クリスチャンの不安と恐怖心 へのフィードバック

祈り

慶子 のコメント:2013年10月25日 9:57 PM

観童様。 私が問いかけましたことにお答え下さいましてありがとうございます。

原罪について仏教のいう煩悩と同義語であるという言葉を読みまして、喉が渇いた時に飲み干す水のように、何故こんなにもスーッと心に入っていくのだろうと不思議でなりません。

禁断の実とは、実際は木の実のことではなく、肉体にまつわる自己保存の想念であり、自己本意の意識だということだったのですね。

私は30年の長きにわたって何を学んできたのでしょうか。

ほんとうに恥ずかしく思います。

聖書を読んでその言葉の字面だけで抽象的なまま理解した気になっていただけのような気がいたします。

観童さまのブログにあるように、まさに観念の遊戯でした。

いざとなると全くといってよいほど無力な自分を思い知らされることが多かったのです。

いつも変わりなく教会に通い、讃美歌を歌い、聖書を読むという信仰生活をしていても暗い家族でした。

「他からいただいた明るさやエネルギーは、失われやすいものですが、自ら作り出した心の明るさは決して失われることなく、無限に輝くものです。」

私は観童様のこの言葉が一番心に響きました。

私は求めることをしていて、自ら灯すことをしていませんでした。

上手に表現できませんが、これまでの信仰生活に大きなヒントをいただきました。

とても心が安らいでおります。

どうもありがとうございます。

これからもブログを訪問して学ばせて頂きたいと思っております。

慶子

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