恨みと感謝

同じ環境の中で同じように苦しく辛い体験をしても、自分の人生は何て「不幸な人生」だと感じる人もいれば、とても 「幸せな人生」だと感じる人もいる。
ということは幸せか、不幸かは「自分の心」が決めていることになります。
自分に都合が悪いと人のせいにしたり、相手を批判したり、責めたりしがちなのもまた人間。
私たちは「苦しい体験」をすることで心は痛みますが、受けとめ方を変えると心も体も楽になることに気付かされます。
私は物心がついた頃から父と母の諍い(いさかい)を見て悲しく悔しく、淋しい思いの中で育ちました。父の酒乱と暴力、4歳の頃から中学を出るまで続いたことが今でもその時の光景を描けるほど鮮明に脳裏に焼き付いています。
若さと幼さもあり思春期には父に対し憎しみを持ったのです。今でこそ感謝の気持ちでいますが、当時は若さとは言え随分と父には申し訳ないことをしたものです。酒を飲んで暴れる父の本心と苦悩を理解してあげられなかったことを悔いて詫びたのは父が逝ってからです。
誰よりも苦しかったのは親父で、そのことに気づいてやれませんでした。
●とある葬儀の場ですが、わが子を交通事故で亡くした母親は、葬儀の挨拶で
「息子は苦しまずに死にました。そのことを感謝します」と挨拶されました。                          加害者である運転手は飲酒による暴走運転でした。・・・
●平成7年3月20日、16年前の事。オウム真理教の地下鉄サリン事件の被害者である河野夫人は、しゃべることも歩くこともできなくなりました。
ご主人である河野さんは『オウム真理教の代表である麻原彰晃を、恨むという気持ちよりも妻が寝たきりであっても、生きてくれている事に対する感謝の気持ちの方が大きい』と言われました。
麻原彰晃を一生恨み続けるとは言われませんでした。
このお二人のように、とても悲しく悔しい出来事に対して「恨みの心」ではなく「感謝の心」で受けとめられることが出来れば、幸せな人生、つまり穏やかな人生を送ることが出来るのではないでしょうか。恨みや憎しみよりも遥かに大きく深い慈愛を感じるできごとです。考えさせられました。
如何なる環境や境遇にあっても『心の置き所』の大切さを実感いたします。

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Posted by kansindo