無理の弊害

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仕事は一生けん命するするまじめな人なのに何故か人に嫌われる男性がいました。
彼は自分の価値観と都合を強引に話し、それを人に押し付ける傾向があった。だから周りの人は彼を避けようとしていたのです。
しかし、当の彼自身が避けられ、嫌われていることに差ほど気づいていない。
人間なにかにとらわれてしまって心のバランスを崩すと素直になれず、ついつい無理をしてしまうことが多々あります。
「無理をしてはいけない」ということは、百も承知なのに、その無理を繰り返してしまいます。
無理をしないということの意味を具体的にいうと、道理に反することをしない、理由がたたないことをしない、行ないにくいことを強いてしない、というようなことですが、これはごくあたりまえのことのようにも考えられます。
しかし、このあたりまえのことが、実際にはなかなか守られにくい。
例えば、信号が赤に変わっているのに無理して車を進ませた結果、青信号で進もうとした車両と接触寸前で一瞬ヒヤリとした経験はないだろうか。
能力以上の仕事を無理してかかえ込むとか、あるいは他の人に対して物事を無理強いするというようなこともないだろうか。
こういう無理によって、どのような状況が発生してくるのかというと、それはあまり好ましくない結果になる場合が多いように思われます。
つまり、信号無視の無理をすれば事故につながるとか、能力以上の無理をすれば失敗して大きな損失につながってしまうとか、あるいは無理強いをして人の反発を買い、争いになってしまうというように、往々にしてマイナスを生じかねないと思うのです。
だからそういった無理はしない方がよい、ということは、これはだれでも一応は知っているだろうとは思うのです。
しかし、実際はなかなかそういう好ましくない状況がなくなりません。
これはいったいどうしてでしょうか。
何故、そういう無理がなされるのでしょうか。
なかなか一言ではいえないものが色々とあるのだと思います。
例えば、その時の必要に迫られて、結果のマイナスなど考えてみる余裕がなかったため、無理を承知で決行した、というような場合もあるでしょう。
また、自分自身の都合とか欲にとらわれてしまい、結果、賭け事で取り返しのつかない大損をするとか、遊びに夢中になって徹夜の不摂生をつづけるといったように、良くないことは承知だけれども、ついつい無理をする、または人に無理強いをする、というような場合もあるかもしれません。
このように、いろいろな場合があろうかと思います。
しかし、そういった状況を通じていえることは、結局のところ、拘りや、執着が先走って人間本来の素直な心がないということ、つまり偏りすぎた心の為に素直な心が働いていないから無理というものが生じてくる、ということではないでしょうか。
つまり、なにかの必要に迫られて心に余裕がなくなるというのも、これはいわば一つのことにとらわれた姿であって、自分を振り返ってみる素直な心のない姿であるともいえるでしょう。
また自己都合や目先の欲にとらわれるという姿は、まさに偏ってしまった素直な心のない自分そのものであるともいえるでしょう。
すなわち、お互いが無理を承知で無理をする状況というものは、お互いが自己都合に走り、素直な心をもたずに、いろいろなことにとらわれるというようなところから生じてくる場合が多いと思うのです。
このように無理をするのは、単に個人の活動においてだけではありません。
団体としての活動の上においても、また更には国家としての活動の上においても、いろいろと無理をするような場合が起こることもあるわけです。
しかし、国家活動の上に生じる無理というものは、たとえば戦争とか社会混乱などの形であらわれるというように、とかく非常に大きな弊害をもたらしかねないということを、私たちは正しく知る必要があると思います。
そして、そういう姿に陥ることのないよう、お互いの人生なり社会活動はもちろん、国家活動の上においても偏りがなく、無理がなく、素直な心が慟いてゆくようにするために、お互いが更に冷静に一層の工夫と努力を重ねてゆくことが肝要ではないでしょうか。
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