間違った宗教を判断する基準
宗教対立はなぜ起こるのか
世界の宗教は、仏教・ユダヤ教・キリスト教・回教・ヒンズー教・神道等々、枚挙にいとまがない。
それに加えて、それぞれにまた、新興宗教が現れ、何が正しいのか、何を信じてよいのか、なかなかわかりにくい。
そして、宗教という言葉を聞いただけで拒絶反応をおぼえるにまで宗教に対する不信感がぬぐえない人たちもいます。
だが、その割には怪しいカルト宗教にハマっている人たちの何と多い事か。
本来、人を正し、人を導くべき宗教が、もっとも激しい対立抗争を起こし、時には、血で血を洗う闘争を繰り広げています。
なぜ、宗教に対立が起こるのか。
これが、解明されなければ、真の世界平和も、人道の確立もない。
特に宗教家が、真剣に考えなければならない問題である。
この件については、これまでブログを通じて何度も何度も様々な角度から訴えてきました。
要するに、宗教団体それぞれが、自らの宗教を絶対的に正しいと思うあまりに、その宗教を受け入れない人々を蔑視して、憎しみを覚えるようになった結果、争いが生じているというのが現状であろう。
そこには、すでに、真の愛、慈悲心、心の安らかさを失っている。
宇宙即我を悟り、不動心をもった正しい指導者は、愛をもち、慈悲があり、したがって心の安らかさと調和の大切さを知っているから、それを乱すような争いなどは絶対に引き起こしたりはしない。
例えば、古代インドの釈尊は、弟子たちに向かって「他宗の人々から論争を挑まれても相手になってはならない」といわれているのは、そのことを物語っている。
極論すれば、宗派争い、宗教戦争というものは、すべて指導者の心の在り方に問題があるからといっても過言ではないでしょう。
指導者が、ほんとうの心の正しさの基準を心得ていないところから生じるということです。
聖戦という都合のいい言葉で民衆を洗脳し、犯してはならない殺戮までさせてしまう宗教の教えが正しいとはいえないでしょう。
要は、「心の安らかさ」と「調和」を基準とすれば、意見の相違はあっても、相互の立場を理解できるから争いに発展することはないのです。
このことは何も宗教の世界に限らず、人間対人間の関わりにおいても全く同じである。
地球人類の指導を委されているのが、仏教的な表現をすれば如来であり、釈尊を中心としてイェス・キリストと、モーゼがおられる。
それらの大指導霊の下にたくさんの指導霊(菩薩)があって、それらの方々が交替に、肉体を持って地上に出生しては正しい法を説き、あるいは歪められた教えを修正してきたのである。
釈尊、キリスト、モーゼという方々が、それぞれ時代を違えて出生して正法を説かれ、しかも一つの正しい法、即ち神理を説かれたのである。
私たちが生活している地球とその太陽系の他の太陽系にはその太陽系の人類を指導される大指導霊とその下の指導霊がおられるだろう。
それらの各太陽系で説かれるものはすべて一つの正しい法(神理)であって、それらが各々違うということはないだろうし、あってはならない。
だから、これから神理を求める人類が、等しく目ざさなければならない神理は、この地球上で神理とされるだけでなく、他の太陽系においても等しく神理とされるものでなければならず、この地球上で普遍的でなければならないでしょう。
そして、宇宙全体的にも普遍的な神理でなければならないということである。
その普遍的な神理を基準にして現在の各宗教教団の教義あるいはあり方を見た時、そこに多くの歪められ、間違えられている問題があることを発見する。
その間違っている点をくつかを挙げることにする。
正しい宗教には一貫性がある
釈尊は弟子たちに、「初もよく、中頃もよく、終わりもよき教えを説け」と説かれた。
また、その教団ではその教義を正しいと信じていても、他の教団ではそれを否定しているというものもあり、日本国内だけでは正しいと認められていても、外国では正しくないとされているものもある。
普遍性、すなわち、いつでも、誰にでも、どこでも、正しいというものでないと神理とはいわないのです。
正しい宗教の三原則
1・科学的合理性を含む
2・道徳性を含む
3・霊的自覚の欲求を満足させ得るもの
1・についていえば、順序を立てて合理的に説明のできない、ただ信じなさいと狂信盲信させようとするものは、正しい宗教とはいえない。
2・は、霊能力を中心としている宗教に、その傾向があるが、日常生活における道徳性を無視して、霊能力を絶対視するような宗教は、狂信的に陥りやすく、したがって正しい宗教とはいえない。
3・は、心の調和や安らぎを強調するだけで、霊的自覚(魂を向上させ、神へ近づきたいという思い)まで人を導きえない宗教は、宗教として充分とはいえない。
以上の三つの条件を持たない宗教は「欠陥宗教」であり、また宗教というべきではないとでしょう。
正しい宗教は普遍性をもつ
天上界からの啓示によって始められたものは、一貫性、不変性、普遍性、妥当性がある。
正しい宗教による教えは、必ずステージの高い指導霊たちからの啓示を受けた、いわゆる啓示宗教といえるだろう。
それは過去の偉大な天使たち(モーゼ、釈尊、イエス)たちの教えが何よりもそうであったことでその真実を物語っている。
一貫性と普遍性をもつ宗教は、世界中どこでも、また時代を超えて、その正しさが通用するものであるということが理解できるかと思います。
世界宗教としての性格をもつぐらいでないと真の宗教には近づけない。
したがって、真の宗教は国家・民族のちがいを超えて成立する力をもっている。
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