この地上で生きる目的
人生の十字路における選択とその結果については、積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るか、その人自身の判断によって決まるということで前回お話ししました。
つまりどのような選択であれ、その選択には必ず結果というものがついてまわります。
言いかえるなら、作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時にまた、寿命つきて霊界へ入った時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったことも地上の成果それによって決まるわけです。
あの世に行ってからのことなんかどうだっていいよ、この世にいてこその人生じゃないかと言った人がいました。
たしかにそれも道理ですが、しかし、この世で人生が終わるわけではありませんし、肉体から離れてもあの世では霊体に乗った魂が生活しているという厳然たる事実があるのです。
降霊すれば傍に霊がくるし、霊障を解放すれば事態の改善もできる事実がそれを証明していますし、こういったことがあの世の生活があることの証であります。
この世がすべてという人の思考、価値観は非常に限定的なものでしかなく、唯物的価値観にとらわれているといえるでしょう。
単純なようで実に複雑なのです。
作用と反作用、つまり原因と結果は物理的な道理ですがしかし、心にも作用と反作用は厳然として働いています。
「子は親の鏡」という言葉がありますが、子は先生が言ったようになるのではなく、親が為したようになるものです。
この道理は人間関係にも反映されます。
自己中心で他に接すれば相手からそれと同じような扱いを受けるでしょうし、心穏やかな慈愛をもって接すれば、やはりそのような慈愛に触れるでしょう。
自分が相手に為したように相手から返ってくるということをみれば、ここに問題があったからといって相手を一方的に責められるものではありません。
いつも不満と愚痴を言っていた人はやはり思わしくない人生に苦悩して生きています。
人生が思わしくないから不満や愚痴になるのではなく、不満や愚痴をいう心があるからそのように思わしくない人生になるのである。
人生は結果が先ではなく、心の想いが先なのです。
これは道理であり、ものの真理であり、法則なのです。
同時に地上生活に関連して忘れてならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それに伴って責任も回避できないということを知っておかなければなりません。
例えば、霊界から地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しているということ。
才能がありながらそれを使用し、活かさない者は、才能の無い人より大きい責任を取らなくてはなりません。
指導的立場にある者がその任を果たさないのと同じです。
またその才能を自己の欲心のために使用した者は霊界に還ってからそれだけの軌道修正を図るための非常に厳しい反省と心(魂)の調和の修練をすることになるでしょう。
少しばかりの霊的能力があるからといって営利主義に走り、財を成して豪邸に住み、きらびやかな衣装を身にまとい、貧しき者たちから報酬を得てもその金額に「私がこれだけ精いっぱいやってもこれだけのお金なのか」と不満の言葉を著書に記していた有名な霊能者がいたが、こういう人こそ、才と能力を持てるものの責任を取らねばならないということです。
一方、悲しみは魂の悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚(シンジン・ひととおりではなく非常に深い)なる意味をもつものと受け止めたいものです。
悲しみはそれが魂の琴線(キンセン・心の奥深く)にふれた時、いちばんよく心の目を覚醒させるものです。
魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。
悲しみ、無念、病気、不幸等は私たち人間にとって教訓を学ぶための大切な手段といえるでしょう。
心ある人は「病気をしてよかった」という言葉を発することがありますが、それは病気を機に大きな気づきがあったからで、正に琴線に触れるとはこういうことをいうのでしょう。
もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それは大した価値のないものということになります。
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えると思うのです。
繰り返し述べてきたことですが、宇宙の真理、心の法則は、魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べます。
霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはないでしょう。
こちらからいくら手を差し伸べても、それを受け入れる心の準備が出来ていない人の場合は霊的覚醒が叶うことはありません。
霊的知識を理解する時機(とき)を決するのは魂の進化程度によるものです。
その時機がこない人にとっては求めることもなければ、話しても価値を見いだせないものです。
肉体に包まれているあなたが物質的、この世的価値観を以ってその見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的モノサシで測り、考え、評価するのは無理もないことですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソードにすぎません。
言い方を変えると3次元的思考で4次元世界の広大さを推し量るのは無理があるということです。
心(魂)の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。
失意も落胆も魂の肥やしです。
魂がその秘められた力を発揮するにはいかなる肥やしを摂取すればよいかを知る必要があります。
それが地上生活の目的といえるでしょう。
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