人間関係に疲れたら
職場での人間関係に疲れた人、学校でクラスメートの子たちとうまくいかなくて不登校になっている子ども、親子の関係に悩む人と、人間関係に疲れて相談にみえる方は多い。
もちろん原因は様々です。
たとえば人間関係をスムーズにもっていくために欠かせないこと、それは先入観を捨てることがいかに大事であるかということをこれまでの経緯をみて強く感じております。
ただ先入観を捨てるのではありません。
先入観は拘りをつくりだし、物事の実態、真実を見失ってしまう場合が多々あります。
私自身もこれまでの長い間の一つの失敗経験から言えることですが、自分が少し何かをできるようになると、人に説明しようとか、驕りの心がでてしまうこともありました。
こうした思いあがった心を捨てて、逆にすべてのものから学んでいこうという気持ちになってみますと、自分の持ち得ていない長所や利点を他人がもっているということが本当に良く見えてくるようになります。
そうすると、あえて謙虚になれといわれなくても、ごく自然に謙虚になってくるから不思議です。
そうすると「人のふりみて我がふりを直せ」という言葉もあるように、他人の良い点を素直に、謙虚に学んでいこうという気持ちになるものです。
それでも、人間ですから、若いころは今の心境とは随分開きがあり、人付き合いに疲れることもありました。
人と交わって疲れた時にはどうすればいいかというと、私の場合はやはり戸外に出て自然に親しむことで随分と心身が洗われ晴れやかになれたものです。
それもただ憂さ晴らしに出ていくのではなくて、何かを吸収しようという気持ちを持っていると、自然には必ず何か教えてくれるものがあるものです。
そのたたずまいの中から、自分のの生き方、在り方が見えてくるのです。
言いかえれば、冷静な心になれるということでしょうか。
例えば、例年なら蕾のみえる山野草の春らんが殆ど蕾がない。
それはどうしてだろうかと観察して見る。
すると普段は気づかなかった野草にも変化が確認できたりします。
空気の汚れや、雨の汚染も大気が汚れているからだろうと気づけば、さらにその原因はなんだろうかと観察することにつながります。
そうすると、野草の様子から人間の文明による環境破壊までたどり着くのです。
常に学ぼうという姿勢でいれば、自然のあらゆるものが参考書であり、リポートであることがわかります。
バイブルのどこかに、「神は無言のうちに自らを語りたもう」とあったのを記憶しています。
これは、あらゆるものの存在が真理を語っているということでしょう。
花が咲くのにも鳥が鳴くのにも、そこに真理が語られており、それを見ることができるか、聞くことができるかは、その人次第なのでしょう。
人生の中で行きづまりを感じることはよくあることですが、行きづまりを嘆く必要はなくて、行きづまったらこれは必ず先が開ける前兆だと思って、逃げずに、もだえるときにもだえぬいていくと、何でもないことの中から自然の声、天の声を聞くことができるのだと思います。
ことわざにも「窮すれば通ず」とあるではありませんか。
人間関係に疲れても、そこから逃げてしまわずに、何かを学ほうと思って、勇気をもって一歩外へ出てみることが大切ですね。
そうすれば、必ず何か得るところがあるはずです。
小さな発見が自信につながり、やがては大きな歩みになっていくことでしょう。
自然のなかに身をおくとき、小さなことに拘り、執着している自分に気づかせてもらえることは、天に感謝の心まで湧きださせてくれます。
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