人間の想念・魂の仕組み

心
想念帯
想念帯は潜在意識と表面意識の境界部分に位置し、その両意識がまざり合った精神世界です。
したがって、表面意識と潜在意識は、この想念部、つまり想念帯を通じて連動して働くようになっています。
ここには、各人の過去世、前世、あの世での生活の記録と、現象世界、つまり、この世における後天的経験のすべてが記録されており、これを調べる場合は、この想念帯を正しく知ることができれば可能となるわけです。
人間の意識は二十四時、経験と記録の連続であり、年中無休です。
たとえ眠っていようともエネルギーに休息はあり得ません。
想念帯とは、過去世の記録と現世の経験の記録集積所でありますから、各人の現象世界での運命は、ここで握られていることになります。
つまり、決まっているのです。
それは職業的に、経済的に、地位的に、いろいろな面にわたって決まっています。
たとえて言いますと、想念帯が映画のフィルムとすれば、現象世界この世での各人の生活は、そのフィルムから投映された映像になるわけです。
宿命は変えられないが、運命は変えられるといいます。
しかし、各実際のところ、人の運命には上限と下限とがあって、その間を上がったり下がったりして一生を送ります。
上限とはその人の運命の好調時、下限とは最低時、一番苦しい時期です。
しかも、上限、下限と中間の間を、行ったり来たりして、その一生を終わる場合が多いのです。
それでも本人が自分の欠点を省みて一切の拘りや執着を捨てることで人生が好転することは良くあることです。
うはいっても人間は多少なりとも業を背負って生きているものであり、自分ひとりだけでそういった正しい生き方に気づくことは困難な場合が多々あります。
ですから現在肉体を持っている上段階・光の天使の正しく真理に適った人生観、倫理観の教えに触れることで気づきも早くなり苦悩から解放されて人生が好転することはよくあることです。
偏りのない、執着しない、正しく調和された人生の法則というものを理解するようになりますと、下限に落ちることはなく、上限にまで、自分の運命が切り開かれてゆきます。
いずれにせよ、各人の教養、徳性、ものの見方、考え方、行動というものは、この想念帯に影響されるところがすこぶる大きく、それは、今世での知識、学問を越えたものです。
各人の心理状態もその大部分は、想念帯の影響を受けています。
笑い、悲しみ、怒り、苦しみなど、人によってその感受性は異なります。
実際に他人からみて些細な事と思われるようなことであっても、本人にとっては逆鱗にふれて怒り狂うようなこともあります。
これがその人の魂のステージの違いといえます。
同じ冗談でも、ある人には笑いであり、ある人には悲しみになったり、怒りになる場合がしばしば見受けられます。
これは、10%の表面意識の作用もありますが、それ以上に、想念帯の振幅に本人自身が動かされているためなのです。
こんにちの心理学は、この想念帯の振幅の研究と言ってもよいでしょう。
もっとも心理学も進み、深層心理から、超心理学までありますが、これらは、前回投稿した90%の潜在意識の領域に多少入り、予知、予言、透視などのさまざまな研究とも関連してきます。
この意味では心理学も相当進んではきたと思われますが、潜在意識層は、次元の異なる世界ですし、あの世の生物(地獄霊、悪霊、動物霊)が徘徊していますから、興味本位、当てもの主義、名誉欲があって介入しますと、邪悪なものを呼びこみますから気を付けなくてはなりません。
真に科学として己が空となり、人類のために役立たせることにあるならば、その研究は、たしかに実を結ぶことになるでしょう。
霊的な心理学探究にも危険性は常に伴います。
私達は、よくよく気を付けなければならない分野だと思います。
 10%の表面意識
ここは五官の世界です。すなわち、眼、耳、鼻、舌、身、それから判断の基点となるところの各人の意思、小我があります。
ともかく表面意識は外見に敏感で、形の世界にとらわれ、この世的な価値観に偏る傾向があります。
そうして、人より偉くなりたい、金が欲しい、美しい人を側におきたい、うまいものを食べたい、楽しいことをしたい、美しい着物を着たい、高級な外車に乗りたい、見せたい、といった意の働きが強く出てきます。
人間の苦の原因が、すべて人間の五官から発する意識にあるというのも、私達が、この表面意識の作用に左右されてしまうところにあります。
通常、大脳の働きは、表面意識と想念帯が、その働きを統御しています。
大脳そのものは単なるパソコンのソフトであり、そのパソコンは、表面意識と想念帯が統御しているわけですが、本当はこの二つの意識は指令室ではなく、指令センターは、その奥の潜在意識なのです。
ところが、想念帯の層は非常に厚く堅いために、人はなかなか指令センターの正しく間違いのない指令を受けることができません。
正しく間違いのない声を聴くためには、潜在意識の声を聞こうとする反省と調和が必要です。
反省は人間の持つ特権であり、人間再確認の人間だけが与えられた機会であります。
ですから、反省こそ、我ら人間の人間たるゆえんであり、精神向上に欠くことのできない、一大要素であると言えます。
自己保存・黒い想念
五官による意識に左右されますと、その人はやがて、病気や怪我、その他さまざまな障害に見舞われるようになってきます。
なぜかと言いますと、人間は本来、調和された魂をもった存在であり心の内には愛と慈しみを備えたものであって、慈悲と愛、調和を目的として、この世に生を受けたものですから、これに反するような想念と行為は、当然それに応じた反作用を伴うことになるからです。
権力は奪うもの式に、やっと手にした権力者は、今度は追われる立場となって、身の安全に夜もろくろく眠れない日々を送る。
金持ちは、その金を失うまいとしてギュウギュウとする。
憎まれ者は、絶えず針の山にその身を座しているようで、四六時中、腰を浮かして生活しているのです。
こういうことはつらい話です。
世にはばかりながら自らを裁き、苦しんでいる。
これもまた宇宙大自然の法則からすれば当然の報いであり真理の姿なのです。
人は外見ではわかりません。
善人に見えて、実は自分の利害だけしか考えない者もあるかと思えば、悪人のようだが、無類の善人もいるのです。
口先や姿形では、人の心はわかりません。
大事なことは、私たちの一生はこの世だけではないということです。
各人にはそれぞれ過去世があって、今世があり、あの世もあります。
そして再びこの世に出て、あの世に帰る。
こうした繰り返しの中に、各人の一生は連綿として続いているということなのです。
この世で悪を重ねれば、あの世でまた悪の清算をするために苦悩しなければなりません。
しかし、こうした事実は、キリスト教でも仏教でもこれまであまり明らかにされず、そのために人びとは、表面意識の五官意識にとらわれ、執着して生きているうちが華という考えに陥ってしまうのです。
しかも、こうした五官意識に各人の意識、魂が支配されますと、表面意識と想念帯に黒い塊りができ、動物霊や地獄霊がその人に憑依し、難病や事故死、自殺などをするようになってくることも多いのです。恐ろしいことです。
光の天使の役割
人間の地上における日的は、各人の心の調和と地上の楽園の建設にあるといってもよいでしょう。
この目的は、人間自身が神性仏性を備えた存在であるからです。
万物の霊長である人間が、なぜ動物のようになり下がったか。
それは長い地上での生活にふり回された結果でしかありません。
オギャーとこの世に生まれた途端、人間はあの世での生活を忘れます。
忘れる理由は、前世、過去世のおさらい、償い、そうして、あの世での生活の経験を、どう生かせるかの心の修行があるからです。
覚えていては、その修行の目的は、なかば失われます。
一般的にはこのように過去世、前世の記憶がなくなって誕生するように仕組まれているのです。
最近は前世のことについて、芸能人の前世がどうのとか、有名人の前世がどうのとか、前世について頻繁に触れているブログも多々あるようですが、必ずしも前世を知ることは必要なことではありません。
今の生き方が最も重要なのであります。
人類は地上の他の動物が進化して現在の人間になったとは私は考えておりません。
すべて他の天体からこの地上に降り立ったと受け止めております。
その当時の人びとは心の調和がとてもよくとれ、地上はユートピアそのままだったようです。
人びとの年齢は数百歳を保ち、年もとらずに、意識はあの世とこの世を自由に行ったり来たりしたもののようです。
その当時は、人間には原罪というものはなく、結婚して子供ができても、その子はあの世の生活を知っていたでしょう。
ところが子孫が子孫を生むようになり、歴史を経て地上の生活になれた人類は、次第にあの世との交通が途絶え、五官意識にふり回されるようになったのです。
つまり罪をつくり始めたわけです。
罪をつくれば、当然、その罪の償いをしなければなりません。
蒔いた種を刈り取ることは、自然の法則だからです。
かくして人間は、あの世からこの世に生まれ出る時に、あの世の生活、前世、過去世を忘れるようになったのです。
つまり己自身の心の修行が目的となったのです。
修行とは心の調和、神性仏性の心に帰る修行です。
同時に、ユートピアを再びつくること、この二つの目的、これが人間の使命であり、責任であるわけです。
人類にこの二つの目的を自覚させ、果たさせるため、いつの時代もそうですが、過去において偉大な光の天使がこの世に現われたのです。
光の天使は、「宇宙の原理、人間の心在り方、慈悲と愛の神理」を説くために現われたのです。
釈迦の説いた教えは、宇宙の原理、慈悲と愛でしょう。
イエスキリストは150年後くらいにはカナダに再誕して愛を説くでしょうし、それによって、その時にはじめて地球政府ができるでしょう。
そして、700年もすれば世界の国境はなくなり、宗教の違いもなくなり、人種差別もなくなり、世界規模で自由に行き来できる真の世界平和が実現されてくるだろう。
その時まで人間はさまざまな経験をしなければなりません。
人間が小宇宙であることの自覚、小宇宙であればこそ、大宇宙と一体となり、一切の事実を認知できるということ。
それは心という一点で大宇宙と結ばれています。
心を通じて、小宇宙と大宇宙は通い合えます。
人びとの心には神性仏性があり、宇宙は神仏そのものでしょう。
地上の現象世界に降りた光の天使は、神仏の命によって人々の心の眼を開かせる役目を担ってきました。
ところが人々の心は、転生輪廻という長い歴史の過程に、諸々の五官による想念、諸々の罪を重ねてきました。
想念帯というカラの中に、人々の心は埋没してしまったということです。
そのために、普通では90%の潜在意識は特殊な人でなければ開けないといったありさまとなったのです。
心が調っていませんから潜在意識が開けても、動物霊や地獄霊の支配を受けるのがオチです。
いわんや正しく守護霊・過去世の声を聞くことはまず不可能であり、自分の思い込みや先入観、あるいは想像で語るその業界の人たちが殆どです。
またそういう状況に落ちこんでいるのが現代人です。
各人の意識は各人の意識であり、その自由意思は神仏が与え、各人が所有するものですから、自分の意識は自分で調和していかなければならないのであって、十字を切ってアーメンとやってイエス様に委ねるということではないでしょう。
それだけの特権を人間各自が持っています。
したがって、各人の守護霊も、想念帯がこれを迎え入れる自覚が出てこない限り、自由にはならないし、表面意識に顔を出すことさえできないのです。
霊道そのものは、いろいろな諸事情が加味されて開くものです。
それは神仏の計らいであり、光の天使の状況判断にかかっています。
同時にこれを受け入れる各人の意識そのものにも理由はあります。
いずれにしても、人生の苦悩する原因を悟り、神理を悟った天使の話を聴聞することによって、想念帯を覆っていた各人のこれまでの考え方、想念、教養、徳性に変化が起こり、既成概念に各種の疑問が湧いてきます。
そうした疑問は、やがて回を重ねるにしたがって、だんだん氷解されてゆきます。
しかし、疑問そのものは各人それぞれに異なり、次第に高次元化されてゆく人もあります。
疑問の内容がちがうということです。
疑問の連続、そしてその回答の積み重ねは、やがて心に通じます。
守護霊は、あの世とこの世を見ており、各人の生活を四六時中見守っていますから、その人の意識の状態、魂の状態いかんで、いろいろと指導します。
その方法は各人各様です。一概には言えません。
霊道が開いたということは、天使の光がその人の意識に入ったことであり、同時に、内からの光が外に出たことを意味します。
想念帯に窓が開くその典型が霊道です。
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