愛別離苦&華の道
母うしないて、
子を失いて、
夫を失いて、
幾たびも涙、顔をながれ、
人の身をば泡沫(うたかた)の如しと知り、
わが身も陽炎(かげろう)のごときもの(存在)と覚れど、
彼の岸に渡るまで
束の間の命、
色うるわしく咲ける、華の道たりたい。(とある方の心情を思い書いてみました。)
※母が逝き、我が子に先立たれ、夫が逝き、何度も何度も泣いて、泣いて、泣いた。人の命というものはこれほどまで泡が消えるようにあっさりと失われるものであろうか。
自分の体だって陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと揺れて消えゆくのだろう。
私も亡くなって彼の岸(天国)にゆくまでは、間もなくであろうけれど、せめてひっそりと色鮮やかに咲く花のような人生でありたい。
人は年の順に逝くとは限らない。夫婦もどちらが先に逝くかわからないが、はっきりと言えるのは、人間は致死率100%だということだけ。
ですから亡くなり方にもよるが、考えようによっては年のいったものが先に逝ったら、よしとしなければならないということです。
仮に自分の子供が先に逝ったらどうだろうか、死が悲しみを伴うのは人間であれば至極当然のこと。
しかし、一年も、二年も、三年も泣きとおすわけにはにはいかないのです。
どれほど愛するものであっても何時かは別れがあるもの。
『愛別離苦』は字の如く愛するものとの別れです。
それが肉体をもった、この世の変えることができない摂理だということです。肉体に執着してはならない。
やがて逝く者の心を引き留めてはならない、潔く逝くために寄り添ってあげるだけのこと。
悲しみは彼の岸に渡る者の心をひき戻し、未練をもたせてしまうことになろう。
死者の魂はあなたが意識さえすれば永遠にいつでもあなたの心の内にいるのです。
しかし、死者への想いが強く傾き過ぎると、これもまた死者の魂を引き留めることになり、天に昇ることの足かせとなることを知っておいていただきたい。
人間の想いというエネルギーは、死者の魂を呪縛するほどの力があるのですから、この世の人の都合だけでいつまでも泣いてばかりもいられません。
死者への最大の供養は自分が悲しみを超えて、花のように心を咲かせること、死者はその姿をみて安心してあの世で新たな環境で生きられるのです。
やがては自分も彼の岸を渡るときがくるのですから。
※彼の岸(かのきし)とは彼岸の意味で死んだことを自覚してあの世の霊界に入ることです。
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