4次元の投影が3次元

天国前回は、色即是空 空即是色について、万物は形ある状態から形のない状態に変化すること、そして形のない状態から形のあるものが発生していくという循環の法則について述べました。

色心不二は、有と無が同時存在することを意味するのだとも述べました。

きょうは3次元のこの世はどう解すればわかりやすいのかを述べてみたいと思います。

先ず、私たちの暮らすこの世である三次元は、四次元であるあの世以降の世界の投映された世界だということを知っておく必要があります。

つまり、あの世からこの世に生まれるのであって、この世からあの世に生まれることは、この世では死を意味することになります。

肉体は親や連綿とつながる先祖からいただいたものですが、魂は親からいただいたものではく、四次元世界から胎児に宿るものです。

科学的な表現になりますが、この三次元の世界というのは非常に、振動が粗悪で、物質的な不安定な世界なのですが、この自然界における諸現象はすべて、振動からなりたっております。

このことは何も物質に限ったことではなく、私たちの心から生ずるものもこれまた振動であって、この振動は心の波動としてハッキリと感じることができます。

いうならばその人の持っている心の状態が振動(波動)として相手に伝わるということです。

私たちの脳細胞の中に起こる脳波の波もやはり同じ振動ですが、肉体から発する振動と心から発する振動では次元が違うというだけのことです。

ここでもう一度循環の法則について例を変えて述べてみましょう。

いま、私達は地上で生活していく中で、固体、液体、気体という三つの変化をする自然の現象を知っています。

その一つの氷について考えてみます。

氷が水に浮かんで、水面上に出るのは約10パーセントです。

殆ど水の中に入っている部分が90パーセントですが海に浮かぶ氷山の一角はそれを表しています。

この氷は、分子式で書きますとH2Oであって、水もH2Oで同じです。

こうして水の密度と氷の密度の差によって、それのパーセントを見ますと10パーセント位しか水面上に出ていないわけです。

また、空の雲は水の分子がお互いに分散している状態ですが、分散されている状態という事は、ここではじめて熱粒子である振動数というものの作用によって膨張をしてくれば、水の分子の間に入る熱粒子が膨らんでくるから蒸発します。

逆に収縮して密度が濃くなりますと今度は水に変わったり、或いは更に温度という熱粒子が冷え込むと氷に変わります。

収縮の度合いが小さくなればなるほど、粒子の変化もまた同じように変わってきます。

このように宇宙に存在している空のあの水分もまた高度千メートル上がる毎に6、5度ずつ温度が降下していきますから、やがて蒸発した目に見えない水蒸気も、お互いに熱粒子の収縮にあって雨になり雪になり、そしてまた地表に或いはまた雨となり降ってまいります。

肉眼で見えるか見えないかの違いだけで存在していることには何ら変わりありません。

したがって、氷のH2Oも、水のH2Oも、分散されている雲のH2Oも、一つとして変わらないのです。

このような状態を色だと言ったり、見えない世界であっても、また見える世界であっても、色即是空であり空即是色というのです。

水蒸気のH2Oは氷のH2Oと同じであり、氷のH2Oは水のH2Oとなんら変わらないということです。

これを科学的に言うと分散集中と表現されます。

この自然界に存在するあらゆる諸現象は、全て輪廻転生を続けております。

循環の法則に従って輪廻転生を続けていないものは何もありません。

人間に見えない世界の方が遥かに多いという事実は、科学的な世界においても、はっきりとしています。

人類は物理科学をもってしても壁にぶつかり、それ以上進むことが出来ない段階です。

人類は、科学的、化学的というものの考え方に偏りがちですが、科学の力は実際のところ、人間の体でいえば皮膚のような薄さでしかなく、本質はまだまだ大きなものだということです。

見えない地金の部分、つまり、見えない世界の方が遥かに多いということを知らなくてはいけません。

こうして次元の違った世界、宇宙の一切の現象を統べる意識である絶対唯一の意識。

この意識を私たちは分からないままに、永い歴史の中で目の前の姿あるものを絶対視して、それに執着したり、拝むようになりました。

しかし人間が物質だけを追い求めて得たものは一体何でしょう。

人間の経済と物質偏重主義は、自然破壊の道を進むことになり、世界の各国でみられることです。

大事な自然というものを、人間が物を追いかけて、追究してその欲望を満たそうとして、公害を作り出しました。

人類は、自分たちの生命がどういう存在であるかということを真剣に考えなくてはならない時期にきています。

こういった生命の原点について真摯に向き合わないと、いつまでも経済至上主義、物質至上主義に傾くことになり、地球はほんとうに限界が来てしまいます。

霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。

見えないエネルギーによって見える物質が存在できている真理は未来永劫に変わりようがないだろう。

即ち、4次元のエネルギーによって3次元が投影され、存在するのである。

霊の無いところには生命はありません。

見えないエネルギー即ち霊によって物質がうまれるということです。

しかし物質は殻に過ぎません。

この世の物質は見えない霊的エネルギーという実在によって投影された現象(カゲ)にすぎません。

生命は物質それ自体には存在はないのです。

私たちが存在し、息をして、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、行動することも、すべては私たちが霊であるからこそです。

頭脳ではなく、船頭たる霊があなたの身体を動かしているのです。

霊が肉体から離れたらその身体は崩壊して元の土くれに還ってしまいます。

そこに霊が無いからです。

物質は一時的な存在という現象に過ぎません。

人間によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力なのです。

いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いています。

霊としての自覚の程度、意識の程度にはさまざまな段階があります。

霊の表現形態は無限だからです。

無限なるものに制限を加えるわけにはいきません。

その生命の背後の力は全ての霊の極致であり、源泉であり頂上であるからです。

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霊と物質・4次元をキャッチできない理由

 

守護霊現代医学では、物事を考えるのは前頭葉だとされていますが、あなたはどう思いますか?

もしそうだとするならば、私たちが心の中で、嬉しかったり、悲しかったりしている時に、込み上げてくるものは前頭葉から込み上げてくるのだろうか。

肉親や親しい人を失った悲しいとき、せつない時、胸が痛む感覚を経験したことはないだろうか。

嬉しいことも、悲しいことも、頭ではなく、胸から込み上げてくることは理解できると思います。

反省を促すときも、「よく胸に手をあてて考えなさい」とは言いますが、「頭に手をあてて考えなさい」とは言いません。

なぜ頭ではなく胸かと言うと、実は胸は魂が位置する場所だからなんです。

Lesance-Crimson-front私は相談者に説明するときによく使う例え話ですが、パソコンが機能するために先ず必要なものはという質問をします。

電気エネルギー、内蔵されているハードデスク、そして最後に操作する人がいなくてはどんな優れたパソコンも機能しない。

このパソコンをそのまま人間に置き換えてみますと、電気エネルギーは人間でいえば食事であり、ハードデスクは頭脳であり、パソコンを操作する人は魂(心)ということになります。

こういう説明で理解できるかと思うのですが、人間の脳細胞は、ものをキャッチし受信するただの、セクションにしかすぎないということが、今後の医学界においてもより具体的に実証されていくでしょう。

そして既に、これまでの精神科の投薬治療による対処療法ではなく、心というものが何よりも優先されて肉体に影響するのだとされる精神医学に着目して研究している国もあります。

肉体の支配者は脳細胞ではなく、であること、その中心にあるというものこそ、脳を支配するものであり、五体を機能せしめる不変的なものだということもやがてハッキリと証明される時代がくるだろうと思います。

魂とか心とか、次元の異なった世界の話しをすると、非科学的で見えないから信用できないという人も多くいいますが、ここで少し科学的な話題で次元の異なった世界を考えてみます。

私たちが日常生活の中でエネルギー、エネルギーという言葉を当たり前のように使っていますが、このエネルギーというものは目で見ることはできません。

それはそうです。

エネルギーというものは、「仕事を成し得る能力」をいうものだからです。

例えば、キャンプファイヤーで木を燃やしますと寒い夜でも暖をとることができます。

このときに木が燃えているとは言っても、エネルギーが燃えていると言う人はまずいないでしょう。

燃えた木はその質量に応じてエネルギーを発生して暖をとれることになります。

木が燃えている姿は見えてもその働きは見えません。

何故ならこのエネルギーというものは次元が違うからです。

燃やした薪は形ある物質の次元であり、それは私たちの住んでいる世界、つまり三次元世界の存在です。

この薪である物質を物理科学的に定義づけますと、質量と体積を有するもの、これが物質だと言っております。

質量というものは形が同じ大きさでも、その物によってみな異なります。

石炭1立方メートルと薪1立方メートルでは質量が異なりますからエネルギーのカロリー数も違ってくるようにです。

こうしてみますと、相対性理論を通しても物質の世界というものは、必ず質量があるということがわかります。

しきそくぜくう くうそくぜしき

あなたは色即是空 空即是色という般若心経の一文を聞いたことがあるかと思いますが、仏教では、物質、形ある物をの世界と表現していますね。

そして形のない非物質世界のことをとかの世界と表現していますね。

実は形ある薪のなかには形の見えない質量というエネルギーが内在されているわけです。

このことを仏教では色心不二とも表現しております。

色心は物質と見えない存在のことであり、不二、すなわち二つではないということですから、物質のなかに見えないエネルギー、つまり質量が同時存在しているという事になります。

物質と質量は別ではなく一体だというわけです。

現代のように科学の発達がない時代に宇宙の真理を体感していたのですから昔の人は凄いですね。

3次元と4次元が同時混在していることを知っていたことになります。

色即是空、物質は即ち是(これ)空になる、つまり形のない状態になると言っています。

空即是色、形のない状態、即ち空から形のある物が発生してくるとも言っています。

このように仏教の教えの中にあるように、色心は不二だということは、色(物質)と心(空)は同時混在しながらも循環して繰り返しているという事を説いているわけです。

いま私たちの目に見える世界というものは、限られたものでしかありません。

実際は見えるせかいより、見えない世界の存在がはるかに大きく、多く豊かなのです。

私たちの肉眼で見える世界というものは、ほんの小さな世界だということなのですが、この肉眼でとらえることのできる全ての世界は、色彩をもっております。

色彩を持っているために、この一切の万象万物をと言ったのです。

色心が不二だというというのは、私たちの肉体と心は同時存在していると言っています。

ご存じのように地上の世界は1次元、2次元、3次元の世界です。

二次元の世界というのは、私たちが毎日見ているテレビであったり、映画であったりで、あのスクリーンは平面の世界、つまり2次元です。

その平面の世界スクリーンの中のストーリーは三次元、つまり立体の世界で制作されて画像として2次元に投映された世界になります。

ですから3次元の立体空間で製作された内容は2次元の平面世界で投影された場合、

その投映されている2次元の画面に対して、如何にその投映されているヒロインが可哀想であっても、私たち3次元の世界から声を掛けても通じません。

繰り返しますが、映画を見ている観客がスクリーンに向かって声を掛けてもストーリーの登場人物には通じないということです。

この法則は宇宙大自然の真理であって、4次元のあの世からから3次元のこの世に声を掛けても通常一般的に私たちがキャッチできない理由がここにあります。

次回は「4次元の投影が3次元」ということについてアップ予定です。

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ふがいない自分

農夫7年ほど前の話しですが、歯の調子が良くなくて歯科に行って治療をしていただいた。

奥歯を一本抜歯した後に服用するようにと抗生剤が処方されたが、服用後に私はお腹の調子が悪くなり便秘になってしまった。

便秘なんて生まれてこの方60年近く知らなかったし、薬は殆んど飲んだことがないのだが、抜歯をきっかけに一か月ほど便秘状態が続いたことで抗生剤の功罪を思い知ったのです。

元々わたしの場合は薬に対して非常に敏感に体が反応を示しやすく、鎮痛剤、風邪薬、その他、漢方薬しかり、薬という薬には敏感に反応するのがわかる。

例えば、鎮痛剤ひとつとってもそうだが、服用すると胸が苦しくなるし、胸が痛くなってくる。

あとで調べてみたら副作用だと知った。

二十歳の若い女の子が鎮痛剤を飲むと胸が痛いと言っていたが、この子は小学生の頃から男子と一緒にサッカーをやっていて、今でも一般でサッカーをやっている元気で才能あるプレーヤーです。

心臓に疾患があるわけではなく、健康体そのものなのに生理痛を抑えてプレーするために鎮痛剤を服用していたのだが、胸痛が鎮痛剤の副作用と私から聞いてからはプレーのときは飲まないことにしたようだ。

お薬というものはただでさえ副作用がつきものだが、若い時よりも歳を重ねて老齢になってくると身体への負担が大きくなってくるものです。

勿論、副作用も強く現れるようになってきます。

年を重ねるということは薬の問題だけではなく、これまでできていたことができなくなってくることでもあります。

そのときに「何とも不甲斐ない」と、もどかしく思うことも多々ありましたが、最近はふがいない自分と仲良く生きていくことにしています。

人間、若い頃には、たくさんのものを持っています。

体力はもちろんのこと、気力や美しさも光り輝いています。

そのはち切れんばかりの溢れる力があればこそ、多少の悩みなんか吹き飛ばすこともできるでしょう。

しかし、その若さもまた永遠のものではありませんね。

頑健で丈夫な体もやがては病に罹(かか)り、美しかった肌には幾重ものシワが刻まれ、身体は前屈姿勢になり、身長も縮み、歩く姿も一目瞭然で老齢者と分かってしまう。

町の中をあるいてショーウインドーに移った自分の姿にショックを隠せない。

でも、嘆いていても何も変わりはしませんし、時間がもどって若返るわけではありません。

嘆いた分だけよくなるのなら、いくらでも嘆けばいい。

しかし悩みというのは、嘆いた分だけ大きくなっていくものです。

悩みは、嫉妬に似ているところがあります。

初めは小さかった悩みも、そこにばかり目をやっていると、どんどん雪だるまのように膨らんでいくからです。

そして、急こう配を転がりながら小さな悩みもくっつけて、自分ではどうしようもないほどに大きくなっていく姿こそ雪だるまそのものです。

そうなる前に、もう一度客観的に自分自身を眺めてみることです。

客観的にとは自分から離れて自分を観ること。

第三者の視点で自分を観ることができたら大きな間違いもしませんし、過去にとらわれて嘆いているようなことも少なくなってくるでしょう。

誰しもこれまで持っていたものを失う。

これは悲しいことであり、淋しいことです。

しかし失ったものばかりを嘆いていても前には進みません。

ふがいない自分も自分です。

そんな自分としっかり向き合い、そして仲よく生きていくことです。

まわりにはたくさんの人がいます。

でも、二十四時間ずっと一緒にいるのは自分だけ。

その自分を嫌うことなく大切にしてあげなくてはいけない。

悩みを抱えている自分もまた、いとおしく思って生きていきたいものです。

4月28日 火曜日は「霊と物質・4次元をキャッチできない理由」をアップ予定です。

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魂という純金

 

夢「あなたは何の為に生きているの?」と幼い子どもに聞かれたお母さんが「生きる為に生きているのよ」と真顔で答えていた。

たしかに間違いではないだろうが、これではよくわかりませんし、幼い子なら尚更です

私もカウンセリングの中でよく問いかけるのだが、十代、二十代だけでなく、中年の人たちでも、「幸せになるために」という言葉が返ってくる。

これもまたうなづけますが、「幸せになるために」これは実に不確実なものであります。

この世での幸せの条件が何故、不確実であるか。

それは、お金があれば幸せが買えるという考え方の人、物があれば幸せと考える人、地位や名誉が得られたら幸せと考える人、様々な幸せの物的条件、形式的条件が満たされたときに幸せとするなら、これほど不確実なものはないでしょう。

形ある物は時とともに壊れ、お金の多寡によって幸せとする考えも結局お金が少なければ不幸ということになります。

しかし、実際は経済的には余裕がない生活をしていても「私は今がいちばん幸せです」と言い切っている人がいます。

こうなってくると、幸せの条件は非常にその人によって違うということがわかります。

地位があるから幸せとする価値観も、会社を去り地位を失ったらただの人となり、不幸せということで嘆いてしまうことになります。

こうしてみると、自分からすべてを取り除いたときに何が残るのか、最後に残った形のないもの即ち心の内にある財産こそが幸せの最大条件ではないだろうか。

物やお金、地位や名誉に執着せずに、足ることを知った生活観、そして何事にも慈愛を持って謙虚に素直に生きること、これこそが幸せを感じられる条件だろうと思うのです。

「あなたは何の為に生きているの?」という問いへの答えは、「幸せになるために」ではなく、実はどのような境遇でも幸せと感じられる心作りのためであるということではないだろうか。

すなわち、幸せと感じることのできる心の原点に目覚めるため、覚醒する為に地上で生きているということです。

こういうことから、「幸せになる」ということはあくまでも魂の向上をはかるための一つのファクターでしかないということがいえます。

「幸せ」だけでは奥深い魂の学びにはならないのです。

人生には山あり谷ありですが、失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くもありますし、諦めの気持ちに埋没して立ち上がれない時もあるのですが、実はそこから人生が始まるのです。

私たちにはまだまだ発揮されていない力・・・それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されています。

それは楽な人生の中では決して発揮されません。

どん底に落ちて辛酸をなめた人、苦痛と困難の中にあってこそ内面にある力が発揮されるのです。

鉱山から採掘されたばかりの金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみをそぎ落とすという試練を経ないと出てこないのです。

そして心に蓄積された余分な土や余分な金属、鉱石を取り除くこと、これが人間でいえば心の執着を捨てること、余分な欲望を捨てること、言い換えるなら心の曇りを取り払う作業と言うことになります。

自分の内面にある純金の宝珠を拝するにはそれ以外に方法がないのです。

人間の生活には過ちはつきものです。

その過ちを改めることによって魂が成長します。

苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。

何かにすがり真言を唱えて御利益があるとする教えは危険この上ありませんし、邪道です。

お守りを買った、お札を買った、祈祷してもらった、波動修正するという機器を買った、セミナーを受けて波動修正すると運命が好転する、神社巡りのツアーを組んで神様と縁結びをして悪しきカルマ上げてもらうと人生が好転する、等々、本当に他力本願のビジネスが大流行りである。

しかし、相談者たちの話しは何一つとして問題解決していないのです。

解決していないから相談にくるのでしょう。

いつも私がお伝えすることは同じです。

物事の道理、法則、真実、ブレのない考え方の基本、男と女のあるべき姿、心の癖を修正すること、足ることを知ること、心から感謝できる人間になること、人の心がわかる人間になることです。

苦労せずに順風ばかりの人生、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は磨かれませんし発揮されません。

何かに挑戦し、苦しみ、宇宙の一部であるところの地球という恵まれた環境下において、魂の扉を開き、自身の内に潜在する崇高なる意識を持ち出すこと、それが悟りを開くということでしょう。

困難にグチをこぼしてはいけません。

困難こそ魂のこやしです。

むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。

辛いのですから。

しかし、あとでその時を振り返った時、それが私たちの魂の目を開かせる為に、このうえない肥やしであったことを知って天に感謝するに相違ありません。

この世に生まれてくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこに進歩も開発も個性も成就もありません。

これは酷(きび)しい辛い教訓ではありますが、何ごとも価値あるものほど、成就には困難がつきまとうのです。

自らが光り輝く魂となるためにはそう容易く気づきが得られるものではありません。

私たちの魂は日常の活動は勿論のこと、眠っているときでも完全休息はなく、霊界に移動して宇宙の光りエネルギーをチャージしてきます。

そして宇宙も一瞬たりとも休むことなく働き、全存在のすみずみまで完全に通じて光りエネルギーを供給しております。

宇宙の意識は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日もすべては宇宙意識の働きです。

私たちは宇宙に感謝こそすれ、有限なる人間に宇宙を裁く資格はないでしょう。

地球を破壊する資格もありません。

そして自分自身さえも裁く資格もありません。

物的尺度で物事をみるような心を以って自分を小さくしてはいけません。

物的尺度で見ることをやめない限り、世の中は不公平と、不正と、邪道と、力の支配しか見ることができないでしょう。

ごく当たり前の道理です。

しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。

だが現実は地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。

なぜなら地上は肉体と物質の世界であって原因と結果の法則は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。

時間がかかるのです。

ですが地上生活を超えた輪廻という長い目で見れば、原因と結果の法則はこの世にいる時だけではなく、あの世に帰ってからでも一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

ですから、この世で罪を重ねて悪を為し、物的な栄華を極めたとしてもそれは輪廻のなかであの世に移動したあとに原因と結果の法則に沿って必ずや修正されることになります。

霊的に見て、あなたにとって何が望ましいかは、あなた自身は気づいているだろうか。

もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌な現実が実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることもあり得るのです。

ですから、なかなか難しいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度、つまり、偏りのない中道の精神、思考、価値観で判断するように勤めることです。

人間だれしも自分にとって都合の悪いことがあれば、最大の悲劇と思うでしょうが、天から見れば幸運だと思えることがあり、あなたにとって幸福と思えることが、天から見れば不幸だと思えることもあるのです。

これは何故かというと、霊的判断による違いであって、地上的価値観と霊的、精神的、神的価値観の違いによるものだということです。

また祈りという行為にはそれなりの人それぞれの回答が与えられます。

しかしそれは必ずしもあなたが望んでいるとおりの形ではなく、その時あなたの心的成長にとっていちばん望ましい形で与えられるでしょう。

相応しくない結果ととしての回答を与えられることはありませんが、しかし天は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。

宇宙が人類に施されることを我々人類が地上的なモノサシで計り、不満を言い、批判することはやめなくてはいけません。

最後に、絶対に誤ることのない霊的成長と真実について述べておきます。

一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して魂は被害をこうむることはないということ。

もう一つは、人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。

この二つです。

志を高く持つことの意義はここにあります。

事を急いてはならず 焦ってはいけません

何ごとも慌てずに気長に

執着せず

昨日に拘らず

明日を憂えず

今を生ぬくこと

私たち人類が地上に意識をもった生命体としてが誕生するのに想像を絶するだけの長い歳月を要したのですから。

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この地上で生きる目的

生活人生の十字路における選択とその結果については、積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るか、その人自身の判断によって決まるということで前回お話ししました。

つまりどのような選択であれ、その選択には必ず結果というものがついてまわります。

言いかえるなら、作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ入った時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったことも地上の成果それによって決まるわけです。

あの世に行ってからのことなんかどうだっていいよ、この世にいてこその人生じゃないかと言った人がいました。

たしかにそれも道理ですが、しかし、この世で人生が終わるわけではありませんし、肉体から離れてもあの世では霊体に乗った魂が生活しているという厳然たる事実があるのです

降霊すれば傍に霊がくるし、霊障を解放すれば事態の改善もできる事実がそれを証明していますし、こういったことがあの世の生活があることの証であります。

この世がすべてという人の思考、価値観は非常に限定的なものでしかなく、唯物的価値観にとらわれているといえるでしょう。

単純なようで実に複雑なのです。

作用と反作用、つまり原因と結果は物理的な道理ですがしかし、心にも作用と反作用は厳然として働いています。

「子は親の鏡」という言葉がありますが、子は先生が言ったようになるのではなく、親が為したようになるものです。

この道理は人間関係にも反映されます。

自己中心で他に接すれば相手からそれと同じような扱いを受けるでしょうし、心穏やかな慈愛をもって接すれば、やはりそのような慈愛に触れるでしょう。

自分が相手に為したように相手から返ってくるということをみれば、ここに問題があったからといって相手を一方的に責められるものではありません。

いつも不満と愚痴を言っていた人はやはり思わしくない人生に苦悩して生きています。

人生が思わしくないから不満や愚痴になるのではなく、不満や愚痴をいう心があるからそのように思わしくない人生になるのである。

人生は結果が先ではなく、心の想いが先なのです。

これは道理であり、ものの真理であり、法則なのです。

同時に地上生活に関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それに伴って責任も回避できないということを知っておかなければなりません。

例えば、霊界から地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しているということ。

才能がありながらそれを使用し、活かさない者は、才能の無い人より大きい責任を取らなくてはなりません。

指導的立場にある者がその任を果たさないのと同じです。

またその才能を自己の欲心のために使用した者は霊界に還ってからそれだけの軌道修正を図るための非常に厳しい反省と心(魂)の調和の修練をすることになるでしょう。

少しばかりの霊的能力があるからといって営利主義に走り、財を成して豪邸に住み、きらびやかな衣装を身にまとい、貧しき者たちから報酬を得てもその金額に「私がこれだけ精いっぱいやってもこれだけのお金なのか」と不満の言葉を著書に記していた有名な霊能者がいたが、こういう人こそ、才と能力を持てるものの責任を取らねばならないということです。

一方、悲しみは魂の悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚(シンジン・ひととおりではなく非常に深い)なる意味をもつものと受け止めたいものです。

悲しみはそれが魂の琴線(キンセン・心の奥深く)にふれた時、いちばんよく心の目を覚醒させるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。

悲しみ、無念、病気、不幸等は私たち人間にとって教訓を学ぶための大切な手段といえるでしょう。

心ある人は「病気をしてよかった」という言葉を発することがありますが、それは病気を機に大きな気づきがあったからで、正に琴線に触れるとはこういうことをいうのでしょう。

もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それは大した価値のないものということになります。

悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えると思うのです。

繰り返し述べてきたことですが、宇宙の真理、心の法則は、魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べます。

霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはないでしょう。

こちらからいくら手を差し伸べても、それを受け入れる心の準備が出来ていない人の場合は霊的覚醒が叶うことはありません。

霊的知識を理解する時機(とき)を決するのは魂の進化程度によるものです。

その時機がこない人にとっては求めることもなければ、話しても価値を見いだせないものです。

肉体に包まれているあなたが物質的、この世的価値観を以ってその見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソードにすぎません。

言い方を変えると3次元的思考で4次元世界の広大さを推し量るのは無理があるということです。

心(魂)の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。

失意も落胆も魂の肥やしです。

魂がその秘められた力を発揮するにはいかなる肥やしを摂取すればよいかを知る必要があります。

れが地上生活の目的といえるでしょう。

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旅する魂の妙薬

道私がブログ記事を書くときにいつも思うことは、人生の悩み苦やしみを避けて通る方法を述べたいのではなく、試練や逆境に敢然と立ち向かい、それを克服し、より一層に力強い人間となっていただきたいと願っていることです。

逆境や苦労こそが財産です。

そして究極、潜在的な心の財産は地上のいかなる宝にも優るものです。

それは一度発見して身につけたら、物やお金を失うようなこととはまったく違います。

それがどれほど素晴らしいことか、あなたは想像がつくだろうか。

その素晴らしい宝珠を得るためには苦難から何かを学び取るように勤めることです。

人間がこの世で生きるということは、皆それぞれに何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが旅する魂の本来の姿なのです。

それはもちろん楽なことではありませんが、しかし、心の宝珠はそう容易く手に入るものではありません。

もし、容易く手に入るものであれば苦労することもないでしょうが、楽して手に入れば心に驕りが生まれるというのもまた人間故の弱さでもあります。

痛みと苦しみ、苦悩の真っただ中にある時はなかなか得心がいかないものですが、しかし、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとってはいちばんの妙薬なのです。

私たちが生まれたときから生涯を共にする守護霊という存在は、いくらあなたのことを思ってはいても、あなたが重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手をこまねいて傍観するしかない場合があります。

目の前の厳しい試練から教訓を学び取り、霊的に成長してもらいたいと願うからです。

知り得たことには必ず責任が伴います。

特に霊的な事を知り得た者は責任を持たなくてはなりません。

例えば霊的な能力には人それぞれに様々なものがあり、その力にも高低があります。

本来どのような能力であろうが、それを使用することで金銭的な利益を得ることは私自身は邪道だと思っております。

何故なら、その能力は一個人の能力ではなく天のエネルギーであり守護指導霊の協力においてのみ発揮されるものだからです。

ですから、この世的なメディアによる知名度などは、全くその人の魂のステージや能力、あるいは人格とは必ずしも合致するものではないといえるでしょう。

実際に、私のところに相談に見えた方で、テレビに出ていた東北の有名な霊能者のところに相談に行ってきましたという方が数人いました。

著書も出版し有名人だから私たちの悩みを解決してくれるだろうと期待して行ったというのだが、会ってみたら「あなたはそういう態度だからいけないのよ。」と開口一番に言われて話す言葉も失って、わずか五分で「はい。これで終わりです」と言われて帰ってきたというのだった。

「あの人はテレビでは柔和な顔で言葉も穏やかで優しいと思っていましたが実際は会ってみると上から目線で叱られて帰ってきただけで何も参考になりませんでした」と憤慨していた。

実はこれとほぼ似たようなケースが何件かあったのだが、やはり話を聞けば同じような印象のよろしくないことを話すのである。

金額は特定していないとは言っていたが10分で一万円おいてきたと話していた人もいたし、5千円という方もいました。

お金の問題はさておいても、相談者に対して、ものの10分や15分でどれだけの話し合いができるだろうかと不思議でなりません。

往々にして、私は「見える、霊視ができる」といっている人の場合、そのことを前面にして話を切り出す傾向にあり、相談者の言い分や状況の把握がおろそかになっているように見受けられます。

私の場合は、最低でも一人に一時間は取り、状況によっては90分になることもありますし、稀には2時間という場合もあります。勿論、無償です。

相談者のおかれた状況を把握してそこから根本的な原因を究明し、相談者の物事の考え方、解決するための方法、タイミング、等々十分に話し合うにはどうしてもそれくらいの時間が必要になります。

要は、効率主義をとるか、相談者のために中身を選択するかの違いということになるだろうか。

さて話を戻しますが、魂というものはいったん視野が開かれれば、悲しみは悲しみとして冷静に受け止めますが、決してそれを悔やんだり、引きずったりすることがなくなってくるものです。

燦々(さんさん)と太陽の輝く穏やかな日和だけでは人生の深さや機微、教訓はなかなか身に沁みてきません。

魂が目を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れこめる暗い日や、嵐の吹きまくるような荒ぶる天候の厳しい人生でなければならないのです。

地上の人生は所詮一つの長い闘いであり試練です。

闘いという意味は自分のなかにある過ぎたる欲望であり、邪悪な想いに打ち勝つということです。

人間はいつも魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。

魂の癖

魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められており、一つの傾向性となって表面化して翻弄されます。

本能と感情と理性と知性のバランスが基本となって個性が表面化します。

本能が過ぎた個性は異性に執着し物に、金に、食に貪欲になります。

感情に過ぎた個性は怒りやすく、沈みやすく起伏の激しい性格となります。

理性が過ぎた個性は冷たく他を批判し排他的な言動があらわれます。

知性が過ぎた個性は何かと自己主張の虚栄心と言動から反感を買います。

すなわち人間は最初から人間として地上に誕生してはいますが、進化の段階で動物的なステージの低い本能的欲望や感情もあれば、人間の個性的存在の源泉である神性も秘められております。

そのどちらが勝るのか、その闘いが人生でしょう。

地上に生まれてくるのはその試練に身をさらして己の魂をステージアップするためです。

人間は絶対的存在の分霊を受けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、やはり厳しい試練が必要なのです。

人生のなかでは運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。

つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断は個人の自由意志に任されています。

その時の自己都合や欲望によって道を選択すれば衰退の人生となるであろうし、この選択をすれば厳しい日常が待っているとわかっても、敢えてその道を選択すれば必ずや心の充足を得られる人生となるでありましょう。

しかし、回避すればそのことがクリアできていない宿題として生涯にわたってその人の心魂についてまわることになります。

もっとも、自由といっても完全なる自由ではなく、その時点においてその人の置かれる環境という制約があり、これに反応する個性気根の違いによっても選択の仕方が違ってくるでしょう。

気根とは、資質であり、受容能力であり、備わった基盤の程度のことです。

物事に対して客観的に判断すれば正しい選択ができるのに、欲心をもって目先の利益やプライドや自己都合で判断すれば誤った選択をして迷路の人生に苦悩することになります。

地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスは実は誰にでもあらかじめ用意されています。

そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、その人自身の判断によって決まるということです。

地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。

次回は4月21日「地上生活の目的」について述べてみたいと思います。

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「ある」ことを知らなければ「ない」のと同じ

蓮の花気づく

「自覚する」ということは、「自分でそうだと覚る」ということ。

「覚」という字は「悟る」ということですが、「悟った人」のことを「覚者」と書く場合があります。

自分がどんなにすばらしいものを持っていても、持っているということに気がつかなければ、ないのと同じではないでしょうか。

あなたはこれに似たような経験がないだろうか。

お金がまだある、と思って買物しようと思って、品物を選んでいざお金を払おうとして財布をひらいたらお金がなかった。

家に帰って、「たしかにまだ持っていた筈だ」と思ってポケットやら引き出しやらあちこち探してみたが、着ている上着の別のポケットにお金が入っていたということが。

これは実際にはお金を持っていたのです。

持っていても、持っているということに気がつかなければ何も買うことはできません。

それと同じように、人間も、どんなにすばらしい智慧や愛を持っていても、自身が「智慧であり、愛の存在である」ということに気がつかなければ、その智慧や愛を生かして使うことはできないわけです。

人からも愛をいただき、他に対しても心を尽くしていく中で愛が育っていくし、智慧もうまれてきます。

人間はすばらしい智慧と愛の綜合された慈悲の霊的存在だということができるでしょう。

私たちの心の内にあるその本質に気づくことが大切かと思うのです。

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人の為に生きてみる

ほほ笑みお金がなくても
「布施」という言葉は殆んどの方が知っていると思います。

慈悲の心をもって、他人のためにほどこすこと理解していますがいかがでしょうか。

「施す」なんて財力のある人でなければできないでしょ、と思うかもしれません。

阿倍のミクスが叫ばれて以来、景気同復がメディアで伝えられてもそれはごく一部だけ恩恵にあずかっただけで、庶民にとって生活実感に反映されていない現状では、ほとんどのひとが布施とは無縁と考えても致し方ありません。

しかし、財力がなくてもできる布施もあるのです。

やさしいまなざし
和顔施……なごやか、にこやかな笑顔

愛語施……親切な言葉

身施……相手に対する敬いが溢れる礼儀

心施……こころからの思いやり

床座施……ゆずりあい

房舎施……気持ちを込めたもてなし

いかがでしょう。いずれも日常生活でだれもができるものだ、と思いませんか?

しかし、実際にやっているかどうかとなると、首を捻ってしまうひとが多いのかもしれませんね。

一気にやるのは難しいでしょう。

しかし、これら布施のうちのひとつに挑戦してみるということならどうでしょう。

たとえば、にこやかな笑顔、微笑みを心がけることは、だれにとってもそれほど難しいことではないはずです。

微笑みが持っている力は、想像以上に大きいのです。

他の人から微笑みをいただいたら嬉しくて顔がほころぶでしょ。

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善と悪

老木桜

あるチェーン店のお店でレジのお金が少しずつ無くなるという問題がおこっていいた。

足りなくなったお金はスタッフ全員で負担しなければならないということもあって、気分のいいものではないでしょう。

スタッフは時間帯が交代制で常時10人ぐらいはお店で働いていて、レジの上には防犯カメラがついているにもかかわらず巧みにお金をくすねているようだ。

誰がそれをやっているかはスタッフ全員が知っているし、店長も知っているし、その上の統括マネージャーもスタッフからの苦情で知っている。

しかし、会社のほうに苦情を言っても、何の動きも無く取りあってももらえず、ただただ店舗展開に奔走し忙しいということが理由のようだ。

忙しいからお店の問題を放置していいということにはならないだろうし、何をおいても最優先で解決しなければならない問題だと思うのだが、これもまた企業の経営姿勢、理念の問題でということでしょう。

レジのお金をくすねている当人はスタッフに意地悪をするというのだが、Aさんにだけは優しく接してくるようで「Aちゃん。

お金負担するの大変だろうから私も少し手伝うよ」というそうです。

Aさんにすればそれが不思議で理解できない。

これは慕っているAさんに対するカモフラージュでもあり、少しの罪悪感、良心の呵責からでしょう。

いずれにしても、こういう問題を解決するには会社が動かなければどうにもなることではなく、個人レベルで対処することではないでしょう。

現場で働く人たちの環境を整備するのは、先ずは企業責任で行動しなくてはならないことです。

今回は個人の問題を取り上げましたが、これは企業姿勢、理念の問題かと思います。

悪いことはしない方がよい。

悪いことをすれば、後で悔いる。

善いことをするほうがよい。

為して、悔いることがないから。

悪を為さず、善をおこない、自己の心を清めること。

正しき教えを愛する人は栄え

正しき教えを嫌う人は敗れる。

悪人を愛し、善人を愛することなく

悪人のおこないを 自らも楽しむ

これは破滅への旅となる。

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愛を語るサディスト

怒り

ある御夫婦、御主人も奥さんも二人とも再婚同士で二人とも子連れの再婚だったがこの夫婦はお互いに幸せを感じて暮らしていた。

しかしこの御夫婦、奥さんの御実家に訪問して三度目にして「もうこの家に来ないでくれ」と奥さんのお母さんに言い放たれた。

「あなたが幸せになるならそれでいいのよ」と結婚を祝福してくれたはずなのに、娘の御主人が本音で物事を語ることが嫌いだと言うことと「肌が合わない」ということのようだ。

奥さんの実家では、子どもの頃から家族愛を口にして子どもたちを育ててきたというのだが、実家に出戻りしている奥さんのお姉さんまでがお母さんと同じように「あの人が来る時は私は家にいないから」と妹(奥さん)に宣言して避けているという。

御主人の実家では、正直を旨として子育てをしてきた環境だという。

本音で語ることはしても、他人の心を傷つけるような言葉を言うような人ではないと奥さんは言うのです。

そんな彼をどうしてこうまで言い切って彼を避けるのだろうか。

彼は子どもたちに慕われ、いい親子関係にある。

どうも彼の正直に本音で話す言葉が、家族愛という理想論を話すお母さんとお姉さんにとっては不都合であり、受け入れ難い存在ということのようだ。

娘さん(奥さん)はそんなお母さんとお姉さんの心ない言葉に打ちひしがれてショックを隠せずとまどっているばかり。

家族愛を口癖のように語ってきた親が、自分の思い通りにいかないことへの苛立ちに、出入り禁止を言い渡すというこの不条理は愛でもなんでもなく、愛を語るサディストでしかないということだ。(サディスト・他人に精神的、肉体的苦痛を与えて満足する人)

人は誰もが愛を求めます。

実はこのお母さん自身が愛に渇き、求めているのです。

自分が何よりも求めていることを、愛という言葉で表現することによって、自分の渇きを隠してきのであろう。

今の時代、「あなたが大切」と感じさせてくれる、そのような愛に飢えている人が多くいるということか。

「あなたが大切だ」と誰かに言ってもらえるだけで生きてゆける。

存在を認められるだけで 人はもっと強くなれる。

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