人間の器

vs_6e157よくない状況に出てくる人間の本質

「人生、山あり谷あり」といいますが、うまくいっているときと、うまくいっていないときの比較をしたら、おそらく厳しい条件下のほうが多いのではないでしょうか。

人間の真価が問われるときというのはどういうときなのか。
私の経験からすれば、うまくいかない時にどのように生きるかで、その人の真価が問われ評価が見えてくる場合と、うまくいっている時ほどそれに比例して危険が多く、油断が禍の元となってあらわれてしまうことがあろうかと思います。
少し順調にいっている時は油断しやすく、心に隙ができやすいために、驕りや傲慢な言動になりやすいのも人間であろうし、そのことによって事態が悪化することも多々あります。
世間で言うところの『好事、魔が多し』という言葉が如実にそれを言い表しています。
私自身は多くの失敗や厳しい環境も経験しましたが、『逆境の中にあれば周りみな妙薬』という言葉は若いころは身にしみて感じるというこができませんでした。
逆境の時の苦労はすべて後になって自分の薬になるものだということですが、しかし逆境の渦中にあるときは、苦しさゆえになかなかそのことに気づきませんし、そうは思えないもです。
そしてまた、順境のときには驕りや高ぶりもあり、多くのものを失いやすく、やはり自分の未熟さに気づけません。
今こうして人生を顧みると、一生懸命頑張ったと思った割には30過ぎまで仕事でも、そして生活面でも苦しいことだけで何一つ陽の目を見ることはなかった。
しかし、この年になって思うこと、それは今の自分は若いときの逆境が成長させてくれたからこそと自覚しているところです。
少し上昇して有頂天になっていた私を待っていたのは死を覚悟しなくてはならないほどに倒れて動けず食事もできない状態が続き、数か月で肋骨が浮き出るまで痩せた体だった。
その当時の私の焦りようは、まったくもってうろたえているだけの無様な男でした。
良い時こそ自分の足元をしっかり見据えて生活していかないと必ず落とし穴に落ちることを身を以って体験したことになります。
調子に乗って自分の分を超えて事を為せばいつかはその反動がわが身に返ってくることになります。
人生に試練はつきもの、逆境のときに不満や愚痴や怒りを思い、またそれを人にぶっつける生き方は更に自分に返ってくるし、結果はますます環境を悪化させるだけである。
しかし、このような時こそが人間の器を成長させるチャンスでもあることは間違いない。
物事を成し遂げることができる人、できない人、成功するものとしないものを二分するものがあるとすればそれは才能ではなく、逆境や試練から学べるかどうかではないだろうか。
いま思えば人生の岐路は生きる過程においてあらゆる場面で遭遇してきたが、逆境や試練を乗り越えず避けてきたら今の私はなかったと確信するところです。
逆境が偉業を成すこともある。
いつも苦悩してその苦悩から抜け出せないでいる人、あるいは精神を病んでいる人の場合、その病んでいる内容にもよるのですが、総体的に観て自我の強い人、余りにも頑なな心の人がそういう状態に陥りやすいように見受けられます。
自分がいま置かれている状況、環境、そして相手に対する不満を並べてあれこれと前向きになれない理由として並べたてます。
否定的な発言の多さ、自己否定の言葉の多さ、周囲へ不満、環境への不満、人間関係が円滑でないことへの自己否定、等々、いろんなマイナス要因ばかりが延々と続くのです。
人間だれでも逆境や不遇の状況に置かれていると、つい後ろ向きな考えになってしまうものです。
ですが歴史上の人物にもありますが、身近な人のなかにも環境が恵まれない中で自身の分を知り、心安らかに生きる人もいるし、偉業を成した人もいます。
先人たちの不遇や逆境を学びの糧とする生き方は多くのことを気づかせてくれますが、いざ自分がそのような環境にあるとき、そういった教訓を実践できなければ所詮、絵に描いた餅で終わることになります。
自分の人生を真剣に生きようとする人ほど、大変な人生を生きることになるでしょう。
ですが、「大変」とは、『大きく変わる』と書きます。
大きな人間に変わる、つまり「大人」に生まれ変わる為に、誰もがこの人生を生きているのではないだろうか。
二十歳になって成人式をしたから大人だ、選挙権があるから大人だと捉えたらそれは違う。
大人でなければならないとうことではないか。
人間がつくった立法で大人になるのではないでしょう。
 成人という言葉をどうとらえるか、それは「大人に成る」と受け止めたい。
大人に成るというのは、一本立ちするということ、物事が成就するということ、できあがるということです。
では、何が一本立ちなのか、となればそれは、お金ではなく、心が自立すると捉えたい。
「成る」という言葉は「成功」という言葉に使われますが、実際はそれ以上に心が大人に成ることは立派なことだと思うのです。
歳を重ねても大人に成りきれていない人もいれば、まだ未成年なのに感心するような立派なものの考え方をしている子どももいます。
楽で恵まれた環境下の人間よりも、大変な思いをたくさんした人間のほうが大人に成る条件がそろっています。
孔子は、『窮地にこそ人間の真価が問われる』と言い、それまでは神や仏を軽んじていた人間が、ご利益のために手のひらを反して祈り始める人間を批判した。
もし自分がイザというときにうろたえたり、慌てふためいて、自分の力で難題を克服しようとせず、神や仏に手を合わせ、軽率に助けを求めるようならば、『大変な人生』を避けてきたということの証です。
 人生を楽しむことは良いことですが、「楽をする」ことは愚かな事。
うろたえず、人生を毅然として、泰然自若として生きていくためには、 そのときになって構えるのではなく、日頃からの生き方こそが大切であろうと思います。
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