだということがすぐわかるのです。

正しく人の道、生き方、心の在り方を説く師は、人が聞きもしないのに、自分から先に「私は〇〇である」というような白己宣伝めいたことは絶対にいわない。

普通の人間でも「私は社長である」と吹聴して歩く人があったら、まともな人とは思わないでしょう。

人間を教導する立場の教祖や霊能者が「私は〇〇の生まれ変わりだ」などというようなら所詮低俗な迷導者ということだろう。

また、私自身は、人間が造った伽藍、神社、仏閣だけが神聖な場所ではなく、真の神殿だとは思いません。

この宇宙そのものが、神がつくられた神殿であるという考えからすれば、正しい高次な境涯にある師は、人の手でつくるような神殿はつくられないし、また、神を祭る儀式もされない。

それでも正しい師の場合は、「救われるのは心」だということを知っておられますから、心が救われることは説かれても、金で救われることなどは決して説かれない。

例をあげれば、金を捨てれば業を捨て、徳を積むことになり救われるとして教団に金を寄進、浄財、喜捨するように説く人はニセモノである。

会員をふやせ、本を買えというのもニセモノである。

まして、教祖の写真を高額な価格で買わせてご利益がある、などとするなどは全くもって論外である。

正しい師は、心の安らかさの大事さを知っておられますから、人に恐怖心を与えるようなことは絶対にいわれない。

また、最近は、過去世とか、前世ということをあまりにも簡単にとりあげて語る傾向がみられますが、これなども非常に危険性を感じてなりません。

ほとんど信憑性に欠ける問題を殊更に語る人たちは、ブームの先端を行くが如くに、あなたの過去世がどうのというように語り、書き、公開して一喜一憂させるのですが、必要か否かということからすれば必要とは思わない。

正しい師は「こうしないと罰が当たる」「やめると罰が当たる」というようなことは絶対にいわない。

「こうしないと裕福にならぬ」「本を買わないと幸福にならぬ」といういい方は、それを裏返しにすると、「そうしないと不幸になるぞ」という強迫になっていることになる。

正しい師は、心の大事さを知っておられるので、絶対に感情的になりません。

会社においては部下が意見を、教団においては信者の言ったことに対して、すぐ感情的になる人は心のできていない人です

正しい師は、自分の服装や食べ物や、その他のことについて、いろいろいわない。

きらびやかな服装をし、形を重んじ、服装や装飾でランク付けをし、美食を好み、いろいろ叱言をする人はニセモノである。

正しい師は、「素直に信ぜよ」「無条件に信ぜよ」と絶対にいわない。

「まず疑え」「疑問を持て」といわれる。

疑って疑って、もうこれ以上は疑えなくなったというところで信じなさいといわれる。

信者が質問したりすると、「あなたはまだ信仰が足りない。信ずれば疑問がなくなる」というようなことは絶対にいわない。

正しい師は、霊魂が存在すること、人は輪廻転生するものであることを正しく証明する力を持たれ、それを無理強いしない。

このような判断基準をはっきり知って、自分の考えをも客観的にみるならば、ニセ宗教家や霊能者、占い師もどきに迷わされることはなくなるでしょう。

地球の変化

今年一年の気象をみても異常がみられるように、これから地球上の気象が世界規模で変化していき、今後の長い時代の流れとともに、逆にエジプトなどは人間が住めるような豊かな緑地帯に変化してゆくものと思われます。

現在エジプトは日本の倍以上の国土ですが人口は8千万人ちょっとぐらいで国土の広さからすれば多くはなく、大部分が砂漠地帯です。

今から七、八千年から一万年前、エジプトに偉大な文化が発展していたということは、あそこにたくさんの人間が住める豊沃な土地、森林があったということでもあります。

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夫婦

夫婦喧嘩

漫談の世界ではなく、実話なのですが、あれから40年。

妻の荒い口調に疲れ果て、会話が少なくなった老後の夫婦。

それでも勢いのとまらない妻。

そうかと思えば、パートナーの至らない点を探して愚痴を並べ立て、友人知人には、自分は落ち度がなく、被害者であるがごとくに話す人。

お互いが何かと大変な状況下で生活しているのはわかるが、一体、何が人間をこうまでして相手を裁き、阿修羅のような心にさせるのだろうか。

このような夫婦でも、どちらかが命にかかわるような事態になった時には慌てて少しばかり心の隅に残っていた情をみせるのもまた夫婦。

自分たちが生きて日々の生活が送れてきたことが何よりも有り難い事ではあるが、しかし、自分の思いが相手に通じないということほど淋しく、空虚感を感じるものはない。

不仲の夫婦であっても、お互い大事なものを失った時にこそ深く悟るものだろうが、それでは遅いし、連れ合いが亡くなってはじめて苦しみから解放された、というようなことであってはならない。

夫婦は仲良く暮らしていても、不慮の事故や、重篤な病気によって相手のお世話になることもあるだろうし、先立たれることもある。

また、不仲であっても80歳、90歳と、長い人生を不満と、愚痴と、怒りと、嫉妬で終わる人生もあるが、これもまた悲しい。

私自身もまた、夫として、男として、人間として、妻からすればどれだけの点数をいただけるか自信はありませんが、いずれにしても未熟者ではあります。

それだけに人間は夫婦に限らず、お互いに仲良く暮らしていないと、いつかは悔いが残ることにもなりかねません。

これまで相談を受けてきたなかで、離婚もやむなしというケースもあるが、願わくば、その縁を全うできれば、それはそれで、この世での難題、課題を消化したことにはなる。

しかし、どうしても一緒に生活をすることでお互いが心の調和ができず、かえって業を重ねてしまうような夫婦の場合は、離婚して新たなスタートをされたほうが心の調和という意味でいい場合がる。

夫婦げんかでお勧めするのは、早めに自分から謝ること。

男はプライドがあるといよくいうが、このプライドなど夫婦生活にか如何ほどのことでもなく、ないほうがいいぐらいです。

原因が相手でも、喧嘩して言い返したり怒鳴った時点で両者に非があります。

謝るのが悔しいという気持ちもわかりますが、謝ることは「負け」ではなく「調和」だということを覚えておきたい。

謝ることは真に強い人しかできないからです。

夫婦は一生毎日顔を合わせるパートナーです。

気持ちよく生活するうえでも、原因を分析して、改善策を講じていくことが不可欠です。お互い、よりより夫婦関係を保っていきたいものです!

今朝は、ここでネット上の記事を紹介したく、ここに転載させていただきました。参考にしていただければと思います。

以下、転載記事です。

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毎日新聞 12月27日(土)12時9分配信から転載。

『御嶽(おんたけ)山(長野・岐阜県境)で9月、57人が死亡、6人が行方不明になった噴火で、岐阜県各務原市の丹羽隆文さん(60)は一緒に登山していた妻玲子さん(61)を亡くした。

抱きかかえていた妻が腕の中で息を引き取ったあの日から27日で3カ月。悲しみは癒えないが、「妻は『頑張って生きて』って言ってくれていると思う」と気を取り直す。

夫婦にとって2回目の御嶽山。王滝頂上から剣ケ峰に至る登山道「八丁ダルミ」で噴火に遭遇した。

見晴らしの良い場所で昼食を取ろうとザックを下ろした時、玲子さんが異変に気付いた。

「お父さん、あれ何?」。振り返ると噴煙と噴石が舞い上がっていた。

2人で近くの岩陰に隠れた。

真っ黒な火山灰が迫り、熱も感じた。

丹羽さんは降り注ぐ噴石から守ろうと、玲子さんの頭を右腕で抱きかかえ、左腕で自分の頭を覆った。

しかし、丹羽さんの両肩や腕、膝から血が流れ、左腕にはめていた腕時計もどこかに飛んだ。

玲子さんも体に大きな噴石の直撃を受けたようだった。

「絶対生きて帰るよ。帰ろうね」

噴石が降りしきる中、2人で話した。

だが、自分も大けがをし、身動きがとれなかった。

寒がる玲子さんにカイロを渡し、お茶を飲ませるなどしたが、玲子さんが目に見えて弱っていると分かった。

「私もう駄目かも」。

普段は弱音を吐かない玲子さんの最後の言葉だった。

「一緒に帰るぞ。生きて帰るぞ」と叫び、体を揺すったが反応はなく、心臓の鼓動も感じられなくなった。

一緒に山を下りたいが、このままでは自分も死んでしまう。

「妻がここにいることを教えるためには、生きなければ」と残された力を振り絞った。

まだぬくもりが残る玲子さんの顔に傷がつかないよう帽子とジャンパーをかぶせ、シートで覆った。

「お父さんは生きて」と言われた気がした。

噴火から約4時間後、100メートル先の山小屋にたどり着き、翌日救助された。

玲子さんの遺体が山を下りたのはそれから4日後、顔はきれいなままだった。

玲子さんとは約40年前に職場で知り合った。

働き者で家のことは任せっきり。

畑仕事が好きで、自宅の周りには手入れされた花が咲き誇った。

自慢の妻だった。

登山は玲子さんの誘いで15年前、2人で始め、一緒にいろんな山に出掛けた。

1度だけ1人で山に登ったが、やっぱり2人一緒が楽しかった。

前を歩く丹羽さんを後ろから玲子さんが呼び止め、2人で花や植物に見入る。

あの日も噴火の前まではそうだった。

噴火から3カ月。

ようやく体の傷は癒え、定年後に再雇用された職場にも復帰したが、玲子さんのことは頭から離れない。

今月に入って遺品のザックを開けたが、玲子さんの登山用具が灰だらけだったことしか記憶に残っていない。

「(遺品を見て)一区切りをつけようなんて、冷たくないか」と問いかける自分もいる。
それでも遺影を見つめ、手を合わせながらつぶやいた。

「お前のように何でも上手にできないけど、自分なりに頑張っていくからな」』

ここまで転載記事で引用いたしました。AS20141024001274_comm

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体からのメッセージ「休息」

静寂

治療より優れている静寂

多くの人が一生の間に何度も、余暇を楽しむのとは違う意味での「休息」をとっていると思います。

むしろ『休止』といったほうが正確かもしれません。

だが一般的に休息というのは、自分からすすんでおこなった休息ではなく、病気や怪我でやむをえず休むということが多いのではないだろうか。

私自身も病気ではなく疲労によって倒れたものではありましたが、過去において丸三年間、身体を使えないという状態で休息を否、休止を余儀なくした経験があります。

病気というのは往々にして、体がわたしたちに「立ち止まりなさい」と語りかけている証ではないかと思うのです。

やらねばならないことが多すぎて、心がもう限界だと悲鳴をあげている証拠でもある。

もちろん、すべての病気がそうだというわけではなく、ただ単に身体だけの疾患という場合もあるでしょう。

だが実際にはかなりの割合で精神のアンバランスと身体の連動で病んでいることが多い。

病気というのは、「もしあなたが自分で立ち止まろうとしないのなら、わたしが何として
も立ち止まらせてみせましょう」と体が言っているのに等しいかもしれない。

いくら意思が強く、頑健な人でも、病気にさからったら、ひとたまりもない。

さらに病気は、「休息」の中ではもっとも悪化をたどることができない。

体の具合が悪ければ、注意力・判断力は低下しているし、周りのことに気がまわらないだけでなく、人が関わってくることさえも苦痛になってしまう。

そんな状態では目標に向かって進んでいこうという気持ちなど起こりようがありません。

ただ横になって「早く治って、元気よくなりたいな」と考えることが精いっぱいのときもある。

わたしたちの肉体は、わたしたちにさまざまな症状で語りかけてきます。

日頃から静寂の時間をもつようになると、病気になる前に、体が発するサインが理解できるようになってくる。

これはとても重要なことだ。

しかし、休息する時間、静寂に身を置くことを習慣づけていなと、なかなかそれが察知できない。

鋭利な感覚や、感性は静寂のなかで磨かれる場合が多いからだ。

したがって、冷静に、そして静かに身体の声を聴く習慣が身ついていれば、病気になるパターンを理解し、体のどの部位が痛みや、疼痛、かゆみ、苦しい、違和感、を訴えているか、それがわかるようになる。

この背中の痛みは、何を語りかけているんだろう?

この胸の苦しさはどういうことなんだ?

背中が張りすぎて胸の苦しさになっている場合が多い。

この手のむくみや顔のむくみはなぜなんだ?

単に手や腕の酷使に起因する場合もあるが、腎臓や心臓の影響による場合もあるし、アルコールの過剰摂取に起因する場合もある。

こういったさまざまな症状でも、冷静に自問自答してみることで原因がつかめる場合が少なくない。

うろたえて救急にいって「何も問題はありませんよ」、といわれてお薬を処方されないことに不満そうな顔をして帰ってくることもあるでしょう。

立ち止まってみれば、いまの自分の健康状態がわかるようになり、体をいたわるようにもなってくる。

だから、さまざまな病気を予防することができるのだ。

休息を取ろうとしない、できない、したくない、人によって事情はあるでしょう。

極論かもしれませんが、考え方によって、言い訳は、うそより悪質で恐ろしいところもある。

なぜなら、言い訳はうそを守ってしまうからだ。

でも実際には病気になったり、怪我をすれば休むしかない。

だが、病気でも、怪我でもないのに休むのは、理由づけがなかなか難しい。

休息するということは、決心が必要だし、はっきりした動機と勇気が必要になってきます。

なぜなら、「休息」は、ある一定期間やすむことになるからだ。

逆に、休息しないための言い訳は無数にある。

今日は一日やることがたくさんある」

「休んでなんかいたら、家族、仕事、あるいは社会から長いあいだ離れてしまう」

「お金がかかりすぎる」

「金銭的に余裕がない」

ところが金銭的に余裕があったら休息を取るのかとなると、必ずしもそうではない。

このように、人によって理由はそれぞれたくさんあるでしょう。

だが、休息ということについて、私がいちばん恐れを感じているのは、たぶん私自身のように思います。

過去、三年間体を使えなかったときに、一番恐れたのは、私自身が動けないということに対する焦り以外のなにものでもなかった。

休むことを知らずに突っ走ってきたことが、どれだけ私の無理な生き方や、身体の酷使になっていたか、それが当たり前のような生き方になってしまっていたかを思い知らされました。

私が休息を取ることもなく、ただただ突っ走った理由、

それは、わたしは自分の人生を十二分に生きたかった。

日々が真剣勝負とばかり気負い過ぎていた。

だが、実際に倒れて身体の自由がなくなると、当初の数か月は先の見えない真っ暗な闇のなかに落ちた気分だけが支配していました。

しばらくは絶望感が心を支配してただただうろたえているだけで、奈落の底で迷妄するわたしは、朝、暗いうちに目が覚める。

心の奥底ではすでにわかっていた。

自分がいちばん望んでいた「休息」をしてこなかったことについて、倒れるまでそのことの大切さを心に深く落していなかったし、行わなかったのである。

休息できなかったというほうが正しいかもしれない。

倒れた後の三年間は、人生において何が一番の重大事であり、かつ精神的に大事なものであるかということを思い知らされた。

休息することが怖いと思っている人たちも多い。

いろんなしがらみがあって自分の思いだけを通すことが叶わない状況も、条件もあるでしょう。

大切なことは、自分のおかれた環境下で最大限の時間をどうつくり、どう活かすかである。

休息を生活に取り入れている人は、精神面を優先させる人である。

このブログを読んでくださっているあなたが50代、あるいはそれ以上だとしたら、「改めるに時が遅すぎるということはない」という心をもっていただきたい。

あなたにとってはいまこそ、自分がどういう人間か、自分にとって大事なことは何か、それを見つけ出すのに打ってつけの時ではないだろうか。

何事も「今」が大切かと思います。

休息は、自分自身への愛情表現の一種、親切心のあらわれである、と言ったら、あなたは賛同してくれるだろうか。

本当はそうなのです。

だが、もし「自分自身を愛する」ためだけに休むわけにはいかない、と思うなら、次のように考えてほしい。

「休息は、自分だけではなく、ほかの人たち、広くは社会全体に寛容と親切を示すことになる」と。

休息によって、あなた自身が精神を集中し、冷静な心を持つようになれば、知的な感性も磨かれ、あなたは世の中にとって、とても役に立つ存在になれるでしょう。

なぜなら、そうなったあなたは、ほかの人たちに大いなる恵みを与え、歯車の狂った現代社会に穏やかさと安らぎを与えるようになれるからだと思うのです。

わたしたちは、他人に親切にすることには慣れているが、自分が親切にされることには意外と不慣れでもあります。

見方を変えると、相手から愛情表現をされるのが苦手なのだ。

だが、休息を実践している人は、自分に向けられた寛大さや、愛、施し、気遣いに気がつくし、それを正しく受けとめられる。

だが忙しく、いつもあくせくしていて、ストレスのたまった人には、心の余裕などなく、そういうことはでききにくい。

愛情は人間同士の関係です。

私たちが沈着冷静で穏やかな性格、言葉づかいになれば、ほかの人たちもそれを手本とし、あなたのような人になろうと心がけるだろう。

「休息」の邪魔になること

仮にあなたが、「生活の中の一定時間をほかの目的に使うことにした」と宣言した場合に
周囲の人たちがあなたのことを「どうかしてしまった」と見なすこと。

たとえば友人たちは、こんなことを言うかもしれない。

「そんなに長期間、家族を放っておけるものかね? できるもんなら、このわたしだってやりたいよ」

「金持ちだから、そんなに長いあいだ休んでいられるんだ」

「彼女が引きこもってるって?・ 気はたしかかい?・アルコール関連の病気じゃないの?」

そしてあなたの子どもたちはこうだ。

「ママ、そのあいだ、ずっといなくなるの? お料理は誰がするの?」

「パパ、大丈夫? お医者さんに診てもらったら?」

そしてあなたの両親はこう言う。

「時間のむだづかいじゃないのかね? きちんと働いたほうがいいな」

「休息」はどのくらいの期間が適当だろうか

その答えは、あなたの心身の状態、現実に休める時間、そして「休息」に対する真剣さ、これらを総合して考えてみれば、答えは自然に出てくる。

一般的には、長ければ長いほど休息の効果は大きい。

そして、休止にはたいてい犠牲がつきものです。

時間的な犠牲はもちろんだが、時には経済的な犠牲もつきまとう。

だがこの貴重な犠牲を払えば、信じられないくらいよい成果が得られる。

休息した場合の成果とは、

「あなたの生活全体が、自分の望む方向に進んでいるかどうか確認できる」ということ。

一日、あるいは数日間で得られるとすれば、なかなかの成果だと思うが、いかがだろうか。

まとまった休息を取れないというのであれば、日々のなかで少しは静寂のなかに身を置く時間を工夫してつくること。

これだけでもこれまでとは全く違う一日が過ごせるようになってくることは請け合いです。

心の健康、身体の健康は静寂の時間によってチャージされることを私の体験からお伝えしたい。

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なぜ冷気現象が伴うのか

お詫びとご報告

12月20日から22日夕方まで、完全にネット上から私のブログ「観身堂」のHPが削除されていました。

そのため読者から多くのお問い合わせ頂くことになり、ご心配もおかけしました。

大変ご迷惑をおかけしましたが、同時に大変有り難く思った次第であります。

原因は、過去にアップした記事に日本人の気質として、「義理、人情」ということについて書いたことがありました。

この記事の中に「北島三郎」さんの歌で「道」という歌詞がとてもブログテーマにマッチするところがありましたのでその歌詞を北島三郎さんの歌ですとして転載したことがあります。

このことが著作権に抵触するということで著作権の管理会社から私のブログのサーバーにクレームが行ったということでした。

サーバーから私に削除依頼のメールを送信したというのですが、全くそのような受信履歴がどこにもありません。

当然、警告期限が切れてブログとホームページがネット上から削除されることになったわけです。ですからブログを更新しようにも手の打ちようがありませんでした。

結局、人の手を借りながらサーバーとのやり取りで昨日夕方に復旧できた次第ですが、しかし、現在はブログも観身堂のTOPページだけが表示されていない状態で、サブページからトップページに入れるという状況です。

また一つネットの難しさ、私の無知からくる大きなミスを経験することになりました。

しかし、著作権の問題、転載の問題、大いに勉強になりました。

冷え性

ポルターガイスト
ポルターガイストとはドイツ語で「騒々しい幽霊」を意味するようです。

椅子や四、五〇キロの家具がいとも簡単に床の上を五〇センチも滑って移動したり、調度品や食器が宙に舞って飛んだり、人間の体が宙に浮かび上がったり、常識では考えもつかないことが起こることをポルターガイストと呼んでいます。

これらはすべて人間の暗い地獄の霊(悪霊)が原因といっていいでしょう。

四次元の世界(あの世)からの霊の働きかけが原因ですから、物質界(この世)の重量とか距離、空間というものは一切関係ありません。

この世的(3次元)な考えでは、あの世のことはなかなか推し量ることはできません。

ただ地獄霊の能力は光の天使の能力に比べれば微々たるもので、たかだか何メートル、何十キロ程度ですが、光の天使の場合は、モーゼが海水をせき止め海の巾道をつくって人々軍隊の追跡から救済したたように、また、イエス・キリスがパンを霊的な能力によって物質化現象として多くの人たちに与え、飢えをしのいだように、その能力は偉大です。

なぜ冷気現象は随伴するか

低次元の霊現象、超常現象が起こると、背スジがゾクッとしたり、腕や身体全体に鳥肌がたったり、胸が苦しくなったり、不意に体感温度が下がった感覚になったりします。

どうして下がるのかという理由は、これまでに未成仏霊、地獄霊を「暗い霊」という呼び方をしましたように、彼らのいるあの世の世界は、光のないジメジメした暗黒の世界、執着の心に縛られているための光明のない世界です。

ですから、これらの霊がそばに来るとヒンヤリと寒くなるのです。

これが地獄の世界の実態です。

しかし、心の正しいあり方を悟って霊界に入っていくようになればその霊は温かく安らかな心を取り戻すことになります。

実は、私達人間も寒くするのも暖かくするのも自由自在です。

何故なら自分の心がそうします。

寒くも暖かくも自分がするのです。

原因不明の体調不良も、実は、霊的な影響を強く受けている場合がすくなくありません。

だが、そのような人をいくら除霊をしても、ご本人の心が変わらなければなんにもなりません。

一時、霊を取り除いても、何度も影響を受けてしまう人がいます。

霊的な影響を受けやすい人は、どちらかというと女性に多いようです。

どうしてかというと、この問題は霊媒、拝み屋さんとか、「いたこ」とか呼ばれる人になぜ女性が多いかということと同じ理由なので、同時に説明しましょう。

子供を生むことは女性だけの持つ特性です。

たとえば、この世の成人男女が縁によって結婚します。

夫婦生活が調和され、受胎します。

すると夫婦に縁のある子供の霊(魂)が天上界で待機していて、妊娠三ヵ月になると胎児を支配するために下生(降霊、天孫降臨)します。

以前にも述べたことがありますが、地獄の世界からはこの世に生まれることはできません。

ある一定の天上界からのみこの世に生まれてこれるのです。

たとえば一万年をさかのぼって見た時、この世(地上界)に生まれて10回の人生勉強を体験したとする人と、地獄の世界に身を沈めたために三回しか地上経験がない人がいたとします。

この差が霊格、人格の差となって表れてくると言えます。

あの世での勉強より、善と悪の入り交じったこの世での魂の勉強の方がリスクが大きいという反面、非常に価値が高いのです。

ですから、この世の一年はあの世の百年にも匹敵すると考えてもいいでしょう。

女性は妊娠、受胎、出産を通して、あの世の世界とは密接なので、霊的に感応しやすいというわけです。

冷え症の人が女性に多い理由と、霊媒、拝み屋さんが男に比べて女性に多いという理由も、女性の方が霊的な部分と感応しやすい条件が多いということで理解できるかと思います。

女性は男性と違って、生理的、肉体的な特性によって冷え症は多いのだとう声も聞こえてきそうですが、天は女性のみに生理的なハンディを与えて冷え症をおつくりになるはずはないと思います。

その証拠に、女性がみな冷え症でしょうか。

整体という仕事を通じても実感するのですが、私のまわりには暖かい手や足の人が何人もおります。

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静寂・沈黙・孤独のニーズ

瞑想

価値を失った言葉

乱暴な言葉がいきかい、お互い人が言っていることも信じられなくなっているとすれば、それはとても悲しいことです。

そして自分たちが何をいっているのかさえ理解していないこともまた重大な事だと思うのです。

言葉の不明瞭さがますます拡大し空恐ろしくさえ思えることもあります。

必ずしも多くを語らずとも、少ない言葉で自分が伝えたいことを、正確に言えたならどんなに素晴らしい事だろうか。

私達は本当の会話をしていない気がします。

いろんな場面で、私たちが口にする意見を相手が聞いていないか、また、相手が話す言葉を受け止めるでもなく、平行線をたどって消滅している場合が多いように思うのです。

それでも私たちは、まるで話すことで人生の空虚感を埋めているような錯覚におちいり、ひたすらしゃべり続けることで満足感を得ようとしています。

人間は、沈黙には耐えられないのでしょうか。

語ることで何かしら発見することもありますが、言葉を選んで短く語ることによっても心地よく、意図することが相手に伝わることがあります。

縦板に水の如く言葉を連発する人もいますが、しかし、必ずしも言葉数の多さで自分の意図が伝わるということではないでしょう。

禅の教えでは、「沈黙」を優先し、心の静寂さと向き合うことなくして、無知と苦しみの根を断ち切ることはできないと説いています。

そうでうす。

私達は、忙しく心を働かせ、行動しているときは、良くも悪くも勢いで生きている為に自分の本質を見逃していることがあります。

そういった意味で、静寂のなかでしか、自分の表面的な心の悪癖、自我の壁を打ち破ることができません。

「静寂」「沈黙」「孤独」を大事にしたい理由と根拠はここにあります。

そうすることで私たちは今という瞬間を真摯に見つめることができるようになり、人生が如何に尊いものであるかを悟るようになるでしょう。

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オーリングテスト&フーチ

オーリングテスト

オーリングというのは、カイロプラクティックなどに使われた診断法からヒントを得て考えられたもので、親指と他の指でOの輪をつくり、他者が被験者の指のオーリングを開く(簡単に開くか、開きにくいか)ことによってテストする方法です。

答えはの二つで、人間の身体を測定機として使うものと説明されていますが、正しいものは潜在意識が指の開き具合によって教えてくれます。

中には占いに使う人もあるようですが、その人の目的意識や心の状態によっては、動物霊や地獄霊が協力しますので注意してほしいのです。

ただ、オーリングテストの初歩の段階の、たとえば痛いという感覚や、問題があるなどの部位のチェックは、ただの精神作用であり、潜在意識の作用ではありません。

フーチとは中国語が語源で占いという意味です。

ヨーロッパで水脈や油脈、鉱脈を探した振り子、ペンジュラム、糸つき重り、ダウジング、ラジェスセシアなどがあります。

こうしたオーリングテストや、ダウジング、フーチは熟練を要します。

たとえばテレビやラジオはスイッチを入れれば誰でも同じように音や絵を出せます。

でも、オーリングテストやダウジング、フーチなどはすべての人がすぐに同じ結果を出すことはできません。

これらは、実際は潜在意識とあの世の霊の協力によってなされるものであり、守護霊の場合もあれば、その人の心が暗く、目的が不純であると、暗い霊や動物霊の場合もあります。

オーリングーテストによる毒物や良薬のテストを例にあげれば、あの世の霊にとってすべてお見通しですから、指の輪の開閉によって答えを出すことぐらいは簡単なことです。

dowsing

また、ダウジングの鉱脈探しを例にすれば、あの世の四次元の霊からは、三次元の鉱脈など簡単なことです。

鉱脈さがしが当たったりはずれたりするのは、協力する霊の次元によります。

私が住んでいる場所は岩手山麓ですが、山林を買い、家を建てるときに自分のダウジングで宅地内の水脈ポイントを決めて約40メートルほどボーリングしました。

この地下水は岩手山の伏流水でとても飲みやすく、美味しく、真冬に地表が凍ってもで枯れることはなく築23年経った今でも豊富に供給してくれています。

我が家の生命線、水の恵みに感謝です。

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人間の想念・魂の仕組み

心

想念帯
想念帯は潜在意識と表面意識の境界部分に位置し、その両意識がまざり合った精神世界です。

したがって、表面意識と潜在意識は、この想念部、つまり想念帯を通じて連動して働くようになっています。

ここには、各人の過去世、前世、あの世での生活の記録と、現象世界、つまり、この世における後天的経験のすべてが記録されており、これを調べる場合は、この想念帯を正しく知ることができれば可能となるわけです。

人間の意識は二十四時、経験と記録の連続であり、年中無休です。

たとえ眠っていようともエネルギーに休息はあり得ません。

想念帯とは、過去世の記録と現世の経験の記録集積所でありますから、各人の現象世界での運命は、ここで握られていることになります。

つまり、決まっているのです。

それは職業的に、経済的に、地位的に、いろいろな面にわたって決まっています。

たとえて言いますと、想念帯が映画のフィルムとすれば、現象世界この世での各人の生活は、そのフィルムから投映された映像になるわけです。

宿命は変えられないが、運命は変えられるといいます。

しかし、各実際のところ、人の運命には上限と下限とがあって、その間を上がったり下がったりして一生を送ります。

上限とはその人の運命の好調時、下限とは最低時、一番苦しい時期です。

しかも、上限、下限と中間の間を、行ったり来たりして、その一生を終わる場合が多いのです。

それでも本人が自分の欠点を省みて一切の拘りや執着を捨てることで人生が好転することは良くあることです。

うはいっても人間は多少なりとも業を背負って生きているものであり、自分ひとりだけでそういった正しい生き方に気づくことは困難な場合が多々あります。

ですから現在肉体を持っている上段階・光の天使の正しく真理に適った人生観、倫理観の教えに触れることで気づきも早くなり苦悩から解放されて人生が好転することはよくあることです。

偏りのない、執着しない、正しく調和された人生の法則というものを理解するようになりますと、下限に落ちることはなく、上限にまで、自分の運命が切り開かれてゆきます。

いずれにせよ、各人の教養、徳性、ものの見方、考え方、行動というものは、この想念帯に影響されるところがすこぶる大きく、それは、今世での知識、学問を越えたものです。

各人の心理状態もその大部分は、想念帯の影響を受けています。

笑い、悲しみ、怒り、苦しみなど、人によってその感受性は異なります。

実際に他人からみて些細な事と思われるようなことであっても、本人にとっては逆鱗にふれて怒り狂うようなこともあります。

これがその人の魂のステージの違いといえます。

同じ冗談でも、ある人には笑いであり、ある人には悲しみになったり、怒りになる場合がしばしば見受けられます。

これは、10%の表面意識の作用もありますが、それ以上に、想念帯の振幅に本人自身が動かされているためなのです。

こんにちの心理学は、この想念帯の振幅の研究と言ってもよいでしょう。

もっとも心理学も進み、深層心理から、超心理学までありますが、これらは、前回投稿した90%の潜在意識の領域に多少入り、予知、予言、透視などのさまざまな研究とも関連してきます。

この意味では心理学も相当進んではきたと思われますが、潜在意識層は、次元の異なる世界ですし、あの世の生物(地獄霊、悪霊、動物霊)が徘徊していますから、興味本位、当てもの主義、名誉欲があって介入しますと、邪悪なものを呼びこみますから気を付けなくてはなりません。

真に科学として己が空となり、人類のために役立たせることにあるならば、その研究は、たしかに実を結ぶことになるでしょう。

霊的な心理学探究にも危険性は常に伴います。

私達は、よくよく気を付けなければならない分野だと思います。

 10%の表面意識
ここは五官の世界です。すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、それから判断の基点となるところの各人の意思、小我があります。

ともかく表面意識は外見に敏感で、形の世界にとらわれ、この世的な価値観に偏る傾向があります。

そうして、人より偉くなりたい、金が欲しい、美しい人を側におきたい、うまいものを食べたい、楽しいことをしたい、美しい着物を着たい、高級な外車に乗りたい、見せたい、といった意の働きが強く出てきます。

人間の苦の原因が、すべて人間の五官から発する意識にあるというのも、私達が、この表面意識の作用に左右されてしまうところにあります。

通常、大脳の働きは、表面意識と想念帯が、その働きを統御しています。

大脳そのものは単なるパソコンのソフトであり、そのパソコンは、表面意識と想念帯が統御しているわけですが、本当はこの二つの意識は指令室ではなく、指令センターは、その奥の潜在意識なのです。

ところが、想念帯の層は非常に厚く堅いために、人はなかなか指令センターの正しく間違いのない指令を受けることができません。

正しく間違いのない声を聴くためには、潜在意識の声を聞こうとする反省と調和が必要です。

反省は人間の持つ特権であり、人間再確認の人間だけが与えられた機会であります。

ですから、反省こそ、我ら人間の人間たるゆえんであり、精神向上に欠くことのできない、一大要素であると言えます。

自己保存・黒い想念

五官による意識に左右されますと、その人はやがて、病気や怪我、その他さまざまな障害に見舞われるようになってきます。

なぜかと言いますと、人間は本来、調和された魂をもった存在であり心の内には愛と慈しみを備えたものであって、慈悲と愛、調和を目的として、この世に生を受けたものですから、これに反するような想念と行為は、当然それに応じた反作用を伴うことになるからです。

権力は奪うもの式に、やっと手にした権力者は、今度は追われる立場となって、身の安全に夜もろくろく眠れない日々を送る。

金持ちは、その金を失うまいとしてギュウギュウとする。

憎まれ者は、絶えず針の山にその身を座しているようで、四六時中、腰を浮かして生活しているのです。

こういうことはつらい話です。

世にはばかりながら自らを裁き、苦しんでいる。

これもまた宇宙大自然の法則からすれば当然の報いであり真理の姿なのです。

人は外見ではわかりません。

善人に見えて、実は自分の利害だけしか考えない者もあるかと思えば、悪人のようだが、無類の善人もいるのです。

口先や姿形では、人の心はわかりません。

大事なことは、私たちの一生はこの世だけではないということです。

各人にはそれぞれ過去世があって、今世があり、あの世もあります。

そして再びこの世に出て、あの世に帰る。

こうした繰り返しの中に、各人の一生は連綿として続いているということなのです。

この世で悪を重ねれば、あの世でまた悪の清算をするために苦悩しなければなりません。

しかし、こうした事実は、キリスト教でも仏教でもこれまであまり明らかにされず、そのために人びとは、表面意識の五官意識にとらわれ、執着して生きているうちが華という考えに陥ってしまうのです。

しかも、こうした五官意識に各人の意識、魂が支配されますと、表面意識と想念帯に黒い塊りができ、動物霊や地獄霊がその人に憑依し、難病や事故死、自殺などをするようになってくることも多いのです。恐ろしいことです。

光の天使の役割

人間の地上における日的は、各人の心の調和と地上の楽園の建設にあるといってもよいでしょう。

この目的は、人間自身が神性仏性を備えた存在であるからです。

万物の霊長である人間が、なぜ動物のようになり下がったか。

それは長い地上での生活にふり回された結果でしかありません。

オギャーとこの世に生まれた途端、人間はあの世での生活を忘れます。

忘れる理由は、前世、過去世のおさらい、償い、そうして、あの世での生活の経験を、どう生かせるかの心の修行があるからです。

覚えていては、その修行の目的は、なかば失われます。

一般的にはこのように過去世、前世の記憶がなくなって誕生するように仕組まれているのです。

最近は前世のことについて、芸能人の前世がどうのとか、有名人の前世がどうのとか、前世について頻繁に触れているブログも多々あるようですが、必ずしも前世を知ることは必要なことではありません。

今の生き方が最も重要なのであります。

人類は地上の他の動物が進化して現在の人間になったとは私は考えておりません。

すべて他の天体からこの地上に降り立ったと受け止めております。

その当時の人びとは心の調和がとてもよくとれ、地上はユートピアそのままだったようです。

人びとの年齢は数百歳を保ち、年もとらずに、意識はあの世とこの世を自由に行ったり来たりしたもののようです。

その当時は、人間には原罪というものはなく、結婚して子供ができても、その子はあの世の生活を知っていたでしょう。

ところが子孫が子孫を生むようになり、歴史を経て地上の生活になれた人類は、次第にあの世との交通が途絶え、五官意識にふり回されるようになったのです。

つまり罪をつくり始めたわけです。

罪をつくれば、当然、その罪の償いをしなければなりません。

蒔いた種を刈り取ることは、自然の法則だからです。

かくして人間は、あの世からこの世に生まれ出る時に、あの世の生活、前世、過去世を忘れるようになったのです。

つまり己自身の心の修行が目的となったのです。

修行とは心の調和、神性仏性の心に帰る修行です。

同時に、ユートピアを再びつくること、この二つの目的、これが人間の使命であり、責任であるわけです。

人類にこの二つの目的を自覚させ、果たさせるため、いつの時代もそうですが、過去において偉大な光の天使がこの世に現われたのです。

光の天使は、「宇宙の原理、人間の心在り方、慈悲と愛の神理」を説くために現われたのです。

釈迦の説いた教えは、宇宙の原理、慈悲と愛でしょう。

イエスキリストは150年後くらいにはカナダに再誕して愛を説くでしょうし、それによって、その時にはじめて地球政府ができるでしょう。

そして、700年もすれば世界の国境はなくなり、宗教の違いもなくなり、人種差別もなくなり、世界規模で自由に行き来できる真の世界平和が実現されてくるだろう。

その時まで人間はさまざまな経験をしなければなりません。

人間が小宇宙であることの自覚、小宇宙であればこそ、大宇宙と一体となり、一切の事実を認知できるということ。

それは心という一点で大宇宙と結ばれています。

心を通じて、小宇宙と大宇宙は通い合えます。

人びとの心には神性仏性があり、宇宙は神仏そのものでしょう。

地上の現象世界に降りた光の天使は、神仏の命によって人々の心の眼を開かせる役目を担ってきました。

ところが人々の心は、転生輪廻という長い歴史の過程に、諸々の五官による想念、諸々の罪を重ねてきました。

想念帯というカラの中に、人々の心は埋没してしまったということです。

そのために、普通では90%の潜在意識は特殊な人でなければ開けないといったありさまとなったのです。

心が調っていませんから潜在意識が開けても、動物霊や地獄霊の支配を受けるのがオチです。

いわんや正しく守護霊・過去世の声を聞くことはまず不可能であり、自分の思い込みや先入観、あるいは想像で語るその業界の人たちが殆どです。

またそういう状況に落ちこんでいるのが現代人です。

各人の意識は各人の意識であり、その自由意思は神仏が与え、各人が所有するものですから、自分の意識は自分で調和していかなければならないのであって、十字を切ってアーメンとやってイエス様に委ねるということではないでしょう。

それだけの特権を人間各自が持っています。

したがって、各人の守護霊も、想念帯がこれを迎え入れる自覚が出てこない限り、自由にはならないし、表面意識に顔を出すことさえできないのです。

霊道そのものは、いろいろな諸事情が加味されて開くものです。

それは神仏の計らいであり、光の天使の状況判断にかかっています。

同時にこれを受け入れる各人の意識そのものにも理由はあります。

いずれにしても、人生の苦悩する原因を悟り、神理を悟った天使の話を聴聞することによって、想念帯を覆っていた各人のこれまでの考え方、想念、教養、徳性に変化が起こり、既成概念に各種の疑問が湧いてきます。

そうした疑問は、やがて回を重ねるにしたがって、だんだん氷解されてゆきます。

しかし、疑問そのものは各人それぞれに異なり、次第に高次元化されてゆく人もあります。

疑問の内容がちがうということです。

疑問の連続、そしてその回答の積み重ねは、やがて心に通じます。

守護霊は、あの世とこの世を見ており、各人の生活を四六時中見守っていますから、その人の意識の状態、魂の状態いかんで、いろいろと指導します。

その方法は各人各様です。一概には言えません。

霊道が開いたということは、天使の光がその人の意識に入ったことであり、同時に、内からの光が外に出たことを意味します。

想念帯に窓が開くその典型が霊道です。

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魂・精神・意識・心とは何か

 心

精神活動

人間の精神活動である、精神、心、意識、魂について、その一つひとつの概念が釈然としないという人たちもおられることでしょう。

いったい想念とはどういうものか、心とは何を言うのかということについて説明をしてみたいと思います。

先ず、肉体を支配して動かしめているものは脳ですが、その脳を支配して生命を動かしているものは精神です。

精神とは文字通り神の精であり、神のエネルギーです。

人間の生命活動は精神の働きなくして一日として維持することはできません。

もちろん、肉体は様々な食物からカロリーを補給しますが、食本能という精神活動がなければ、生物の生存は不可能だということになるでしょう。

心とは、その、神の精というエネルギーを受ける受け場であり、器といってよいでしょう。

器である以上は、人によって大きい、小さいがあります。

心の大小によって、人の役目も決まってきます。

心の小さい人は大きなことができません

大きなことをするには大きな心でなくてはなりません。

それだけに、心は、人間の精神活動の中心に位置し、心こそは、神につながっている基点であり、絆でもあります。

心から流れてきた神のエネルギーは、人間の意識を形成します。

この意識活動がなければ、自分の存在も、人の存在も認識できません。

自分がここにいる。人があそこに立っている、という判断は、心によって受けられたエネルギーの波動を媒体として、自我という意識活動が行われるからです。

想念というのは

内部からの意識活動と、五官を通して入ってくる善悪美醜などの波動の混合されたエネルギー活動です。

つまり、想念は五官による影響が非常に大きく、人間の意識も想念によって非常に左右されることになります。

この意味から想念の浄化は意識の浄化につながり、意 識の浄化は今世の役目にめざめさせ、果たさせる大きな要素となります。

次に魂ですが

魂は想念の合成されたその全体を言います。

人の意識は表面10%、潜在90%の比で構成され、人は大抵表面10%の意識活動で生活しています。

したがって五官に左右され、あるいは翻弄されるのはこの10%表面意識のみで生活しているからです。

己の魂を向上させるには、まず90%の潜在意識につながることであり、それには、まず想念を浄化すること。

つまり、五官に左右されない生活を送ることが大切です、ということになります。

また、人間は、誰しも、神仏の精、すなわち精神エネルギーそのものがあればこそ、万物の霊長として、人間それ白身を成立させているわけです。

いうなれば意識の中心点です。

人間以外の動物、植物、鉱物の場合は、地上世界の調和のための媒体として、生 かされているといえるでしょう。

つまり、人間はそれらによって、エネルギーの補給を受けています。

ところが人間は自ら生きている生命体です。

生きている理由、生かされているものとの相違は、一切の事象を認知する能力、大宇宙と己との一体観、これです。

動物その他については、その能力を求めても、求められるものではありません。

次に神仏の精を受ける受け場、器が、各人の心です。

心そのものは、エネルギーの受け場、慈悲と愛の織りなす光体そのものの場であり、私達が日常生活において、心に問う、心に聞く、自問自答、反省の相手は、意識の中心にあるところの、この心です。

心の光上の円は紫、ブルーの部分が10%の表面意識、薄い水色部分が想念帯、黄色から赤の部分が中心部分の心。

90%の潜在意識(心)が、想念帯や表面意識に強く働きかけて いる場合は立派な徳性となって表面に出、人びとの範となります。

しかし、心や潜在意識の弱い場合、あるいはその働きのない場合は、いわゆる迷える魂と言われるようになってきます。

心は前述の通り、働きですからエネルギーそのものであり、そのエネルギーはそのまま波動になります。

円の中心は心ですから、中心の波動は緇かく、円周に近くなるほど荒くなっていきます。

ということは、表面意識という五官に左右された思いというのはどうしても荒い波動となります。

それは言葉が荒ぶれたり、態度が荒々しくなるとをみれば判断がつくでしょう。

90%の潜在意識(過去世、守護霊)の層は、心に通ずる世界です。

いわゆる守護霊、指導霊の住む世界であり、それは各人に等しく内在する、心のふるさとでもあります。

そして、本当の意味での守護霊というのは、誰かが後付けするようなもので決してありません。

各人の正しい努力、その一念力は、その守護霊をして、いざとなると他の上段階にある知人、友人の指導霊の応援を求めることができます。

守護霊そのものの力が、かりに弱い場合でも悲観することはないのです。

心に問う、聞く、ということは、普通は90%の潜在意識、つまり守護霊に聞け、ということです。

潜在意識そのものは、光のエネルギーです。

各人の守護霊は、そうしたエネルギー(潜在意識)の世界に住んでいますから、そのエネルギーを、創造、自由、智慧にかえることができるのです。

光のエネルギーは、万物を育む力を持っており、また万物の根源であり、同時に、この世にあるものは、異なった姿かたちであの世にもありますから、その人に必要なものは、守護霊が無限に供給し得ることが可能になってきます。

世に言う天才児の才能は、90%の潜在意識の一部が、その子の大脳に働きかけるために起きと理解してよいでしょう。

その子の守護霊があの世で学んだことをダイレクトで教えるために、本人が今世で学んだことのない、大学生でも解けないような高等数学を解くことができたりするのです。

しかし、その天才児が、増長慢となり、俺は偉いというような優越感や、おごる心に支配されますと、守護霊の働きはとまってしまいます。

これはなぜかと言いますと、たとえば、電気を自由に流すためには、ゴムやベークライトでは電気は流れません。

銅、アルミといった導体物質でなければなりません。

これと同様に、守護霊は光に包まれており、光の電磁的作用でその者に教える(通信する)ので、それを受け入れる導体物質(表面意識)が増長慢という不導体物質のベールに包まれると、光を通さなくなるからです。

人間の精神のエネルギーを受ける心に、慈悲や愛とは正反対の、人を見下す増長慢や怒りの想念があっては、光が通じなくなるのはあたりまえでしょう。

天才が一夜して鈍才に変わるというのも、こうした理由によると思っていいでしょう。

つまり、愚痴、怒り、足ることを知らぬ欲望などの「心の三毒」が生まれ、天才と言われていた人が心の曇りをつくっているために、守護霊も指導霊も指導できなくなり、直感、予感から浮かびあかってくる天才的な力が閉ざされ、凡人となってしまうのです。

人間は、心の窓を開いた時に智性という無限に近い、そのような力を与えられていくものです。

心が正しく覚醒すれば、我々は物質とか地位とか名誉とか欲望だけを満たそうとするもの、そういったことの愚かさを自分自身で納得できるようになります。

そして、人間の心が本当に調和されてくれば、より豊かな文明が発達し、調和された社会が築かれてゆくでしょう。

それだけに心を失った文明はやがてお互いに環境を破壊してゆくだけです。

人間の偏りのない価値観こそ永遠のものであり、私たはこの偉大なる心を今、盲目の中から探り当てた、その光明を調和と安らぎの中に生活することが大事ではないでしょうか。

次回は「想念帯について」アップ予定しております。

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無理の弊害

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仕事は一生けん命するするまじめな人なのに何故か人に嫌われる男性がいました。

彼は自分の価値観と都合を強引に話し、それを人に押し付ける傾向があった。だから周りの人は彼を避けようとしていたのです。

しかし、当の彼自身が避けられ、嫌われていることに差ほど気づいていない。

人間なにかにとらわれてしまって心のバランスを崩すと素直になれず、ついつい無理をしてしまうことが多々あります。

「無理をしてはいけない」ということは、百も承知なのに、その無理を繰り返してしまいます。

無理をしないということの意味を具体的にいうと、道理に反することをしない、理由がたたないことをしない、行ないにくいことを強いてしない、というようなことですが、これはごくあたりまえのことのようにも考えられます。

しかし、このあたりまえのことが、実際にはなかなか守られにくい。

例えば、信号が赤に変わっているのに無理して車を進ませた結果、青信号で進もうとした車両と接触寸前で一瞬ヒヤリとした経験はないだろうか。

能力以上の仕事を無理してかかえ込むとか、あるいは他の人に対して物事を無理強いするというようなこともないだろうか。

こういう無理によって、どのような状況が発生してくるのかというと、それはあまり好ましくない結果になる場合が多いように思われます。

つまり、信号無視の無理をすれば事故につながるとか、能力以上の無理をすれば失敗して大きな損失につながってしまうとか、あるいは無理強いをして人の反発を買い、争いになってしまうというように、往々にしてマイナスを生じかねないと思うのです。

だからそういった無理はしない方がよい、ということは、これはだれでも一応は知っているだろうとは思うのです。

しかし、実際はなかなかそういう好ましくない状況がなくなりません。

これはいったいどうしてでしょうか。

何故、そういう無理がなされるのでしょうか。

なかなか一言ではいえないものが色々とあるのだと思います。

例えば、その時の必要に迫られて、結果のマイナスなど考えてみる余裕がなかったため、無理を承知で決行した、というような場合もあるでしょう。

また、自分自身の都合とか欲にとらわれてしまい、結果、賭け事で取り返しのつかない大損をするとか、遊びに夢中になって徹夜の不摂生をつづけるといったように、良くないことは承知だけれども、ついつい無理をする、または人に無理強いをする、というような場合もあるかもしれません。

このように、いろいろな場合があろうかと思います。

しかし、そういった状況を通じていえることは、結局のところ、拘りや、執着が先走って人間本来の素直な心がないということ、つまり偏りすぎた心の為に素直な心が働いていないから無理というものが生じてくる、ということではないでしょうか。

つまり、なにかの必要に迫られて心に余裕がなくなるというのも、これはいわば一つのことにとらわれた姿であって、自分を振り返ってみる素直な心のない姿であるともいえるでしょう。

また自己都合や目先の欲にとらわれるという姿は、まさに偏ってしまった素直な心のない自分そのものであるともいえるでしょう。

すなわち、お互いが無理を承知で無理をする状況というものは、お互いが自己都合に走り、素直な心をもたずに、いろいろなことにとらわれるというようなところから生じてくる場合が多いと思うのです。

このように無理をするのは、単に個人の活動においてだけではありません。

団体としての活動の上においても、また更には国家としての活動の上においても、いろいろと無理をするような場合が起こることもあるわけです。

しかし、国家活動の上に生じる無理というものは、たとえば戦争とか社会混乱などの形であらわれるというように、とかく非常に大きな弊害をもたらしかねないということを、私たちは正しく知る必要があると思います。

そして、そういう姿に陥ることのないよう、お互いの人生なり社会活動はもちろん、国家活動の上においても偏りがなく、無理がなく、素直な心が慟いてゆくようにするために、お互いが更に冷静に一層の工夫と努力を重ねてゆくことが肝要ではないでしょうか。

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内なる神性との同通

緑

神性とのつながり

物事の状況をよく観察することは、自分の内面を磨くために重要な基本です。

意識的に物事の観察を行なっていくことで、外の世界と自分の心の内(神性)の世界を行き来できるようになってきますから、それが、私たちの日常的(表面意識)な部分と、神性(潜在意識)としての部分を近づけ、同通させることになっていきます。

物事の観察を通して正しく思考する習慣を身につけると、私たちは心の気づきを無限の高みへとアップしていくことができます。

そして、正しい意識の在り方を忘れず、あらゆる事象への認識を間違わずに、周囲の環境への理解を深めていくと、すべての物事の微妙な違いがはっきりと、シャープにわかってきます。

そうすると、私たちは一個性、という小さな殼から抜け出して、大きな真我の世界に歩を進めることができるのです。

もし私たちが心を統一することと、すべての事象を正しく観察する能力を身につけられたら、宇宙の法則、宇宙の意識ということについて限りなく理解を深めることもできるでしょう。

わずかな私の実体験から申し上げて、私たちを取り巻く全ての事象、人間関係、そして自然界の相互作用、循環の法則、こういった営みに対する気づきが深まれば深まるほど、他の次元の世界に対する意識も目覚めてきます。

例えば、私たちは毎晩体外離脱を行なって、他の次元を訪ねていることもそのひとつです。

日中の活動において働く意識は表面意識が殆どで、意識全体のわずか10%に過ぎません。

しかし、夜になって睡眠状態になると、表面意識が沈んで潜在し、逆に潜在意識の90%の部分が表面に出てきて活動します。

これが体外離脱して活動しているときの4次元以上の別次元活動です。

只、別次元活動とはいっても、日頃に不満や愚痴、怒り、嫉妬、欺瞞、増長慢、傲慢、驕り、不安感、恐怖心などの不調和な心があれば非常に低次元の世界に身を置くことになり、目覚めの悪い体験をすることになります。

もし、こういう状況があるならば、自分自身を省みてそういった不調和な心を改めるべく努力をしなければならないでしょう。

人間はいずれ死を迎え、私たちがこの物質界よりもっと純化された次元に移行した時も同様です。

生前に努力をして高められた観察力や心の正しいバランスによってこそ、私たちはこの世の常識的な限界を超えて物事を見ることができ、次元の高いステージに進むことが可能となるのです。

まるで真冬に見られるダイヤモンドダストのようなキラキラと輝く空気のなかで、限りなく広がる緑と色とりどりの花々、小鳥がさえずる声はまるで自然界のオーケストラのようです。

これが次元の異なったユートピアの姿です。

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ステージアップの為のエクササイズ

訓練はそのために必要となる鋭敏な感覚を養い、意識を目覚めさせてくれます。

まず、家の中もしくは自宅周辺など、静かに訓練できる場所を決めます。

自宅の居間か庭、公園、あるいは草地のような場所を選んでください。

一人になれる時、穏やかな気持ちでいられる時を選んで、静かに5分ほど座って、一日を振り返ってみて心に引っ掛かかっていることがないかをチェックします。

もしも、何かしら心が動揺するようなことがあれば、あるいは不調和なことがあれば、その原因がどこにあるかを明らかにします。

そして心を動揺させた自分を認め、二度とおなじようなことを繰り返さないと決心します。

なぜこのことが必要かと言いますと、心がざわついたままで精神の統一(集中)状態に入っていくことは次元の異なった低次元の存在たちとコンタクトされる危険性があるからです。

さて、あなたの心が整理されたら気持ちを切り替えて意識を集中することに向けていきます。

そのための材料として一輪挿しを自分の位置から手が届くくらい離れた場所に、自分の目線から少しだけ低いくらいの高さの位置に置くと視線に負担がなくていいでしょう。

このときの材料は果物を置いてもよし、水晶を置く人もいますから、自分で何かしら心に浮かんだものを置くのも心の集中に入っていきやすい。

そして、そこにあるものの色・大きさ・匂いなどを詳細に観察しながら、それを他のものとの関連性の中で見ていきます。

例えば、一輪挿しの花であれば、その花が育っていた環境をイメージする、土や日光、雨、風、草、虫、等々、一輪挿しとなって目の前に飾られるまでのプロセスに思いを馳せることで自然界にも心を向けることになります。

その感じ方、イメージのしかたにはみなそれぞれ個性が表れてきます。そこが大切です。

15分間見つめて、できるだけ多くの思考を拡大しながらその情報を吸収します。

これを同じ場所で数日間繰り返し行なって、その場の物事と、一輪挿しにすっかり馴染んでしまうくらい観察を深めていきます。

数日後、いつものようにその場に座ってリラックスしましょう。

座り方は、下の写真から自分が楽な座法を選んでください。

結跏趺坐(けっかふざ・熟練者むき)

結跏趺坐

半跏趺坐(はんかふざ・初心者むき)

半跏趺坐

正座(膝関節に問題のある方は避ける)

正座1

イスに座る

椅子に座る

私の場合は半跏趺坐がいちばん身体が落ち着くし、下半身の骨格にも無理が掛からず安定性があり1時間前後座っても比較的耐えられます。

さて、今度は軽く目をつむってあなたがこれまで行ってきたエクササイズの一輪挿しの全てをイメージして視覚化します。

何日間か観察してきているので、あなたはその一輪挿しや、状況を簡単に思い出すことができるはずです。

視覚化の中で、一つひとつの手触り・匂い・感じなど、細かいところまで再現してみます。

あなたはすべての物事を色鮮やかに見ることができます。

次の日も同じように15分ぐらい目をつむって視覚化してどれだけリアルにその感じが実感できるかを確認してみてください。

前日には気づかなかったものが見つかるかもしれません。

あなたは、さらに多くのものを観察できるようになっています。

ゆったりと座り、記憶の中でこえまでイメージできた状況を具体尾的に再現しましょう。

これができるようになっているあなたは、あなたは、一輪挿しのことに関する情報が記憶の中にたくさんの状況を非常に細かく保存されていることに気づくはずです。

あなた自身、その一輪挿しとそれに関する状況に調和できていると感じたら、座ったまま、意識の中で土や日光、雨、風、草、虫、自然界をを見渡してください。

あなたは記憶の中に保存された光景の、多くの次元に入っていくこともできます。

雨が降って大地を潤している光景、燦々と輝く太陽によって草花や木々の緑が繁茂している光景、静かな風が心地よく肌をなでてくれること、降った雨は小さな川に流れ、やがては大きな川に合流し、大きな海原へとたどり着いて海の生物たちの命となる。

こうしてイメージは一輪挿しから大海まで広がっていき、無限の可能性をもって拡大されていきます。

単なるイメージと思ってはなりません。

このイメージの拡大がやがて自己の内なる神性につながるために欠かせないプロセスであることに気づくときが来ます。

こうした訓練を積むことによって、どのような状況にあっても、あなたは自分が集めた一連の情報や状況を、意識の中に簡単に取り込めるようになります。

子どもの頃の楽しい思い出にまつわる場所、たとえば昔の家や隣近所の人々、通っていた学校などの記憶をも鮮明に呼び戻すこともできるでしょう。

ゆったりとリラックスして座り、ひとつのことについて、自分が思い出せるすべてを詳細に思い起こしてください。

すると、様々な光景が記憶の中に生き、詳しい情報をあなたに提供してくれることに気づくと思います。

あなたは座ったままでも、あるいは、その光景の中を歩いても、再びその光景をイキイキと見ることができるでしょう。

こうした気づきを、普段の暮らしの中に広げていきましょう。

日々の散歩道や、車での通勤コース、スーパーマーケットへの決まった道筋があるのなら、そこで、すべてをもっと注意深く見るようにするのです。

ウインドーのなかに飾られてある花をみて心を動かすこともいいことです。

要は目に入ってくる景色や様々な動きに興味を持つこともあっていいのです。

また、季節の移り変わりが同じ場所の様々な光景にどんな影響を与えているか、よく観察しましよう。

緑が紅葉して落ち葉となって歩道に落ちていることで季節の移り変わりを深く感じます。

「物事の観察」を、エクササイズ(訓練)に限定して行なうべきではありません。

それは、生きることそのものであって、日常生活のなかに自然にあってほしいことです。

その生きることの中において、意識の在り方ひとつで、内なる自己と同通できるようになってくるものです。

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