お通夜の詩吟

念仏先日、催事ホールで営まれた知人87歳のお通夜に出席し、納棺された故人の顔を見納めてきた。
僧侶が読経を終わって引き上げたあと、参列者のなかから関係者の一人が挨拶をした。
故人とのこれまでのお付き合いを自己紹介した後、詩吟を一節、歌いたいという。
「詩吟は、言葉が分かりにくく、意味も理解しにくいものですが、きょうは私が覚えた詩吟を故人の冥福を祈って歌いたいので、一、二分お時間をください」といったが、実際は10分近くかかった。
「どのような罪を犯した人間も、南無阿弥陀仏と唱えれば、みな救われて極楽浄土にうまれることができる、というお釈迦様の教えがあります。
詩吟のなかにはいくつか仏教の教えを歌ったものがあるが、そのなかの一つを紹介したい」といって歌い始めた。
意味のわからない言葉で10分近くの詩吟を聞く通夜は初めての経験だったが、正直、少し場違いのような気持ちがないでもなかった。
特段、指摘する必要のないことではあろうが、疑問があったので、ここで述べてみたい。
「南無阿弥陀仏と唱えれば、どのような罪人も極楽浄土にうまれる」という教えは、鎌倉時代の親鸞の教えであって、お釈迦様はそのような教えはしていないでしょう。
詩吟を歌った老人の言葉にも誤りがあるが、それではなぜ親鸞はそのような教えをしたのであろうか。
それは時代背景にもある。
鎌倉時代というと貴族社会に代わって武家が台頭し、一般 、民衆の意識も高まるにつれ、無常観にもとづく末法思想が流行し、法然や、その弟子であった親鸞によって 浄土信仰が一段と高まっていった時期です。
その鎌倉時代というと、無学文盲の人たちが多い時代であったために、そのような人々にも仏の教えを簡潔に布教するには「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えさせるという手法をとらざるを得なかったのであろう。
現代では一般的に、南無阿弥陀仏という言葉は、故人や先祖の霊達に心を向けるときの念仏として、その六字の名号を唱えるようになっている。
はたして、この念仏の本来の意味はどういうものであったのだろうか。本当に南無阿弥陀仏と唱えれば罪びとも救われるのだろうか。
南無は帰依(教えを学び実践します)するという意味ですから、阿弥陀という、つまり悟られた阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。ということを何べんも唱えることになるわけです。
もしも、あなたが悟られた阿弥陀如来という仏だとして、何遍も「阿弥陀仏に帰依します」と言われたらどう思うだろうか。
「あなたの教えに従います」という言葉を何度も何度も繰り返すより、私の教えを生活に実践しなさい。とい言いたくはならないだろうかということです。
信仰とは何だろうか。意味のわからないお経を唱えることが信仰であろうか。
南無阿弥陀仏と六字名号を何べんも唱えることが信仰であろうか。
悟られた阿弥陀如来の教えに従います。即ち、帰依しますと唱えるということは、その教えを行いますといっていることになります。
普段の生活では感情のままに怒ったり、不満や愚痴をいいながら、何か困りごとや窮地に立たされた時だけ「南無阿弥陀仏」と依存心から唱えるとすれば、これは信仰とはいえないのではないか。
本当の信仰とは、どのようなものだろうか。
私たちは、先ずは家庭内の争いを改めることから始めなくてはならない。
参照『信仰と読経に持つ疑問』
一方、世界では今でも国内の内戦や他国との戦争が繰り返されています。
そして、国や組織のルールが叫ばれているなかで、何の罪もない子どもや民衆が難民となり、犠牲になり命を失っているのである。
重要なことは、ルールの為に命を犠牲にしてはいけないということでなないか。
真の信仰とは、いかにして自分の心を調えるかということを学び、そのことを生活のなかで実践するかであろう。
人間の心は『一念三千』と仏教では説明しています。
つまり、心の針は、その人が何を思うかによって、暗い世界にも、光明に満ちた天上界にも自由に通じることをいっているわけです。
それだけに、思うこと自体、偏りのない中道を根本としなくてはならないということです。
自分の心を調えるということはどういうことでしょうか。
見たり
聞いたり
語ったりしていると
知らぬ間に心が外に向いてしまう
心が外に向けば
心は揺れ動き
心の中に調和という安らぎを築くことはできない
正しい生き方の法則は
人々の善意なる心と
大宇宙の自然界の営みにしか存在しない
人を見るな
人を語るな
噂に耳をかしてはならぬ
大いなる天を尺度に
天を友として
法則を拠りどころに歩み
心の安らぎ
それは他人ではなく
己自身の裡(うち)にある
周囲にあるさまざまな事象は
すべて心の糧であり
材料であることを忘れてはならない
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