続編ドキュメント・心の師を求めて2

進化の道きょうは一昨日に投稿した『ドキュメント・心の師を求めて』の後半部分を掲載します。
2013年8月20日 受信
先生、すぐに返信をしていただき、本当にありがとうございます。
今回、思い切ってご相談させていただき、本当に良かったと感じています。
心に鬱積していたことを聞いていただき、適切な言葉をいただき、視界が開けてきたように感じています。
申し訳ありませんが、もう少し、自分のことを話させていただきます。
家庭環境のことですが、私はありがたいことですが、祖父母、両親の元でオブラートに何重にも包まれたように過保護に育てられたように思います。当時はそれが普通だと思っていましたが・・・
20歳の時に縁があり結婚をしましたが、相手は定職もなく、私が義母の元で働くしかありませんでした。
過保護に育てられ、世間知らずの私は、相手の言いなりになるしかなく、奴隷のように働き、当時誰にも相談出来なかったのですが、時々結婚相手から暴力を受けていました。
張りつめた中での生活でしたが、最後には精神が崩壊するほどにボロボロになってしまいました。
最終的に、相手に新しい女の人が出来、私は捨てられる事になりましたが、今ではかえって幸運だったと思っています。
結婚生活は長野でしたが、私の田舎は栃木にあります。
一度は実家に戻りましたが、親戚が多く、出戻りという立場で人と話すのが苦痛で、また長野に戻り一人暮らしを始めました。
人は鏡ということでしょうか、今は先生に思いやりがあると言っていただけますが、当時の私の中には結婚相手と同じような我儘さ、身勝手さが本当はたくさんあったように思います。
今思い返せば赤面するほどです。
何年か経って今の主人と知り合い、2度目の結婚をしました。
最初の2年位は性格や価値観の違い、お互いの未熟さからぶつかることが多く、そのころに鬱病と、パニック障害を発症しました。
主人との関係を修復できたのは、主人が仕事で独立をして個人で仕事を始めてからです。
事業を営んでいる主人の会社でその仕事を手伝い、職場では友人ができなかったこと、協力しあうしかなかったことが、お互いを深く理解することにつながったと感じています。
ただ、当時は個人事業で食べてゆくのは並大抵ではありませんでした。
仕事は非常にきつく、アルバイトを雇ってもすぐにやめてしまったり、また仕事に追われたり、不景気のあおりで急に仕事が何か月もなくなったり・・・
それで、私も一緒になって現場で働くようになりました。
男のする仕事を一緒になってやる労働はとても体にきつく、いつも疲労困ぱいしていました。
5年ほどたつと、仕事が嫌で嫌で仕方なくなったりもしましたが、そのころは真理の勉強を始めていましたので、これは自分にとっての修行だと受け止めるようにしてきました。
辛くなればお釈迦様の言葉を頼り、シルバーバーチやホワイトイーグルの本に答えを探し、慰めを求めてきました。
主人もなるべく私が現場に出なくてもいいようにと抜けさせる努力をしてくれましたが、私が抜けようとすると、問題が発生したり、結局10年以上やりました。
私は長い間、生きることを辛いと感じてきました。
では、私だけが辛いのかと自問すればそうではなく、祖父母のことなどを思うと、戦前戦後の中で私より数倍辛い思いをしてきた話を聞いていましたし、世界に目を向ければそれを上回る苦悩が存在するのだと思います。
その一方で快楽や欲望を追究している少数の人もいる。
目に見えている世界だけがすべてならば、あまりに不公平だと感じ、それ以外の真実があるはずだという思いからも、真理を追究することに取りつかれていたように思います。
数年前に病気が発症し、現場に出れなくなったのですが、ちょうどリーマンショックでその後仕事も減り、今はなぜか仕事に追われることもなく、主人一人でも仕事をこなせるようになっています。
今は、この猛暑でも働いてくれている主人に毎日感謝しなければという気持ちでいます。
今、ぽっかり穴が空いたような時間の中を3年ほど過ごしてきましたが、前述したような気質の問題もあり、人付き合いもわずらわしく感じ、まるで世捨て人のように何も気力がわかない中で生きてきました。
先生のおっしゃる通り、私はバランスが取れないのだと思います。
そして自分を追い込んでしまい、自分で窮屈にしてしまっている。
ご指摘いただき、今気づきましたが、本当にその通りだと思います。
先生のブログの中の、水と塩の話も、とても、とても、わかりやすいです。
一度自分を捨てる・・・これはなんとなくわかりますが、実際の行動は、何かを追究することをやめ、ありのままを受け止める、ということでしょうか?
とても大事で、今私に必要なことだと感じますが、上手くできるでしょうか。
焦らず、取り組んでみたいと思っています。
自己浄化の資料もありがとうございます。
印刷して暗記し、今日から毎日続けてみようと思います。
また、長々と書いてしまいました。
読んでいただき、本当にありがとうございます。
また、経過を報告させていただきます。
 葉月公美子
2013/8/21(水) 21:42返信
葉月様
あなたは最初の結婚をしてからが苦労の日々でしたね。
結婚生活は、生まれ育った環境の違いによって習慣、価値観の違うものどうしが一つ屋根の下で暮らすことになります。
私事で恐縮ですが、家内とは40年の生活を共にしております。しかし、価値観が全く同じということはありません。
共通の価値観を持ち合わせている部分もありますが、別な価値観もお互いがもっているところが多く、これが自然のことだと今は受け止めております。
私は、家内の心に土足で踏み込むようなことはしませんし、マナーとしてそのようなことはしませんが、家内は思ったことをストレートに口に出す人ですから、ときにはそれが私の心に、弓矢が疾風の如く走るように突き刺さることがあります。
私も若い頃は、突き刺さる言葉に我を見失い感情的になることもありました。
しかし、感情的になるほどに心が痛むことを体験してきたのでした。
感情に負けて怒りの心をもつことがどれほど人間の心身を苦しくさせるかといことを、身を以って知らされたものです。
年を重ねてみると、どのようなことであっても相手のせいにしているうちは自分の心の調和や安息を得ることができないのだということを気づくようになりました。
今では喧嘩になりません。なりようがないのです。私が受け流すことを身に着けたからです。
結婚以来40年を過ぎた今日でも私の行っていることに家内は興味もなく、そのくせ時折中身を知りたがる時もありますが、話してきかせても賛同も共感も得られることはありません。
しかし、それでも夫婦にはちがいありません。
別なところで家内は努力してくれておりますから、それに対しては感謝の心と報恩の行いで示しているところです。
価値観に完全一致はなく、そうあるべきと思うとすれば、そこからが行き違いの原因をつくることになるものです。
夫婦の価値観は一つの価値観が共有できれば由として、三つの価値観共有があったらでき過ぎと思わなければなりません。
そうなると完全な価値観の一致などあるはずがありません。
価値観に拘ると夫婦の溝が深まることはあっても、親愛な夫婦の絆を得ることはできなくなるでしょう。
「自分を捨てる」ということはどういうことかとなると、これまでのような習慣による物事の判断をいったん改めることから始めること。
目の前の出来事に対して分別する心、判断して結論を出す心は、自分自身の経験値や、知識、自我などが背景にあって為されることで、これは必ずしも中道の判断に基づくものとは限りません。
偏りのない中道の見方、思い、言葉、行いをするにはが必要です。
この間を大切にしてください。
間はとりすぎると、悩みに進展し、機を見失いますが、間が足りないとトラブルの原因ともなり得ますし、チャンスを無効にして、これまた機を失うことになるものです。
ここにもやはり、中道の精神が必要なのがお分かりかと思います。
つまり、これまでの見方、思い方や、簡単に言葉を発するのではなく、客観的に見る癖、思い、話す習慣を身に着けることができれば、おのずと自分を捨てることになってくるのです。
捨てるということは、偏った物事の見方、思い、言葉を捨てるということであって、それが自我を捨てること、煩悩を捨てることにつがるのです。
必要以上の追及は他を批判する想念に発展するでしょう。
心が調和されてくると、周りのできごとに心が左右されず、感情の乱れが少なくなってくるものです。
これは無関心ということではなく、和して動ぜずの心と言ってもようでしょう。
観童
2013年8月23日 金曜日 午前11:09受信
観童先生 様
お返事ありがとうございます。
先生と奥様とのお話を聞かせていただき、ありがとうございました。大変参考になりました。
先生でもやはり長い時間をかけて心を磨いてこられたのですね、とても感慨深く読ませていただきました。
先日、お話していただきました、孤独や不便の中で心が育つもの、というお話も含め、大変心に沁みております。
○○会なども自分からやめてしまい、このような話を人に話したのは、もう10年近くありませんでした。
先生に、その時の判断は正しかったと言っていただき、ホットしているところですが・・・
先生にいただいたお返事を何度も何度も読み返し、改めて自分の心を見つめなおしております。
本と自分の経験だけを頼りに今までやってきましたが、状況が変わり、気が付いてみれば随分と閉鎖的になってしまっている自分がいて、
しかし、どう打開したらよいのか、わからずにいました。
心の在り方の勉強をしていたはずなのに、人や社会を避けてしまっている自分がいて、
先生のおっしゃる間のお話ですが、今回長くなりすぎたのかもしれません。
このままで良いのだろうかと、いつの間にか悩みにつながってしまいました。
自分の感じ方、判断の仕方、ことあるごとに一歩引いて、客観的に見つめなおしてみることから始めてみようと思います。
和して動ぜずの心
この様になれるには、かなり時間が必要かと思いますが、少しづつでも自分の心の幅を広げていくように内的努力をしてまいります。
コツコツやっていくしかないことだと思いますが、また、いろいろな迷いが出てくると思います。
勝手ですが、またこれからもご連絡させていただきたいと思います。
どうか、これからもご指導よろしくお願いいたします。
自己浄化法ですが、とても心強く感じています。
今回のご縁には、本当に感謝しております。先生、本当にありがとうございました。
ブログのほうも、これからも拝見させていただきます。
追伸・・・昨今の天変地異についての記事も大変興味深く読ませていただきました。
先生の夢の通り、世界中が洪水であふれていますね。
いったい地球はどうなってしまうのでしょうか。
東北も雨が多いようですが、どうかご自愛くださいますように・・・
葉月公美子
2013年8月24日 土曜日 午後9:25返信
葉月さま。こんばんは。
いつも夜分に失礼いたします。
仕事が終わって夜にならないと自分の時間がとれないものですから申し訳ありません。
あなたのこれまでのメールを今一度、最初から拝見させていただきました。
そして、しばし瞑目したところ、次のような言葉が私の心に大きく響きました。
『気づかば、為し、悟らば、世に交わるが道』
『気付いたら行動に移し、悟ったら人と交わるのが人の道、すなわち人生』と、私は解釈しましたが、この言葉が意味することは何なのか、是非あなたにも一考いただければと思い、お知らせしたく返信をさせていただきました。
あなたは、これまで長きにわたり、お一人、ご自分で勉強されてきました。
その内容も正統派の方々の教えだと思います。
お互い、ゆっくりと着実に実践してまいりましょう。
観童
2013年8月25日 日曜日 午前10:09受信
観童先生、お忙しいなか親身になってお考えいただきまして、本当にありがとうございます。
実は、昨日なんとなく心に浮かんだ考えですが、
もう少し成長出来たら、いつかは先生のように、絶望を感じたり、苦しんだりしている人の役に立てるような、
少しでも心を癒せるような活動が出来たらいいなと感じていました。
先生からいただいたメッセージを読んで、「そのように進みなさい」と答えをいただいたように思い、少し驚いております。
と、言いましても改めて自分の心の癖を直そうとしているところですから、それを目標に日々を生きてみようと改めて希望が湧いたところです。
先生のブログの記事の中で、精神科医が心を病んでいるお話がありましたが、
「心に残さず、一日を終えられるような心づくりができていないと、カウンセリングはできない仕事である。」という一文がとても心に残っております。
人の、または自分の、感情に流されない。強く感受しても動じないような心づくりをしていきたいと思います。
それにはやはり常に客観的に自分の心をみまわし、その度、修正していくしかないですよね。
あとは、水のお話(自然界の心)のように、物事をおおらかに調和して受け止められるように、
何事にも拘りすぎないで・・・
簡単には直らないと思いますが、焦らず実践してみたいと思います。
先生、いつもありがとうございます。
葉月公美子
※きょうも最後までお読み頂き、心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。

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