座って観る

朝五時に起床。洗面を済ませて五時半から六時半まで、つかの間の瞑想三昧。

住まいが岩手山麓ですから春夏秋冬に朝な夕なに小鳥たちのさえずる声がいっぱい聞こえている。まさに小鳥合唱団によるモーニングコンサートの様は澄んだ空気に溶け込みクリーンなエネルギーとして魂を揺さぶる。

これほど穏やかな朝は私にとっては何物にも代えがたい貴重な時間帯。

自分も小鳥になり、落ちる木の葉になり、澄んだ空気になってしまう。

孤独は本来淋しさや悲しみを含んだ言葉と思うがこの瞬間の孤独はそうではない、私の心を静寂の世界に導き一切の出来事から離脱させてくれる瞬間でもある。執着から離れた瞬間といえるかもしれない。また心が満ち足りてくるこの状態は4次元エネルギーをもチャージ戴いていると実感する。

白隠禅師は、『寂滅現前するゆえに、当処即ち蓮華国、此の身即ち仏なり』と和讃の中でうたわれた。

心を静めると、今いる処がどこであろうと蓮華国(最高の境涯)最良の場所であり、最良の心境です。それを仏という。それが仏の心だ。と詠われています。宗派を超えた名僧の遺訓は何とも心を揺さぶり響いてきます。

返す

『生きるというのは人に何かをもらうこと。生きていくというのはそれをかえしていくこと』これは金八先生の言葉です。私なりにこの言葉を考えてみました。

私が着ている下着や服、私が毎日いただいている食べ物、私が毎日、住み暮らしている家、自分のものだといってもそれはお金を出して得ただけのことです。

自分で作り出したものなど何ひとつない。すべて人様のご苦労と恩恵を戴いたものです。みんな誰かのお世話になって得たものばかりです。

この衣食住については最低限必要なものがあれば用は足ります。欲しいもの、欲しい物という贅沢な欲望に振り回されると際限なく求めてしまう。そうなるといくらお金があっても足りることがない。

欲しい欲、求める欲のままに生きたら満足はその瞬間だけで心からの充足は得ることがない。人様に与える、尽くす心で接すれば喜んでいただける。その喜びは自分も感じる。これが金八先生の生きていくということかなと思えた。

ちなみに金八先生とは同い年。ドラマの中とはいえいいこと言うね。

ここ数年、身の回りの物を整理することを考え、行いながら暮らしている。

物がないというのはこんなにも心が落ち着き平穏でいられるものであろうか。

夢と現実

山のような海の水が迫ってきてついに頭の上をはるかに超える高さで覆いかぶさり飲み込まれた。死ぬかなと一瞬思ってはみたが呼吸もできてるし意識もある。到底、助かるはずのない波の高さなのに。はっと気付いて夢から覚めた。午前2時半のこと。

それから一週間後の3月11日地震のあと三陸沿岸は津波にのまれてしまった。

9月末に巨大な地震で山が崩れ、崩れた山から水があふれ川のように流れて下り甚大な被害が出た。やはり深夜にハッと気づいて目が覚めた。これも午前3時前の夢。地震と溢れる水、このような光景の夢は二晩続いた。さすがにいい気持ちではいられなかったし嫌な予感がしていた。この様な夢は昨年から何度もみていた。

夢のことは忘れかけていたが、その矢先タイの洪水や23日トルコの地震が報道された。

多くの震災犠牲者が出たこの天変地異をどう理解して受け止めたらよいのか考えさせられる。科学者や気象に関する専門家たちの中には天災は人災だとする人もいる。人災の意味は自然破壊を含んだ意味での発言だろうと思う。

アマゾンを切り開き輸出をしてお金に換える。発展途上国は公害を黙認しながら発展を続ける。かつての日本のように。先進国となった日本といえども原発で危機管理の甘さが露呈している。

自然破壊と経済の豊かさ。そして公害、原発は世界的な問題でもある。このような文明の発展と天変地異がいつも相反する逆行のなかで日々の生活、幸せ、愛とは、生きることの目的、人生の意味を考えてみました。

人類もいきものなら自然も生き物です。自分は自然に対してどれだけ感謝の行為をしているだろうか。ただただ自然から戴くばかりで自然のために尽くすことを一つでも行っているだろうか。そう考えた時に宇宙からの恵みを戴くことに比べたら全く尽くす行為は足りないことに気づきました。

今年は少しだけ植林をしましたが、とても自然へのお返しには程遠いもの。やはりそれぞれの立場で無駄をしないことが自分にできる最初の行為だということに気づかされます。使えるものは最後まで使わせて戴く。恵みに報いるためにも。

ちなみに自家用車は、これまで完全に修理不可能まで使い切った。こうなると廃車のときは愛着もあり感謝の念さえ湧いてくる。ありがとうと。

私は自然災害をみるときに温暖化など地球を含めた宇宙からのメッセージと思えてならない。皮肉なもので文明の発達は自然災害という天変地異のプロセスを経て人間の荒廃をも生み出す。そして心不在の科学は利益と破壊の相反する現象を知らしめる。

物に豊かになった分だけ心が貧しくなる現象は人類の業(ごう)でもあろうか。

せめて足ることを忘れず、日々の暮らしを不満なく、地球と宇宙に感謝の念を持って生きたい。

震災された人々の生きるたくましさに涙し、亡くなられた方の御霊に冥福を祈念いたします。合掌

『間合い』

長年行きつけの床屋さんに行かなくなってから3年以上になるが今は流行のカットハウスで20分の短時間で済ませている。便利なものです。

これまでのように話し好きな店主に相づちしなくてよいのが自分にとってどこか楽な気持があるからだろう。

以前、店主が口角に泡ではないが世間話に花を咲かせ批評するという流れは評論家並み?^_^;

しかし、疲れているときは早めに済ませて帰りたいと思うが話に夢中になるとハサミを持つ手が止まってしまい結局30分で済むものが終わったら1時間掛っている。

一方、家内が数カ月に一度カットが上手だからと行っている美容院。自分ペースな店主の話しかけにやはり疲れるという。女性の場合は所要時間が数時間もかかるのだから大変なものだろうと思う。私も、家内もこれってやはり年なんでしょうか。イヤ違う。年齢相応に体の衰えは認めるが気持ちだけは若いつもり。

私は仕事のスタッフには『話しは七分三部』聞き上手はいいが無駄話しで患者さんの負担にならないようにと指導をしている。患者さんは身体が辛くて来院しているから施術の時間内はリラックスした時間帯にしたいものだからです。

話しのやり取りというものは相手の反応をみながらする程度が一番ほどよいのかもしれません。いわゆる空気を読むということでしょうか。一方通行ではなく何事も間合いの取れた話し方でいきたいのだが(^_-)

春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり。つまらぬ事を心にかけねば、これがこの世の極楽だ。

自分の心に気にとめなければそれで済むことだろうが、私の心はマダマダできていない。

人と人の言葉のやり取り、言葉のない以心伝心を禅では人間(じんかん)と導く。

 

減薬、断薬が最大の薬

うつ病で朝の起床が辛い、家族のために食事の支度をする気になれない、掃除をする気になれない、人に会いたくない、スーパーに買い物に行くのがおっくうだ、感動がない、テレビを見たくない、無味乾燥で気持ちが沈む、等々の症状を訴える方の話を聞かせていただいた。

5年前から発症して現在まで心療内科に通院。抗うつ薬、睡眠導入剤、安定剤の3種類の薬を服用している。本人いわく全く改善がみられないため病院を複数回変えてみても薬を変えるだけで症状の好転はないとのこと。

心療内科での先生の対応と内容を確認させていただきましたが、『最初は10分ほどの時間でした』とのこと。次回からは症状を聞いて薬を処方するという流れで5分かからないという。

患者さんの深層心理まで把握することを考えれば時間的な不足は否定できない。30分とか1時間とかカウンセラーの常駐する心療内科も存在するが少ないし受けるとなると患者さんの経済的負担が大きくなかなか難しいのが現状でもある。

闘病生活が長引けば他院を訪ねてみたい患者さんの気持ちも十分理解できます。他者の意見を聞くという意味ではセカンドオピニオンという選択肢もある。しかし、今回のようなケースはドクターショッピングといえるかもしれない。病院を何件もはしごして渡り歩くことを言う業界用語です。

うつ病に苦しんでいる方のお話を聞いていますと、ネガティブ(消極的)、過去にこだわる、物事にこだわる、先を心配しすぎる、愚痴をいう、自分を卑下(自分は劣ったもの)する、全部ではないにしてもこのような共通性もあります。

うつ病になるきっかけは種々あります。最愛の人を失ったとか、仕事のストレスとか、人間関係のこじれとか、みな生きる過程の中で起こりえることです。しかし、原因はそれではない。このようなことは発症のきっかけであって根本的原因はその人の心の深層部分にある傾向性だと捉えています。

自分の傾向性(心の習慣、癖)を知り受け入れて認め自分の努力で軌道修正をしていく方は回復に向かっていきます。

薬で治るものという考えは依存的な思考性が強く根本的改善の妨げになっています。徐々に薬を減らし卒業できるように決心することが最大の薬となることに気づいていただきたいものです。

今回のカウンセリングは90分のカウンセリングでした。当初は沈んでいた目の表情も輝きを見せて、お顔も微笑みオーラが変化していました。継続して来院することを約束して1時間の道のりを運転して帰途についた姿を見送りました。

心から回復を願って。      傾向性は根っこ

もみじ

『うらをみせ おもてをみせて ちるもみじ』

良寛さんのこの詩がとてもすきです。さまざまな色合いの紅葉が目にも心にも染み入ります。

散りゆく葉がひらひらと舞いながら裏表を交互にみせている様は人生模様そのものにもみえて妙に見入ってしまいます。

 安らぎのうちに一日を過ごせる日は自然体で笑顔に満ちている自分がいる。

一方、些細なことでムッとしているときの自分は額にシワを寄せた気むずかしそうな顔だろうと思う。

 しかし、これはどちらも自分の(^-^)(;一_一)です。

人間の心はこれほどまでに揺れ動きやすいものであろうか。

 もみじの裏表はそのまま、我が心のうらおもてと重なり深く響いてきます。

些細なことにとらわれず自然のまま散りゆくもみじの如く生きたい。

       

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花の香り

今日がブログスタート初日で、初めての投稿となります。今回は下記サークルの話題を掲載いたします。

昨日10月17日は月に一度の『心と体の健康教室』が開催された日でした。

PM14時~17時迄。 参加者は老若男女問わず。自由参加。会則、会費なし。

時間内であれば途中参加、途中退場OK。参加しやすいです。無料。

会場は滝沢村ちゃぐホール2階会議室(毎月第二月曜日)興味のある方はどうぞ。

お問い合わせはメールkandou0822@yahoo.co.jp

先ず、最初は『第二回目うつ病の克服』について。具体的な取組み方がテーマで1時間。その後は下記内容のテーマで約1時間。最後の1時間はフリートークQ&Aの内容。  質問は何が飛び出すかわからない。参加者の疑問や悩みなど様々。

★決して失われないもの
ラベンダーの花の香りは
風に逆らっては広がらない。
しかし、善き人の徳の香りは
逆風にあってもひろがってゆく。

あなたが、何事も慈愛の心を以て行うなら、あなたの徳の光は無限に拡大して人々に安らぎを与えるでしょう。

得がたき主(あるじ)                                          私たちは他人に教えるとおりに、自らも行いたいものです・・・。

しかし、言うは易く行うは難しといいます。

自分をよく調えた人こそ、他人を調えるであろう。

自己はじつに制し難い。
自己こそが自分の主である。
他人がどうして自分の主であろうか。

自己をよく調えたならば、得難き主(ブレのない心)を得る。

★依存心                                                  わたしたちは、なにかを得ることで満たされようとしています。
しかし、得ることによって満たされようとする心は実はとても弱いものです。

何故なら、その得たものを失った時に悲しみ、不安、恐怖、挫折、失望感が深く長くなるからです。依存する心が生まれやすい経済力、財産、権力、物、地位、名誉さまざまなものを手に入れて幸せを感じる人は、それに「依存している」ことを意味します。

『お金があれば幸せになれる』実はそう思っているだけです。このような思考はお金を失えば争い不満を言い、愚痴を言うことになるでしょう。その意味では得ることは実は失うことでもありますね。

愛するものを失った時の悲しみは有って自然のこと。

しかし、依存心の強い人がそれを失えば苦しみは長期に及び続くのです。
依存によって幸せを得ようとする人は、つぎに依存するものを探します。

それにまた依存しては、失って苦しみます。依存心は尽きることがありません。

そのような人生はその繰り返しです。
結局「自分のものだ」と思っても、それらは、いつかは必ず失うことになるのです。           自分の身体さえも。

けれども、決して失われないものがあります。
それは、「自分といつも一緒にいるもの」「自分から離れずに一体のもの」               「自分の人格・人徳・調った心」です。

私たちは形あるものに依存する心を減らしていく習慣を忘れずに毎日を生きていきたいものです。言い換えると持ち物が少ないことの豊かさを大事にしたい。

お金は生活できたら由とする方が気苦労が少なくて心が平和です。

★相互扶助と依存心                                  他人に向かって、ほんの少しやさしくするだけでも、私たちの心は満ち足りてくるものであるが、依存心の強い人が他人に対してやさしくする動機は、他人に好かれたい、他人から拒絶されるのが怖いという動機からであるから、他人に優しくしても精神的な満足感が得られないものです。

他人から拒絶されるのが怖いという恐怖感から他人に親切にした人は、そのことによって、よけい他人から拒絶されることの恐怖感を強めてしまっているのです。

しかし、他人に対する優しい思いやりから親切にした人は、その行為のなかで安らぎを得るでしょう。

活動的な人のなかにも、恐怖感から活動している人もいれば、優しさを失わずに活動している人もいる。

その両者の違いは、本人のイライラした言動を見ればわかります。

イライラしている側は不安感や恐怖感、あるいは怒りから活動的なのであり、やさしさから活動的な人間は、行為のなかにも、行為のあとにも安らかさを味わっている。

そして、どちらが疲れやすいかといえば、当然、不安感や恐怖心、怒りから行動する人間のほうが疲れやすいでしょう。なぜならば、このような人間は、常にストレスにさいなまれているからです。 過剰なストレスが人間を疲れさすのである。

優しい思い、行動、言葉で人に接すれば、また自分も優しくされる。求めるより与えることを先にする生き方は結局、自分を幸せに、豊かにして満たす。

これが相互扶助の原点だと思います。

人間は依存心が強いと視野が狭くなってしまいます。

しかし、自分が自分がという思いは自立心とは別物。

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観童プロフィール

観童

★趣味  日曜大工 アウトドア 仕事

★宗教       特定団体へ所属なし(無神論者ではない)

★飲食       好き嫌いなし。どちらかというと和食が好み。腹八分目がモットーお酒とたばこは体が受け付けない。

★パソコン歴14年(俗に言う50の手習い)日々悪戦苦闘

★経歴、前科なし。道路交通法違反で反則金支払経験有り。(40キロ制限を15キロオーバー)

サラリーマンから自営業を経て整体師となる。

23年前の1988年にどうしても整体師になりたくて勉強をはじめた。

★整体師への動機。

20代の頃。交通事故でムチ打ち症になり10数年にわたり体調不良に苦しんだことで東北、関東地区の整骨院、カイロ、気功師、霊能者、整体院をかなり訪ねて体験。

それぞれ特徴があり技術のレベルに高低があることを知り、様々な療法を試みたが全く改善されなかった。

しかし、巷のとある初老整体師のこれまでにない施術で劇的に回復したことが決心させた。期するものがあり整体技術の研究をはじめる。

今日、観身堂で整体施療としての技術は整体スクールで学んだものではない。

多くの実体験から生まれた結果重視のオリジナルな技術です。現在も技術開発に研究研鑚中。これまで弟子20名が巣立っていった。

現在、うつ病、パニック障害、リストアット 自傷行為 過換気 過呼吸症候群、摂食障害、過食症、拒食症、自律神経失調症をはじめ、仕事、家庭、夫婦、人間関係、健康、心の悩みなど人生における諸問題、宗教トラブルなどに対するカウンセリングを奉仕(無料)で行っています。

ご希望の方はkandou0822@yahoo.co.jpまでお問い合わせください。