心を自由にすると事が思い通りになる

hirameki_36
融通無碍(ゆうずうむげ)
素直な心を自由にして偏見を持たないようにしておけば、すべてに対して順応していくことができるから、何でも自分の思い通りにすることができるようになるものです。
何事によらず、物事を自分の思う通りにやりたいというのが、お互い人間の思いの一面の姿ではないだろうか。 
たしかに、人でも物でも、すべてが自分の思う通りに動いていくとしたら、これほど愉快なことはないともいえるかもしれません。
しかし、実際の世の中というものは、どちらかというと、人でも物でもなかなか自分の思う通りには動いてくれない場合が多いでしょう。
それで相手と争ったり、自らいろいろ思い悩んだりするなど、好ましくない状態に陥る場合も少なくないように思われます。
ですが、お互いが自己中心的な考えや行動をやめて素直で謙虚な心になったならば、そういう好ましくない状態は生まれてこないのではないか。
というのは、素直な心になれば、客観的なものの見方ができることにもなりますから、すべてがいわば自分の思い通りになると思われるからです。
自分の思い通りになるというのは、思い通りになるように自分から順応すなわち、偏らず、素直な心が高まってくれば、そのなすところは融通無碍(囚われず、偏らず、自由であること)となり、いわば障害はなくなってしまうからです。
それは何故かというと、できないと思われるようなことでも心が自由である為に、よき考えを生み出してやりぬくという知恵がわいてくるからでしょう。
つまり、これは非常に難しいけれども、こうやればできる、ということが見えてくるからだと思うのです。
それが結果的に、非常に難しいことでも、それをのりこえ、道を拓いてゆくことにつながっていくからでしょう。
しかし、その半面においては、これは絶対に不可能だということはもう始めからやらない、という状況判断が適切に成されてくることにもなると思います。
だから偏見のない素直な心が高まってくれば、これは今の段階ではムリであるということと、これはやればできるということと、その両方が同時にわかってくるということです。
故に、素直な心になったならば、自分の行く手に高い山がたちふさがったような場合でも、これをムリヤリつきぬけて通ろうというようには考えずに、たとえば山のふもとを回り道して通っていけばよい、というように考えるだろうと思うのです。
こういうところが結果的に人生の分岐点となる場合が少なくありません。
そしてそのようにするなら、そこにムリもおこらず、争いとか悩みを引きおこすこともなく、結果的にその山を越すこともできるのではないかと思うのです。
そのように、偏らず、囚わらず、素直な心になれば、物事なり相手に対して、自分の方から順応していけることになります。
相手をあるがままに認め、相手の思う通りにしながら導いていくのです。
そうすれば結局は自分の思う通りになり、事は成っていくでしょう。
だから偏らず、客観的視点を失わず素直な心になれば、人にも物にもいっさいに順応して、すべてが思い通りに運んでいくということになります。
つまり、他と争ったり、みずから思い悩むこともなくなって、日々の生活も人生も明るくスムーズに営むことができるようになってゆくでしょう。
そういうことからすれば、お互いに謙虚で素直な心になることがきわめて大事だと思うのです。
だからお互いに、謙虚で決して偏らず素直な心というものを養い高めていくよう、常日頃から十分心がけ、念じ、言葉にし、行っていくことが大切ではないかと思います。
自由な心、生き方というのは、決して勝手気ままにすることではなく、自己中心的な思考や行いではなく、自らに拘らず、執着せず、偏らないことをいうのです。
心の苦しみは身体の苦しみより悪しきものです。
心を向上させようと思うならば、知識を得て迷走しないことが大切だろう。
人生はときにより、善よりも悪の選択を眼の前に与えられる場合があるものです。
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