霊能力者と魔界


これまで私のところに、何人かの方がグラウンディングを行って体調を崩し、精神的におかしくなったといって訪ねてきた方がいます。勿論、正しい指導をし、忠告をし、浄化をして事なきを得た。
グラウディングは近年、流行りだした言葉であり、悪い行法(トレーニング)ではないだろうが、それを熟練した者の指導で行わないとリスクがあることは意外と知られていない。
理由を一言でいうなら、精神的不調和な状態でその行法(トレーニング)を行うから危険なのである。
この行法は、大地のエネルギーを取り込みチャクラを意識したり、心身を浄化する、或いはアップさせるとはいうが、ヨガ行法とも共通するスピリチュアルな分野のトレーニングであることには変わりない。
瞑想や霊的な能力や信仰というものは心を統一させる作用を持っており、間違った方法や方向、不調和な心で統一すると魔界の生物と同通してしまうことになり非常に危険である。
私は、ある初老の女性霊能者に会う機会があった。『自分は世界平和を願っている。自分は誰々の生まれ変わりだ。人類とあの世を浄化する使命を持っている』と歴史的に名の知れた人物を名乗り、神仏を熱く語るのであった。
この女性霊能者、会場にいた人たちの一人を指し、『お前は帰れ』と怒りの形相で睨み付けた。
いわれた中年の男性は唖然としながらも、腹に据えかねた様子で今にも飛びかからんばかりだ。
私が、後にこの男性に事情を聞いたら、『自分は浄化などしてもらう必要もなく、誘われて付き合いで来ただけだ、それが気に入らないのだろう、金にならないからね。もう少し何かを言われたら何したかわからない。』とあまりにも傲慢な言動に許せないという様子だった。
このようなことが何故おこるのか。この女性霊能者、相当に金銭への飽くなき盲者である。
つまり日頃に愚痴や怒り、嫉みや憎しみ増長慢、支配欲、自我のカリスマ性、際限のない金銭欲、色情欲などの心を持った人が瞑想したり、霊的能力を求めたり、駆使したり、精神を統一すると、こうした自己本位の心はそのまま自己本位の魔界に通じてしまう。
そして地獄に堕ちている霊や魔王、その配下にある動物霊または不調和な人霊の憑依を受けやすく、益々その心を混乱させてゆく。
霊的能力というものは地獄霊や動物霊に憑依をされてもその力を現わすが、前述の女性霊能者は完全に地獄の行者霊と蛇霊に支配されていたのである。
正しい霊的能力というものは、自我、我欲のない、調和された愛と慈しみに裏打ちされた人格と人間性のうえに初めて背後の守護霊や指導霊の協力があってはじめて成せるものなのである。
『神のおつげである』などというような霊能者なら間違いなく邪悪なものの支配下にあるとみてよいだろう。何故なら神は人間に直接語りかけメッセージを送るようなことはしないからです。
人間が受信できるのは、守護霊や指導霊、その他の光の天使たち(使命を持ったガイド)に限られるものです。
それを、この世的にいえば、公人として頂点に立つ天皇陛下が、国民一人一人を個人指導することがないように、また内閣総理大臣が国民一人一人を個人指導することがないのと同じ道理といえば理解しやすいだろうか。
この世の人間と、あの世の霊のコンタクトは、いつも類は類を呼ぶという波動共鳴の原則によって為されるのである。
私たちの心に自我我欲がなく、人間的に心が豊かであれば、それに準じた指導霊が4次元から協力をしてくれますが、反対に不調和であれば守護霊も指導霊も為すすべがなく協力もできず、使命を果たせずにいることになる。
このようなことから、地獄霊や動物霊などに憑依をされている人は、酷くなると善悪の区別がつかなくなり、社会のルールやマナーなど無視したり、独りよがりの感情のままに生活が流されて行くようになる。
生活は不安定で真実の自分に戻ることがだんだん難しくなってくる。そして言行不一致となり矛盾した生活が激しさを増してゆくことになる。
例え憑依されていなくても、この様に不調和な精神状態で祝詞をあげたり、朝夕仏壇に向かってあげる題目は言葉の音声とその心の波動によって魔界の霊に波長を合わせるための振動となり、不調和な霊を即座に呼び寄せ憑依を加速させてゆく。
それは自分を見失ってゆくことになる。やがては心身ともに不健全な状態に陥っていく。
また教団の中に不調和な心の教祖や指導者がいて教化をしているとその教団には強烈な地獄霊やその支配下の狐や蛇などの動物霊、未成仏な人霊などが数知れずたむろする。
そして信者に憑依して狂信盲信を加速させ翻弄してゆくことになるのである。
現代の宗教の多くはご利益を願うことが前面に出すぎて他力依存の信仰スタイルがとても多く、有名な団体ほどその傾向にあるのは、人々のご利益主義の信仰にも問題がある。
しかしこの他力信仰は相当危険であることは知らない人が多いでしょう。なぜ危険なのかというと、ご利益を求める心は欲心が先に立つからです。
この欲心を満たすための信仰は指導者も信者も根本が欲であるため魔界の地獄霊と波長が合いやすく、先は翻弄された生活となる可能性が大であり心身ともに体調不良となる。そのような事態に陥っている人々は実に多い。
また信仰を持っていない人でも普段の生活の中で、愚痴を言いやすい、怒りやすい、他人の批判や中傷をしやすい、人前に出ると言葉が乱暴になったり、自己主張したがったり、上からものを言いたがる、意見や忠告にむきになりやすいなどの傾向にある時は気付かないうちに地獄霊や動物霊を呼び込んでいたり、または憑依されている場合があるから気をつけなければならない。
また一方で心が沈みやすく変化しやすく、起伏が激しいパターンも気をつけなければならない。更に、うつの状態になるような場合も霊的な憑依のケースがあります。
魔は何気ない言葉や行動の時にその者の心を支配していることを知っていただきたい。
自分は関係ないと思った時が一番危険であり、その可能性があります。
霊能者に頼り過ぎると、結果的には被害に遇うことのほうが多いですから要注意です。
だが、真に正しい霊能者ならば、当て事や占い、除霊などに依存しないで生きることの大切さをアドバイスしてくれるはずである。
霊的なトラブルに関しては、その問題が解決したら、あとは自分自身がどのように生きることが大切なことなのかを深く考え、行動に移していかなくてはならない。
依存する心に魔が入り込むのである。
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Posted by kansindo