雨にもまけず

生きるとは

昨年3月11日午後2時46分東日本沿岸。

津波が多くの人命と町を飲み込んでから今日で1年になる。

愛犬抱え、電線伝い…「生かされた命、役立てたい」岩手県大槌町Uさん(63)「生かされた、と思っている。今は自分にできることをやるしかない」。

Uさんの壮絶な体験は、人生観を大きく変えた。津波が押し寄せる直前まで、妻のY子さん(62)と地震でめちゃくちゃになった室内を片付けていた。自宅は海の近くだったが、「ここまで来るはずはない」。

血相を変えた長男らが自宅に飛び込んできても、危機感はなかった。異変に気づいたのは、長男にせかされるように妻が避難するのを見送った直後だった。

2階建ての家々が倒れながらいっせいに押し寄せてくる。「津波だ!」。2階に駆け上がり、愛犬を抱えて逃げようとした瞬間、海水が玄関を突き破り、階段の下から噴き上がってきた。

屋根に逃げると、海水が渦を巻いていた。「助けて」という叫び声に見渡すと、津波で家屋が倒壊し、屋根に避難していた人が海に落ちていくところだった。何人もの人が波にのまれていた。

風上でプロパンガスが爆発し、足元の屋根に火が付いた。「火がつかないところに逃げよう」。愛犬を抱え、電線をたぐるようにしてがれきの山を登り、海水に漬かりながら近くの住宅2階に移った。

そこで消防士に誘導され、やっとの思いで陸上へたどり着いた。「生きるってどういうことか」。

震災後、Uさんの価値観は一変した。形あるものを一瞬で失った苦しみの中、抱き合い、肩をたたいて励まし合う人々の姿に、『雨ニモマケズ』とうたった宮沢賢治の思いがようやくわかった気がする」とかみしめた。

Y子さんと長男、愛犬とも無事だったUさんは、津波を忘れてはいけないとの思いから、今はパソコンに自宅周辺の航空写真や津波の高さを再現した画像を保存。機会があるたび当時の様子を説明している。

「みながともに生きられるまちにしたい。できることはわずかだが、その原点に立ち続けたい」という。

災難にあい極限状態のなかにありながらも生かされた命を精いっぱい生きようとする人がいる半面、震災が原因と判定できる自殺者が多いことを政府が公表し遅い対策に乗り出した。

仮設住宅の住人にも先を悲観したり、震災で家族を失った悲しみから自ら命を絶つ人がでている。誰もそれを批評することなどできるものではない。

亡くなられた方々へ、ただ心から哀悼の意を捧げます。

Uさんが心に浮かんだという詩を掲載いたします。

「雨ニモマケズ」

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち 慾はなく

決して怒らず いつも静かに笑っている

日に玄米四合と味噌と

少しの野菜を食べ あらゆることを

自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず苦にもされず

そういうものにわたしはなりたい(宮沢賢治)

 

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Posted by kansindo