うつ病へのアプローチ

hel-50眠れない、食欲がない、体が痩せていく(胃腸の消化吸収が正常に機能していない)、一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめない、体が動かない、気力が湧いてこない、集中力がない、思考が働かない、感動がない、涙が出ない、光が目にきつい、音がうるさく感じる。

人と会うのが苦痛だ、他とのコミュニケーションが苦痛、うまくいかない、外出がつらい、不安感が消えない、恐怖心がある、イライラして落ち着かない、こういったことが続いている場合、医学一般的な見地ではうつ病の可能性があるとされています。

これは現代医学もそうですが、厚生労働省もそのようにいっています。

私が注視したいのは、うつ病に関する原因としての現代医学の捉え方が以下のように述べられている点です。

「精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど、様々な理由から脳の機能障害が起きている状態です」とし、

「脳がうまく働いてくれないので、ものの見方が否定的になり、自分がダメな人間だと感じてしまいます」と。

「そのため普段なら乗り越えられるストレスも、よりつらく感じられるという、悪循環が起きてきます。」

薬による治療とあわせて、認知行動療法も、うつ病に効果のあることがことがわかってきています。」

「早めに治療を始めるほど、回復も早いといわれていますので、無理せず早めに専門機関に相談すること、そしてゆっくり休養をとることが大切です」

と以上のように厚生労働省では言っています。

上記の厚労省の説明について、ブログを訪問してくださったあなた(うつ病経験の有る方、無い方、知識として知っている方)はどう感じたでしょうか。

「なるほどもっともだ」と理解されたでしょうか。

実は、私はこの上記の厚生労働省のうつ病に関する医学的な見方には少し疑問をもっています。

その理由ですが、「精神的ストレスや身体的ストレスが重なって脳の機能障害が起きている状態」という解釈でいいのかということです。

脳の機能障害ということは、肉体的な問題だということにならないでしょうか。

そうだとすれば、脳にアプローチして脳を改善できれば、うつ病は改善できて無くなることになります。

セロトニンというホルモンに対する医学的な考え方がそれです。

しかし、投薬治療によってセロトニンの問題を改善しようとして心療内科や精神科では向精神薬を処方するのですが、現実には一向に改善されるどころか、医療機関を訪れる患者は増え続ける一方です。

そしてうつ病から発症するパニック障害、対人恐怖症というケースもあり、なかには投薬治療を受けていながらも病状が進行したために自宅療養さえも困難となり、入院を余儀なくされる方もいます。

脳の問題だとする考え方、受け止め方をしているから投薬治療ということになるのでしょうが、現実は投薬治療で脳の改善ができるはずもなく、薬による治療はうつ病を根本から改善する手段にはなり得ないということを、医療現場の人間なら十分に実感されているはずです。

先の厚生労働省の既述のように、精神的なストレスや身体的なストレスが過度になれば気分も高揚しなくなるのは、人間ならば誰にでもあり得ることでしょうし、誰でも多少なりとも経験されているかと思います。

しかし、ストレスが脳の機能障害に及ぶという理論を以って「うつ病」とする考えは、肉体を中心視する偏った医療ではないかと思われてなりません。

何故なら、うつ病についていえば「心の傾向性」という内面的、且つ、本質的なことへのアプローチがほとんど為されず、投薬治療に依存した医療体制になっている現実を知るからです。

それでも近年は認知行動療法(自分以外の外への認識と対応の仕方、行動の仕方を変えるトレーニング、感情や気分をコントロールしようという訓練法)という取り組みをするようにはなって、その効果を期待する状況に変化をしてきてはいます。

がしかし、これもまた自己の内面にアプローチするというよりは、他とのやり取りの方法を訓練するということであって、内面を修正するということには到らず、まだまだ成熟した治療法だとは思えません。

このような認知行動療法ですから、心の実態や本質を重要視した取り組みだとはいえないような気がします。

更に、認知行動療法というプログラムを適用する人たちは、うつ病だけではなく、強迫性障害、パニック障害、社交不安障害、過食症、不眠症などにも応用されますが、これもまたただ単に教科書を学ぶような観が否めず、専門用語が多すぎてそれだけで疲労するという側面もあるようで、「あとは自分で実践しなさい」みたいな丸投げのような体制もクライアントさんから聞かされました。

解らないことがあって指導者に質問をすると、イラついた顔をしたり、「そうじゃなくてっ!」と怒ってキレたような対応をされたとまで話すクライアントさんもいます。

このような事実から、どのような素晴らしい認知行動療法ではあっても、最終的に好結果に導くということは、それを指導する側の環境、つまり人間性、資質の問題になるのではないかと思うのです。

さて、私がこれまでおこなってきたうつ病の患者さん、及び、精神的疾患者(病院に行っていない人も含めて)へのカウンセリングによって毎回みえてくるのがクライアントさんの偏った心の傾向性です。

物事に対する拘りが強く、それを引きずる。

不安感がいつもあり、何事に対しても不安感をもつ。

行動することへの恐怖心がある。

過去の出来事に思いをはせて引きずっている。

これから先のことに不安や恐怖心をもっている。

他人の意識(自分がどう思われているか)を必要以上に気にする。

よく思われたい。

悪く思われたくない。

妄想(病的な誤った判断ないし観念、 事実と異なることを、事実であるが如く思う )

自己否定をする。

他人に対して猜疑心がある。

体型にこだわる。ゆがんだ美意識(拒食につながる)

何事に対しても思考に偏りがある。

思考がネガティブに偏りがち。

こういった心の癖(傾向性)です。

患者さんがいつも最後に突きあたるのが、向精神薬等の投薬治療を最小限に減薬するか、もしくは断薬を目標にしてうつ病から解放されるために取り組むかです。

その方法論はあります。

それは唯一、自分の精神的(心)な傾向性を知って改善を図るということが必要欠かざる条件であろうと思います。

先ずは、うつ病の本質を正しく理解すること。

うつ病を発症することによっていろいろな身体症状を現わす場合もありますが、実際は身体症状から鬱状態になっていくケースより、鬱状態から身体症状に至るというパターンのほうが多いものです。

私は、心のバランスを崩した結果において発症するのがうつ病だと理解していますが、その根本的な原因は先にも述べたように「自分自身の心のあり方」にそういう状態になるような原因があると考えております。

ですから、うつ病を改善して心身共に健康体になろうと思うならば、何をおいても自分自身の心の傾向性を知ることから始めなくてはならないでしょう。

同時に、この世で何が一番難しいかというと、自分が変わること。

しかし、病むことの原因を他に転嫁するのではなく、自分が変わらなくてはなりません。これができなくてはうつ病からの完全な脱出はないからです。

「心の傾向性・癖」

ここで科学的に慣性の法則ということについて説明をしてみます。

物体がその運動を続けようとする性質を科学では慣性と表現しています。

この性質は質量(性質と重さ)が大きいほど慣性も大きくなります。

ということは例えば、ボールをころがしたとして、同じ大きさでも中が空洞のボールと鉄でできたボールでは性質と重さが違うために同じ力を加えた場合でも転がる距離が違ってきます。

当然、質量の大きいほうが勢いがついていますから転がる距離が長くなります。

もう一つの事例を述べてみます。普通乗用車が時速50キロの速度で走行してブレーキをかけたら停止するまで通常なら約10メートル程度の距離が必要になります。

同じことを10トンダンプで行えば通常なら約14メートル程度の距離が必要になるでしょう。

この違いは何かというと先ず、車の大きさと重量が異なるため制動距離が長く必要だということで、すなわち質と量の違いが制動距離の違いとなってくるということです。

カーブを車で通過するときに乗っている人と車はカーブの外側にもっていかれますが、これは速度とカーブがきついほど遠心力が強く働くことになりますが、車と人はカーブの外側の直線方向に移動する働きが発生しています。

この運動も慣性の法則によるものです。

私たちはこの物理的法則の影響のなかで暮らしていますが、しかし、この法則は物理的運動だけではなく、私たち人間の心の精神作用にも常に密接に働いています。

今までの生き方を変えられないことや、よくないことだとわかっていても、その癖をなかなか変えられないということは、心にも癖がある証拠であって、慣性の法則による傾向性というものが心の中にあるからにほかなりません。

業(カルマ)という言葉に置き換えることもできます。つまり、自己中心的な人間の場合、非常に自我心が強く、その自我に自分が翻弄されているということになります。

慣性の法則というものを心の傾向性(癖)という言葉に置き換えて、質量を心の癖、自我、エゴとみることができます。

先に述べたように、物事に対する強い拘り、不安感、恐怖心、過去への拘り、未来への拘りと不安感、他人の意識(自分がどう思われているか)を必要以上に気にする。

よく思われたい、悪く思われたくない、妄想(病的な誤った判断ないし観念、 事実と異なることを、事実であるが如く思う )、自己否定、他人に対して猜疑心がある。

体型にこだわる、ゆがんだ美意識(拒食につながる)、何事に対しても思考に偏りがある、思考がネガティブに偏りがち等々。

こういった心、想いは非常に重く自分の精神を毒していきます。

拘りが少なく、偏った思考が少なければ少ないほど、心は軽く晴れて輝いていますが、何かに囚われた心があると曇って輝きがありませんし、表情も暗くなってきます。

このことは内面的な心の問題です。

心の傾向性(癖)とは、その人の個性が良くも悪くもひとつの特徴として現れてくることをいいます。

あとは日々の生活を執着や拘りのなかで引きずって悶々と暮らすのか、反対に偏りの無いバランスのとれた心で楽しく明るい生活をしていくのかです。

心掛け次第で心の成長に大きな差が生じ、結果はまったく異なった人生になってきます。

自分の心の癖を変えるには「すなおになる」ことが何よりも大切ですし、これなくしては内なる自分が変わることができないし、輝くこともできません。

なぜこのような事をいうのかといいますと、精神を病む人の場合、総じて自我心が勝っていてせっかくの学びが心に入っていかない人もいるからです。

人生を長く生きたら心の拘りや自我心がなくなって精神バランスがとれるのかとなると決してそうとは言い切れないでしょう。

逆に年を重ねるごとに頑固に意固地になっていく場合もあります。

人間の心の癖は本当に厄介なものですが、病から学ぶことは、自分を省みるというチャンスを頂いたという気付きだと思います。

自分を省みることなく惰性(だせい)のまま生きたら慣性の法則は自分の精神バランスを崩したままにあの世に延長して持ち越すことになりますから要注意です。

うつ病人口

最近の報告では、うつ病の有病率は1~5%、すなわち100人のうち1~5人はうつ病の人がいることになります。

生涯有病率といって 一生涯生きていくと何%の人がうつ病になるかという統計報告では 13~17%といわれています。

すなわち、かなりの方が一生涯のうちでうつ的な状態になるということです。

勿論、軽症うつ病が多いわけですが、医療機関を訪れていない人たちの予備軍人口を考えますと大変な数になるでしょう。

うつ病は特別な病気ではなく、ポピュラーな心の病気であり、 やはり常にその可能性を考えておく必要があります。

参考までに、うつ病と診断されて投薬治療を受けている人たちの人口を表で紹介しておきます。

下の図が発症年度で年々増えています。

ピンクが女性。ブルーが男性。女性の発症率が圧倒的に多いです。

下の図が年代別で30代~40代が発症率が高いことがわかります。

image

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伝わる言霊・伝わらない言霊

怒り伝わる言葉・伝わらない言葉

人間にとってはコミュニケーションをはかるときに欠かせない、なくてはならない言葉ですが、その言葉を何気に使っているだけに、その大切さ、与える影響を意識して考え、大切にする機会は少ないのではないだろうか。

相談者と直接会話しているとき、あるいは相談を電話で話しているときにも感じることですが、自分の言葉が相手に伝わっているのか、いないのかは大体わかります。

私自身は言葉を選び、相手にとって必要な内容や、それを伝える為にどのような表現をすれば心の中にすなおに入っていくのかを意識しながら発するのですが、それでも相手の心に届いていない、入っていかないこともあります。

理由は、私が未熟であるということと、相手があまりにも悩み苦しみの期間が長すぎたり、その度合いが深かったりで、心が閉ざされた状態になっていることがあるからです。

特に、精神疾患ということで多種、多量の服薬しているような場合はそれがはっきりしていますし、個性としての心の傾向性があまりにも頑なである場合も言葉が入っていかないことがあります。

言葉は本気で言う

前回の記事でも触れましたように人間関係と言葉の関係は表裏一体の関係にあるといっても過言ではないでしょう。

人間関係が希薄になっていることがしばしば指摘されるこの時代、それがもっとも顕著にあらわれているところの一つに親子関係があります。

親子のあいだにはどこか歪みが生じてきているような気がしてなりません。

歪みが生じれば必ずその影響がしわ寄せとなってあらわれてきます。

子どもの不登校や引きこもり、家庭内暴力、言葉の暴力などが、これでもかというくらい頻繁に新聞紙上をにぎわしていますが、親子関係はそうした現象が顕在化するはるか以前からその種があり、目が出てきていたのではないでしょうか。

子どもをやさしい愛情を持って大切に育むことは、親のいちばんの役割ということには何ら異論を挟むものではありません。

但し、大切に育むことと、甘えを許し野放図に育てることは決定的に違います。

学校に行けない子ども、行きたくない子ども、その背景には様々な原因があり、理由があります。子ども自身の問題点あり、親の問題点あり、学校の対応の問題点あり、子ども同士の問題点ありです。

新幹線で移動したときのこと、周囲から迷惑顔がいっせいに向けられているなかで、まったくそれを気にするふうもなく、大声で騒ぎ、車内を走り回る子どもたち。

驚くのは、付き添っている親がそれをとがめようともしないことです。

注意したとしても厳しさのない言葉はその場を繕うだけです。

言葉は本気で発したものでないかぎり、相手には伝わりません。

おざなりの「騒いじやダメ」も「迷惑でしょ」も、空虚に車内をさまよっているだけの言葉でおわります。

愛情という言葉を大切にするあまり、叱れなくなった親は、果たすべき役割を解っていないことになります。

それは公共の場だけではなく、普段の生活の中でもおなじようなことが繰り返されているのでしょう。

社会のなかでのマナーの欠落によって、その行き着く先に見えるのは、困難に直面したとき、乗り越える智慧も力もなく、ただ立ち往生するしかない子どもの姿です。

挫折感から引きこもりになってしまうというケースも少なくないでしょう。

本気で叱る、本気を言葉にする。

現在の親に求められているのは、まさしくこの一点のような気がします。

本気で叱るには自分が日頃から本気で子どもと向き合っていなくてはできることではありません。

昔から語り継がれてきたこんな言葉が思い出されます。

「可愛くば、二つ叱って三つほめ、五つ教えて善きひとにせよ」可愛い子どもを善きひとに育て上げるための原則を教えるものですが、まず、叱ることから始まっていることに注目したい。

ふつうは可愛がる、溺愛、褒める、甘やかすことが優先されがちですが、子どもが育っていくうえでもっとも重要なのは、危険を回避することを教えること、ひとさまに迷惑をかけないこと。

それを身につけさせるには叱ることが欠かせません。

いいこと悪いことの判断がつかない子どもは、叱られることではじめて、やってはいけないことだと認識できますし、迷惑はかけてはいけないのだな、危ないことはしてはいけないのだな、ということを知っていきます。

破壊の感情

ここで気をつけなくてはならないのが、叱ることと、怒ることの区別を親自身がしっかり理解しておくということ。

怒るということは、自分の感情をコントロールできずに激高した感情を相手にぶつけてしまうことであって、理性と愛をもって躾のために子どもを叱ることとは全く意味合いが異なるものです。

どこまで子どもの心に深く善悪の判断基準が刷り込まれるかは、ひとえに親が子供に対する真摯な本気度にかかっています。

腫れ物に触るようなびくついた気持ちや、都合の悪いことは避けて通るような事なかれ主義は、事の重大さを乗り切るためにはかえって問題を難しいものにしてしまうことになります。

本気度とは、自分の気持ちを偽らず、且つ、強引であらず、想いも言葉も極端にならず、偏らず、冷静に、ゆっくりと諭して語り合うくらいの気持ちで臨みたいもの。

こういう気持ちを忘れなければ、叱る瞬間、本気で子どもに向き合って発する言葉だからこそ、言霊となって子どものこころに染み入るのです。

文字通り言葉に霊がやどる、魂がやどるにはそれだけの意識、つまり本気度が欠かせないということです。

揺らぐことのない強い意志をもつこと、しかし、根底には溢れんばかりの慈愛を忘れてならないことはいうまでもありません。

本気で向き合わない親は親になれない

子どもは小学校へ入学するまでのどこかの一年間に、徹底して厳しく育てる時期があってもいい。

これはわたしが子育てをしたときの少ない経験からのことでもありますが、子育てに関する持論であり、信念でもあります。

もちろん、いいことをしたときには本気でほめ、思いきり抱きしめます。

決して親の思い通りにいかないものではありますが、なにごとかを教えるときも本気の姿勢だけは忘れてはならない。

本気が言葉に力を与え、言葉が相手のこころに響くからです。

そうして育てられた子どもは、決して非行に走ったり、こころの闇に閉じこもったりすることはないでしょう。

それは親子のあいだにゆがみなど生じないからです。

本気で向き合わない親は親にはなれません。

本気で向き合っていると思ってはいても、実際には子どもの心との間にはかなりの温度差があるということも少なくありません。

これは本気の中身、意味が違っているからです。

体面を取り繕ったり、場違いな人生論を能弁に語ったり、強引であったり、押し付けであったりと、本気とエゴを勘違いしている親もいます。

ですから、親自身が自分たちの姿、自分たちのことをどれだけ知っているのかということは、とても大事な子育てのポイントだろうと思います。

自分を知る者は他を知る。ということだろうか。

余分な拘り、エゴを取り払った素直な心で子どもと向き合う、社会と向き合う、他人と向き合う、このときにこそ言葉に調和された光りの霊力が宿り、言霊となるのではないだろうか。

言葉は光であり、光は言葉となって人を癒し、導く。

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円滑な人間関係のために

007私のところにおいでになる人たちは、精神的な疾患をかかえて困っている人たちが多いのですが、なかには人間関係に悩んで相談にくる人たちもいます。

多くの人が悩んでいる人間関係ですが、人間関係がうまくいかないことが、それだけにとどまらず別の悩みの原因にまで発展してしまっていることも少なくと思います。

原因は人それぞれです。

人間関係の問題はどうして起こるのでしょうか。

イヤな人間・やさしくない人が多いからでしょうか?

そうではないでしょう。

自分自身を振り返ってみたときに、比較的いつでもだれとの間でも、人間関係がうまくいかないと悩んでいるという方の場合は、自分自身にもなんらかの原因があるとが考えたほうが良いかもしれません。

人というのは人それぞれの生きてきた経験というのがあります。

学んできたこと、見てきたこと、聞いてきたこと、やってきたこと、これまで付き合ってきた人も違いますし、好き嫌いもそれぞれです。

話すことが苦手な人、自分の思いを正しく伝えることができない人、反面、自己中心的な言葉を発してしまっていてもそれに気づけていない人と、いろいろだと思います。

ですから、その人が生まれてから今まで、生活の中で培ってきた価値観というものは簡単に変えることはできないだろうと思うのです。

相手に非がある場合もあると思いますが、案外自分が相手に悪い印象を与えていることが発端になっているかもしれませんし、相手の心に土足で踏み込んでいることもあるかもしれません。

それを自分が意識できる出来ないにかかわらずです。

しかし、自分自身をよくわかっている人の場合、他の人との人間関係も円滑にいくことが多いのではないだろうか。

別な視点からいうと、先ずは今の自分のことを自分で好きになれない人は、人間関係がうまくいかないケースが多いようです。

何故なら、自分のことを好きになれない、嫌いなのに、他者に思いやりをもって接することができるはずもないでしょう。

苦手意識

苦手というのは、多くの場合、自分でそう決めつけてしまっている場合が多いものです。

例えば、前の職場ではたまたま、人間関係につまづいたという経験をしたことで、それを引きずっている場合、実際はその関係は、前職をやめた段階で、完全に解消されているはずです。

ところが、「どうせ私なんて…」「俺はどうもダメだな…」などと、思ってしまうと、人前で冷静な態度や自然な行動を取ることができなくなります。

こうなってしまうと、自分が息苦しくなるだけではなく、周囲からも「付き合いづらい人」だとか「気分屋」だと思われるようになってしまいかねません。

状況が険悪になってくると、常に人の顔色や言動を窺ってしまったり、他人を信用できなくなることもあるでしょう。

我の強い人

人間関係がうまくいかない人の特徴の大きな原因に、自分のことしか考えない、相手の事を考えることが足りていない、あるいはできない、人の話を聞けない、周りの調和よりも自分のメンツを重視する人。

感情的になりやすく、攻撃的な言葉を発してしまってもそれがどれほどお互いの関係を遠ざけることになるかということに気づけていない人というのがある。

こういう人の場合、自分が正しいと思っている気持ちが強すぎることがあり、目の前の相手に「それは違うでしょ、改めなさいよ」と言ってしまったり、相手を疑問視して露骨に裁くような言葉にしてしまうことが挙げられます。

実際には正しくない場合でも、自分が正しいという思い込みによって、人のやり方を批判的な言葉で問い詰めたり、果ては聞く耳を持たないというケースもあります。

想いというものは、言葉だけではなく、文字にも如実にでてきます。

心を閉ざす

どちらかというととても真面目なタイプなのになぜか人間関係がうまくいかないという人の場合、一番大きな要因は、自分が心を開かないということがよくあります。

なぜか他人に対して警戒心が働いてしまうとすれば、それは過去において親や身近な人から不信感の体験をしていることが心の深層に残っていることによるケースもあります。

また、親から正しい愛情をいただけていないことが多分に影響している場合もあります。

家庭環境の不和や、冷めた家族関係が起因しているということもあるのです。

しかし、そうはいっても、最終的には自分が心を開いて接しなければ、相手も心を開いてくれず、表面上だけの、そして建前だけのやり取りになってしまうから、付き合いも表面的なものになってしまい、コミュニケーションがうまくいきようがないわけです。

ただし、八方美人で誰とでも良好なの関係を作ろうとすることには相当な無理があります。

人を第一印象で判断してはいけないし、自分のことを否定することがあってはならないし、決して独りよがりになってもいけません。

マジメは良しとして生真面目は融通が利かないという意味で、やはり偏っていますからよろしくありません。

猜疑心をもって接すると相手の心理を読もうとしすぎて、結果は自分が臆病になったり、相手に警戒心をもたせることになってしまいます。

場の雰囲気や空気が読まずに思いついたことを簡単に口走ってしまうのも自分が浮いてしまいますから困りものです。

八方美人で誰とでもベストの関係を作ろうとすると、節操のないお調子者ということにもなり、周りの目も距離を置くようになるでしょう。

自己主張が強く、常に自分優先して物事を考え、それを言葉にすれば決定的に人間関係が崩れていきますし、周囲も避けるようになってきますが、これが結果的に人間関係を気まずくしてしまう大きな原因といえると思います。

こうしてみると、人間関係をスムーズにするということは、決して特別なことではなく、上述の事柄と逆のことをしていればいいだけのことだと思うのですがいかがでしょうか。

私が思うに、人間関係を円滑にする方法があるとすればそれは小手先の方法論ではなく、先ずは、「自分を知ること」から始められるとよいと思います。

これなくして他に目を向けたり、原因を外にあるとする考えがあるならそれは改善できないことの最大の原因となることでしょう。

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看護師の社会復帰

nursTMさん(20代女性)とはこれまで時々メールのやり取りを通じてカウンセリングということにしてきました。

最初に相談のご連絡をいただいた時は心身の健康状態があまり良い状態ではありませんでした。

しかしTMさんは、ゆっくりと、コツコツと、前を向いて少しづつ努力をしたのです。

TMさんは、西洋医学を学び、医療現場で働く中で医療のありかたに疑問を持ち、世の中の矛盾にきづき、そして悩み、葛藤もし、体調を崩していったのです。

観童さま

この間はお忙しい中お話を聞いていただいてありがとうございました!
今回の観童さんのブログ「人生の矛盾」を見てとても納得しました。

「世の中には本当のことではない、うそ偽りのことがあり、真実といえるようなことがない。ただ、仏の心をもったときが本当の人間の真実である。」という親鸞聖人の詩を訳した言葉の意味を身に染みて感じます。

いまの世の中は、良いか悪いかの2分法で決定する傾向があり、なんでもかんでも病気にしすぎだと思います。

周りの人と上手くコミュニケーションがとれないから「発達障害」だという病名を付け、気分が沈んで不安定だから「うつ病」とか・・・挙げたらきりがありません。

私は小学校から中学校にかけて人と話すことがありませんでした。

家では普通に会話できていたので家族は特別問題視してなかったみたいなのですが、それをずっと拒否していたら入院するほどの病気になり、しかも誤診され生死をさまようことになりました。

他にもそのときに変なことが結構起きていました。

たぶん「話さない」ということは自分の心の中に原因があったのだと思います。

さらにそのあとは精神科に行ったら薬を処方され約10年間も薬漬けの生活を送ることになりました。

このことがきっかけで自分の症状を良くしたい、自分と同じように苦しんでいる人たちの手助けがしたいと思い精神科の看護師になったのですが、医療現場での現実は自分が思い描いていたものとは全く異なりました。

1回に10種類以上の薬を服用させたり、電気ショックをしたり・・・最初は1つの病名だけだったのに増えてたりとか(たぶん薬の投与量や入院日数を増やすため?社会的都合による入院の人がほぼ全員だった)、顔を見ただけで「あの人は精神遅滞っぽい」っていう職員がいたり。

精神科の先生自身が精神バランスを崩して鬱状態になり、薬を服用しながらの仕事をしたり、根本的に治療方法が間違っているから治るものも治らなくなってしまうのではないかととても感じます。

実際に入院している患者さんを見たため不謹慎ですが私は絶対にこんな風になりたくないと強く思いました。

また、私が体調を崩したのは、身体的・精神的・霊的に非常に不安定であったことも理由だったと理解しております。

断薬できた今思うことは、当時の自分は社会が作り上げた常識に捉われていたなぁと。

「薬を飲んでお医者さんにいけば症状が治まるから大丈夫」だとか「病気を薬で治療するのは当たり前」とか、それは医療ビジネスであり決して病んでいる人の為に心を尽くした医療のありかたではありませんでした。

病名をつくって薬を投与すれば儲かるからです。

本当に自分の症状を良くしたいのであれば、自分の心の状態がいまどんな感じなのかを見定め、内側から自分を良い方へと変えていくことが病気を治すうえで大切なことであると思っています。

「この症状は一生治らない」と思っていればそのようになっていってしまうし、反対に「この症状は絶対良くなる」と思っていれば自然とそのような展開になっていきます。

「話さない」ということも同じで、そう思っているからそうなってしまう訳で考えを変えればよかったのです。

話せなかったときの私は「話せるわけがない」って信じていたし、薬をやめられないと思っていたときにはその思いに意識が集中していました。

だから社会の常識に捉われていればいるほど、そちらに意識が集中してしまって本来の自分のものが導き出されなくなってお互い苦しくなってしまうのではないでしょうか。

社会のルールに捉われれば捉われるほどつまらない人間になってしまいます。

断薬できた今はとても幸せです。

もう生きてるだけでいいんだなって、健康で生活できることってとてもありがたいことだなってしみじみ感じます。

離脱症状で苦しかったときは一生この症状が続いてしまうのではないかという不安もありましたが月日が経つにつれて徐々に良くなっていきました。

自己治癒力ってすごいです。

それを高める治療法こそ本当の医学なのではないかと考えます。

自分のことに真摯に向き合わず薬を飲んでいた頃の自分は、日常生活を支障なく送れることが当たり前だと思っていました。

薬をやめ、離脱症状に苦しみ、それを乗り越えた今では普通に生活できることってとてもありがたいことなんだって気付かされました。

この自然な感謝の気持ちが仏の心なのでしょうか。

なんかすごく上から目線ですみません(__)

あと、心が調っている人とつながるということも大切だということもわかりました。

自然とそのような人とつながっていると自分の心も調っていきます。

観童さんのブログを見ると不思議なことに心があたたかくなります。

いつも心に響くことを書いてくださってありがとうございます(*^^*)

日々学ばせていただいています。

これからさらに暑くなってきますがお身体ご自愛下さい。

TM

このメールをいただいた翌日にTMさんと電話でお話しをさせていただきました。

今の彼女は声に張りがあり、会話も上手にキャッチボールができて、「話さない」という過去のできごとが微塵も感じられません。

もう大丈夫です。よくぞ耐えて困難を逃げずに乗り切りました。

彼女は、辛い過去のできごとからとても多くの事を学びとったようです。

今後は未来に向かって強く、たくましく羽ばたいていくことでしょう。

私は、社会復帰を果たした彼女を、心から応援したい。

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短所が長所の肥になる道理

h2409c01010ダメなことを考えるとダメ人間になる

「職場ではどうしても必要があってコミュニケーションをとらなてはならないのですが、元々人と話すことが苦手で、それがストレスになって・・・・・」といって相談にみえた29歳の男性、心療内科からの抗不安薬、睡眠導入剤を服用していた。

それが的確なものかどうかは別にして、だれでも自分の長所、短所についてある程度は自覚しているかと思います。

ところが、ものごとがうまくいかなくなると、自分の短所ばかりが意識されるようになることもあります。

短所ばかりがはっきりと意識されるあまりに、せっかくもっている自分の長所がぼやけてしまう。

自分が思ったようにできないことをきっかけに、自分を責めたり、自分はダメ人間だと卑下するようになってくるとこれは要注意。

委縮した精神状態が続くと、不眠、不安、恐怖心、長じては対人恐怖症にまで陥ってしまう場合があります。

「引っ込み思案で、人づきあいも下手。人からいわれると断れない。自分の意見もはっきり言えないし、行動も優柔不断だ……ぜんぜんいいところがない。ダメ人間の典型だ」

このように、短所ばかりをあげ連ねていたら、だれでも本当にダメ人間になってしまいます。

しかし私は、この世にどうにもならないダメ人間などいるはずがないと思っています。

打ちひしがれていた人たちが相談に来て、やがては自立していく姿をみていますと、その意は強くなるばかりです。

ひとつのヒントで心が軽くなったり、これまでの思考癖を変えて修正できるケースはたくさんあります。

周囲がそうは思っていないのに周囲の目や評価を過剰に気にかけることの背景には、「失敗したくない、失敗を見られたくない、自分は良くみられたい、悪くはみられたくない」という自己保存の意識が強すぎて偏っている様子がうかがえます。

その人がダメ人間なのではなく、不要な拘りをもつために自分自身の長所を発揮できないでいるだけという場合がある。

実際に、不要な拘りを減らすこと、捨てることの方法を学び、実践した人たちは、別人のように変わって明るくなっていくのです。

世間的に見れば、どうしようもないようなはみだし者と呼ばれる人々、どうにも手の打ちようがないような精神疾患や、半ば人生を諦めているような人たちなど、長所はいっこうに見つからないが、短所をあげたらキリがない、という人が、心のあり方を学び、実践していくことでまったく別人のようになる。

実は、彼らは元々自分のなかに持っていながら意識されなかった長所に気づき、それをどんどん輝かせていっただけのことではないのか。

しかし、反面、知識を並べ立てたら凄いのですが、まったくもって実践の伴っていない人の場合は何年たっても言い訳があり、行わないことの理由を並べ、変われないで、相も変わらず悩み苦しんでいるのである。

あるいは、カウンセリングをきっかけに鬱状態から改善方向に向かうのですが、ちょっとの波が押し寄せてくるとそれを機に再び鬱状態に陥り、不安感、淋しい、怖い、自己否定、対人恐怖へと落ち込んでいく人もいます。

この人の心にあるのはやはり不要な拘り、執着であって、それを手放せないでいる。

いつか「大樹」になる

通常は短所というと、良くないところ、悪いところ、改めるべき性格や言動ということになろうかと思いますが、不思議なのは、短所は長所の邪魔をしているどころか、こやしのように長所をさらに伸ばす役割をしているところがあるということ。

それは樹木の下に茂る雑草にも似ています。

樹木を育てることを考えれば、雑草など無用のもの。

はびこれば樹木の栄養分を奪ってしまうことにもなるし、さっさと刈り取ってしまえばいい、という見方もあろうかと思います。

しかし、それは短絡的な見方かもしれません。

例えば、青森県弘前市のリンゴ農家である木村秋則さんは、リンゴの木の下草を頻繁には刈り取らないということです。

理由は、下草を刈り取る為に機械を何度も入れると土が硬くなって根元を固めてしまうがために様々なバクテリアの繁殖ができなくなり、それが柔らかく、質の良い土作りに反するということのようです。

たしかに、自然の山林は機械が入っておりませんし、人もそれほど入っていませんから木の根元の土は柔らかく、手で簡単に掘り起こせるほどで、保水力のある腐葉土だし、虫もたくさんいますし、キノコの胞子も成長しやすいほどファファです。

木村さんのつくるリンゴは、農薬を何回も散布してつくった従来の栽培法のリンゴにくらべて、長期保存した場合でも、腐らずに乾燥して干からびてしまうということです。

リンゴは長期保存すれば腐ってしまうものですが、自然農法の木村さんは、腐らないリンゴができるまでに同業のリンゴ農家から批判もされ、相当なご苦労をされたようです。

雑草を邪魔なもの、リンゴを育てるのに不要なものと解釈するのか、土づくりを考えて極力下草を刈り取らない方法を選ぶのか。

考えてみると、硬い土には雑草も生えるのが難しいでしょう。

下草を刈り取らなければ雑草も伸びていくわけですが、そのことによって土が柔らかく、微生物が繁殖する条件がそろい、それがリンゴの木の根には最適な条件になるなら、これもまた有りです。

人間の短所をリンゴの木の根元に繁茂する雑草と例えるなら、短所もまた人間が成長する為に、つまり、心を大きく育てる為の肥料と考えられないだろうか。

image430私も山暮らしをしていますから山林に入ってみいればよく分かることですが、樹木が大樹となり、枝いっぱいに葉を茂らせるようになったら、雑草は日陰になって衰え、やがては邪魔になるようには生えてこなくなります。

自然の理です。

秋になり、木から落ちた枯れ葉はやがて分解され、養分たっぷりの腐葉土をつくります。

成長を妨げることしかしないと思っていた雑草も、そして人間の短所も、今度は大樹という大きな心をたくましく育て上げる役割を果たすのです。

樹木は長所、雑草は短所とみた場合、短所の雑草を取り払うことだけに心を向けてしまうのではなく、長所の樹木をどうしたらうまく育てることができるのかという工夫も長期的には好結果をもたらすということでしょうか。

「迷悟われにあれば、発心これすなわち到る」

真理は遠いところにあるのではない。

自分の内にあるものだということです。

悟りも、気づきも外にあるのではなく、自分以外求めるところがありません。

ですから磨くべき長所、伸ばすべき長所が自分のなかに見つからないはずはないでしょう。

短所もまた長所を育てるための肥しとなります。

心に言い聞かせるべきはここだと思います。

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人生の矛盾

3012626134_09fa773ec9人間は何かを求め、模索しながらいきています。

貧しさのなかでは必死になって豊かさを求め、今度はそうして得た豊かさに執着することで心を貧しくさせるところもあるでしょう。

きょうは敢えて、私たち人間の生活のなかにある矛盾についてふれてみたいと思いますが、少し鋭く、きつく感じるところがありましたらその点はご了承ください。

さて、私たちはこの世に生をいただいて何をするために生きているのでしょうか。

どこの企業も利益を追求することを由として会社は大きくなり、ビルは高くなる一方だけれど、いつのまにか当初の志は低くなる一方の会社もあります。

高層ビルに入ったからといって視野が広くなるわけではなく、高速道路を突っ走ったからといって人生の頂点にたどりつくわけでもありません。

ブランドに拘ったり、必要なものよりも欲しいものにお金をたくさん使ってはいるが、その割には得るものは少ない。

そうして物は買い漁ってはいるのですが、心からの楽しみと充足感は逆に少なくなるばかり。

誰もがマイホームを欲しくて一生懸命に働いて家は大きくなったものの、いつのまにか家族の絆は小さく細くなり、笑顔が消えていきます。

世の中はさまざまに便利になったにも関わらず、人々には時間が無い。

結局は自分たちが求めるものがたくさんあるから時間が足りなくなっているのでしょう。

いまの時代、大学、短大、専修、高専、専門学校を含めた進学率も全体で70%を超えるまでになり、学識のある人は増えたかもしれませんが、反比例するように、常識がある人、心の広い人、はめっきり減ってきているようにも感じられます。

医大生で精神を病んで相談にみえた方がいましたが、どんなに知識を詰め込み、学歴を重ねても精神バランスを崩して病んでいたらそれを活かすことはできません。

知識豊かであること、高学歴であること、精神を病むことと、心に偏りがなくバランスがとれていることはイコールではないということがお分かりかと思います。

社会はスキルの高さを求めますが、さまざまなジャンルにおいて、その道のプロフェッショナルと呼ばれる人も増える一方でありながらも、スキルだけでは問題は一向になくならないという側面もあります。

例えば、医療の世界においては、薬が増えたのに、病気がなくなるどころか逆に病気も多様化し、難病といわれるような病気が増え、改善する為に処方している薬による薬害や、副作用によって症状の悪化を訴える人が増える一方だというようにです。

動物ならば体重によって薬の量を調整する方法を獣医さんが取り入れているのですが、人間の場合は、年老いて体力も相当に落ちている老人にも、高校生のような若い子にも同量の薬、あるいは同種の薬を処方している事例を何度もみてきました。

私は薬剤に関する専門的な知識や資格はありませんが、来院する患者さんたちの中に副作用の強い薬漬けにされている人たちをみるにつけ、単純に考えても疑問をもつような処方箋が常態化している現実がみえてきます。

物事が前に進むということ、進歩するということ、調和がとれていくということは、その仕事のスキルだけではなく、人間性、徳性、器の大きさといったことが大きく作用するものだと思うのです。

健康ということに関して多くの人たちがアドバイスを求め、質問をします。

例えば、皆さんよく言います。「何を食べたら痩せられますか?」

「食べるなっていうの」そうすると笑います。

食べ過ぎの結果は栄養過多、カロリー過多でメタボの人口増。

今の時代、食べられなくて餓えて死ぬ人は殆んどいないでしょう。

ストレス解消だといって飲み過ぎ、食べ過ぎ、吸い過ぎ、浪費に走る。

それなのにほとんど笑うことはないし、毎日がストレスのなかにあって、ストレスを溜めない方法を心得ていない。

車に乗れば人格が変わり、スピードを出し過ぎるし、すぐに怒る。

夜型人間が増えて、夜更かしをし過ぎるあまり、朝起きた時にはすでに疲れている。

読書しなくなった分テレビばかり、ゲームばかりのインドアの休日、そして心を静寂にすることも知らず、ましてや自分の心の調和を図るなんて少ないか、ほとんど無い。

私自身はなるべくなら持ち物を減らしていきたいと考えていますが、たくさん物を持つ人は多く、その一方では経済の影響によって物の価値が目減りする。

人間関係を円滑にするという意味では会話は大事なのですが、おしゃべりが過ぎて自己主張する割には肝心なことは飛んでいる。

愛するということを滅多にしなくなって、いつのまにか愛を欲しがることが先立ち、果ては憎むことばかりが増えている。

私たちはどういうふうにお金を得るかという暮らしの立て方には必死になるのですが、真に生きるということを学んでいないでしょう。

医療の現場では延命処置による寿命が増えただけで、はたして真の意味で生きているとはいいきれないのではと思うのですがいかがでしょうか。

科学の進歩は目覚ましく、人類が月まで行けるようになったというのに、すぐ隣の人とは諍いをおこして新聞沙汰にまでなる。

こうしてみると、すべては自分より外の世界に目を向けて走るのが人間の姿のようですが、外側の世界を征服したところで、最も大事な私たちの内なる世界はどうなんだろうか?

世界規模でみると凄まじい発展ぶりで、大規模なことは成し遂げてきたけれど、本当に善いこと、人類の平和や調和は未だ達成されていないだろうと思います。

あらゆる電化製品の進歩は室内の空気を心地よいものにしたぶん自然や人間の魂までも汚し、原子核をも操作するに到ったが人間差別は一向になくなりません。

学生も、企業人も、家族も、望むことが多く計画は増えたけど、成し遂げられることは限りがあります。

生きることも、学ぶことも、会社人間も、教育も、すべてにおいて急ぐことばかりを覚えようとし、待つことを忘れていないだろうか。

子どもたちを枠の中にはめ込んで育てようとするあまり、いざ社会人になったとたん挫折を味わい、生きる希望を失い、自ら立ち上がる精神力さえ備わっていない。

多くの情報を抱えるべくコンピューターを作り、どんどんコピーをして情報収集はするが、書類で通達、伝達が増え、肝心のコミュニケーションは減る一方だ。

ファーストフードのおかげで早く食事ができても消化は遅く、栄養バランスが偏り、カロリーオーバーとなり、体ばかりがビッグサイズで人格は極めてミニサイズといったらお叱りをうけるかもしれません。

利益利益で人間関係は希薄で不利益

共働きで収入が増えた分離婚も増え、見た目ばかりの立派な家が増えたけれど、家の作りそのものが貧弱な消耗品化してきていると知り合いの大工さんが危惧する。

そして家の中の家族も、実際は崩壊に向かっている場合がすくなくない。

私の住まいは岩手山麓の自然環境のなかにあるのですが、残念ながら空き缶や食べかすなどをポイ捨てしていく車が後を絶ちません。

春と秋に沿道のゴミ拾いをすると、相当な量のビンや空き缶、雑誌、コンビニ弁当の空容器などが集まります。

手軽な旅行や登山を楽しむのは良いのだが、観光地や自然行楽地でのモラルはなくなり、迷惑を考えない人たちもいます。

毎日の治療を通じて気になることですが、肥満体の人が増えていて、太り過ぎの体を持て余し、そのことが原因となって病院に行き薬を多用し、死に急ぐことになる。

ほんとうの健康とは何かといつも考えさせられます。

決して身体だけの問題ではありません。

めったに街を歩くということはありませんが、それでも珍しく街に出るとショールームに物が溢れかえるなか、購買意欲をくすぐるようにあれこれと工夫をこらしてアピールします。

テクノロジーは素晴らしく発展していつでも私たちの手元に情報収集やメッセージの発信もできますが、読むも読まないも、また消すのだって、今や私たちの指先ひとつですべてが決まります。

便利ではあるが、恐ろしいところもある。

これが今の時代ということでしょうか。

131229kids-thumb-640x360-69519しかし、私は忘れたくない。

身近な人々に向ける心を。

そして未来のある子どもたちを育む心を。

この身の地上生命には限りがあるのだから。

いまこのブログを読んでくださっているあなたも忘れないでほしい、あなたを畏れ、頼り、敬う心を抱いている人たちにかける優しい言葉を。

何故なら、彼らはもうすぐに大きくなって、いずれあなたの元を去ってゆくときがくるだろうから。

忘れないでほしい、側にいてくれる人たちに温かな言葉をかけることを。

何故なら、それがあなたがもっている最大の宝であり、お金には変えられない光りの言葉だから。

そのときどうか、心をこめて今の時間を慈しむことを。

何故なら、いま目の前にいる人が、永遠にいつまでも目の前にいるとは限らないから。

話し合い、理解し合うため、そして思いを共有し合うための時間を大切にしなくてはならない。

人生は長く生きたからではなく、心臓の鼓動数にあるのでもなく、呼吸の数で決まるのではなく、どれだけハッとする瞬間、ひらめき、感動があったか、それを共有できたかで決まるのではないだろうか。

750年前に死去された鎌倉時代の僧、親鸞聖人が歌った詩ですが引用してみます。

この世のことは、そらごと、戯(たわ)ごと、真(まこと)あることなきに、ただ、念仏のみぞ、まことにておわします。

世の中には本当のことではない、うそ偽りのことがあり、真実といえるようなことがない。ただ、仏の心をもったときが本当の人間の真実である。

というところでしょうか。

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夢と目標

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他人の意見で

自分の本当の心の声を消してはならない。

自分の直感を信じる勇気を持ちなさい。(スティーブ・ジョブズ氏 アメリカの実業家アップル創業者の言葉を引用しました)

よくよく考えてみたら、私はこれまでの人生の中で「夢」を忘れたことがないように思います。

そしていつも自分でクリアできる程度の「目標」というものも忘れることがなかったなと思います。

語りつくせないような困難なことがあったのも事実ではありますが、そういった厳しい状況のなかでこそ、これまで以上に夢を心に強く想って発奮し、目標を掲げては歯を食いしばって頑張っていたことを懐かしく思い出します。

夢や目標というものを追い続けていると、歳を重ねるごとに余分な贅肉を落とすことも覚え、必要なものを身につけたり、準備したりと、自分にいちばん合ったものへと変化してくれることも知りました。

山を超えるときは苦しいものですが、そのときも夢を思い出しながら一歩一歩とガンバリ、なんとか坂を超えたら、違う景色という新たな感動や夢がみえてくることがあります。

大事なのは、諦めないで歩をすすめることでしょう。

自分の夢を実現するために、具体的な行動計画することが目標。

その小さな目標達成の積み重ねは、日々の歩みのなかにあり、やがては大きな夢の実現につながります。

夢を実現する最後の一歩は、目標達成の瞬間でもあり、目標達成は、夢の一部を実現しています。

夢と目標は、連動しながら切り離すことのできない関係だろうと実感するのですが、いかがでしょうか。

そして私は今も新たな夢に向かって目標を設定し、日々楽しみながら働くことができています。

決して困難がないわけではありません。

困難があるからこそ、小さな目標をクリアしたときの喜びと充足感がたまらないのです。

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人間の器

vs_6e157よくない状況に出てくる人間の本質

「人生、山あり谷あり」といいますが、うまくいっているときと、うまくいっていないときの比較をしたら、おそらく厳しい条件下のほうが多いのではないでしょうか。

人間の真価が問われるときというのはどういうときなのか。

私の経験からすれば、うまくいかない時にどのように生きるかで、その人の真価が問われ評価が見えてくる場合と、うまくいっている時ほどそれに比例して危険が多く、油断が禍の元となってあらわれてしまうことがあろうかと思います。

少し順調にいっている時は油断しやすく、心に隙ができやすいために、驕りや傲慢な言動になりやすいのも人間であろうし、そのことによって事態が悪化することも多々あります。

世間で言うところの『好事、魔が多し』という言葉が如実にそれを言い表しています。

私自身は多くの失敗や厳しい環境も経験しましたが、『逆境の中にあれば周りみな妙薬』という言葉は若いころは身にしみて感じるというこができませんでした。

逆境の時の苦労はすべて後になって自分の薬になるものだということですが、しかし逆境の渦中にあるときは、苦しさゆえになかなかそのことに気づきませんし、そうは思えないもです。

そしてまた、順境のときには驕りや高ぶりもあり、多くのものを失いやすく、やはり自分の未熟さに気づけません。

今こうして人生を顧みると、一生懸命頑張ったと思った割には30過ぎまで仕事でも、そして生活面でも苦しいことだけで何一つ陽の目を見ることはなかった。

しかし、この年になって思うこと、それは今の自分は若いときの逆境が成長させてくれたからこそと自覚しているところです。

少し上昇して有頂天になっていた私を待っていたのは死を覚悟しなくてはならないほどに倒れて動けず食事もできない状態が続き、数か月で肋骨が浮き出るまで痩せた体だった。

その当時の私の焦りようは、まったくもってうろたえているだけの無様な男でした。

良い時こそ自分の足元をしっかり見据えて生活していかないと必ず落とし穴に落ちることを身を以って体験したことになります。

調子に乗って自分の分を超えて事を為せばいつかはその反動がわが身に返ってくることになります。

人生に試練はつきもの、逆境のときに不満や愚痴や怒りを思い、またそれを人にぶっつける生き方は更に自分に返ってくるし、結果はますます環境を悪化させるだけである。

しかし、このような時こそが人間の器を成長させるチャンスでもあることは間違いない。

物事を成し遂げることができる人、できない人、成功するものとしないものを二分するものがあるとすればそれは才能ではなく、逆境や試練から学べるかどうかではないだろうか。

いま思えば人生の岐路は生きる過程においてあらゆる場面で遭遇してきたが、逆境や試練を乗り越えず避けてきたら今の私はなかったと確信するところです。

逆境が偉業を成すこともある。

いつも苦悩してその苦悩から抜け出せないでいる人、あるいは精神を病んでいる人の場合、その病んでいる内容にもよるのですが、総体的に観て自我の強い人、余りにも頑なな心の人がそういう状態に陥りやすいように見受けられます。

自分がいま置かれている状況、環境、そして相手に対する不満を並べてあれこれと前向きになれない理由として並べたてます。

否定的な発言の多さ、自己否定の言葉の多さ、周囲へ不満、環境への不満、人間関係が円滑でないことへの自己否定、等々、いろんなマイナス要因ばかりが延々と続くのです。

人間だれでも逆境や不遇の状況に置かれていると、つい後ろ向きな考えになってしまうものです。

ですが歴史上の人物にもありますが、身近な人のなかにも環境が恵まれない中で自身の分を知り、心安らかに生きる人もいるし、偉業を成した人もいます。

先人たちの不遇や逆境を学びの糧とする生き方は多くのことを気づかせてくれますが、いざ自分がそのような環境にあるとき、そういった教訓を実践できなければ所詮、絵に描いた餅で終わることになります。

自分の人生を真剣に生きようとする人ほど、大変な人生を生きることになるでしょう。

ですが、「大変」とは、『大きく変わる』と書きます。

大きな人間に変わる、つまり「大人」に生まれ変わる為に、誰もがこの人生を生きているのではないだろうか。

二十歳になって成人式をしたから大人だ、選挙権があるから大人だと捉えたらそれは違う。

大人でなければならないとうことではないか。

人間がつくった立法で大人になるのではないでしょう。

 成人という言葉をどうとらえるか、それは「大人に成る」と受け止めたい。

大人に成るというのは、一本立ちするということ、物事が成就するということ、できあがるということです。

では、何が一本立ちなのか、となればそれは、お金ではなく、心が自立すると捉えたい。

「成る」という言葉は「成功」という言葉に使われますが、実際はそれ以上に心が大人に成ることは立派なことだと思うのです。

歳を重ねても大人に成りきれていない人もいれば、まだ未成年なのに感心するような立派なものの考え方をしている子どももいます。

楽で恵まれた環境下の人間よりも、大変な思いをたくさんした人間のほうが大人に成る条件がそろっています。

孔子は、『窮地にこそ人間の真価が問われる』と言い、それまでは神や仏を軽んじていた人間が、ご利益のために手のひらを反して祈り始める人間を批判した。

もし自分がイザというときにうろたえたり、慌てふためいて、自分の力で難題を克服しようとせず、神や仏に手を合わせ、軽率に助けを求めるようならば、『大変な人生』を避けてきたということの証です。

 人生を楽しむことは良いことですが、「楽をする」ことは愚かな事。

うろたえず、人生を毅然として、泰然自若として生きていくためには、 そのときになって構えるのではなく、日頃からの生き方こそが大切であろうと思います。

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人生に能書きは不要

gannbaruomaegazimanndattaやってみせ、話して聞かせ、やらせてみる

個人対個人の関係でもそうだが、仕事関係でもそうだし、いずれにしても社会のなかで自分のために動いてくれるひとがいるのは幸福なことです。

しかし、そうたやすく人は動いてくれません。

たとえば、上司として部下を統率するにも、その肩書きだけに頼っていたのではうまくいくはずもない。

日本海軍の連合艦隊司令長官をつとめた山本五十六元帥は、ひとを動かす、指導する際の心得をこう説いています。

「やってみせ、いって聞かせて、させて見せ、ほめてやらねば、ひとは動かじ」と。

連合艦隊という上下関係が徹底した組織の長であってなお、命令だけではひとを動かすことはできない、という山本元帥の認識には、人間を見る洞察力の深さを感じずにはいられません。

江戸時代中期(約200年ほど前)で随一の名君といわれた米沢藩主・上杉鷹山(ぎょうざん)も、「してみせて、いって聞かせて、させてみる」という言葉を残しています。

山本元帥もどこかで鷹山の言葉を噛みしめた瞬間があったのかもしれません。

及ばずながら、私も弟子たちの指導をするときにはスタッフにまかせっきりではなく、私自身「やってみせ、話して聞かせ、させてみて、褒める」ことを大切に思い、身にしみて感じてきました。

わたしは治療家ですから、重篤な患者さんほどなんとかしてあげたいと発奮して取り組んできましたし、弟子たちに対しては経験を積ませながら治療家としての心得を重要視して指導しています。

それが自分の生きる道だと理解していたからです

稀には霊的な背景を抱えて来院する患者さんもいるのですが、私はあくまでも市井の治療家であって、霊能者でもなければ拝み屋さんでもありません。

ですから、仮に霊的な背景を背負ってきてはいても、そのこと自体を患者さんに直接その場で話題にすることは殆んどない。

何故なら、誤解を招くおそれがあるということと、本来の仕事である治療家としての業務に支障をきたすからです。

人にはそれぞれに持ち分があります。私の分はわきまえております。

しかし、そうはいっても、明らかに霊的背景を背負っておいでになった場合で、なおかつこのままでは心身の健康上よろしくないという状況については、ご本人に告げることなく一旦は浄化して取り除くこともあります。

霊的なことの取り扱いは非常に慎重を要するのですが、当の本人がそういった霊的なことに関して否定的であったり、懐疑的である場合はふれるべきではないと思っています。

いずれにしてもわたしは徹底して施術をおこない、その姿を弟子たちに見ていただくことが、自分の役目を果たし、それが自分の生きる道であり、将来のある若い者たちへの指導だろうと思ってきました。

治療家の世界における指導というと、いまはセミナーがどこでも開催されていて、とかく経営戦略的なノウハウや専門的な知識からはいり、そして技術論という流れが一般的だろうと思いますが、実践を重要視する内容が足りているのかとなると決してそうとは思えないところが多々あるようです。

セミナーそのものがビジネスであって、営利主義に走り過ぎるがために治療家としての本質を学べるような内容がともなっていないところもあろうかと思います。

それだけに技術に関しては厳しさと探究心を忘れずに臨んでおります。

老骨に鞭打って頑張ってはいますが、ワンポイントでの指導ならまだまだ十分に対応ができるかなと思っています。

ひとつの事を極める、ということを考えてみますと、理屈や能書きはどうでもいい。

とにかく実践に全身全霊を投じよ、という気概をもって臨んでいきたいし、弟子たちにもそうあって成長して欲しいと願っています。

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心のゆとり

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なぜそのひとの周りにひとが集まるのか?

わき目も振らず、仕事に邁進するひとがいます。

ひたすら仕事の能力を高めることにつとめる。

それ自体はとても良いことであろうと思います。

しかし、往々にしてそのタイプは、能力を評価されても意外と信頼感は得られない、といったこともあります。

「彼の能力は認めるよ。でも、腹を割って何でも話す気にはなれないな」周囲からそんな見方をされるのです。

一方、仕事の能力に特段すぐれているというわけではないのに、なぜか周囲にひとが集まり、何くれとなく相談を持ちかけられるひとがいます。

だれもが胸襟(きょうきん)を開くのは、信頼感がある証でもあります。

能力を高めることは、周囲とかかわりなく自力でできますが、信頼は何か周囲に訴えかけるものがないと得られません。

何が信頼を集めるのでしょうか。

わたしは「心のゆとり」だ、と思います。

こころにゆとりがないと、ひとに対してもどこかギスギスしてしまいます。

相手のミスが自分の評価にも及ぶといったことでもあると、あからさまに責め立てたりするのです。

自分の能力評価に拘るあまり、相手を認めたり、受け入れたり、許したりすることができなくなるのでしょう。

信頼が集まるはずはありません

ゆとりは執着からも自由になれる

では、こころのゆとりはどこから生まれるのでしょうか。

実は、心のゆとりは悩みや苦しみの賜物といってよいでしょう。

悩みや苦しみをごまかしたりせず、正面から引き受け、そのことによってこころを磨き、鍛えてきた。

いつも自分自身の心のあり方を大切にしておくこと、それは精神バランスを偏ったものにしないことという意味です。

悩み、苦しむ人はいつも何かに拘り、自分を縛っています。

また、人間は他人のことは批評しやすいのですが、自分自身の精神状態に関することとなると、自分が思ったより自分をよく分かっていないものです。

多くの経験、試練、逆境と正面から向き合って乗り越えてきたひとは自分自身をよく知っています。

だから、他人の悩みも苦しみも、実感として受け止めることができるのです。

頭で悩みを考え、苦しみを理解するのではなく、こころが相手の思いに感応する、といってもいいでしょう。

こころのゆとりは、執着からも人を自由にしてくれます。

仕事の成果にしろ、評価にしろ、自分が得たものは手放したくない、という心理はだれにでも働くでしょう。

しかし、それがあまりにも高じると、「だれかに奪われやしないか」という猜疑心にとらわれます。

執着でがんじからめになって、自分を守ることしか考えられなくなるのです。

これに対して、ゆとりがあると、他人に分け与えることができます。

仕事の成果でも、独占することはしません。

「決して自分一人の力じゃない。みんなの力、サポートがあったから、いい結果が得られたんだよ。ありがとう。これからも頼むな」そんな対応ができるのです。

ますます、信頼が厚くなるのはいうまでもないでしょう。

私は治療家になってまだ24年ですが、お付き合いの長いお客様はいいます。

「惜しげもなく人に無償で技術を教えて損じゃないのかい?」と。

確かにこれまで20人以上の弟子たちを育てて世に送り出してきました。

しかし私の技術は患者さんから学んだものであって、最初から私が持って生まれてきたものではありません。

人に技術を教えて自分が先細りになるようなら、所詮はそれまでの人間でしかないというということだと受け止めてきました。

心配してくださる方々の結果とは逆でした。

志す人たちには無償で指導し、世に送り出し、それでも年々お客様が増えて昇華できなくなり、それに応じてスタッフも増やさざるを得なくなりました。

江戸時代の儒学者・佐藤一斎氏は、こんな言葉を残しています。

「春風をもって人に接し、秋霜をもってみずからを慎む」

人間は、自分に優しく、人に厳しいものです。
その反対を佐藤一斎氏が鋭く無駄のない短い言葉で指摘しています。

春の風のように暖かい気持ちをもって人に接し、
秋の霜のように厳しく自分を見つめよ、と。

嫌な仕事でも同じことです。

自分がいやな仕事も誰かはしなければならないと。

そう思って取り組む、そういう仕事こそ自分の成長につながります。

何事も謙虚に素直に受け止めて、前向きに接することが肝要かと思うのです。

春風を以って人に接することができる人は人間力が高い。
「さわやかな」人だと言われる人は、こういう人付き合い方ができる人。

かくいう自分も人間力が低いのですが、自分がいやな相手にも優しく接することができるよう努力したいと思います。

ともすれば、易きに流れることになりがちな人間であってみれば、深くこころに刻みつけたいと思うすぐれた佐藤一斎氏の言葉ですが、こころのゆとりがなくては、この域に達することはできません。

わたしは初めて治療家を目指したときから、人の健康と心の健康に寄与すると、自身に誓って精進してきました。

まだまだ未熟者です。

そうして気づかされたのが「患者さんが我が師なり」ということでした。

つまり、身体が病んでいる人たち、心が病んでいる人たちから私は学ばされ、成長させていただいたということです。

いっさいの手抜き無しに、どうしたらこの症状を改善できるのかと来る日も来る日もそのことに没頭していたものです。

知識の及ばないところで、患者さん自身の反応が答えを出してくれました。

国家資格を取得した人たちも弟子入りを志願してくるのですが、彼らは学んだ知識が頭のなかにいっぱい詰まっていて、それが邪魔をして患者さんの身体の繊細な変化や声に気づけない傾向が多々あります。

どちらかというと、私の場合は知識よりも患者さんの身体の状態と変化、そして反応に心を向けてきました。

ここに知識や資格を超えた学びや気づきがたくさんありました。

自分を忘れてひたすらに患者さんの回復を願って施術をしている自分と出会うことができました。

それが自然体となったいま、少しはこころにゆとりが生まれているでしょうか。

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