不妊・霊的な視点

問診
従来、社会的意識として不妊の原因は女性側にあるとされ、長期間妊娠できない女性は夫ないしその家族から離縁されることもあり、またそれは慣習的に認められていた歴史がある。
古い話ではあるが、同様に女児ばかり妊娠する女性も離縁の対象になることがあった。
しかし前述の通り不妊の原因は男女ともに存在し、女児ばかり妊娠する場合は男性側に起因する場合もあるとの医学的見地がある。
なお、1989年に至って、一部のフェミニストの言い分は「健康上問題が見られないのに不妊が病気であると言う考え方は、子供を設けられない女性は一人前ではないと言う考え方に至る。その上不妊治療による女性への身体的負担は非常に大きい。また、独身者の場合は問題とならないという側面からも病気とは認められない」などとして、不妊症が病気ではないと否定していた例が存在する。
2010年現在日本国内においての不妊症の治療は、何らかの病名がついた場合においての個別の措置に対しては健康保険が適用されるものの、人工授精、体外受精などには保険は適用されない。
これを根拠として不妊は病気でないと主張する人もいる。
いずれにしても妊娠できない女性の多くは葛藤があり、心身ともに辛く肩身の狭い思いをされている方が多いのである。
さて、きょうは霊的視点から不妊の実態に迫ってみたい。
人間はこの世に生まれる時期がくると、今度の人生はこういう心の学習をして魂のステージアップをしてこようと人生設計を立ててから出生する。
その人生設計は過去の人生経験から、より一層の学習をするためには、どのような環境が最も自分にはふさわしいか、誰を親とすることが自分の成長につながるのだろうかと、周りの同胞たちと相談したり、魂の縁者たちと相談をし、約束をしたうえで生まれてくるのである。
なかには厳しい環境を自らに課して、それを承知で選び下生する勇気ある魂もいるのだ。
あの世の天上界からこの世に生まれてくる時に、過去世では十分に子供に関わる仕事して学んだし、自分の子どもでも子育ての学習をしたから、今度は子供を持たずに、そのために自由になった時間を他のことのために使って人々のために尽くし、魂の向上を図ろうということを人生計画として生まれてくる人達もいる。
しかし、人間は生まれたその瞬間に天上界での自分自身の約束、誓いを記憶していない。そのために好き勝手な目先の欲望に翻弄された人生を生きる人も多い。
天上界に居る時は立派な志を立ててはいても、いざ、この世に下生すると自身の志もどこへやら、日常の生活や人間関係にも円滑さを欠き、心を曇らせてしまうのだ。
あの世で子供を産まない人生設計を選んだ人の場合、夫婦はお互いに愛し合い、性生活を忌避するのでなくても、この世的な心情から欲しいという気持ちをたまに持つことがあっても、子供は生まれない可能性が大きい。
これは自分が生まれる以前に心に誓ったことが地上に生まれてからの想いよりも優先されるという、あの世とこの世の仕組みによる結果であることを意味するものです。
また後天的(誕生後)には子どもは欲しいが夫を尊敬できず、性に対して不潔感を持っている人の場合にも妊娠しない場合があるから、子どもを欲しいと願うならば夫に対するその心を改め、本来の温かい愛で接することである。
また前世で子供を沢山持って「ああ、子供のことでこんなに苦労するくらいだったら、もう子供はいない方がいい。」と強く思った人は、その思いが潜在意識に深く残っているために、その心の通りに今生では子供を持てないことになる。
また、子供があったのではできない、何か人の為に成る仕事をして、その仕事を通して周囲の人々を幸せにすることを使命として生まれて来た人達も子供を持たない場合がある。
後天的には夫の精子の問題や、インポテンツなどによる性交不能、妻の卵子の不具合など、肉体的疾患による不妊という場合も多いだろう。
だから、子どものない人達は、自分たち夫婦のことだけに執着したり関わり合ってばかりいないで、社会のために自分にできる形で奉仕することに喜びを感ずる生活をしなければならないのである。
人間としてこの地上に生まれてくるということは、あくまでも『魂の向上』というこの一点の目的のためであるということ。
子どもができた、できない、病気をした、健康だ、精神的悩みがある、成功した、失敗した、幸せになること、これらはすべて人生の目的ではなく、魂向上のためのファクターであり、プロセスでしかないと悟らなければならないだろう。
前世で自分の子でありながら、自分で育てず他の人に面倒をかけた人は、今度は自分が他人の子供を育てなければならないと言う事になって、養子をするということになる場合もある。
その養子となった子供は、今生では他人の子供であっても、前世では自分の子供であった場合もあるのですから、たとえ今生では自分の腹を痛めることはなくても、自分の腹を痛めて生んだと同じように育てると上手くゆくのであるが、いささかでも他人の子供を育てると言う心の隙があると、養子との間が上手くゆかなくなる。
養子の場合は、その点の自分の心のあり方を大事にすることである。
子供のない生活体験をしてみて、その一生の終わりの時に、やはり子供があった方がよいと思うと、この次に生まれた時には子供を持てると言うことになるのです。
ここまで述べてきたことを、ただのこじつけと解釈するならそれも致し方なし、なるほど、それもまた道理であるとして謙虚に受け止めて生活するなら必ずやご自身の人生が平穏なものとなるであろう。
人生は子どもがある無しだけで左右されるもであってはならないし、最も深奥な魂の向上という、この世に生まれてくる意味、目的を忘れてはならないのです。
何故なら人間の身体は医学的根拠以上に精神的影響が健全な発育や健康に与えるところが大きいということだからです。
実際にそれを理論的に説明している世界の医学者の数が増えてきている。
ご主人に心から感謝して性生活を不潔だという思いをなくして、自分の心を愛の心で暖かくして、夫を通して天上界で約束した子供を受け入れるという心になることが大事です。
胎教1(クリック)で言ったように、親も子も、あの世の天上界での約束によって霊(魂)が受胎をしてくれるのですから、心身ともに調和して安らかにしていれば、通常なら必ず立派な赤ちゃんを生むことが出来るのです。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ  にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

岩手県 盛岡市 無料 カウンセリング kandou0822@yahoo.co.jp