気の毒な憑依霊

受験生精神科の受験生
電話が鳴った。「娘の様子がおかしいのでカウンセリングをお願いできませんでしょうか。」と。
後日、お母さんに連れられて18歳の少女Y子さんが、入院している精神病院から外出許可をもらってきた。精神の安定を図る為に精神病院に入院して勉強しているという。
お母さんに席を外してもらい、Y子さんと二人で話すことにした。
Y子さんはスポーツトレーナーになりたいと将来の希望を語り、その為に体育大学へ行きたいということではあったが、衰弱しきった少女の体は38キロと痩せ細って体育会系の大学に入るには無理があると思えた。
何かしら語り口調が一方的で、強引な話し方に、18歳の少女らしさが感じられなく、ギラギラした目の奥に異様な雰囲気を私は感じ取っていた。
この日は一時間のカウンセリングを殆ど、少女Y子さんの話しを聞いて終わった。
次回は整体をお願いしたいということで予約をして帰ったが、一週間後のその当日は約束の時間になってもみえなかった。
30分遅れてようやくみえたが、次の予約の患者さんが数名待合室で順番を待っていたため、遅れてきた少女の整体はできなくなったことを伝えた。
この少女は整体ができないことに怒りをぶちまけ、母親に大きな声で当たり散らし、完全に切れてしまったのである。
Y子、「んもう・・・お母さんが道に迷うからだよ。私は体が辛いから整体を受けにきたんだよ。これじゃ意味ないじゃん。何なんだよ~。」
お母さん、「時間だからと起こしてもY子が起きないから間にあわなかったのだよ。」
Y子、「なんとしても起こしてくれたらいいじゃないか。だから遅れてしまったんだよ。」
お母さん、「そしたらカウンセリングだけでもお願いしようか?」
Y子、「うちはカウンセリングを受けにきたんじゃないんだよ。整体を受けにきたんだよ。カウンセリングなんか必要ないよ」
Y子さんは声を荒げてかなりの興奮状態、眼がつりあがってギラギラして半狂乱の状態にまでなり、お母さんは娘の言葉に只うろたえて何も言葉がでてこない様子だった。
Y子、「早く薬をだして。」
やはりY子さんの心は相当に歪みがあり、不調和な状態であることが、この一件で確認できたのである。私はこの子の様子に危険を察知した。
その直後、興奮状態に陥ったY子さんは、バタッとその場に倒れてしまった。
脈をとったら正常に働いていたが、ギラッと大きく見開いた目はランランと底光りし、点になって瞬きひとつせず動かない。
私はすぐにこの少女に光りを入れた。
間もなく少女の口を突いて「私はこの子の体が欲しい」と言葉を発した。
観童、「あなたはどなた?誰ですか?あなたの名前は?」
Y子「わからない。」
観童、「あなたはいつからこの子に憑いているのですか?」
Y子、「前からこの子の心に入っているよ。この子は淋しい子なんだよ。だからこの子に入ったんだよ」
観童、「あなたがこの子に入るのは自分の都合であって、この子が望んだことではないでしょ。この地上に生きている人に死んだあなたが入るのはどのような理由があっても許されることではありません。
あなたは既に亡くなったのです。亡くなってあの世に行ったあなたが、この世の人間に入ってはいけません。
あなたもかつてはこの地上で人間の子として生きた時代があったでしょう。しかし、あなたはいつも心に悩みを抱えて親や周囲の人たちに反発していましたね。
あなたと同じような悩み、心を持ったこの子に入ったのは、この子と同じ境遇だったからではありませんか?あなたは自分で命を絶ったのではありませんか?」
Y子、「私は生きている・・・・死んでいない。」
観童、「あなたの心は生きて意識があっても、肉体は死んだのです。あなたの体はもうないのです。体がないからこの子に入れたのです。あなたの体があったら入れるはずがないのですよ。」
Y子「死にたくなかった・・・・(嗚咽)薬を飲み過ぎた事故だよ・・・・」
観童、「あなたは体を持って生きている時に、親の愛情に恵まれず、荒んだ生活をしていたのでしょう。そのことは気の毒なことです。
満たされない心を満たそうとしてこの子の心に入ったのだろうが、しかし、そうすればこの子の心が乱されて体調まで悪くなるのです。
現にこの子はこれまであなたが入った中学生の頃から精神的に乱れて辛い思いをしてきたのです。もうあなたと同じような辛い思いをさせないためにもこの子から離れてあげなさい。」
Y子、「この子から離れたくない。(泣・・・)」
観童「あなたの気持は分ります。しかし、それは許されることではありません。社会にルールがあるように、この地上とあの世の間にある厳然としたルールは変えることができないのです。
あなたの心が安らかに、穏やかになれるように、私からも神様にお願いしてあげますから、この子から抜け出しなさい。」
ここで、私は憑依している霊の為にしばし祈った。
『神よ、この子に憑いている霊に光をお与えください。この霊の罪をお許しください。
この者は生前において、両親から正しい愛情をいただけず、いつも心淋しく、自分一人でもがき苦しみ、やり場のない悲しみと怒りのために、いつも孤独のなかで戦っていたのです。
元をたどれば、両親の不調和による家庭環境の歪みに原因があると思われます。何卒、この霊の心に光をお与えください。心に安らぎをお与えください。
私たちは、この地上界に両親を縁として、神との約束によって己の魂を磨かん為に生まれてきました。
然るに、地上界に生れ出た私たちは、肉体の五官に翻弄され、家庭環境や間違った思想、生活習慣、価値観に翻弄されて、自分の心の内にある神性仏性を忘れ、新たな心の汚れを重ねて生きてまいりました。
いま再び、心の不調和を正すべく、足ることを忘れず、愚痴の心を持たず、他に怒らずに日々の生活を偏りのないものにしてまいります。
この霊の心に光をお与えください。安らぎをお与えください。
私の守護霊よ。この霊を然るべき霊界までつれていきなさい。』
以上、こういって私は、守護霊の協力をいただき、Y子さんに憑依している霊に離脱してもらい、然るべき心の修養ができる天上界まで連れていってもらうようお願いして事を済ませた。
すぐにY子さんは正気に戻った。静かな目と顔をした可愛い18歳の女の子に戻っていた。
しかし、この子には男性の霊や複数の子どもの霊体が入ったり出たりを繰り返している。
人間の心は簡単に悟れるようにはできていないが、この子自身が気づいて自分の心を調和できるまでには相当な時間を要するだろう。
Y子さんのように、いちど憑依された人間の場合、どうしても心に隙ができやすく、油断(心の不調和)するとふたたび憑依されることになるものです。
このような理由から今後、何度も憑依されると思われるが、そのたびに精神科では「帰り症状、幼児帰り」というような言葉で表現している場合があるようだ。
また「多重人格」という言葉なども、霊的な観点からすれば、憑依という事実は否定しきれない。
しかし、このような表現するしか為すすべがない精神科では当然のことかもしれない。
憑依は習慣的になりやすく、最悪は翻弄された人生を送ることになったり、自ら命を絶つことさえあるのである。
何故なら憑依は同調共鳴の原理によるものであり、類は類を呼ぶということの因果によって起こるものだからである。
一時的に憑依を外しても、自分自身の心が調和されない限りは何度でも憑依されてしまうということだ。
気をつけなくてはならないのは、体に様々な身体症状がある場合に、何でもかんでも、自分は悪霊や動物霊の影響を受けていると勝手に思い込んでしまうケースである。
このような人は、自分の心の歪み、拘り、執着、自己中心という癖を反省することなく、原因を他のせいにする傾向がある。
こういう心の傾向性は、自分自身の日頃の生活意識、小さな事への拘り過ぎ、自己中心的な思いによる言動、こういったことが時とともに自分の体に身体症状として現れてくる場合があるということだ。
Y子さんの場合、本人の心の傾向性に加えて幼少の頃からの家庭環境(両親)の状況が劣悪であったことが大きく影響しているといえるだろう。
ここで憑依に関連して霊的な事を少し述べておきましょう。
※自縛霊(生前に自らの心の執着による不調和のために幽界以下の次元に堕ちている霊)
※地縛霊(限られた特定の場所に自らを縛り徘徊している霊、例えば事故現場、自殺現場)
こういった霊は自縛霊、地縛霊ともに生前の時の心に問題がある為に行動範囲も非常に限られた範囲内となっているものです。
人間は死んだら仏になると言うが、これは、死人という意味での仏ということであって、大悟されたという意味とは異なるものです。
ですから人間は決して、死んで仏(悟る)になるということはなく、生前の心の調和、不調和の状態の延長であの世の居住境涯、すなわち地獄、幽界、霊界(下層界、中層界、上層界)が決まるのである。
従って、心の執着がなく人類愛をもって生きた人は霊界の上層階に昇天していくことができるということだ。
反対に自分を偽ったり、他人を欺いたり、不満、愚痴、怒りなど、そして、驕(おご)り、傲慢(ごうまん)、頑固、猜疑心(さいぎしん)を持っている心なら改める努力をして生きなければならず、決してそのままでこの世の生命を終えてはならない。
自縛霊や地縛霊たちは無差別に地上の人間に取り憑くわけではありませんし、彼らが憑依しやすいのは地上人間の心不調和な者たちであり、または「霊感体質者」の場合が多いのです。
しかし、いわゆる霊感体質者ではあっても心に偏りがなく、中道の生き方で普段の生活も拘りがなく、執着せず、足ることを知った生活をしているならば憑依されてしまうようなことはない。
心が調和されている人の場合は自分の霊体から発するオーラが大きくなり、バリアの役目をするために邪悪な霊たちが心の中には入り込めないのです。
ただ、オーラ(霊体)の光色と性質は各自の心の状態によって違っていて、不調和な人のオーラと調和されている人のオーラでは光色も特質も異なったものになり、憑依されるもされないもこういうことが根本にあるということです。
また、普段は何でもなかったごく普通の人でも潜在的に敏感な素養をもっていれば自縛霊や地縛霊のいる特定の場所をたまたま通り過ぎた際に、無意識のうちに地縛霊を引き付けてしまうことがありますが、それがきっかけで憑依現象が始まるように習慣化していく場合もある。
憑依現象は、こうした霊感体質の人に生じるのですが、それでも、根本的な原因は心の次元が低いことに起因すると言っても過言ではないだろう。
心の次元が低いとは、人を見下した発言ではなく、何度もいうように、不調和な心の事をいっているのである。不調和な次元の低い心は、同次元の霊人たちとコンタクトしやすいということだ。
低級霊にとっては、地上に霊感体質の人間や、心のステージの低い人間がいたほうが好都合ということになる。
地上の霊感体質者は、彼らにとっては絶好の憑依チャンスであり、働きかける経路なのです。
一般の人間は、いくら働きかけても反応が鈍く、なかなかコンタクトすることができませんが、霊感体質の人に対しては容易にあの世から影響力を及ぼすことができるのである。
霊感体質者は霊的に敏感なため、お葬式に参列たり、人混みの中に長時間いると、悪い霊気の影響を受けて体調を崩したりします。
頭痛や吐き気をもよおしたり、頭を締め付けられるような体験をすることもあります。
霊感体質の人は、守護霊や指導霊、あるいは高次元霊からのメッセージを受け取ることができるようになれば優れた霊的能力者となれる一方で、心に驕(おごり)りや執着があれば則、低級霊に憑依されやすく、低級霊にとっての都合のいい道具に堕ちてしまうリスク(危険性)も大きいということを知っておくことです。
自己中心的で一貫性がない、自主性が乏しくて拘りが強い、物や金に対する欲望が強い、こういった霊的にも精神的にも未熟な場合には、自縛霊や地縛霊にとって憑依の格好のターゲットになります。
一方、これとは逆に、霊感体質の人であっても霊性が優れ、心身のバランスが良い健全な人間性の持ち主であれば、低級霊の心の波長が合いませんから憑依されることはありません。
しかしながら、私がこれまでお会いしてきた霊感体質といわれている人たちの多くが、霊性やモラルの感覚が高いとは言えず、とても世俗的で享楽的で、物中心的な思考に偏っています。
周りの人間に対し依存心が強く、堕落した好みや願望を快く思うような人間が多いのです。
その結果、悲惨な憑依現象を引き起こすことになっているのであって、憑依される人間は、自らの弱みと自由意志によって、そうなることを許しているということになる。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

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