季節に見える愛

肉体の病より罪な心のアンバランス

前回の文末で述べた

『誰かが霊性の開発が容易であるとか、超能力の開発で富を得るとかのような口を利く事があれば、そのこと自体がすでに魔の誘いを証言していることになりましょう。決してそんな容易なものではないことを申し上げておく。甘い話には必ず代償と落とし穴がまっています。真理と邪道とがいつ果てるともない闘いを続けております。多分、この闘いは続くことだろう。しかし、それでも私たちは長く困難ではあっても自分の魂に確固たる安息が築かれるまで一歩ずつ歩を進めていかなければなりません。』

この続きを今回は述べてみます。

さて、どのようなことも、事を成就するためには、正邪についても、そのあるがままの背景を理解しておく必要があります。

これまでも私は可能なかぎりの力を駆使して、克服不可能と思われた障害を克服して、人々の心に接してまいりました。

しかし、それも私一人の力ではありません。私は背後で守護してくださる霊や指導してくださる霊人たちの協力に支えられて苦難を乗り越えられたのです。

このことは、このブログを読んでくださっているあなたにも言えることなのです。

人類自らが人類を、そして地球そのものを破滅に陥れかねない近代文明と不調和な心は、何をさておいてもバランスのとれたものに変えていかねばなりません。

例えば、日中間における尖閣諸島問題、日韓における竹島問題などにおいても中韓両国の利益だけを優先した強引な手法は、国民まで先導した邪悪な政治姿勢であることは明白である。

人類は物質文明を自負しますが、霊的にはきわめてお粗末です。願わくばその物質文明の進歩に見合っただけの霊性が発達することを祈るものである。

つまりこれまでに向けられてきた人間的努力の進歩に匹敵するだけの進歩が精神と霊性の分野にも向けられればと願います。

核開発を競う世界の現状は決して平和利用だけではありません。

文明の進歩に霊性が伴わない今の状態では、使用する資格のないエネルギーによって自ら爆破してしまう危険があり、既に原子力がそれを証明しています。

科学も文明も人間の創造力によって成されたものであるが、その人間の心にある嫉妬心、口論、諍(いさか)い、殺人、戦争、混乱、羨望(せんぼう)、貪慾(どんよく)、恨み、こうしたものを地上より一掃することは可能です。

そして、それに代わって思いやりの心、親切、優しさ、友愛、協力の精神によって生活の全てを律することができるのである。

それにはその根幹として、霊性において人類は一つであるとの認識が必要です。決して救いようのないほど暗い面ばかりを想像してはいけない。

明るい面もあります。なぜならそうした障害と困難の中にあっての進歩は、たった一歩であっても偉大な価値があるからです。

たった一人でいいのです。全てが陰気で暗く侘(わび)しく感じられているこの地上において、誰かを元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。

勇気づけられた人がまた誰かというように、そして一人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。

霊性(心)の宝は楽々と手に入るものではありません。もしそうであったら価値は非常に薄っぺらものになります。

価値あるものほど手に入りにくいのである。

何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利と言えるでしょうか。

何の苦労もせずに頂上にたどり着いたとしたら、それが大きな感動となるだろうか。

霊性の進化というものは先へ進めば進むほど孤独を克服するための戦いとなっていくものです。

なぜなら、それは前人未踏(みとう)の地を行きながら後の者のために道標(みちしるべ)を残していくことだからです。

そこに霊性進化の真髄(しんずい)があります。何事もある程度まで道を究めようとするときに、孤独は避けられない影のようなものです。

病気を克服するときも人や医師の世話にはなるが、精神面においては結局自分への課題となるのである。

また、私たちが何かを成就しようとして努力する時、少なくても自分と同等の、あるいは多くの場合それ以上の霊格者の援助が霊界において為(な)されているものだ。

したがって援助を求める真摯(しんし)な熱意がなおざりにされることは決してありません。

忠信からの実践、正しい精神からの行いには霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。

その時に発生する背後での霊的事情の実際は言語では説明しきれるものだはない。

元来が地上の出来ごとを表現するように出来ている言語では、次元の違う4次元以上の世界を表現しようとすることに無理があるのだ。

どう表現してみたところで、高度な霊的実在を表現するにはお粗末な解説にしかならないのである。

いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。

大勢の人が、真の実在であり全ての根源であるところの4次元世界の存在と自己の霊性に全く気づかぬまま生きております。

言い換えれば形のない状態から有形の存在が生まれてくることは科学的分野においては理論的かつ簡単に説明のできることです。

そして誰もが今現在こうして生きているのは霊的存在だからであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。

人間には霊がある、あるいは魂がある、心があると信じている人でも、現実には肉体が主であって霊(魂)はその付属物であるかのように理解している人がいます。
しかし、本当は霊が主体であり肉体が徒属物なのです。つまり真のあなたは霊(魂)なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのである。
肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。
だが、形体としての存在はほんの一時的なもので、せいぜい80年前後でしょう。
用事が済めば崩壊してしまい灰になり土に還るだけです。
誕生の時に宿った霊、これが大事なのであって、この辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。
魂の芽が出はじめたのです。あとはあなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。
そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和された生活が始まるのである。
しかし、霊性に気づかず、無視した生活をしている人間はあたかも目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えるだろう。
また、肉体に障害が出ても心(魂)まで障害にしてはなりません。
霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。
それは、その人が人生から表面的なものではなく霊という実在(4次元)と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に立ったことの指標でもあります。
本来、霊(魂)に内在する宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。
物的なものが全て色褪(いろあ)せ、錆(さび)つき、朽ち果てたあとも、霊はいつまでも存在し続けるのです。
魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を確認するようになりますが、それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つである。
その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けるのだ。
これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にするものでもある。
あなたが、その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し伸べるのです。
この霊的自覚が確立された時、あなたはこの世的手段をもってしては与えることも奪うことも出来ないもの磐石不動(ばんじゃくふどう)の自信と冷静さとを得ることになるのだ。
そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはなくなり、自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。
人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起(やっき)になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしているのである。
どうか、何処(どこ)でもよろしい、種を蒔ける場所に一粒でも蒔いていただきたい。
冷やかな拒絶に会っても相手になさらぬことです。
議論をしてはいけません。
伝道ぶった態度に出てもいけません。
無理して植えても不毛の土地には決して根づきません。
ということは人によるということです。
根づくところには時が来れば必ず根づきます。
あなたを小ばかにして心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねて来るでしょう。
天なる宇宙は愛をもって全てを抱擁(ほうよう)しているのである。
これまで啓示された宇宙の摂理に忠実に従って生きておれば、その天との愛の絆を断ち切るような出来ごとはあなたの周囲のいずこにも決して起きません。
宇宙の太陽である唯一の意識は決して私たちを見捨てません。従って私たちも宇宙を見捨てるようなことがあってはならないでしょう。宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に循環輪廻しているのです。
地球は地軸(ちじく)を中心に自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、自転する恒星(こうせい)も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も巡りを繰り返しています。
種子は芽を出し、花を咲かせ、枯死(こし)し、そして再び新しい芽を出すことを繰り返しているのである。
死は死ではなく新たな生なのだということを深く心に銘記されたい。
色とりどりの小鳥が楽しくさえずり、木々は風にたおやかに靡(なび)き、今また、きれいな紅葉も終わり冬支度をしている。
かくして人間を含む全生命が法則に従って色即是空、空即是色と生命活動を営んでいるのである。
私たちはどうあがいたところで、その宇宙の懐(ふところ)の外にでることはできないのだ。
何故なら私たちもその一部を構成しているからです。
どこに居ようと私たちは天なる宇宙の無限の愛に包まれ、その御手に抱かれ、常に宇宙の光りと力の中に置かれていることを忘れぬようにしたいものである。
きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。またの訪問をお待ちしております。ランキング参加しております。、下のバナーをポチッとクリックして頂ければありがたいです。^_^;