『間合い』
長年行きつけの床屋さんに行かなくなってから3年以上になるが今は流行のカットハウスで20分の短時間で済ませている。便利なものです。
これまでのように話し好きな店主に相づちしなくてよいのが自分にとってどこか楽な気持があるからだろう。
以前、店主が口角に泡ではないが世間話に花を咲かせ批評するという流れは評論家並み?^_^;
しかし、疲れているときは早めに済ませて帰りたいと思うが話に夢中になるとハサミを持つ手が止まってしまい結局30分で済むものが終わったら1時間掛っている。
一方、家内が数カ月に一度カットが上手だからと行っている美容院。自分ペースな店主の話しかけにやはり疲れるという。女性の場合は所要時間が数時間もかかるのだから大変なものだろうと思う。私も、家内もこれってやはり年なんでしょうか。イヤ違う。年齢相応に体の衰えは認めるが気持ちだけは若いつもり。
私は仕事のスタッフには『話しは七分三部』聞き上手はいいが無駄話しで患者さんの負担にならないようにと指導をしている。患者さんは身体が辛くて来院しているから施術の時間内はリラックスした時間帯にしたいものだからです。
話しのやり取りというものは相手の反応をみながらする程度が一番ほどよいのかもしれません。いわゆる空気を読むということでしょうか。一方通行ではなく何事も間合いの取れた話し方でいきたいのだが(^_-)
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり。つまらぬ事を心にかけねば、これがこの世の極楽だ。
自分の心に気にとめなければそれで済むことだろうが、私の心はマダマダできていない。
人と人の言葉のやり取り、言葉のない以心伝心を禅では人間(じんかん)と導く。
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