耳を傾けない人の心

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せっかく貴重な時間をつくって相談にみえていながら人の話を聞けないで、少し話しをすると「でも、だって」から始まる言いわけが多く、自己弁護に終始して何ら話しが先へ進まない。
「相談してみて尊敬できる人ならカウンセリングをお願いします」などと、カウンセリングをお願いするに値するかどうか、どの程度の人間なのか、話しを聞いてみて判断しますというニュアンスで言いきって相談のみえた頭脳明晰な心身疾患のクライアントは初めてでした。
彼女は社会性に欠け、完全孤立状態にあった気の毒な人です。
何かに拘り、執着していて素直な心がない人の場合には、人の言葉に耳を傾けようとしなくなり、その結果、人から大事な意見をもらえなくなったり、相手にされなくなったりする場合があります。
人のことばに耳を傾けようとしなくなると、人がたとえ親切に教えてくれたり、助言してくれた大切なことでも、それに気づくことなく聞き逃がしたり、流したり、拒否したりすることが多くなってくる。
何故そういうことになるのか。
例えば、自分の考え、行動は絶対に正しい、だから他人の助言を聞く必要はない、むしろそれはジャマになる、というように考えている場合もあるでしょう。
また、とにかく自分の好きなことをやりたいのだ、他人の意見など聞きたくない、事の是非はともかく自分のカラにとじこもろうとする人もいます。
更に深刻な状況では、親切そうに言ってくれるけれども、これはきっと自分を失敗させようとして言っているのではないか、何かワナがあるにちがいない、というように不信感、猜疑心が先に立って他人の意見をまともに受けとれない場合もあります。
このように、他人の意見をきかないといっても、そこにはいろいろな場合が考えられますし、時にはそれが正しい場合もあるかもしれません。
しかし基本的にいって他人の意見が素直に聞けないというのは、結局は自分というものにとらわれている姿であって、決して好ましい姿ではないでしょう。
したがって、人のことばに耳を傾けないということになると、そのことによって、いろいろな弊害が生まれてきます。
例えば、人のことばに耳を傾けないということになれば、自分自身が物事に失敗しやすくなる確率も増えてきます。
いかにすぐれた知恵、広い知識をもっていたとしても、しょせん一人の知恵、知識には限りがあります。
その限りある知恵、知識のみによって物事を判断していたならば、ときに適切な判断ができたとしても、いつかはあやまった判断をし、思わぬ失敗をしてしまうことにもなりかねないでしょう。
そしてその失敗によるマイナスが自分一人だけのものであるならばまだしも、その人の立場によっては、周囲の人々にも、また世の人々にも、さまざまなマイナスをもたらすことにもなりかねません。
素直に人の意見を聞けない、人の話しを聞こうとしない弊害は自分自身にとっても大きいものがあります。
そればかりでなく、他人のことばに耳を傾けなければ、お互いの和を損なうことにも結びついてくるのではないでしょうか。
せっかく人が教え、助言してくれているのに馬耳東風というのでは、相手もこころよくは思わないでしょう。
そういう人の場合、相手の言葉を頼りないと思うのか、無関心なのか、ケシカランと思うかはわかりませんが、互いの和という点から考えて、これもプラスにはならず、むしろ一つのマイナスとなってくるでしょう。
更に考えねばならないことは、つねづね耳を傾けないという態度をとっていたならば、だんだん人が助言をしたり教えたりしてくれなくなってくるということです。
人がせっかく親切心で言っているのに耳を傾けようとしない、もう教えてなどやるものか、というようなことにもなりかねないでしょう。
おそらく社会一般的にはこういう流れになっていくのではないだろうか。
もしそういうことになってしまえば、たとえ多くの人びとの知恵を集め、協力を求めようと願ったとしても、それは難しくなってきます。
お互いの人生において、他人の知恵や協力が全く得られなければどうなるだろうか。
お互いの仕事なり暮らしがスムーズにいかないことはもちろん、生きていくことさえできないかもしれません。
そういうことをいろいろ考えてみると、素直な心になれない場合の最も大きな弊害のひとつは、いざというときに協力が得られないということです。
すなわち、何かに拘り、執着していて、素直になれなければ、他人の声に耳を傾けようとしなくなる、耳を傾けようとしなければ協力も得られず、意見も聞けなくなる、ということです。
御意見五両堪忍十両 (ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
人の忠告は五両の値打ち があり、辛いことや怒りをこらえて辛抱することは十両の値打ちがある。
人の意見をよく 聞いて、何事にも忍耐することが大事だということかと思います。
江戸時代の五両はいまのお金の価値に換算すれば、およそ一両を一般的サラリーマンの月給分と考えると約20万円ぐらいとして、5両だと100万円ぐらいでしょうか。
つまり、十両だと200万円となると、それだけ人の意見と辛抱は価値が高いということを教えているのでしょう
次回は13日(木曜日)に「相対的価値観と絶対的価値観」についてアップ予定。
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