『しかたがない』という心・私たちの道

人生とは、まことに理不尽なものです。

私たちはいつも理不尽なものと向き合い、それにもまれながら生きています。

「どうして自分だけがこんな目に遭うのか」、「何も悪い事はしてないのに、なぜこんな仕打ちをうけなくてはいけないのか」、「どうして自分ばかりが損をするのか」、事の大きさに関わらず、そんな思いにかられることはままあるでしょう。

一昨年の3・11東日本大震災などは、まさに理不尽の極みだろう。

コツコツと真面目に生きていた人たちが、一瞬にして家や家族を奪われる。その理不尽な苦しみや悲しみは、とても囗に出して表現することなどできないはずだ。

こうした人生の理不尽さに遭遇したとき、やがて日本人はこう囗にします。「しかたがない」と。

この言葉の中に私は、日本人の強さと生きる気力、知恵をみる思いがするのです。

私の所で学んだ人でアメリカの青年がいたが、文化の違いから思考、価値観の違いを感じた。彼は日本の文化に魅力を感じ、武道、座禅を好んだが、「しかたがない」という言葉は、英語のなかにはない。

「しかたがない」と日本人が呟けばアメリカ人はこういうだろう。「どうして諦めるんだ。逃げてはいけない。 どんな過酷なことがあったとしても、ベストを尽くせば必ず立ち直ることができる」と。

彼はそんな青年だった。日本人は、けっして諦めの気持ちでこの言葉を発しているのではありません。この世の中には人知を超えたものがある。

自分の力ではどうしようもないことがある。「なんで自分が」と思うことが人生には必ず起こる。

そのことに抗(あらが)っていても道は見えてはこない。まずは受けいれること。

理不尽さや過酷な状況を心でしっかりと受け止め、そこから覚悟を決めて歩き始めること。

その覚悟こそが、日本人の底力、胆力なのだと私は思っている。

若き頃から抱いていた夢や希望。それらがすべて叶うことはないだろう。

希望する仕事に誰もが就けるわけではない。すぐに思い通りの結果が出るはずもない。

それなのに、辛抱が足らずに、すぐに嫌だと言って仕事を辞めてしまったりする風潮を感 じます。

二十代の頃ならまだしも、三十代になっても四十代になってさえもフラフラとしている。

あれもしたいこれもしたい。自分に合った仕事をしたい。もっと評価されたい。小さな理不尽さばかりに文句を言い、自分という存在と向き合っていない。

自己都合だけを優先させるだけでなく生きる覚悟をもつことです。

人生は選択の連続です。

私は、相談者にいつも問うのだが、『自分は何のために生きて人生をやっているのか』を気づいている人は非常に少ない。

一つのものを選ぶということは、一つのものを手離すということでもある。すべてが手に入ることなどありません。いま手に持っているものを離さなければ新しいものは手に取れないということだ。

余分な思いは手放すことです。

今やっている仕事。それはベストではないかもしれない。もっと自分に向いた仕事はあるかもしれない。でも、探し歩くばかりでは前には進むことはできません。

この仕事を一生かけて頑張るんだ。自分はこうやって生きていくんだ。そんな覚悟をもつこともあってよいのではないだろうか。

結婚というのも同じことです。若い女性の相談に、『彼が私を褒めてくれない。好きだと言ってくれない。』といった話しがあった。

自分のことを100%理解してほしい。相手のことを100%理解したい。自分が思うような存在に相手がなってほしい。そんなことは所詮ムリです。

すべてを分かり合えることを望む事に無理があるし、自分の希望で相手を変えることなどは、考え方に問題がある。そんな当たり前のことに気づくことです。

仕事、結婚、人生。そのなかには「しかたがない」と思うことは山ほどあります。

努力をしても叶えられないことばかりです。

それでも諦めたり投げ出したりせず、そこから始めること。

まずは自分の人生をしっかりと受け入れ、今やるべきことを為していく。

日本人の美しさは、そんな心にこそあるのです。

縁を結ぶということ

昔から日本人は、縁というものを大事にしてきました。家族や親せきとの血縁、同じ村で暮らす地縁、あるいは職場を共にする社縁などです。

こうしたネットワークのなかで、互いに支え合って生きてきました。ところが最近では、こうした縁が段々と薄らいでいます。

縁というものは、一方でしがらみを生みます。そのしがらみを嫌い、自由に生きたいと願う人たちが増えてきた。

自由の裏側にあるのは孤立です。これが「無縁社会」を作り上げているという側面もあるだろう。

捨て去ってしまった縁や絆というものを、再び取り戻す時期ではないでしょうか。

幸福とは物や権力を手にすることではありません。

どれだけ豊かで温かな縁をもっているかなのです。究極の幸せは「足ること」を知ったときにこそ訪れるものです。

誰かのために尽くすこと。

人さまから感謝される喜び。

その豊かさを取り戻すことです。

縁や絆を結ぼうとするとき、私たちはつい一対一の関係に目を向けてしまいます。

誰かと友達になったり、特定の人たちと関係を深めていくことが絆なのだと。

愛情のギブアンドテイクの関係を築こうとします。実は、これがしがらみを生みだす原因になっているのです。

たとえば誰かから何かをしてもらった。だから今度はこちらがお返しをしなければならない。つい「お返し」の発想で考えてしまう。

このやり取りが煩わしくなり、そこから逃げ出そうとする気持ちが働く。

誰かから受けたものを、その人にお返しするのではなく、誰か他の人にお返しをしていく。反対に、何かをしてあげたからといって、相手のお返しを望んではならない。

お返しなど期待することなく、ただ誰かのために何かをしてあげる。こういう気持ちをもつことで、温かな絆は広がっていくのではないだろうか。

小さなことでかまいません。例えば道を聞かれたら、快く丁寧に教えてあげる。それだけでいいのです。

二度とその人と会うことはないかもしれませんが、その心の温かさは、きっとどこかでつながっていくものです。緩やかで温かな縁というのは、そういうものではないだろうか。

「おかげさま」という言葉があります。

いかがお過ごしですかと聞かれれば、「おかげさまで元気にやっております」と答える。

それは、誰か特定の人のおかげという意味ではない。自分を取り巻く自然。自分とともに生活している人たち。そして見知らぬたくさんの人たち。すべての人や大自然のおかげで元気に生きることができる。

つまり、人間は生かされているという心が日本人には根付いているのである。こういう日本人の考え方を、欧米の人たちはとても羨ましく思えるという。

彼らの発想はギブアンドテイクです。そして生きているのは自分自身の努力があるからだと考える。そんな彼らにしても、日本人のもつ心根を羨ましく感じているのです。

そこにこそ、日本人がすべてのものと共生してきた、共に生きてきたという文化が宿っているのである。

そう考えれば、日本人というのはもともと絆や縁を結ぶのが上手な民族だと思います。

せっかく培ってきたその幸福の作り方を、いま再確認することです。

人皆、すべてのものに生かされている。その感謝の気持ちを大切にしながら、誰かのために尽くすこと。そこにこそ、私たちの道があるのでしょう。

きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。
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