夢を捨てず欲を減らす・夫婦の相互理解

整体
今年の9月から私のところに36歳の男性(4人の子持ち)Sさんが整体師になるために弟子入りしてきた。
彼が最初に私と会ったのは23年の11月5日のこと。
勤務する会社の景気が悪く、給料の遅配が頻繁、生活の不安定などもあり、不眠、不安感、イライラ、幻覚、小さな物音にも過敏になり、深夜でもいきなり起き出す。
このような症状で内科や様々な10もの病院を訪ね、心療内科にも精神科にも行ったが症状が改善されるどころか、悪くなる一方で薬の種類も9種類にまで増えていて薬漬けの状態できたのである。
当然であるが、まともに仕事ができる状態にはなかった。
向精神薬の減薬を提案し、数か月がたち、薬を100%やめることができ、症状も随分と改善できたが、まだ少し不安感が残っていた。
当初はカウンセリングの為に県外から車で二時間半の時間をかけて奥さんも同伴で毎週通ってきた。
病気克服のためには、夫婦の相互理解も絶対に欠かすことのできない妙薬である。
これまで相当に耐えてきたのだろう。彼は何度も泣いた。
そして心が洗われていったのであろう。顔の表情にも笑顔が見られるようになってきた。カウンセリングも週に一度から月に一度、2カ月に一度のペースに遠のいて行った。
いつの間にか2年近くの歳月が流れていた。
もういいだろう。
整体師として私の院で心と、体と、技術の学習をしなさいと、彼を育てる決心をした。
人間はどのような厳しい環境に置かれようとも希望を捨ててはいけない。
否、厳しい環境だからこそ希望を持たなくてはならないのだ。
そして人間は夢をもつことを知っていて、その夢を多くの人と共有することもできます。
また、逆に人間の過ぎた欲望はとなると、自分自身の利益だけを満足しようとします。
世の成功者たちは必ず「過ぎた欲望」ではなく、「夢」 を持っているものであります。
自分だけが利益する考え方、生き方だと短期的には、人より伸びたかにみえるのだが、長期的には敵をたくさん作ることになり、結局は時と共に衰退していくことにつながるものである。
「夢」 を持つというのはどいうことだろうか。
これは先に述べたように、共有するという意味において「多くの人の幸せを願うこと」といえるでしょう。
反して、「過ぎた欲望」 というのは、 「自分だけの幸せを願うこと」といえるだろう。
独り占めもそうであるように、足ることを忘れた生き方は、社会の循環を阻害する行為であり、やがてはその行為が自分の幸せを遠ざける行為であることに気づかされる。
希望を捨てず、皆が幸せになることを願えば、誰もが幸せになれる余裕はこの世にある。
なのに、心無い人は自分だけが勝とうとする・・・ そういう間違いに気付いてもらうためにも、 足ることを心に落していただき、欲を減らし、希望を捨てず、「夢」をもって生きたいものである。
私が20代、30代の苦しかった時、心の支えになったのは「夢」でした。
その夢のお陰でどんな困難も、耐えることが出来た。
心から喜べる仕事、誰かの役に立てる仕事、喜びを共有できる仕事を必ずみつける。
それが私の「夢」でした。
それが42歳でようやく叶ったといえば「遅い」と思われるかもしれません。
しかしそうではない。私の場合はそれだけの準備期間が必要だったのである。
何故なら、いま行っている仕事の内容、カウンセリングの内容を月並みなものではなく、心と体に響くものにするため、結果を出せるものにするために欠かせない条件だったからだ。
私の夢は決して我欲を満たすための夢ではない。
そして、我欲は捨ててもよいが希望は捨ててはいけない。
先に述べた件のSさんは今、心地よい疲労感と学ぶことの充実感、接客できることの喜び、こういった感動のなかで日々生き生きと夢をもって頑張っている。
彼が希望を捨てなかったからだ。
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