安楽死についての霊的視点

img_866bcc1b5057a2b775db324bc088451e117919
進んでいない安楽死の論議
「人の命は地球より重い」という言葉をメディアによって聞くことがあります。
命の尊さを表現した言葉かと思いますが、しかし、そうかといって決して地球が軽いわけではありません。
ご承知のこととは思いますが、地球が健康であればこそ人間の地上生活ができていることも忘れてはならないと思うのです。
神殿という言葉があります。
寺院が宗教者による修行の場、教会が民衆に対する布教の場であることを強調した言葉であるのに対して、神殿は神に対する祭祀の場であることを強調した言葉といえます。
そういうことから神殿とは神を祀る建造物という意味ですが、人間がつくった建造物としての神殿があろうがなかろうが神は宇宙の意識として存在しているとするならば、この地球こそが神殿といっても良いのではなかろうか。
となると私たちが地上で生活することは神殿にて暮らすことにもなります。
日々の恵と糧に感謝の心をもち、その心を忘れず生きる姿こそ祈りそのものといえるのではないでしょうか。
改めて神殿にて祈らずとも、日々の仕事を祈りであるが如く為していくならばそれこそが真の祈りかと思うのです。
さて話を本題に戻しまして、きょうは安楽死ということについてですが、これまでタブー視されてきたところがあるということを踏まえて、人間の感情論を理解しながらも、霊的な視点からすればどうあるのがよいかという非常に難しい倫理的なところにふれてみたいと思います。
先ず、これまでの日本国内の医療現場においては、人間の生命そのものの不可侵性(侵すことのことのできない権利)が絶対視されてきたように思います。
法秩序の面でもこれを厚く保護しています。
そして今日、終末期医療で過剰な延命治療を避け患者の意思を尊重するという「尊厳死法案」の国会提出が、党派を超えた議員連盟で検討されてきているようです。
世界に目を向けてみますと、オランダではすでに尊厳死より更に一歩踏み込んだ安楽死を認めています。
前回アップしました自殺についての霊的な視点にも関連しますが、人間社会が作った法律では、他人を殺せば当然裁きを受けますが、自ら命を絶った場合は違法とはならず、法律によってご本人が罰せられることはありません。
またそのような立法がある国家を私は知りません。
ただ、先に述べたオランダの刑法も日本の刑法と同様に、自殺そのものは違法ではないが、他人を教唆・幇助(ほうじょ)して自殺させ(自殺介助)、または相手方の依頼・承諾を得て殺害した場合(嘱託殺人)は犯罪になるとしているようです。
1984年、オランダの最高裁は、安楽死を刑法上違法であるにもかかわらず、耐え難い苦痛から患者を救うため、死しか方法がない一定の条件の下で事実上これを許容する方向に転換したとあります。
さらに1993年4月に「オランダ国会、安楽死法案可決成立」という見出しのニュースで世界に衝撃が走ったが、わずか21年前の世界のニュースです。
実際のところは「遺体処理法」を改正し、検視官への報告を義務化しただけなのに、あたかも安楽死を合法化する「安楽死法」を誕生させたかのような誤解に基づく報道がなされたからである。
年間4,000人以上が安楽死を選ぶオランダ
オランダの「安楽死法」が成立するまでには長い歴史がある。
1973年、実の親を安楽死させた医師の事件をきっかけに安楽死の国民的な議論が始まった。
そして、さまざまな事件を経て1993年に遺体処理法、さらに2002年、12年前にいわゆる安楽死法(正式名称は「要請による生命の終結及び自死の援助審査法」)が成立、施行されることになったた。
安楽死が認められるには一定の条件があり、
1. 患者からの任意かつ熟慮された要請 。
2. 圧倒的に医療的な苦しみがある。
3. 他に合理的な解決策がない 。
4. 独立した医師によるセカンドオピニオンなどの要件を満たさなければならない。
これらの要件が満たされれば、医師は薬の投与、注射により患者を安楽死させることが認められる。
このほか地域審査委員会という第三者委員会が最終的に判断することになる。
2012年度にオランダで認められた安楽死は4,188人、このうち医師による生命の終結3,965件、自死の援助185件。3,251人が末期がんなどの重病を抱えるが、「耐え難い苦しみ」という患者の訴えを医師が認めれば、安楽死が認められるケースもあるという。
日本では仮に患者が望んでも、医師がそれに手を貸せば自殺ほう助や嘱託殺人に問われるが、ではなぜ、オランダでこうした安楽死が可能になったのであろうか。
“オランダでは個人の自己決定が尊重されていること、関係者が納得できるまで議論を尽くす開かれた議論好きの国民性があること”が挙げられている。
「よき死」をめぐる日本の課題
安楽死に関して開かれたシンポジウムでは、2010年度のオランダの死亡総数のうち、安楽死が2.8%に対し、生命の終結を早める可能性のあった疼痛緩和、症状緩和の強化による死が36%あったというデータが挙げられたといいます。
そのデータに対し、日本の医師からは「生命の終結を早める可能性のあった疼痛緩和、症状緩和の強化による死の割合は、日本ではもっと多いのではないか」「それが表面化せず、医師の判断で死につながっているケースがあるのではないか」と指摘があった。
これはどういうことかといいますと、症状を緩和するための鎮痛処置、様々な疼痛を和らげるための処置によって薬が体に与える影響が死期を早めているのではないかという指摘である。
そして、私の経営する整体院でも鎮痛剤の使用をやめていただくと回復が加速する傾向にあることも数多くの施術例によって経験してきました。
そしてもう一つわかったことは、鎮痛剤が心臓に負担を掛けているという事実です。
私自身が歯科の麻酔によって心臓が異常を感じ拍動が弱くなることを何度か経験しておりますし、サッカーをしている選手が怪我の痛みを抑えて試合に出たいと鎮痛剤を服用して臨んだら心臓が苦しいといっていた事例があります。
このような事例も一つや二つではありません。
参考のために鎮痛剤の副作用を紹介しておきます。
『食欲不振、吐き気・嘔吐(おうと)、胃部不快感、腹痛、下痢、頭痛、ねむけ、めまい、むくみなどが現れることがあります。薬によっては、血液障害、好酸球性・間質性肺炎、無菌性髄膜炎(発熱、頭痛、吐き気・嘔吐など)、消化管穿孔(せんこう)、喘息発作、うっ血性心不全、血圧上昇、皮膚粘膜眼症候群、急性腎不全、大腸の潰瘍』
 
個人差があり病態にもよるものでしょうが、医療現場において麻酔事故が発生する理由が理解できます。
疼痛とは『ジンジン、ビリビリ、ピリピリ、チクチク、ズキズキ、刺すような痛み、鈍痛、底ぐるしい痛み、激痛が走る』などをいう。toutuutoha_01_img01
日本の医療は、医師の力が強い父権主義ともいわれていますが、オランダの安楽死が、本人、家族、医師の納得づくで選択されているのに対し、日本では「よき死」についてのそうした議論、コンセンサスがなかなか進んでいないというところでしょう。
「よき死」をめぐる議論が、今後さらに進んでいくことを期待したい。
ここで毎日新聞に掲載された比較的新しい記事を紹介したい。以下。
「いのち」と向き合う人々
安楽死を選択した人々の物語

苦痛から患者を解放する目的で、薬物投与などによって人為的に死を早める安楽死。語り尽くした末、安楽死を選んだ患者とその家族の物語に迫ります。

自分の最期、自ら決定
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊
20140518dd0phj000009000p_size5
自宅のギャラリーで、ロブさんは言葉を詰まらせながら別れの日を回想した。壁には靖子さんが描いたパステル画があった=萩尾信也撮影
選択の背景にあるものは
「靖子は『痛みで心が折れてしまう前に、人生を終わらせたい』と強く願っていました」
チューリップの花がオランダに春の訪れを告げた4月半ば。アムステルダム近郊、アムステルフェーン市の住宅街にあるネーダコールン家の居間で、ロブさん(69)が安楽死で逝った妻に思いをはせた。
10代で海を越えた文通を始め、1972年夏に待ち合わせたロンドンで恋に落ちて、12月にアムステルダムで挙式した。
ロブさんは高校の英語教師、靖子さんは日本人学校で音楽を教えながら2人の子供に恵まれたが、87年に甲状腺にがんが見つかった。
手術や放射線治療で闘病を続け、52歳を迎えた97年春に骨転移が見つかる。想像を絶する痛みに襲われ、「打つ手がない」と告げられた。
安楽死は語り尽くした末の選択だった。
「迷いはありました。でも、靖子は自分の病状も知らずにがんで亡くなった姉の最期を悲嘆して、『自分の最期は自ら決める』と思いを募らせ、私はそれを尊重しました」
夏が終わり、痛みは限界に達して衰弱が進んだ。医師の同意を得て「安楽死の要請書」を作成した。
そして9月17日の夕刻、別れのパーティーを開いた。
家族と友人がベッドを囲み、ワインで乾杯。ロブさんがマグロのすしを靖子さんの口に運ぶと、「(しょうゆの)つけすぎ」とつぶやいて、小さくほほ笑んだ。
午後8時、医師が来訪。子供と友人は夫婦を居間に残してキッチンに移った。
「ありがとう」「また一緒になろう」。手を握って交わした最期の会話。
「ドクターが注射を打つと、まるで人形のように目を閉じて、穏やかに息を引き取りました……」
あの日から17年。ロブさんは時折涙を浮かべながら、記憶の糸を紡いだ。
靖子さんは家族に残した日記に、感謝と別れの言葉をつづり、こう結んでいる。
あと十分で逝きます。本当にありがとう』
「人生のしまい方について考えてみないか」
今春、長野県松本市にある神宮寺の住職、高橋卓志さん(65)に誘われて旅に出た。
終末期の緩和ケアに取り組む英国と、安楽死を認めるスイスとオランダを巡り、「いのち」と向き合う人々に出会った。
以上。毎日新聞から掲載させていただきました。
ここまで安楽死について、日本の医療現場の状況や世界の状況と事例を少しだけとりあげて掲載してみました。
安楽死に関しては当事者ご本人の思いが尊重されるものでなければならないのは勿論ですが、ご家族の考え、思い、こういったものが利害を伴わずに一致するものでなくてならないだろうと思います。
病気による終末医療の現状、自殺、安楽死、事故死、殺人、法的手段による絞首刑、等々、どのような死であっても、ただ一つ共通することは、生命の尊重と尊厳に付随して当事者ご本人の死に際しての心の状態がどうであるか、それによってあの世での境涯が定められてくるということであります。
これはどういうことかといいますと、この世での生き方、死に際しての心の状態がそのままあの世に反映されて居住する段階が定まる霊界の仕組みをいっております。
しかし、現在の終末医療の実態のなかには本人の意思に関係なく延命処置がなされているところが多々あるのではないでしょうか。
延命治療・本人の意思のない対処
延命治療の説明をみますと、生命を延長させる医療を総称する概念とありますが、公的に明確な定義は存在しないようです。
いずれにしても回復の見込みがなく、死期が迫っている終末期の患者への生命維持のための医療行為をいっております。
例えば、人工呼吸器の装着、心臓マッサージや昇圧剤投与による心肺機能の維持、水分や栄養の点滴、胃ろう(お腹と胃の壁に穴を開けチューブから栄養を流入させる)、などがある。
現状、「終末期」の明確で具体的な定義はなく「いつまでが救命で、いつからが延命か」という線引きは難しい。
呼吸確保のための管の挿入は一度挿入したら抜くことが非常に難しくなり、やめるにはなかなか面倒(殺人罪で訴えられる危険がある)です。
医師は管を抜いたら裁判の可能性がある場合、現状維持続行を判断する可能性大。
病院に倫理委員会などがあれば、検討してもらい、治療の中止を依頼できるケースあり。
心肺蘇生や人工呼吸器で完全回復する場合は措置続行ですが、延命処置としての心肺蘇生は患者さんの苦痛を長引かせるだけであり、この辺のことも家族は考えなくてはならないでしょう。
機器につないでも、良くならずに植物状態や脳死状態になってしまう延命治療はいかがなものだろうか。
そいうことを考えますと家族の負担や本人の苦痛を強いず、自然に任せるのがベストではないだろうか。
肉体だけの「命」の大切さが強調され過ぎている弊害により、高額医療費・終末期・老人医療費問題や、介護する家族の各種負担の増加や疲労等による健康障害などの多くの問題が生じています。
回復の見込みがまったく無い患者に対する治療は、延命治療でなく、正しい終末医療を施すべき段階にきていると思うのであります。
苦痛が軽く、精神状態が安定しているうちに、死後の世界についての正しい情報や心の準備を促す措置を講ずることが大切ではなかろうか。
しかし、それでは遅いのです。
私たちは、日頃から魂の存在、人生の目的、何の為に生まれてきたのか、今の自分は何を為すべきなのか、この世とあの世との関係はどうなっているのか、死後の自分はどうなるのか、こういったことを正しく学んでおかなければならないのです。
肉体の生命活動を発揮して、社会の為に役立てることが出来なくなった場合でも、精神的、霊的活動の大切さを社会に発信していくことが大切です。
肉体”は物質界のこの世においては生命活動を表現する媒体、器ですから80年も使い切れば痛むことも傷むことも当然のことです。
その肉体に心を奪われて執着するからいろいろな気苦労がおこってくるのである。
仮に、肉体が千年も万年も生きながらえたとするならば、自然界の循環ということに沿わないものとなり、地球世界では魂の成長が停滞気味になるでしょう。
何故なら私たちの魂は自然界同様に一定の輪廻のなかでこそ成長することができるからである。
同じ環境、同じ肉体に長期間宿ることによって、修正不能なクセ(傾向性)や、人種や性別、国籍等の相違による根本的想念が固定化しやすく、人間としての進化速度が停滞しやすくなってしまう。
死は自然界の秩序に沿って為されることが望ましくそのことによって心の成長が成されるのではないだろうか。
主従の関係
“肉体”は媒体で従、本体は“霊”で主人公。
魂の成長こそが人間の究極目標。
神の意思に同調できるまでに成長すること。
安楽死の問題は、魂の尊厳、尊重ということを抜きにしてどのような対処をしても適切な方法は確立されてはこないだろう。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。何かしら参考になることが有りましたら下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ