正しい指導者の条件
職場における上司、さまざまな場における先輩、教師、講師、アドバイザー、コンサルタント、教祖、といった指導者としてのいろいろな立場があります。
高度な技術をもちながらも、営利主義に偏り過ぎたために人が離れていくケース。
あまりにも一方的で傲慢なやり方をして人が離れていくケース。
ウソが多すぎて矛盾に気づき、人が去っていくケース。
こういったことはいろんな業界、場面でみられることがあります。
良い指導者としての資質というのはどういうことをいうのだろうか。
ある面では、専門的な知識や経験が豊富なこと。
そしてさらに一般常識が広いこと。
そして、それらを基礎として全体からモノ事を見て適切、且つ、偏りのない判断が出来ること。
こういったことは基本としてなくてはならない要件だろうと思うのです。
会社などにおいては、本来は自分でも出来る、そのことを部下などの他人に任せるのですから、何故そうするのか、どのようにするのか、その結果や評価は、そして反省はと、相手に納得させられなくてはいい指導とは言えないだろうと思います。
自分に厳しく、他人には寛容に、とよく聞きますが、必要な時は、あえて厳しい姿勢を貫いても、そこに他を思う、真の愛情と期待があれば、たとえ一時期の反発があろうとも、結果的にはむしろ強い理解と信頼と調和が得られるものと、指導者自身も信念を持つことも大切でしょう。
私の院内でスタッフの仕事の様子を見ていて、彼の足りなさ、ポイントに手が行き届かないという失敗は当然予測できるときがあります。
一度の失敗は見逃し、二度目は注意だけでなく方向性をも示し、三度目には、これは根本から指導のし直し…..と、自身の方向性をしっかり持つとともに、その失敗に対する善処の策も考えておかなければならい。
指導する相手に対しては、誰にでも差別なく、常に公平であること、言動が常に偏らず、安定していること。
これもまた不可欠な条件と言えるでしょう。
そして、自身に正直であること、素直であることも。
しかし、指導者だからといっても同じ人間です、必ずしも人格が高潔である必要はないと思うのです。
勿論、反社会的な言動や、マナーに反する態度などはもってのほかではありますが。
指導者もまたひとりの人間、人間臭い面があってしかるべき。
むしろ、そうした人間臭い弱点が見えることを隠さないことこそが、指導する相手の信頼と絆の基礎になる場合もあると思うのです。
私も小さな院を営む立場でありますが、自身は大いに人間臭くて、「アットホームな感じで気楽に来れます。」とよく来院者に言っていただきます。
若い人との年齢差があるような場合には、あえて相手に迎合しようとしないこと。
といって、彼ら独特のギャグや洒落に即座に切り返すぐらいのウイットも欲しいところ。
わざと挑発に乗ってやるぐらいの度量もあればなお良しではなかろうか。
良くない指導者
専門的な知識に欠け、一般常識の範囲も狭く、視野が狭く、実務上の知識にも経験にも欠け、一人の人間として感情的であったり、傲慢であったり、話しが二転三転したり、利己的であったり、一貫性に欠けるようではよろしくない。
それ故、正しい判断と全体からの計画性に欠け、また、正しい指導や教育が出来ない。
ことに、なによりも現場の実体を正確に把握していないことは何をかいわんやである。
したがって一旦、問題がが起きると、その本質を理解出来ないまま、大慌てし、まず部下に怒り、責任を転嫁し、対処を押し付け、保身を考える。
またそれ故に、自身では進んで正しい対処を出来ず、やろうともせず、適切な対処法を指導することも出来ない。
意欲も無く、その性格や日頃の不適当な言動によって、部下や指導の相手を掌握出来ていず、信頼も得ていない。
私自身も、これまで何十年と、人を育てるには何が大切かを考えては実践してきました。
まだまだ未熟であり、進歩したい思いは潰(つい)えることがありません。
しかし、私自身は決して精神論だけに走らずに、物事を具体的に示せる体制でありたいと思っている。
ですから、自らが、規範を行動で示せる人間でありたい。
宗教界の正しい指導者
もういちど整理をして述べておきましょう。
正しく人を導くことができるを人は、すべての人に対して寛容であります。
正しい指導者は、見ること、思うこと、語る事、行うことに拘りや、執着がなく、決して傲慢ではない。
そして、正しい指導者は人の心を観る力にも優れていますし、冷静さと知性に溢れていますから、周りの人たちの甘言に欺されることは絶対にない。
宗教の世界においてトラブルがあれば、あれは側近が悪いのだ、教祖は悪くないといわれている教祖がいるが、そういう教祖は人を見る力がないといっても過言ではないでしょう。
この世で悩み苦しんでいる人たちに対して正しい生き方、心の在り方を説かれる人の場合、高次なステージの魂ほど、単独で、一人でこの世に出てこられることはない。
高次な魂の人というのは、例えて言うならば、仏教的には、如来界の人、つまりお釈迦様であり、キリスト教的には、イエスキリストその人です。
こういったステージの魂は、必ず手足となって働く人達を引き連れて、グループを持って出てこられ、後に巡り会って志をひとつにする。
過去においては、釈迦の場合、十大弟子とか、キリストの場合、十二使徒といわれる優秀なステージの人があったようにです。
こういった弟子たちはこの世での単なる偶然によって弟子になったのではなく、あの世においてすでに弟子として輪廻してきたなかで再び、この世でも一緒にやりましょう、という約束のもとに降りたのです。
だから、現在目本の宗教界に「自分は釈迦の生まれ変わりである」と一人でいっている人もいますが、その人は手足となって働いてくれる本当の縁生によるグループを持っていないことをみれば明らかなように二セモノだということがすぐわかるのです。
正しく人の道、生き方、心の在り方を説く師は、人が聞きもしないのに、自分から先に「私は〇〇である」というような白己宣伝めいたことは絶対にいわない。
普通の人間でも「私は社長である」と吹聴して歩く人があったら、まともな人とは思わないでしょう。
人間を教導する立場の教祖や霊能者が「私は〇〇の生まれ変わりだ」などというようなら所詮低俗な迷導者ということだろう。
また、私自身は、人間が造った伽藍、神社、仏閣だけが神聖な場所ではなく、真の神殿だとは思いません。
この宇宙そのものが、神がつくられた神殿であるという考えからすれば、正しい高次な境涯にある師は、人の手でつくるような神殿はつくられないし、また、神を祭る儀式もされない。
それでも正しい師の場合は、「救われるのは心」だということを知っておられますから、心が救われることは説かれても、金で救われることなどは決して説かれない。
例をあげれば、金を捨てれば業を捨て、徳を積むことになり救われるとして教団に金を寄進、浄財、喜捨するように説く人はニセモノである。
会員をふやせ、本を買えというのもニセモノである。
まして、教祖の写真を高額な価格で買わせてご利益がある、などとするなどは全くもって論外である。
正しい師は、心の安らかさの大事さを知っておられますから、人に恐怖心を与えるようなことは絶対にいわれない。
また、最近は、過去世とか、前世ということをあまりにも簡単にとりあげて語る傾向がみられますが、これなども非常に危険性を感じてなりません。
ほとんど信憑性に欠ける問題を殊更に語る人たちは、ブームの先端を行くが如くに、あなたの過去世がどうのというように語り、書き、公開して一喜一憂させるのですが、必要か否かということからすれば必要とは思わない。
正しい師は「こうしないと罰が当たる」「やめると罰が当たる」というようなことは絶対にいわない。
「こうしないと裕福にならぬ」「本を買わないと幸福にならぬ」といういい方は、それを裏返しにすると、「そうしないと不幸になるぞ」という強迫になっていることになる。
正しい師は、心の大事さを知っておられるので、絶対に感情的になりません。
会社においては部下が意見を、教団においては信者の言ったことに対して、すぐ感情的になる人は心のできていない人です。
正しい師は、自分の服装や食べ物や、その他のことについて、いろいろいわない。
きらびやかな服装をし、形を重んじ、服装や装飾でランク付けをし、美食を好み、いろいろ叱言をする人はニセモノである。
正しい師は、「素直に信ぜよ」「無条件に信ぜよ」と絶対にいわない。
「まず疑え」「疑問を持て」といわれる。
疑って疑って、もうこれ以上は疑えなくなったというところで信じなさいといわれる。
信者が質問したりすると、「あなたはまだ信仰が足りない。信ずれば疑問がなくなる」というようなことは絶対にいわない。
正しい師は、霊魂が存在すること、人は輪廻転生するものであることを正しく証明する力を持たれ、それを無理強いしない。
このような判断基準をはっきり知って、自分の考えをも客観的にみるならば、ニセ宗教家や霊能者、占い師もどきに迷わされることはなくなるでしょう。
地球の変化
今年一年の気象をみても異常がみられるように、これから地球上の気象が世界規模で変化していき、今後の長い時代の流れとともに、逆にエジプトなどは人間が住めるような豊かな緑地帯に変化してゆくものと思われます。
現在エジプトは日本の倍以上の国土ですが人口は8千万人ちょっとぐらいで国土の広さからすれば多くはなく、大部分が砂漠地帯です。
今から七、八千年から一万年前、エジプトに偉大な文化が発展していたということは、あそこにたくさんの人間が住める豊沃な土地、森林があったということでもあります。
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