失敗・挫折・無駄骨の効用

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釈尊とは仏陀「真理に目ざめた人」の意味
一般には釈迦とよばれている釈尊は、古代ギリシアの大哲学者ソクラテス、イェス・キリスト、儒教の祖である孔子とともに『世界の四聖人』に挙げられています。
また釈尊がはじめて説いた「仏教」は、「キリスト教」、マホメッ卜が開いた「マホメット教(イスラム教・回教とも)」とともに『世界の三大宗教』の一つです。
釈尊が生まれたインドは、歴史のない国、と言われるほどで、とくに古代には正しい記録がないといわれております。
はっきりと年代がわかるのは紀元前三世紀のアショーカ王朝からのようです
したがって、釈尊の生誕年代にも諸説がありますが、紀元前四六三年誕生説をとっておきます。
釈尊は八十歳で没したとありますから、その生涯は、紀元前四六三年からおなじく三八三年の間となります。
ということは、釈尊はキリスト(紀元前四年生誕)より459年先輩で、孔子(紀元前552年生)より89年の後輩となるわけです。
釈尊の出生地は、ヒマラヤ山麓の小王国、インドのカビラヴァースト(千葉県ぐらいの面積)という地で、そこの統治者、釈迦族王家に王子として生まれます。
釈迦族はアーリヤン系の人種(異説あり)のようです。
このように、釈迦″は種族の名ですから、種族名に敬称をつけた″お釈迦さま″の呼称は、本来適当ではありません。
現在は″釈尊(迦牟尼世の略称)″と呼んだり書いたりするのか通例になっています。世尊は聖者と同意語です。
西洋人はブッダ(仏陀・目覚めた人)と呼んでいるようです。
ブッダは梵語の音写で「真理に目ざめた人」の意味です。
釈尊は、母のマーヤーの右の腋の下から生まれたと伝えられますが、その理由は決して偉人説話ではなく、インドのカースト(封鎖的な身分階級)の深刻な史実を伝えているのです。
インドでは現在でも数多くのカーストがあり、近代社会への発展を妨げています。
釈尊の当時では、四姓(種)のカーストがありました。
第一階級の「ブラーマン(世襲宗教者クラス)」は、神の頭から生まれ、
第二階級の「クシャトリヤ(武士)は神の腋の下から生まれ、
第三階級のペイシャ(農工商クラス)は、神の足の股から生まれ、
第四階級のスードラ(奴隷クラス)は、神の足首から生まれると信じられていたのです。
釈尊はクシャトリヤ(武士)階級だから、脇の下から生まれたとするわけです。
50年前も現代もインドのカースト制は職種とからみあって複雑です。
古いこのカーストの不合理な階級差別が、上記のようにかくも具体的に示された点を重視すべきです。
また、カーストの事実が、のちに釈尊をして「すべての人間を公平に見る真理」を求めさせます。
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釈尊の誕生時の像を「誕生仏」と言いますが、七歩あるいて右手で天を、左手で地を指しています。
そして「天上から地底まで、いつ、どこでも、誰もが真理の命を持っているから人間は尊いのだ(天上天下 唯我独尊)」とかけがえのない人間の尊厳性を訴えた相を表わします。
「天上天下 唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん」と言っても、おれが世界で一番偉いんだ、という思いあがりではありません。
「三界は皆苦しみなり。我まさに之を救うべし」
この三界とは、欲望の世界のことであり、物の世界であり、精神世界のことです。
人間の生きる場は、つねに苦しみに充ちている、私がこれを救ってあげようと。
もちろん、生後間もない赤ん坊が、指さしたり、歩いたり、発言するわけがありません。
釈尊の誕生にちなんで、のちの人が『釈尊の教え』とは、こういうものであると、誕生に寄託した「仏教の宣言」にほかならないのです。
私たちは合理的解釈に慣れて、とかく伝説や説話を、非合理だとして葬りがちです。
しかし、″火のないところに煙は立たぬ″の譬えどおり、伝え話は何を表象しているかを読みとるのが大切です。
た、伝え話の形を借りなければ、合理的にはどうしても表現不可能の人生の事実があるものです。
また釈尊が誕生偶を唱える前に「七歩あるいた」という伝え話があります。
この数字の「七」はインドでは「永遠」の意味です。
すると、永遠の真理とは何かとの問いかけにもなります。
のちに臨済宗を日本に伝えた栄西禅師が、
「大いなるかな心や、天の高きは極むべからざるなり。しかるに、心は天の上に出づ。地の厚きは測るべがらざるなり。しかるに、心は地の下に出づ」と言っているのは、この誕生仏のことば、つまり「誕生偈」です。
意味は、
なんと心は大いなるものか。
天の高さは極めることが出来ないほど高い。
けれど心はその上に出ることもできる。
地の厚さは測ることができないほど厚い。
けれど心はその下に出ることもできる。
というところでしょうか。
また大応国師(禅僧)は、[衆のためにつくせ]といいます。
衆は人間です。「衆のためにつくす」とは、自他のため、つまり「自利利他」です。
自分が苦悩を知って、はじめて他者の苦悩かわかります。
すると他者の苦悩が自分の苦悩と受けとれます。
自他の区別なく、つくしてゆくのが「衆のためにつくす」ことです。
苦悩に限らず、喜びや楽しみの場合も同じです。
この自他の差別のない、おおらかな心の誕生こそ、人間の原点であり祝福に価いするものでしょう。
よく「他のためにする」と言います。
たいへんカッコイイのですが、あまり気張ると、そのことに偏り過ぎるがゆえに破綻を生じます。
実際に人の為にと少しばかり海外の途上国への寄付を隠れ蓑(みの)にして信者から金を集めているカルト教祖がいます。
それでも信者は教祖の教えを信じて経済的に無理をしてまでお金を寄進するのですが、家庭はうまくいくはずがありません。
「他のために」、それよりも、すなおに自分が一番可愛いのだと認めることです。
そして、愛する自分のために、自分で納得のできる生き方を精いっぱいするのです。
精いっぱいとは無心です。
執着せずに為すことです。
無心とは充実した心です。
それが自利となり、そのまま利他となるのです。
花が無心に咲くところに″精いっぱい″のよろこびを他に与える事実を感じます。
それがわからない人の心には、エゴが渦巻いています。
エゴと自利は違います。
エゴは自分を愛するのではなく、自分を食い物にしている寒々としたとした存在です。
また、ある修行者が、おなじく大応国師に質問します。
「釈尊の歴史上の誕生の事実は別として、釈尊はいま、どこにいらっしゃいますか」と尋ねます。
つまり、永遠の釈尊の実在を知りたいというのです。
国師は「脚下を看よ」と答えます。
看脚下、つまり足もとを看よ、とは自分への問いかけです。
自分を見つめ、自分の中に分けいり、自分を学ぼうと思い立ったそのときこそ、ほんとうの意味で、永遠に生きている釈尊、つまり真理に出会えるのです。
それは、尊敬する人と死別して幾十年後に、その人の教えが、すんなりと自分の胸の奥にストンと落ちたときが、深い意味でその人に出会えたといえるのです。
作家の故吉川英治さんは、青年時代に川柳に熱中した時期があったようです。
そのころの作に、
「あめつちの  中に我あり  一人あり」という詩があります。
川柳というより俳句と言ったほうがいいかもしれません。
自分がそうであるように、私たちの周囲の人たちもみなそれぞれ、かけがえのない「絶対の一人」なのです。
絶対の一人とは、それぞれみな″心″を持つ人ということです。
釈尊の誕生をただ単にお釈迦様の誕生と理解するのではなく、わが光(魂)の誕生と受け止めれば、「天上天下 唯我独尊」は、釈尊だけの叫びではありません。
私たちが「生命の尊厳」に目ざめてのよろこびの声となります。
さらに、どこの赤ちゃんの泣き声にも、犬や猫の鳴き声にも、小鳥の鳴き声にも「天上天下 唯我独尊」と「永遠のこころ」の尊厳性が叫ぼれているのを実感しなければならないでしょう。
私たちの迷いを表現した先の三界メリーゴーランドのように果てしなく回転する心の煩悩、執着した状態をいいます。
それを欲・色・無色の三つに分けて三界とします。
専門的解釈はとりあえずおいて、先ずは「現実の人生」と受けとめたいところです。
2500有余年前も、今も、現実の人生は確かに苦です。
それを安らげるために釈尊は生まれたのです。
釈尊の誕生を歴史的事実だけにとどめず、私たちの向上心の誕生と同時点に置くと、新しい人生が展開します。
大分古い話ですが、関根けいさんという一主婦のことばですが、彼女は、毎日新聞の「女の気持」欄に投書して言います。
「花は美しくてやさしい。
花は大をなぐさめてくれる。
花は大に愛される。
花はどのようにふまれても耐えて春を待つ。
花は人の心を明るくする……私は、自然を愛しながら、あたかいに親切をつくし、世の中を明るくするような人間になりたい。
花のように、木のように……」
「花の誓い」、あるいは「花のこころ」とでも言ったらいいでしょうか。
こうした誓いの心を持つのが、また釈尊の誕生は我が光なりという自他の区別が無い心に通じるのでしょう。
「目的のための難行苦行は無意味である」
釈尊の出家前の名をシッダッタといいます。彼の誕生後七日にして母のマーヤーは没します。そして母の妹、つまり叔母に養育されます。
また彼は幼少のころ、恒例の農耕祭を観覧しますが、たくさんの牛が鋤を引いて土を起こすと、いろいろの虫が掘り出され、それを小鳥がいち早くついばんで飛び去ろうとすると、どこからか猛鳥が襲って奪い去ります。
自然界の弱肉強食と力の闘争に、シッダッタの心は大きくゆさぶられます。
それは、人間社会でもおなじだからです。
とくに当時のインドにおけるカースト制は、より残酷な仕打ちを人間に科しています。
母に早く死別したこと、生物世界に見る非情で力の争いが盛んであること、おなじ人間でも差別があることの三点が、彼を深い苦しみに追いこむとともに、思索にふけらしめます。
ほんとうのしあわせは、心身両面の安らぎを得なければならぬこと、ラソクづけでは決定されない人間の真実の価値を発見しなければ、心身の安らぎは得られぬこと、この探求がシッダッタをして出家せしめた原因である、と私は考えます。
彼は、出家前に結婚したヤスーダラとの間に、一子ラーフラがあります(ラーフラは、のちに父のもとで出家し、十大弟子の一人となる)。
しかし、妻子への愛情以上に、人生の真実の幸福を追求する念のほうが強く、ついに父と妻子を城内に置いてただ一人出家します。
このとき、シッダッタは二十九歳。
彼は、それから六年間、苦行生活をつづけます。
そして、「これほど激しい苦行をしたものは過去・現在にはいない。未来にもけっしていないであろう」と、師も仲間も極めをつけるほどの成果を挙げます。
しかし。この体験の結果、「何かの目的のためにする坐禅や、自分の欲望を適えたいための荒行や、霊能力を得んがための難行苦行は無意味である」との結論に達します。
彼は、求道のためには教えられたとおり、すなおに心身を打ちこんで実行しました。
しかし、実際にやってみて、それがまちがいであることがわかれば、すぐに改めるのが彼の生き方です。
実行して反省し、改正する真剣な生き方です。
彼にしてなお、六年のむだ骨を折るのです。
身体を傷めつける荒行、難行苦行は、痛みや空腹に耐える行にはなっても心に安らぎを得て大悟することにはならないと気づき、それを捨てて菩提樹の根元に乾燥した草を敷いて死の決心で禅定に入っていきます。
やがて時が過ぎ、七日目の朝に明けの明星の光にふれて彼の心には静かではあったが、大きな爆発がおこります。そして今までわからなかった人生の疑問が氷が溶けるように一つ一つさわやかに解けていきます。
12月8日、暁の日とされます。
文字通り大聖者の誕生です。
自分の心の中に宇宙がある、宇宙のなかに自分がいるという「宇宙即我」の境地です。
六年間の無駄骨、このむだ骨を折ってはじめて、心の眼が開かれたのです。
むだ骨を折るのはいいものです。
僭越(せんえつ)ではありますが、私自身、学生時代に勉強など嫌いで仲間との遊びに興じていましたし、社会に出てからもたくさんの挫折を味わいましたし、組織のなかの矛盾や人間不信も体験しました。
思えば遠まわりをしました。
しかし、結果は、それがありがたかったのです。
詩人の、をさ・はるみ氏は、
「私が 私になるために人生の失敗も 必要でした ムダや苦心も 骨折も 悲しみもすべて 必要でした 私が 私になれたのもみんな あなたのおかげです 恩人たちに 手をあわせ ありがとうございます と一人ごと」
とあるのを知り、すっかり共感を覚えたものでした。
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