霊的能力の正邪と宗教

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「手かざし」のこと
ある方の憤まんやるかたない気持ち。
崇〇〇光の信者さんは本気で手かざしで病気や怪我が治ると信じていますか?
私のみじかな人でかなり熱心に信仰している家族がいますがその方はガンになり手術しました。 (手術に成功したのは〇光をしているから…と言っていましたが)
その方の旦那さんも病気が見つかり、わかった時には手遅れで亡くなりました。
私は〇光で治るなら手術しなくてもよかったんじゃないの?死なないんじゃないの?と矛盾に思います。
その方は「〇光に入っていない人は人間として下等だ、〇光が宗教のてっぺんで、他の宗教をしても意味がない」と私を見下すようにいいましたが、そう言う事のいえるあなたの方が思いやりもなく人間として品性を疑うよ!
他の宗教してる人が聞いたらどう思うんだ!と思います。
その方にうまい話を聞かされ騙されて道場にも行った私も愚かですが、道場のえらい方が手かざしをしたものの、その方も私の体の悪い所には気付いてなかったようで、所詮そのレベルなのでしょう。
何の為に〇光を信仰しているのですか?人間死ぬ時はしにますよね?いったい何がしたいのですか?あまりにも腹が立ったので。
 という内容でした。
ころで、手かざしとか手から光を当てるという宗教が一時期には発展したことがあった。
手かざしとは、人の体の患部に手をかざし、その手から発せられるという霊的な力によって心身を治療しようとする技法を使ったもので、それを利用した宗教活動が存在する。
本が多く出ていたこともあったが、片手でかざすのから、両手で行うのまで、それはもうあの手この手で布教していた。
私は30年ほど前に手かざしを行う教団に実態を知るためにと、行って手かざしをうけてみたが、とても浄霊できるような質のものではなく、動物霊がうじゃうじゃいる道場であった。
手かざし」に似た業(わざ)は、他の教団にもある。
異常な熱感を放つ人
生命体(植物、動物)の発するオーラは、普通一般的には見えない四次元以降の現象でありますが、霊視することによってわかるものです。
人間の場合のオーラの色調や大きさの違いは、非常に爽やかであるとか、愛に満ち満ちているとか、人格的に立派であるかによって異なってくるし、その特徴が表れてくる。
だからオーラは熱さ、暑さには無関係なのだということです。
護摩をたいたり、火を燃やして祈る人は、その熱気で身体が熱くなるのはわかる。
そして、高熱の人や血圧の高い肥満の人が、体温の輻射熱で熱く感じるのは医学的事実であることも理解できるが、これ以外の現象で人間が他者に熱さを感じさせることは、決して正しいものではない。
正しいものではないという意味は、邪悪なものが背景にいるか、憑依されている場合にそいう現象がおこるということであり、逆に非常に悪寒が走ったり、鳥肌が立つような場合もある。
霊的な能力というものを「正見」しなければならない理由がここにある。
淡い金色のオーラ
ところで、調和された淡いゴールドカラーのオーラ(後光)に包まれた人からの手かざしなら、それはそれで良い。
愚痴、怒り、ねたみ等の不調和な想念を持った人の暗いオーラの者からの手かざしや、前記の記述にあるような動物霊や地獄霊に憑依された者達の手かざしは本当に危険この上ない。
まして、囗で愛を説きながら、どのようにして教団に金を集めようかと、いろいろ手段を尽して信者全員から金を集めることを考えている宗教指導者は、動物霊に支配されているとみて間違いはない。
その指導者がどんな立派なことをいってもである。
正しい教えを説くことを使命として現われてきた光の指導者の場合は、神の名を利用して、教団の財産をふやしたりすることは絶対にしないのである。
勿論、神殿をつくって神を祭るということもない。
信仰することによって何かの益を得ようとか、人の持たない霊力を持ちたいという欲望を持っている人は、本人が気づかずとも無意識のうちに動物霊に支配されてゆく。
そういう人達は自分で正しい信仰をしていると思っているけれども、冷静な第三者から見ると必ず非常識な理解し難い言動をするものである。
オーラー・後光
オーラ後光について言うと、淡いゴールドカラーが最高だが、紫色黄金色についで調和された心の状態。
ピンク色のオーラは、恋愛中で、心が乱れ理性を失った心の状態。
赤色のオーラは怒りに燃えた心の状態で感情の起伏をあらわす。
薄暗い灰色のオーラは、恨み怒りの心を持って生活している人の心の状態。
野心や欲望に燃えている時は、ねずみ色から黒色に変わってゆく。
また、「一秒一秒の心の動きに従って、後光の色彩とその量は変化する。
それは自然界の天候が、刻々瞬々変化してゆくのと同じで、心が美しく調和している時や、正しく道を説いている時は、身体全体が光明に満たされ、後光が放射状に出ている。
霊能者を正しく見る
平成19年10月、何冊も本を書きテレビで華々しく活躍していた着物を着た中年の小太りの霊能者がこう言った。
「最高のオーラーの色は青色である」と。
それは間違いであり、最高のオーラーの色は淡いゴールドカラー黄金色である。
次に書くように、青色系統は動物霊や動物霊に憑依された人が放つものであって、決して正しいものではない。
動物霊
動物霊(特に蛇、狐)が人間と関わるようになったのは、神として祀るようになったことからはじまるのだが、いわゆる蛇神信仰、狐信仰(稲荷)が拍車をかけることになった。
動物霊が人間に憑依をし、神と名乗って変化している場合は、後光が出ていなかったり、青白い光を見せる場合があるが、淡いゴールドカラーとは全く異質のものである。
動物霊が青白い光を放ち、菩薩や観音のような姿を人間に見せると「神が現われ、人類を救えという神示が下った」とかなんとか言って、人々を混乱に陥れてゆく。
なかには動物霊が支配することで、坐ったまま1メートルも飛び上がり彼等はそうして人を驚かすことに興味を持っている。
サリン事件を起こした教祖などはまさにそれ、座ったまま空中浮揚の写真を掲げた本を出したが、動物霊に憑かれると、あのようなアッと驚くような現象を起こすのである。
生命磁気
人は誰でも心をきれいにして統一すれば、手のひらから光(生命磁気)が出るのであって、ある教団のように特別にペンダントを身に着けることで出るのではない。
この教団で説かれていることは、どこの教団とも同じで現世利益を目的としている。
ただ違うのは「手かざし」をやることであるが、手かざしで病気を治そうとしても治らなかったとか、あるいは手遅れになって死んだという人も多い。
人間の手かざしや霊的なエネルギーを相手に与えるとか、遠隔で送るということは、自分自身が健康であり、心がクリーンでなくてはならない。
もし自分が不調和(不満、愚痴、怒り、妬み、強い物欲、感情の起伏が激しい)であったり、邪悪な地獄霊や動物霊に憑依されていたり、次元の低い霊たちの支配下にあってそのような行為をすることは非常に相手を危険にさらすことになるからである。
以前、お金が欲しくてレイキを始めた女性が身体の不調を訴えてどうにもならず、自分が教わった先生でも救うことができなかった事例がある。
結果的に私を訪ねてきて事なきを得たのであるが、彼女は完全に霊障に陥っていたのである。
不浄な想いを以って霊的なことに関わることの素人考えは非常に危険このうえない。
手かざし教団の場合も危険なのは、「浮霊」という憑依霊が浮き出てくるという現象であり、対処しきれなくて発狂するケースもある。
また、心の弱い暗示にかかりやすい人は、ある種の言葉によって催眠現象に陥り無意識にそれを願望することによって、簡単に身体が動いて来る場合がある。
催眠術の弊害
催眠は、自意識を無にして、すべての暗示を受け入れやすくするのですが、実はこの心を空っぽにすることが危険であって、カラッポになっているところに、他の霊が入りこむ場合がある。
学者や医師は「精神分裂症」というのであるが、完全に自分の心を動物霊や地獄霊に明け渡してしまった状態といえる。
学者や医師達が、催眠術で一番恐れているのが、人格が破壊されて全く別人になってしまうこの現象である。
学識者や医師達は、それが動物霊や地獄霊の憑依によるものであるのを知らない。
そうなってしまったら、某教団の「手かざし」で治ることはない。
手かざしをすると、ますます暴れるのである。
もちろん、精神病院でも無理ですし、実際にそういう患者さんを診てきました。
それを治すのは、時間はかかるが、周りの人たちの調和した正しい生き方と、それを模範として病む人に行いで示し、教え導いていくことである。
危険な信仰はしない方がよい。
宗教が霊の自覚向上と、私たち自身の人格完成のためであることも、「手かざし」の教団では説かれていないようである。
自分から暗示にかかろうとする心の習慣がつくと、自主的に自分で考えるという自主性がなくなるので、人格を破壊することになってしまいかねない。
手当てをするということ
ここまで「手かざし」の問題点を指摘、引用しました。
人間は、病気の治療をすることを「手当てする」といった。
それは昔から掌を当てることによって病気を治していたからです。
これと同じように、釘を打ちそこなって指を叩いて、その瞬間指を口に含くんでいたという経験があると思います。
そして、子供がやんちゃをして頭にコブができた時、母親が息を吐きかけて「痛くない痛くない」というまじないを経験を人も多いと思います。
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古神道の息吹き祓い
これもやはり、息にも癒す力があるからと知っていたからです。
古神道では「息吹き祓」といって吐く息でケガレを祓ってきました。
このように、私たちは昔から、お腹が痛ければ無意識のうちに手で腹を押え、歯が痛いといっては頬っぺに手を当てることをやってきました。
人は皆、手や息には癒す力があるということを潜在意識の中に持っていたからです。
この人類が皆、共通に持っている、生まれながらにして持っている力、能力を、特定の教団の専有のもののように説くことに問題の一つがあるのです。
なにも、特定の教団に入信しなければとか、ペンダントを貰わねばその力を出せないということは決してないのです。
本来、人間は、すべてその能力を持っているのです。
ただ、それぞれの心の調和度によって息吹きや、手かざしの放つ生命磁気の強さ、大きさが違うということです。
古代インドの時代、お釈迦様は、病人に手を当てられ病気を癒されました。
また、薬草を与え病気を治されました。
二千年前のイエスの時代、聖書の中で、病人がキリストの衣のふさにふれると、病人が治ったと書かれています。
「力われより流れ入りて汝に入れり」とキリストが言われたといいます。
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