己を知ると・分を知る
自分を知れば、今の自分ができることと、できないこと、やってはいけないことがハッキリしてくる。
そして、もし自分のやりたいことが、自分のやれる範囲を超えていそうでも、気持ちのうえでは諦めてはいけない。
何故なら、己を知ることと、分を知ることは、似ているようではあるけど、決定的に違うから。
分を知るということは、「分をわきまえる」ということだと思うのですが、現在では死語に近いというか、「分をわきまえない」人が多いかも知れません。
「分をわきまえる」とは「その人に相応しい行動をとっている」という意味で、その人にふさわしくない言動、服装などをする人や、身を飾る、自分を過大評価して大きな事ばかり言う。
つまり「身のほど知らず」と批判されたものだと思うのですが、現在は「何でもあり」の風潮があるせいか、ほとんど注意されませんし、それを教えてくれる人も少ない時代かも知れません。
分を知る、ということは決して自分を否定することではなく、むしろ今の自分はこうだということを肯定したうえで、物事に向かうということでよいのではと思います。
しかし、自分を知るということは、常に自分の過去や、今の自分をみつめ、必要とあらば自分を改めるという心の勇気を持つことだろうと思いますし、諦めることとは違う。
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません