うつ病患者の欲望


3年前のある日20代後半の女性が人事不詳(意識がはっきりしない)の状態で親御さんに付き添われて相談にみえた。
親御さんの話しだと、うつ病で心療内科の投薬治療は続けているが、このような状態が5年ほど続いているという。
顔に血の気が無く、うつむき加減で伏し目がち、私とまったく目を合わせない。明らかに薬の副作用とうかがえるが、それだけではなく異常なものを感じ取れた。
この状況からすれば何をおいても先ずは、この女性とその背後のものたちの除去をする必要があった。
浄化すること5分程度。女性はその場に寝込んでしまった。憑依する霊を離しクリーンなエネルギーで浄化することによって、体が緩み正常に機能し始め、眠気となってくる場合はよくあることです。
整体やマッサージ後の眠気と似ている現象でもある。しかし、私は指一本触れてはいない。
本人は会話ができる状態ではないので親御さんから経緯を確認して、この時は引き取りを願った。
一週間後に再びカウンセリングの時間を設けた。彼女は前回とは見違えるほどに目がはっきりしてまるで別人のように元気な顔をして現れた。
先ず会話ができた。親御さんには席を外していただいた。彼女の幼少の頃まで遡り家庭環境の様子を聞いた。親と対立していたことを話してくれた。約一時間を殆ど彼女の話しを聞くことに費やした。
このようにしてカウンセリングの時間を設けて回数を重ねるごとに元気になっていく。
食事も徐々に摂れるようになっていくことで、精神的にも体力的にも元気になっていくことは良い事だ。
しかし、長年にわたり精神疾患に苦しんでいたこともあり、やむを得ないところもあるのだが、基本的に彼女に欠けることは自立心だ。甘えが心の奥底にあることを私は気づいていた。
心療内科に長期間通ったことで病院から照明をもらい、支援を受ける手続きをして働かずして収入がある。これがよくない場合があるものです。
親と同居して生活苦がない。働くことへのためらいがある。そして何よりも彼女のなかに甘えがある。彼女が、うつ病を克服するためには、彼女自身の根本に潜在する強い欲望自我心を修正していく必要がある。
体が元気になってきたら行動的になってきたのだが、環境の悪い公営ギャンブルに行き出したのである。公的支援を受けていながらギャンブルとは人間性の問題であろうか。
良くない環境には次元の低い霊がたむろしていることを話したし、再び悪霊に憑依されかねない危険性も説明して思いとどまるように諭したがやめない。
聞けばストレス解消のためだという。そのようなことでストレス解消になることはないということを根本的なところで話して聞かせるのだが、その場だけの理解で心には落ちていない。
そうしているうちにギャンブルの場で男に誘われて付き合いだした。私はその男性の心を読み相手にするにふさわしくないことを話したが聞かない。
男は体を求めるだけの関係であることを私は読めていた。そして遂に彼女の潜在的カルマの欲望に火がついたのだ。
やはり彼女はカウンセリングに来なくなった。数ヵ月経ち親御さんの話しを聞いて気の毒に思った。
『お陰さまで元気になれたのは良かったですが、変な男と付き合いだしたら夜遊びして昼は寝ている生活だ』だという。親子でケンカが絶えないらしい。
どれほど周りが気づかいしても本人が自覚できない限り、望まない限りは前に進むことができないものです。いかに美味しい水であっても望まない水は飲ませることができない。
彼女の魂には深い業が潜在していて、彼女はそれに負けているのである。人間の持つ欲望は火が付いたら限りないものである。その火を消すのは自分しかできない。
当初は『少しづつ社会復帰できるように努力します。』と約束していたのだが、初めて面会した時の苦しみを彼女は忘れてしまっている。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは・・・・・・。
今は欲望だけに走ってしまい、堕落の生活をしているようだ。
気の毒に欲望に翻弄されている人間には手を差し伸べることもできないが、掴もうともしない。
彼女は死後に天に昇ることはできない。何故なら彼女の魂は曇っていて比重が重いからである。
今世で克服できなかった自身のテーマはまた来世も持ち越しで精進しなければならないだろう。また来世においても、うつ病で修業とは難儀なことです。
合掌
『精進』
はげみ(精進)こそ不死の道
おこたり(放逸)こそは死のみち(路)なり
いそしみはげむ者は
死することなく
おこたり(放逸)にふける者は
生命ありとも
すでに死せるにひとし
※解説-心を調えて毎日の生活を平穏に生きることこそ、心が永遠に生きる道なのです。
己の欲望に負けて堕落した生活をすることは、死んだも同然なのだ。
すべてに感謝してそれを行い励む者は、魂が永遠に死ぬことなく
欲望と堕落のままにふける者は
例え肉体は生きていようとも、
すでに死んだも同然で
善なる心は死んでいる。