ドキュメント・心の師を求めて
ある女性からメールをいただいた。
この女性は、お一人で仏陀(お釈迦様)の教えを学びながらも、生きることの苦悩と、孤独のなかで、思うようにならない人生や、自分の生きることに対して疑問を持ち、真理を追究しながら、人の道を求め、心の師を探しておられたようだ。
今回は、ご本人から快く承諾を頂き、メールでのやり取りを、原文のままに掲載することができましたが、皆さまにも一考頂ければ私の願いは叶うことになります。
2013年8月18日 メール受信
観童先生 様
数か月前からブログを拝見させていただき、勉強させていただいております。
たくさんの相談が寄せられてお忙しいのではないだろうかと何度か躊躇いたしましたが、お時間が空いた時で構いませんので、ご指導いただけたらと思いメールをさせていただきました。
私は47歳の主婦で、今、○○県で夫と二人で暮らしております。子供はいません。
20代の終わりに自分のカルマに翻弄され、酷く鬱症状、パニック症状になったことがあります。
それがきっかけでなぜ生きなければならないのか、という疑問を強く持ち、中村元先生のブッダの言葉やその他系統の精神世界の本などを読みながらその答えを探し続けるようになりました。
観童先生のおっしゃる意味の大切さが身を以てわかるのですが、当時お釈迦様の言葉に導かれ、自分の心を見つめなおしてみますと、自己顕示欲の強さ、我の強さなどに気づき、自ら反省することで何とか鬱、パニック症状からは抜け出すことができました経験があります。
しかし、中道の心を保つことが大切なことは頭ではわかりますが、実践するとなると非常に難しいと感じています。
前置きが長くなりましたが、まだまだ心に厄介な癖がありどう打開していいのか悩んでおります。
私は、人の感情というのか気というのか、そのようなものにすごく影響を受けてしまうように感じています。そして、ものすごく疲れてしまいます。
今までに何度かあったのですが、強い怒りや、恨みなどの感情を持っている人と一緒にいると、その後熱を出したり、吐いてしまったりということがたびたびありました。
最初はたまたま体調が悪かったのだと思っていましたが、何度かあるうちに偶然ではないのではないかと思うようになりました。
20代のころに霊能者と名乗る人のところに数回訪れたことがありましたが、そのころにその方のところに訪れるたびに、自分の感情をコントロールできなくなり、わけもなく泣き続けたり、落ち込んだり、ということもありました。それは一時的なものでしたが。
また、人の心の裏側みたいなものを無意識に読み取ってしまったりする癖があります。
私に、霊能力があるわけではないので、これは感受性の強さだろうと思うのですが、そのような訳で人と対することがとてもつらい時があります。
数年前からアレルギー症状が出るようになりました。酷い鼻炎と、時々血管の炎症が起こり頭痛、吐き気に襲われました。
一年程前に病院でやっと病名がわかりましたが、白血球の中の好酸球というものが出すぎてしまう免疫異常の病気だということで、今ステロイドを飲んでいます。
でも、この病気の根本的な原因は不明ということです。
対処療法のステロイドで症状は出なくなりましたが、ステロイドの副作用で前にもまして疲れやすく、風邪などにかかりやすくなってしまっています。
そのようなことに加えて、職人であり、事業を営んでいる主人の会社でその仕事を手伝い、職場では友人ができなかったこと、生まれ故郷から離れていること、子供がいないことなどの状況があり、今は病気で仕事から離れ、ほとんど半引きこもりのような生活をしております。(家事はやっております、夫とも問題はありません)
今の状況に孤独感があり、辛いと思う反面、楽でもあり、あきらめのような気持ちもあり、そんな自分を我儘(わがまま)だと思うときもあります。
数か月前から観童先生のブログを拝見させていただき、今の病気や引きこもりも自分の未熟さから引き起こしているのではないかと思うようになりました。
出来れば、自分の弱さや心の癖を克服し、社会や他人から逃げているようなこの状況を変えていけたらと思っております。
ご指導をお願いできますでしょうか?
このように荒れた世の中ですので、多分たくさんのご相談を寄せられ大変お忙しいと思います。
私は今どうしてもという切羽詰まった状況ではありません。
鬱やパニック症状で苦しんでいる方を優先していただき、どんなに遅くなっても構いません。アドバイスをいただけたら幸いに思います。
簡潔に書こうと思い、かえって支離滅裂な乱文になってしまったかもしれません。
申し訳ありません。
葉月 公美子(仮名)
2013年8月18日 日曜日 午後10:09 返信
葉月 公美子様 こんばんは。
初めまして。よくぞご連絡をくださいましたね。
あなたがおっしゃる、「自己顕示欲、我の強さ」とお書きになってはおられますが、しかし、あなた文章の随所には、「思いやり」というお心が見えて、何とかこの方には早くお返事を差し上げなくてはと思い、下手なパソコンに向かった次第です。
貴方がこれまで生きてきた47年間の人生を、今回いただいたメールですべて理解することはできませんが、しかし、私には、あなたのご苦悩がうかがえて察するに余りあるものがあります。
過去には、ご自分を省みて、うつや、パニック症状から抜け出した経験があるのであればなおさらのこと、心が体に与える影響の大きさは承知しておられますね。
しかし、心の学びは到達点がありません。一生涯をかけて共に継続していきましょう。
あなたが、そう思うように、私も試行錯誤して中道を生きることに努めております。
完成はないのですよ。
人生はプロセスです。登山をして頂上にたどり着くまでの過程が人生です。
あなたが中道の難しさを実感するときというのは、どのようなときでしょうか?
この辺をもう少しお話しいただければ、少しは具体的なお話しに展開できるかと思います。
「人の感情、気、そのようなものに影響を受けてしまうように感じています。そして、ものすごく疲れてしまいます。強い怒りや、恨みなどの感情を持っている人と一緒にいると、その後熱を出したり、吐いてしまったり・・・。」
このことの原因をあなたは特定できておりますか?多分その訳を知っておられないのではないでしょうか。
私の判断に間違いがなければ、人のエネルギーや霊的なエネルギーを体で感じやすい方だと思うのです。
人間の心から発するエネルギーは心の調和された人ならばとても安らぎをおぼえるものだし、反対に、怒りや恨み、妬み、愚痴、不満のエネルギーは、傍にいる人の体調にまで悪影響を及ぼすものです。
このような意味からして、あなたがお会いした霊能者の場合、当時を振り返ってみて、あなた自身はどのように判断されるでしょうか。
霊能者の影響だったとは考えられませんか?
私のところにおいでになる相談者の多くも泣きます。
しかし、その涙は歓喜の涙です。理解された喜び、認められた喜び、悔い改める心、こういった心からの涙です。
そして涙を流した分だけ心が洗われていき、再び希望を見出していかれるのです。
人のエネルギーを感じる、感じない、ということには個人差があります。
感じる人の場合、自分の体調が良くなければ余計にはっきりと感受反応がでやすいものです。この感受反応は苦しさを伴います。
それだけに、あなたのように感じやすい人の場合、健康管理はしっかりしておくことも大事です。
それと、特定の場所に出向いたりしたときに具合が悪くなることはありませんか。(急に背中や肩が苦しくなる、重くなる、頭痛がし始める、目がショボショボする、お腹が痛くなる、胸が苦しくなる、呼吸がしにくい、心拍数があがる、拍動が強くなる等々)
例えば、ショッピングセンターや、人の多く集まる施設や、建物、場所などです。
もし、そのような経験がおありなら、やはり、あなたは感受反応が体に出やすい体質なのだと思います。
つまり、邪気を被ったことが体に反応として出てくるということです。
でも、それであれば被った邪気を自己浄化して除く方法がありますけど、御存知でしょうか。
何かしら御自分で工夫されておられますか?
あと、いまのあなたの症状ですが、これ以上ステロイドを服用すれば本当に体をボロボロにしてしまいかねません。
大事なことは自分でできる健康法を実践して、なるべく薬に依存しない生活を確立することです。
体質は努力によって改善できるものですよ。
もし、御主人の理解が得られるならば、 できることならば一度、お会いしたいものですね。
とりとめのない文章にて失礼いたします。
観童 取り急ぎ用件まで。
2013年8月19日 受信
観童先生 様
お忙しい中、早々にお返事をいただき、ありがとうございます。
親身にお話を聞いていただき、本当に感謝いたします。
「心の学びは到達点がありません。一生涯をかけて共に継続していきましょう。 あなたが、そう思うように私も試行錯誤して中道を生きることに努めております。完成はないのですよ。」
先生のこのお言葉に、とても心強さをいただいております。
鬱の症状が出た当時、自分が人と比べてばかりいることに気づきました。
人によく思われたい、人より良くなりたい、そんな競争心と、完璧主義な気質をまず反省しました。
一時期の「死んでしまいたい、消えてなくなりたい」そればかりが頭の中を廻ってしまう状態には早く脱することが出来ましたが、それでも10年位は常に揺れ動いていたように思います。
中道を難しいと感じるのは、生まれながらに神経質な部分があり、細かいことを気にしやすい質で、人が気づかなかったり、気にしないことなどにもすぐ気持ちが引っ張られてしまいます。
心が狭く、拘りが強いのだと思います。
このような部分は、頭ではいけないとわかっても気が付けば神経をすり減らしたりしてしまいます。
そのような性質と、深く物事を掘り下げて考えてしまったり、人の感情に流されやすかったりするため、自然に人と距離を置いてしまい、孤独を好むようになってしまっています。
先生のブログの中で、善への拘り という話がありましたが、とても考えさせられました。
わかりやすいお話でしたので、スット心に落ち、理解できましたが、自分ではそれが偏りになって悪い結果を招いていることにはなかなか気づけないものではないかと思いました。
そのように、自分では気づけていない部分もまだあるかもしれません。
人のエネルギー、霊的なエネルギーを受けやすい というご指摘ですが、
自分でも漠然とそうではないかという気がしていました。
人の多くいる場所や、電車の中などでは、急に肩や腰が重くなり立っているのもつらくなったり、頭痛がよくおこります。
また、特にお酒を飲むような集まりが苦手です。ストレスを発散するどころか、異常に疲れてしまいます。
しかし、自分が霊的なものを感じたり、人のエネルギーがわかる訳ではありませんので、どこからどこまでがそのような影響で体に負担がかかっているのか、よくわからないまま生きてきてしまいました。
そのせいで、長い間出不精になってしまっています。
今は用事がない以外あまり外に出るということはありません。
己浄化の方法があるということも知りませんでした。
ご指導していただけたら、こんなにうれしいことはありません。
霊能者のことですが、その方のところに何度か足を運んでいたのはもう20年以上前で20代半ばのころでした。
女性の方で、人の紹介で伺いました。その方も霊能力を使って人の相談に乗るということを、まだ始めたばかりのころで、初はとても人柄がよく、5000円という値段で2時間以上かけて話を聞いてくれるような感じでした。
その方が知っているはずもない、亡くなった先祖の容姿などを言い当てられ、私にもまだそのような知識もなかったので、信頼し何度も足を運ぶようになりました。
しかし何か月たったか、何年たったか覚えていませんが、
いつのまにか、その方は段々と人が変わったようになってしまいました。
自分の自慢話を延々としたり、当時、○○○子さんがよくテレビに出ていたのですが、○○○子さんの悪口を言ったり、人の批判が多くなりました。
また、相談料も徐々に値段が上がっていきました。
私も行く度に気持ちが落ち着かなくなり、心がざわざわしたり、イライラしたり、むやみに悲しくなってどうしようもなかったり、感情をコントロールできなくなるようになりました。
先生のおっしゃる歓喜の涙とは程遠い状態です。
その霊能者の方は、途中から動物霊か、または低級霊に支配されてしまっていたのではないかと今は思っています。
その方とはもう何年もお会いしたことはありません。
自分のカルマが原因だと思いますが、20代、30代は私にとって、辛いと感じることの多い道のりでした。
そのため、真理を求める気持ちが強くありましたが、宗教などは敬遠してきました。
ですから、拠り所と言ったら、「ブッダの言葉」と スピリチュアリズムといわれる分野の「シルバーバーチの霊訓」「ホワイトイーグルの霊訓」などを読み、日常生活の中でたどたどしいながら実践していくぐらいしかできておりません。
ネットや本屋を覗くと、あふれるほどにそのような情報がありますが、他力本願的なものは信じないで来ました。
ルバーバーチの言葉には魂の琴線に触れるものが多く、生きてゆく中でとても勉強になりましたから、一度、○○会のようなものに参加したことがあります。
しかし、どんなに内容の良いものでも、人が多く集まると、新興宗教のような色を帯びてきてしまうものだと感じて行くのをやめました。
やはり孤独ですが、自分の生活の実践の中で一歩一歩小さいながらも悟っていくしかないのだと思いながら過ごしてきました。
真理を勉強しながら、少しでも魂の成長をしたい、そしていつかは少しでも人の役に立つような者になりたいと思ってきましたが、47歳となって今振り返ってみますと、あきれるほどにたいした進歩もなく、今病気にかかり、ますます自分の殻に引きこもるような現実に憤りを感じていました。
そんな中で観童先生のブログと出会い、矛盾や妥協のない記事を拝見し、とても感銘を受けました。
そして、毎日のように読ませていただいていた次第です。
今回メールを書く前から、近ければすぐにでもお伺いしたいと主人にも話していたところです。
主人もお会いしてみたいと話していたので、秋ごろに旅行を兼ねて伺えないかと、今朝主人に話してみました。
都合がつきましたら、その節は是非よろしくお願いいたします。
今回、お忙しい中メールをいただき、本当にありがとうございます。
ずっと心の師と思える方がいないかと切望しておりました。
勝手ながら、どうかご指導よろしくお願いいたします。
葉月公美子
2013年8月19日 月曜日 午後10:57 返信
葉月様。こんばんは。
詳しくお話しいただいてありがとうございます。
多分、心の内の一番話したくない部分かもしれない核心のところを話してくださったのでしょう。
「人によく思われたい、人より良くなりたい、そんな競争心と、完璧主義な気質をまず反省しました。」とあるように、やはり、あなたは御自分をよく見つめておられます。
あなたの場合、あとはバランスの取り方だけではありませんか。
私も、仕事に関しては、厳しく自分を律して向上心をもって臨んでいます。
それは、おいでになる患者さんのより良い回復を願うからですが、しかし、そうは言っても、心のバランスを崩すまで自分を追い詰めるやり方はしません。
心の使い方は、楽器とおなじように調弦された状態が理想的です。
例えば、三味線やギター、ピアノ、バイオリンなどの弦楽器の場合ですが、弦はゆるいと音が出ませんし、張り詰め過ぎると切れてしまいます。
丁度よい程度の張り具合が感動を呼ぶ音色をだします。これが調和された弦ですから調弦、調律といいます。
私たちの心も全く同じことが言えますね。
私からみた葉月さんは探究心もあり、ありきたりのことでは満足できず、真理を求めるという、いわば強い求道心があるように思います。
そのようなところが、いろんなところに心の傾向性として出てくるのではないでしょうか。
このこと自体は悪い事ではありません。
ただし、探究心も、求道心も、物事に対する心の受け止め方も、捉え方も、張りつめた弦は切れてしまうように、物事に縛られた心は壊れるときがくるものだということです。
善を為そうとして善に心を縛られたら自由性が失われてしまいます。
そうなったら、それは善ではなくなります。
何も思わず、善とも思わず為すことが善であれば真の善行といえるでしょう。
善を為すにあたっては、善を意識せずとも為すことが大切ですね。
善に心を奪われたら執着につながるでしょう。
正しい行いも同様です。
正しさに拘ると、中道のバランスを崩してしまいます。
そうなったら、真の正しさではなくなります。
周りの出来事に心を奪われると自分を見失ってしまいますね。
中道に対しても同じことがいえるでしょう。
中道、中道と、中道にばかり心を奪われてしまえば、心の自由を見失い、視野を狭くしてしまいます。
成長は一生をかけて積み重ねられていくものでしょう。
どんなに素晴らしい考え方でも、行いでも、そのことにばかり心を向けすぎると窮屈な生き方になってしまいます。
思いやりがあり、よく気が付くし、探究心があり、求道心までお持ちのあなたが苦悩する理由はなんでしょうか。
既にあなたは気づいておられます。
あなたの真我を見出すための手段として、先ず、ここで一度、自分を捨ててしまってはどうでしょうか。
あなたが苦しいのは、内なる善我、真我の部分ではなく、心の表層にある自分です。
いわゆる偽我の部分です。
自分を捨てても決して自分はなくなりません。
表層の自分、偽我は無くなっても、深奥の自分、真我は無くなりません。
逆に表層の偽我が捨てられると、本当の自分が輝きだすのです。
全ては拘り、執着から始まるものです。
自分の持って生まれた個性を捨てることはありませんし、自分を否定してはいけません。
否定からは何も生まれないでしょう。
中道を心がけているならば、ほんの少し成長している自分を素直に認めること。
このことが大切です。
成長していない自分を探して責めることは絶対にしてはいけません。
人間の心が成長するには、孤独の時間が必要です。
孤独や不便な時間や環境が自身の内を見つめる機会をつくってくれるのです。
逆に言うと、群れていることばかり好み、話しに花を咲かせているような人は自分を知る機会を持てない傾向にあります。
そのような意味で、孤独は充実と愛の原点を知るチャンスでもあるでしょう。
ひとつお尋ねさせてください。
葉月さんの育った家庭環境はどのような状況だったでしょうか?
これは差支えがなければでよろしいです。
さて、件の霊能者?のことですが、やはり、想像していた通りのお話しのようですね。
この件については、あなたの判断が正しいと思います。
一般的にない能力を持ち得ると、人間は優越感や驕り、高ぶり、傲慢さが出てくるものです。
しかし、そのことに自分自身が気づくことは稀です。
多くの人は、そのまま背後の邪悪なものに翻弄された生き方をしてしまいます。
私が何度も何度も投稿してきたように、人間の生活に大事なのは、先祖の方がどのような人であったか、それを当てて一喜一憂することではなく、今をどう調和して生きるか、それによって自身の心のステージをどこまでアップしていくのかだということです。
真理を求める気持ちが強くありましたが、宗教などは敬遠してきました。 ですから、拠り所と言ったら、「ブッダの言葉」と スピリチュアリズムといわれる分野の「シルバーバーチの霊訓」「ホワイトイーグルの霊訓」
あなたの選択は正しかったですね。
人が集まると組織的になり、自然に形式や会則、規律、パフォーマンスができあがってくる傾向にあります。
あなたが言わんとすること、よくわかります。
無理にグループや集団に組みして学ばずとも、これまでのように、一人でゆっくりと、一歩一歩、学んでいくこともいいではありませんか。
このようなことを言っている私も、あなたと同じく、一人で真理を勉強しながら、少しでも魂の成長をしたい、そしてどなたかのお役にたてればと願いながら一日を生きておりますが、実際は訪ねておいでになる方々から学ばせていただいている現実です。
あなたは一人ではありませんよ。共に学んでいきましょう。
御縁をいただいたことに心から感謝しております。
偶然はありません。必然です。
観童
追伸
前回お話しした自己浄化の方法ですが、資料を添付送信(非公開)しますので参考になさってみてください。
そして、自己浄化のプリントについて率直な感想をいただければと思います。
御自分でやってみて、それでも気分がすぐれない時はすぐにご連絡をいただければ、私のほうからも遠隔でお手伝いをいたします。
肉体的な原因で体調がすぐれないのであれば遠隔浄化はそれほど効を奏しませんが、他からのエネルギーによる影響であれば効果は期待できます。
葉月さんが外に出無精になっている理由のひとつに、他からの感受反応がきついから、辛いからというところがありませんか?
体調がよければ今までよりは外出もできるようになるのではと思うのですが。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
ディスカッション
コメント一覧
観童様。初めて連絡をさせていただきます。
大阪に住んでおります、和子と申します。
『ドキュメント・心の師を求めて』のコラムを拝見し、相談者の境遇やご病気のこと、そして辛いなかで努力をされている様子に感銘し、少し勇気をいただきました。
それで、この際と思い切ってご連絡することにしました。
5月頃からこちらのブログを訪問して勉強させて頂いておりますが、観童様の一貫したお話しの内容、いつもブレのないテーマに感心しきりで拝読しております。
そのようなことがきっかけですが、是非ご相談申し上げたく宜しくお願い致します。
私は32歳ですが、25歳で結婚して7年間、主人も私も子供がほしいと心から願っているのですが、これまでの4年間の不妊治療に期待はするものの妊娠の兆候もなく、身体にかかる不妊治療の副作用による負担に苦しむはかりで、今では心身ともに辛くなり、少し鬱状態になりつつあります。
しかし、向精神薬を服用するわけにもいかず、勿論、服用したくはありません。
ただ、不妊治療に対してこれ以上は気持ちがついていけないと思い始めており、この先も今までのように不妊治療を継続する気力がありません。
主人の気持ちを思うと、自分の都合で打ち切ることもできず、様々な葛藤がのし掛かってきます。
子どもができない家庭では、このようなことをどう受け止めて家庭生活をしたらよいのでしょうか?
人生には子どもの存在がどれだけ重要なことなのでしょうか。
私たち夫婦の場合、これから人生をどう生きていくのが望ましいのでしょうか。
恥ずかしい部分ですが、今の私たち夫婦は、不妊治療のことだけで精一杯で、主人も私も、自然な営みができないようになってきております。
主人がイライラしている様子をみて、掛ける言葉に窮してしまい、気まずい空気が流れるようになりました。
今後のことを思うと迷いばかりが心に充満して息苦しくなり、身の置き所がなく、落ち着かない自分がいるのです。
このままではいけないと思っているのですが、友人に話しても納得のできるアドバイスがいただける訳でもありません。
医師に相談しても、『まだ大丈夫、年齢的に可能性がありますよ、頑張りましよう。』という答えが返ってくるだけです。
私は、これ以上何を頑張らなければならないでしょう。
一方的な話で申し訳ありませんが、どうぞ私たち夫婦の進むべき道標をお示しいただけないでしょうか。
宜しくお願い致します。