電話にでれない娘の悩み

今回の相談内容をブログに掲載することを快諾してくださった娘さんとそのお母さんに心から感謝を申し上げます。
併せて、この掲載がブログ訪問してくださる方々の参考になれば望外の喜びであります。
 
以下、
観童様、相談を快く引き受けていただきありがとうございます。
本来なら本人が相談すべきことですが、娘が直接メールすることに抵抗があるようなので、私が娘に代わってお伝えいたします。
今困っていることは電話がかかってきたときに声が出なくなってしまうため、電話に出られないこと。要件があって相手方に電話しなくてはならないときも、じぶんからかけられないこと。
アルバイトをしたいけれど職場の電話がとれないし、面接の依頼さえできないと意気消沈しています。
本人がネットであれこれ調べた結果、吃音の一種であり、行動障害や精神障害の可能性もあるということを知ったようです。
精神障害の診断が出れば障害者手帳をもらえるので、それをハローワークなどに提示すればそれなりの就職先を紹介してもらえるかもしれないと言っています。
それで私が「焦って決めつけないで、観童さんに相談してみたらどう?」と促しました。
というのもネットでの情報は特定の学者さんや偉い方の意見や研究の結果であって、それだけが正しいとは思えなかったし、もっと広い視野で考えることが必要だと直感したからです。
娘は幼いころから言葉の発達が早い方で、よく喋りボキャブラリーも多い方だと思います。今でも食事の時と寝ている時と何かに夢中になっているとき以外は何だかんだと喋っていて、話し好きです。
確か3歳くらいの時から吃音(た行など)が出て、親が特に咎めたこともなかったですが、小学校の国語授業の読みのときはかなり辛い経験をしたようです。
現在は普段の生活で吃音(た、た、た、というような)は出ていませんが、娘は自分がそういう質を持っていることを気にしているみたいです。
それと音楽(楽器と歌)が好きでステージで発表するようなことも時々ありますが、観客が大勢いても上がってしまうこともなく、普通に歌って踊ることができます。
親の私から見ると、決まった文章や、アルバイト先での接客マニュアル対応などに拒否反応が出たり、他人の発する波動にも影響されているのかもしれないと思えます。
逆に決まった枠に押し込められることなく、自由に自分を表現できる事や場所ではとてもスムーズに進むことができるのではないかなと。
私自身も小学校高学年まで学校に行っても一言も誰とも喋らず帰ってくるようなこどもでした。後で知りましたが選択性緘黙というらしいです。
そういうことからも私の親や先祖代々の不調和ということも否定できないと思いますし、成仏していない先祖の関与もあるかもしれません。
また娘や私の魂の学びであるのかもしれません。
ざっと書き出してみましたが、不明なところがありましたら、こちらのメールアドレスに連絡してくださるようお願いします。
娘共々返信をお待ちしております。
返信
「吃音(どもり)の一種、行動障害や精神障害の可能性もある」とのこと。
吃音はたしかに医学的には行動障害に分類されているようですが、要は、吃音がなぜ起こるのか、どうしたら少しでも改善できるのかでしょう。
事例を一つ上げましょう。
私の経営する院の若いスタッフに、ひとり吃音る人がいます。
私は彼にゆっくりと、落ち着いて話すことを忘れないようにと指示しそれを継続することを提案しました。
結果、完全ではありませんが、随分と吃音ることが減り通常の会話と何ら変わらないところまで修正できました。
彼の個性はひとことでいうと、「せっかち、早口、頑な、生真面目、まっすぐ」です。
これは彼の長所部分でもありますが、短所の部分でもあります。
当初、彼には心のバランスを偏らせないようにとアドバイスしてきました。
娘さんの家での会話が通常通り?なのに、電話に出れない、かけれない、という背景には一言でいうならば、「極度の緊張」が潜んでいると思われますがお母さんからみてどのように感じているのでしょうか。
会話の速度は、早口ですか?普通の速度ですか?スローですか?
「極度の緊張」ということについてですが。
大勢のひとがいてもあがらずに普通に歌い、踊ることができる人が何故電話ができないのか。
電話もおなじように人を相手にしているのですが、違う点は、目の前に人がいるのと、いないのとの違いでしかありません。
目の前にいたら会話ができて、電話のように相手の姿が見えないだけで会話ができないというところが注目すべき点ではないでしょうか。
考えてみますと、
相手の姿が見えることで安心感がある。
相手の姿が見えないことで不安感がある。
ということではありませんか?
この点について娘さんに確認をしてみていただければと思います。
考えられること。
相手の姿が目の前にあって会話するということは、お互いの顔や目、姿かたち、服装、動き、こういったことが確認できることになります。
これは娘さんにとってはコミュニケーションをとるにあたってとても会話がスムーズに成立しやすい条件なのではありませんか?
そうだとすれば、逆の姿が見えない人とのコミュニケーションはやりにくいという意識があるかどうかです。
一般的には、顔をみて会話するより、電話での会話の方が難しさはあると思われますが、お母さんはその点どう感じますか?
医学的解釈で分類して、吃音の一種だとか、行動障害や精神障害の可能性がどうだとかいうより、もっと単純に苦手意識の延長上で電話に出れない、かけられない問題とは考えられませんか?
ここで視点を変えてみましょう。
私がこれまで経験してきたことを霊的な視点から述べますが、
お客さまからかかってくる電話の場合、相手の心の状態によって受話器を手にして第一声を聞いたときの感受反応がまったく異なります。
これは私が人間の持つ波動エネルギーに敏感であるということでわかる感受反応です。
相手の心から発する波動エネルギーは粗雑であるか、柔らかで穏やかな波動であるかによって受ける感覚が違ってきます。
こういうことを分らずとも直感的に電話から伝わる波動を嫌がって避けているのであれば、それは霊的エネルギーに対する防衛手段と捉えることができるかと思います。
私が思うには娘さんは霊的なエネルギーには敏感なタイプであり、無防備でいるとその影響の為に娘さん自身が心身の乱れを起こしやすいのではないかと思われます。
あまり霊的な視点を強調することも良くはありませんが、かといってそのことを無視することも片手落ちになろうかと思います。
ですから、霊的な部分に関しては今後、娘さんに理解できるように説明をして受け入れてもらうことも必要かと思います。
これまで述べたことを一考願えればと思います。
そのうえでお返事をいただければまた対処させていただきます。
観童
 
受信
娘がどうしても今すぐ伝えてしてほしいと泣いていうので、夜分に申し訳ありませんが、メールさせていただきます。観童さんからの返信は翌日以降で構いませんので。
以前フランチャイズの写真屋でバイトをしていたとき、スムーズに話せるようにと「練習」をさせられたのがきっかけで、言葉が出しづらいのが悪化したとのことです。
本人が言うところでは、対面の場合普通の会話はできるが接客マニュアルに従ってはなさなくてはならないような時言葉が出ない。(たぶんプレッシャーを感じているのかも)
アルバイト先での「おはおうございます」や「いらっしゃいませ」も言うことができない。
電話の場合は家族とかよほど親しい人でなければ話すことができない。
これは指摘されたように、相手の姿や表情が分からない不安があるからだそうです。
娘の特徴としてはせっかち、まっすぐ、以前はやはり早口でした。
「人と話す時、ゆっくり落ち着いて」というアドバイスについては今まで何人もの人に言われてきたらしく、とても嫌がります。
「私の気持ちなんて何もわからないくせに!」と。
今夜は遅いので、続きは明日メールさせていただきます。
 
8月17日 返信
「私の気持ちなんて何もわからないくせに!」
この言葉は過去に起きた出来事に対してそう思ったことだとは思います。
そしてこのようなケースは世の中にたくさんあります。
ここに事例を一つあげてみます。
40代後半の主婦二人、親友を自負するAさんと、Bさんがいました。
Aさんはガンを発症し、片方の乳房を全摘手術しました。
転移を避けるために抗がん剤治療を継続しました。
費用も毎月10万円ずつかかりました。
Aさんはご主人が大酒のみで仕事も休みがち、給料も少なく、生活に困窮していました。
AさんはいつもB さんを呼び捨てでしたが、しかし、BさんはいつもAさんを〇〇ちゃんと呼んでいました。
実はBさんのほうが3歳年上です。
仲はいいのですが、Aさんはいつも強気発言で、強引で、お金がないのに見栄っ張り、
そんなAさんの話をBさんはいつも聞き役、受け止める役目です。
ある日、BさんがAさんに言いました。
〇〇ちゃん。ガンを患って辛いだろうけど、そういう風に心を取り乱しばかりいては回復も遅れると思うよ。
こういうときこそ心を冷静にして調えることをしたほうがいいんじゃないの?
そしたらAさんは言いました。
「あんたがガンを患ったわけではないでしょ。私の気持ちなんて何もわからないくせに!」と。
Bさんは戸惑い を隠せず、返す言葉を失いました。
その後もAさんは問題発言をしてBさんの心を深く傷つけたのです。
それ以来、この二人の長年の友情関係がプッツリと切れました。
Aさんはいつもご主人の愚痴を言い、社会を呪い、他を批判していました。
私は、随分とAさんの考え方、言動を注意したものです。
しかし、最後までAさんの心には落ちませんでした。
どれほど苦しんでいても、助けてほしいと心からそう思って素直な気持ちで手を差し出さないと、その手を引くことはできません。
自我心が強ければ強いほど素直になれないのが人間の心です。
「受けた被害を強調する人の心には、隠れた敵意があります。」
この敵意の背景には自分中心的エゴが潜んでいます。
自分の問題を、他にぶつけるときの言葉は逃避であり、言い訳の道具でしかありません。
逃避、言い訳、これは人間のエゴであります。
自分の思うようにいかないことに立腹することもまた人間の最たるエゴであります。
人間は少なからずエゴを持ちえていますが、その程度によって社会との孤立が深まってくることを気づかなくてはならないでしょう。
人間のエゴは、感情の起伏となって言動に表れてくるものです。
電話に出れない、かけれない。
このことだけに目をや ると事の真実、真相を見失ってしまうでしょう。
根本的な心の改善を心掛けることから始める方が最善の道かと思いますがいかがでしょうか。
 
8月17日 受信
返信いただきましてありがとうございます。
過去に小学校の担任の先生や親しくしていた人から言われたそうです。
当時は娘も子供だったので「ゆっくり落ち着いて話すように」という指示の前に
「言葉がでなくて今日は辛かったね」というような受容の言葉、共感が欲しかったのだと思います。
比較や競争ばかりのこの時代、子供だけでなく大人も優しい言葉をとても必要としているのではないでしょうか。
それでも娘も二十歳になり成長しているわけですから、自分のことをもっと解ってほしい!というエゴに気づいて行かなければなりませんね。
観童さんの仰るように電話に出られる、出られないということに固執するよりも根本的な心の改善から始めるということが必要だと私も思いました。
その辺は娘が受け入れやすいように導いて行くことも私の役目かなと思います。
生きづらくて嫌だ。と言って泣いたり当たったりしているけれど、このまま行けばいつか孤立するということを一番わかっているのは本人だと思うので、その辺も併せて話をしてみようと思います。
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