普変的な法則
道行く人の顔をみても、ショッピングをしている人の顔をみても、普通、表面からはその人の心の苦悩まで知ることができない。
しかし、人間は誰しも悩み苦しみを抱えているものだし、経験するものです。
苦しみのない生活をするためにどのような生き方をしたらよいのだろうか。
その答えはあるのです。
私たち人間の道は、中道に沿った調和の生活にあります。
中道とは、右にも左にも上にも下にも片寄らない、執着しない、囚われない、こだわらない生き方である。
となると、人間の道は、調和された繰り返しという普遍的な法則のなかにあるわけです。
したがって、ここでいう法則とは、繰り返す循環の法則であり、循環の法則はこの地上界のあらゆる事に内在し、働き、適用されています。
正道(正しい生き方)の生活とは、この意味で循環の法則に沿った生活であり、バランスのとれた生活です。
バランスのとれた正しい生活とは前述の通り、中道の生活であり、中道の生活は、人びとをして調和の生活に導いてゆくものです。
中道の生活は愛と慈しみの生活であり、その想念行為は再び自分にめぐってくるものです。
自己保存の片寄った独りよがりの生活は、この地上界が相互扶助の調和を軸に動いているものですから、当然それに沿わない不調和な生活は、その反作用として、苦しみを招くことになるのです。
作用すれば反作用が働くという循環の法則が働いているからです。
正しく生きることの目的は、人間関係の調和にあります。
人間関係とは、夫婦、親子、兄弟、友人、隣人、そうして個人と社会の関係であり、それは、まず自分の足元から始まって、全体にまで発展してゆく調和のリズムであり、波動であります。
夫婦の関係は、たがいに足りないものを補い合い、よき子孫を育て上げてゆくものであり、親子の関係は、過去世の縁によって生じたものなので、親は子をいつくしみ、子は親を敬(うやま)うのは当然なことです。
兄弟は、たがいに向上し合う切磋琢磨する間柄であり、友人は、社会生活上のよき協力者といえましよう。
こうした人間関係の調和に一貫して貫く柱は何かというと、それは他を生かし、助け合う「愛」の心です。
愛こそ、調和の姿であり、この地上の光なのです。
この地上は、男女の両性から成り立っています。一方が増えても困るし、減っても困る。
男だけでも、また女だけでも人間社会は成り立ちません。
考えてみて下さい。もし、一方だけが存在し。一方が存在しないとすれば、人間社会は、百年を待たずに絶滅してしまいます。
これでは、この地上界に、平和なユートピアもできません。
男女の両性があって、家庭があり、はじめて、社会生活が生まれ、子孫を育てることができます。
子育てをするには親のエゴを子どもに押し付けてはならない。
そのためには、夫婦の心が通い調和されることが第一であろう。
人類の永遠の生活は、こうした男女の両性の存在によって可能であり、調和ある平和なユートピアも完成されてくるのです。
男女の両性にはそれぞれ特性と役割があり、それぞれが助け合うことによって調和されます。
色心不二という中道の精神はここでも生きています。
現象界(3次元世界)は、天地に分かれてはじめて空間が生まれ立体となり、生命の生きる場がつくられます。
地球は南極、北極に分かれ、地球の自転、公転を正しく回転させ、地上の生命を育てています。
人間の世界も男女の両性があって、人間社会が永遠に続いて行きます。
調和、中道、愛、慈悲という言葉の意味を現実的に、実際的によく考えていただきたい。
そして、こうした言葉が現実的に生きてくるのは、常に複数という関係の中においてです。
これらの言葉は単独では決して成り立っていないことを考えてみて下さい。
正しく道に精進するとは、私たちが複数の相互関係という社会の中で、他を生かし、助け合ってゆくことによって、はじめてその意義が生まれ、本来の目的に適ってくるのです。
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