夢と現実

山のような海の水が迫ってきてついに頭の上をはるかに超える高さで覆いかぶさり飲み込まれた。死ぬかなと一瞬思ってはみたが呼吸もできてるし意識もある。到底、助かるはずのない波の高さなのに。はっと気付いて夢から覚めた。午前2時半のこと。
それから一週間後の3月11日地震のあと三陸沿岸は津波にのまれてしまった。
9月末に巨大な地震で山が崩れ、崩れた山から水があふれ川のように流れて下り甚大な被害が出た。やはり深夜にハッと気づいて目が覚めた。これも午前3時前の夢。地震と溢れる水、このような光景の夢は二晩続いた。さすがにいい気持ちではいられなかったし嫌な予感がしていた。この様な夢は昨年から何度もみていた。
夢のことは忘れかけていたが、その矢先タイの洪水や23日トルコの地震が報道された。
多くの震災犠牲者が出たこの天変地異をどう理解して受け止めたらよいのか考えさせられる。科学者や気象に関する専門家たちの中には天災は人災だとする人もいる。人災の意味は自然破壊を含んだ意味での発言だろうと思う。
アマゾンを切り開き輸出をしてお金に換える。発展途上国は公害を黙認しながら発展を続ける。かつての日本のように。先進国となった日本といえども原発で危機管理の甘さが露呈している。
自然破壊と経済の豊かさ。そして公害、原発は世界的な問題でもある。このような文明の発展と天変地異がいつも相反する逆行のなかで日々の生活、幸せ、愛とは、生きることの目的、人生の意味を考えてみました。
人類もいきものなら自然も生き物です。自分は自然に対してどれだけ感謝の行為をしているだろうか。ただただ自然から戴くばかりで自然のために尽くすことを一つでも行っているだろうか。そう考えた時に宇宙からの恵みを戴くことに比べたら全く尽くす行為は足りないことに気づきました。
今年は少しだけ植林をしましたが、とても自然へのお返しには程遠いもの。やはりそれぞれの立場で無駄をしないことが自分にできる最初の行為だということに気づかされます。使えるものは最後まで使わせて戴く。恵みに報いるためにも。
ちなみに自家用車は、これまで完全に修理不可能まで使い切った。こうなると廃車のときは愛着もあり感謝の念さえ湧いてくる。ありがとうと。
私は自然災害をみるときに温暖化など地球を含めた宇宙からのメッセージと思えてならない。皮肉なもので文明の発達は自然災害という天変地異のプロセスを経て人間の荒廃をも生み出す。そして心不在の科学は利益と破壊の相反する現象を知らしめる。
物に豊かになった分だけ心が貧しくなる現象は人類の業(ごう)でもあろうか。
せめて足ることを忘れず、日々の暮らしを不満なく、地球と宇宙に感謝の念を持って生きたい。
震災された人々の生きるたくましさに涙し、亡くなられた方の御霊に冥福を祈念いたします。合掌

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Posted by kansindo