自殺か尊厳死か・アメリカ女性の服薬死

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質問をいただきました。
『先日話題になっているアメリカ女性の死について論議されているようですが、あのような死の場合、いわゆる本来の霊界にいけるものでしょうか?』という問い合わせでした。
のご質問に対して、霊的な視点からすればどういう捉え方をすることが最も正しいことなのかを述べておきたいと思います。
先ず、ジュネーブ時事(11月5日)からの転載記事によりますと、
バチカン(ローマ法王庁)のイグナシオ・カッラスコ・デパウラ生命アカデミー会長は4日、末期の脳腫瘍を患っていた米国人女性ブリタニー・メイナードさんが薬物を服用して自殺したことについて、「(生命の)尊厳と自ら命を絶つことは別問題だ」と非難した。とあります。
ANSA通信によると、デパウラ会長は「人物については判断しないが、(自殺という)意思表明は批判されるべきだ」と指摘。
ほう助を受けた自殺は「ばかげている」と言い切った。
メイナードさんはインターネットで「尊厳死」を宣言し、1日にオレゴン州の自宅で自ら命を絶った。
生前に雑誌などに取り上げられ、尊厳死をめぐる議論を呼んだが、支援団体によれば、安らかな最期だったという。
この女性はブリタニー・メイナードさん(29歳)。結婚直後の1月に脳腫瘍で余命6カ月と宣告され、住んでいたカリフォルニア州から尊厳死を認めるオレゴン州へ転居した。
夫との間に子供を望んでいたが、病気のため断念した。
メイナードさんはソーシャルメディアに「私は尊厳を持った死を選択し、きょうがその日です。
世界は美しく、旅は多くのことを教えてくれ、親友や仲間たちは多くの物を与えてくれた。さようなら」などと投稿したとあります。
多くのネット利用者がメイナードさんの動画を閲覧。米誌ピープルが表紙に起用するなど、尊厳死をめぐる議論を呼んでいた。(以上、ここまで転載させていただきました)
さて、尊厳死を保つための手段のひとつとして、苦痛から解放されるためにペインコントロール技術の積極的活用が医療現場において挙げられます。
つまり、ペインコントロール技術とは、緩和医療または緩和ケアのことで、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者に対して生活を改善するアプローチのことです。
その内容はとなると、苦しみを予防したり和らげたりするためにモルヒネなど、薬物の積極的な使用によって、痛みその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題にアセスメントを行うということです。
読者のみなさんもある程度ご存じかと思いますが、
そもそも尊厳死というのは、無意味な延命行為の拒否について、実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非に関して宣言するリビング・ウィル(生前意思)を有効な手段として尊重しようということをいいます。
先月、私の経営する院で働くスタッフのお父さんが脳腫瘍で亡くなった。
80歳だった。発見されたときは末期で手の着けようがなく、余命3カ月から6カ月と宣告された。
本人はもとより、家族も延命治療をしないとの希望を明確に医師に伝えた。
木が枯れるごとく、あっという間の死だった。
尊厳死についてですが、例えば、末期がん患者など治癒の見込みのない人々が、クオリティ・オブ・ライフ(個人の生活内容や質が幸せであるかどうかという概念)と尊厳を保ちつつ最期の時を過ごすための医療がターミナルケア(終末期医療)です。
生存権を脅かしかねないものとして尊厳死を警戒する立場の人もいます。
尊厳死を望む根底は「生産性のある人間のみが生きるに値する」という価値観だと指摘している日本の哲学者もいます。
「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という市民団体は、尊厳死という名のもとに、殺人や自殺幇助(ほうじょ)が一般化する可能性があると主張して警鐘を鳴らしています。
尊厳死を望む場合であれば死に直面した患者が、自らの意志で延命治療を拒み、死を迎えようとする考え方。
その場合に「苦痛を取り除くことを目的とする安楽死に対して、無理な延命処置により患者の尊厳が損なわれるのを避ける」ことが尊厳死の目的である場合もある。
1994年に日本学術会議は、尊厳死容認のために、
1・医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
2・意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
3・延命医療中止は、担当医が行うこと。
以上の3つを条件としてあげている。
しかし、この内容に関しても、議論は続いている。
ご存じの方も多いかと思いますが、事例をあげましょう。
1998年宗教的理由から輸血拒否の意思を明らかにしていた、「エホバの証人」のガン患者の意思に反して医師があえて、輸血したという事案において、東京高裁が患者の同意を必要とし、これは「各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるというに由来するもの」で、「いわゆる尊厳死を選択する自由」も認められるべきものと説いたことは、大きな反響を呼びました。
ここで問題になってくるのは、末期の大腸がんだと宣告されて安楽死を望んだ女性が、『息子の結婚式を見届けてからでも遅くはないでしょう』との医師の言葉に一転して病気と向き合うことにした結果、以後15年も生きて現在も健康で暮らしているという事実もあるということ。
医学的な観点からすれば数カ月の命と宣告もできようが、しかし、このような奇跡的なできごとは珍しいことではありません。
末期の肺がんを宣告された中年のおばさんが、開き直ってライフスタイルを変えたら10年以上経った現在も元気で生きている。
尊厳死という美名のもとに、自らがまだ残っている命を絶つという行為は法制化することで医学的に認められるこにはなるかもしれません。
しかし、人間の生命は輪廻転生するということも忘れてはならないし、知らなければなりません。
輪廻転生は、自らが望んで千歳一隅のチャンスをいただきこの地上に生まれることができた人生です。
苦しみに耐えることが辛いという理由でその命を断ってしまうことはあってはならないでしょう。
私たちの人生は楽な人生ばかりを選んで生きるという訳にはいかないのです。
試練や逆境、苦悩から学び、気づかなければならないことがたくさんありますし、そうでもなければ気づけないことがたくさんあります。
えてして人生はそのように仕組まれてあります。
例え、3カ月、6カ月、1年と宣告されようが、その間の生命が苦しいものであっても受け止める姿勢は、人間に課せられた使命でもあります。
死に方、死の間際、このときの思考、想念は死後の世界に多大な影響を及ぼすことまでは知らない人が多いでしょう。
自然界にみられる慣性の法則は人間の心の世界においても厳然として働いております。
死の間際にどれだけ心が調和されているかによって霊界での居住環境が定まるようにできていることは事実であります。
それを決めるのは私たちの心の調和度、即ち、魂のステージによって定まるという原理原則が慣性の法則です。
今の心の状態が死後も続くことが慣性の法則。
何人たりともこの法則から逃れて存在することはできません。
それ故に、どれほど尊厳死と表現しても、まだ尽きてはいない命を自らの意思で断つことは、霊的な視点からすれば許されざる行いでしかなく、結果、本人の行く先は冥府魔道の世界に一時身を置くことになるでしょう。
何故なら、神は人類の生命を与えはしても、自らの意思で断つことを許していないからです。
手段の云々を問わず、人間のつくった法を問わず、自らの生命を断つことほど神への最大の冒涜はないでしょう。
そしてそれは自らが望んで降りた数々の輪廻転生の否定につながり、地上生命の否定にしかならないということです。
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