魂・精神・意識・心とは何か
精神活動
人間の精神活動である、精神、心、意識、魂について、その一つひとつの概念が釈然としないという人たちもおられることでしょう。
いったい想念とはどういうものか、心とは何を言うのかということについて説明をしてみたいと思います。
先ず、肉体を支配して動かしめているものは脳ですが、その脳を支配して生命を動かしているものは精神です。
精神とは文字通り神の精であり、神のエネルギーです。
人間の生命活動は精神の働きなくして一日として維持することはできません。
もちろん、肉体は様々な食物からカロリーを補給しますが、食本能という精神活動がなければ、生物の生存は不可能だということになるでしょう。
心とは、その、神の精というエネルギーを受ける受け場であり、器といってよいでしょう。
器である以上は、人によって大きい、小さいがあります。
心の大小によって、人の役目も決まってきます。
心の小さい人は大きなことができません。
大きなことをするには大きな心でなくてはなりません。
それだけに、心は、人間の精神活動の中心に位置し、心こそは、神につながっている基点であり、絆でもあります。
心から流れてきた神のエネルギーは、人間の意識を形成します。
この意識活動がなければ、自分の存在も、人の存在も認識できません。
自分がここにいる。人があそこに立っている、という判断は、心によって受けられたエネルギーの波動を媒体として、自我という意識活動が行われるからです。
想念というのは、
内部からの意識活動と、五官を通して入ってくる善悪美醜などの波動の混合されたエネルギー活動です。
つまり、想念は五官による影響が非常に大きく、人間の意識も想念によって非常に左右されることになります。
この意味から想念の浄化は意識の浄化につながり、意 識の浄化は今世の役目にめざめさせ、果たさせる大きな要素となります。
次に魂ですが、
魂は想念の合成されたその全体を言います。
人の意識は表面10%、潜在90%の比で構成され、人は大抵表面10%の意識活動で生活しています。
したがって五官に左右され、あるいは翻弄されるのはこの10%表面意識のみで生活しているからです。
己の魂を向上させるには、まず90%の潜在意識につながることであり、それには、まず想念を浄化すること。
つまり、五官に左右されない生活を送ることが大切です、ということになります。
また、人間は、誰しも、神仏の精、すなわち精神エネルギーそのものがあればこそ、万物の霊長として、人間それ白身を成立させているわけです。
いうなれば意識の中心点です。
人間以外の動物、植物、鉱物の場合は、地上世界の調和のための媒体として、生 かされているといえるでしょう。
つまり、人間はそれらによって、エネルギーの補給を受けています。
ところが人間は自ら生きている生命体です。
生きている理由、生かされているものとの相違は、一切の事象を認知する能力、大宇宙と己との一体観、これです。
動物その他については、その能力を求めても、求められるものではありません。
次に神仏の精を受ける受け場、器が、各人の心です。
心そのものは、エネルギーの受け場、慈悲と愛の織りなす光体そのものの場であり、私達が日常生活において、心に問う、心に聞く、自問自答、反省の相手は、意識の中心にあるところの、この心です。
上の円は紫、ブルーの部分が10%の表面意識、薄い水色部分が想念帯、黄色から赤の部分が中心部分の心。
90%の潜在意識(心)が、想念帯や表面意識に強く働きかけて いる場合は立派な徳性となって表面に出、人びとの範となります。
しかし、心や潜在意識の弱い場合、あるいはその働きのない場合は、いわゆる迷える魂と言われるようになってきます。
心は前述の通り、働きですからエネルギーそのものであり、そのエネルギーはそのまま波動になります。
円の中心は心ですから、中心の波動は緇かく、円周に近くなるほど荒くなっていきます。
ということは、表面意識という五官に左右された思いというのはどうしても荒い波動となります。
それは言葉が荒ぶれたり、態度が荒々しくなるとをみれば判断がつくでしょう。
90%の潜在意識(過去世、守護霊)の層は、心に通ずる世界です。
いわゆる守護霊、指導霊の住む世界であり、それは各人に等しく内在する、心のふるさとでもあります。
そして、本当の意味での守護霊というのは、誰かが後付けするようなもので決してありません。
各人の正しい努力、その一念力は、その守護霊をして、いざとなると他の上段階にある知人、友人の指導霊の応援を求めることができます。
守護霊そのものの力が、かりに弱い場合でも悲観することはないのです。
心に問う、聞く、ということは、普通は90%の潜在意識、つまり守護霊に聞け、ということです。
潜在意識そのものは、光のエネルギーです。
各人の守護霊は、そうしたエネルギー(潜在意識)の世界に住んでいますから、そのエネルギーを、創造、自由、智慧にかえることができるのです。
光のエネルギーは、万物を育む力を持っており、また万物の根源であり、同時に、この世にあるものは、異なった姿かたちであの世にもありますから、その人に必要なものは、守護霊が無限に供給し得ることが可能になってきます。
世に言う天才児の才能は、90%の潜在意識の一部が、その子の大脳に働きかけるために起きと理解してよいでしょう。
その子の守護霊があの世で学んだことをダイレクトで教えるために、本人が今世で学んだことのない、大学生でも解けないような高等数学を解くことができたりするのです。
しかし、その天才児が、増長慢となり、俺は偉いというような優越感や、おごる心に支配されますと、守護霊の働きはとまってしまいます。
これはなぜかと言いますと、たとえば、電気を自由に流すためには、ゴムやベークライトでは電気は流れません。
銅、アルミといった導体物質でなければなりません。
これと同様に、守護霊は光に包まれており、光の電磁的作用でその者に教える(通信する)ので、それを受け入れる導体物質(表面意識)が増長慢という不導体物質のベールに包まれると、光を通さなくなるからです。
人間の精神のエネルギーを受ける心に、慈悲や愛とは正反対の、人を見下す増長慢や怒りの想念があっては、光が通じなくなるのはあたりまえでしょう。
天才が一夜して鈍才に変わるというのも、こうした理由によると思っていいでしょう。
つまり、愚痴、怒り、足ることを知らぬ欲望などの「心の三毒」が生まれ、天才と言われていた人が心の曇りをつくっているために、守護霊も指導霊も指導できなくなり、直感、予感から浮かびあかってくる天才的な力が閉ざされ、凡人となってしまうのです。
人間は、心の窓を開いた時に智性という無限に近い、そのような力を与えられていくものです。
心が正しく覚醒すれば、我々は物質とか地位とか名誉とか欲望だけを満たそうとするもの、そういったことの愚かさを自分自身で納得できるようになります。
そして、人間の心が本当に調和されてくれば、より豊かな文明が発達し、調和された社会が築かれてゆくでしょう。
それだけに心を失った文明はやがてお互いに環境を破壊してゆくだけです。
人間の偏りのない価値観こそ永遠のものであり、私たはこの偉大なる心を今、盲目の中から探り当てた、その光明を調和と安らぎの中に生活することが大事ではないでしょうか。
次回は「想念帯について」アップ予定しております。
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