自縛霊・地縛霊・憑依の原理

地獄霊
私の知人が、ある女性霊能者の所に連れていきたいということでお会いしたことがあった。
知人とともに招かれてその女性霊能者の自宅へお邪魔した。挨拶をして居間へ案内され、座って話を聞いていて間もなく『しっかり姿勢を正して座りなさい。』と私が一喝された。
私は姿勢を崩したわけでもなく、無視もしていない。謙虚な気持ちで正座をしていただけである。
開口一番『あなたの背後にいる坊主頭の老人はあなたとどういう関係の方ですか?』と問われた。
年がいけば誰でも髪の毛が薄くなるだろうし、その時点では父親も死んではいないし、はて、親戚筋でもそのような人は思い浮かばず、私は思案していた。
霊能者がよく切り出す手法であるが、見えている?ことを必要もないのにいきなり切り出しアピールするパターンはよくあることです。
最初に一喝して気を引き、後は情に訴えたり、弱みに付け込んだりして主導権を取り、自分の都合に引き込んでいくのである。
当日はその程度のことで引き上げたが、後日、知人を介して霊能者から『来てください。』と連絡が入った。再び私は伺った。
『先日は大変失礼なことを申し上げました。お許しください。』と随分と平身低頭に丁重な挨拶で迎えられたのであったが、とても不思議でならなかった。
最初の訪問時に、私がどういう人間で何をしているのかを知らなかったようで、高飛車に出てきたようなのだが、前回の訪問後に知人から聞いて初めて私のことを知ったようである。
私は彼女に進言した。『あなたは伝家の宝刀を振りかざすようなやり方をするのではなく、法を説くことが先ではありませんか?』と。
彼女はいう。『伝家の宝刀とは何ですか?』
『それは一般の人たちが持ち得ない能力のことですよ。』
『法を説くとはどういうことですか?』
『苦悩から解放されて人間として正しく生きる為の方便のことです。』
『そうですか。良くわかりました。私は無知なことをしていました。ありがとうございます。』といって深々と頭を下げて『私の無礼を許してください。』と詫びるのだった。
以来、わからないことがあると電話でアドバイスをお願いしますという連絡が度々あったが、以後は宝刀を振りかざすようなことはなく、聞く耳をもって事に臨んでいるようだ。
人間は大して価値のないものであっても他人が持っていないものを手にすると、どうしても増長慢になり、心に驕りという魔が潜んでしまうものである。
さて、きょうは幽界以下の階層にさ迷う霊たちの実態を述べてみましょう。
※自縛霊(生前に自らの心の執着による不調和のために幽界以下の次元に堕ちている霊)
※地縛霊(限られた特定の場所に自らを縛り徘徊している霊、例えば事故現場、自殺現場)
こういった霊は自縛霊、地縛霊ともに生前の時の心に問題がある為に行動範囲も非常に限られた範囲内となっているものです。
人間は死んだら仏になると言うが、これは、死人という意味での仏ということであって、お釈迦様のように『宇宙即我』の境地まで大悟された方のという意味とは異なる。
人間は決して、死んだから仏(悟る)になるということはなく、生前の心の状態の延長であの世の居住境涯が決まるのである。
従って、心の執着がなく人類愛をもって生きた人は霊界の上層階に昇天していくことができる。
反対に自分を偽ったり、他人を欺いたり、不満、愚痴、怒りなどの執着、そして、驕り、傲慢、頑固、猜疑心を持っている心なら改めて生きなければならず、決してそのままでこの世の生命を終えてはならない。
再び本題に話を戻しましょう。自縛霊や地縛霊たちは無差別に地上の人間に取り憑くわけではありませんし、彼らが憑依しやすいのは地上人間の心不調和な者たちであり、または「霊感体質者」の場合が多いのである。
しかし、いわゆる霊感体質者ではあっても心に偏りがなく、中道の生き方で普段の生活も拘りがなく、執着せず、足ることを知った生活をしているならば憑依されてしまうようなことはありません。
心が調和されている人の場合は自分の霊体から発するオーラが大きくなり、バリアの役目をするために邪悪な霊たちが心の中には入り込めないのです。
ただ、オーラ(霊体)の光色と性質は各自の心の状態によって違っていて、不調和な人のオーラと調和されている人のオーラでは光色も特質も異なったものになり、憑依されるもされないもこういうことが根本にあるということです。
霊感体質の光子体(オーラ)
自縛霊や地縛霊達は、高い上空ではなく、地上近くをうろついたり特定の場所にじっとしていますが、彼らの目には地上人間の霊感体質者は、小さな灯りのように見えている。
つまり、私たち人間は、原子肉体光子体(霊体、オーラ)の二重構造によってできており、常に体からはオーラが放射されていて、それが自縛霊や地縛霊にはぼんやりとした街灯のように見えるのです。
夜の街灯に虫が寄ってくるように、暗闇でたき火をしていると、その光を求めて虫が寄ってくる。
暗黒の世界に居る自縛霊や地縛霊は、夏の夜の灯火に引き寄せられる昆虫のように、霊感体質者のオーラに引き寄せられます。
そして、そのオーラの中に入りたいと思うようになります。これは生命体が光を求める潜在的原点であるからだ。
また、普段は何でもなかったごく普通の人でも潜在的に敏感な素養をもっていれば自縛霊や地縛霊のいる特定の場所をたまたま通り過ぎた際に、無意識のうちに地縛霊を引き付けてしまうことがありますが、それがきっかけで憑依現象が始まるように習慣化していく場合もある。
世間一般で言われている“霊能者”とは、オーラを他の人たちよりも大きく発散させている霊感体質者ともいえるわけですが、4次元世界(あの世)からの状況や変化、そして影響力を敏感にキャッチできる人間だといえよう。
憑依現象は、こうした霊感体質の人に生じるのですが、それでも、根本的な原因は心の次元が低いことに起因すると言っても過言ではないだろう。
心の次元が低いとは、人を見下した発言ではなく、何度もいうように、不調和な心の事をいっているのである。不調和な次元の低い心は、同次元の霊人たちとコンタクトしやすいということだ。
低級霊にとっては、地上に霊感体質の人間や、ステージの低い人間がいたほうが好都合ということになる。地上の霊感体質者は、彼らにとっては絶好の憑依チャンスであり、働きかける経路なのです。
一般の人間は、いくら働きかけても反応が鈍く、なかなかコンタクトすることができませんが、霊感体質の人に対しては容易にあの世から影響力を及ぼすことができるのである。
霊感体質者は霊的に敏感なため、お葬式に参列たり、人混みの中に長時間いると、悪い霊気の影響を受けて体調を崩したりします。
頭痛や吐き気をもよおしたり、頭を締め付けられるような体験をすることもあります。
霊感体質の人は、守護霊や指導霊、あるいは高次元霊からのメッセージを受け取ることができるようになれば優れた霊的能力者となれる一方で、心に驕りや執着があれば則、低級霊に憑依されやすく、低級霊にとっての都合のいい道具に堕ちてしまうリスク(危険性)も大きいということを知っておくことです。
自己中心的で一貫性がない、自主性が乏しくて拘りが強い、物や金に対する欲望が強い、こういった霊的にも精神的にも未熟な場合には、自縛霊や地縛霊にとって憑依の格好のターゲットになります。
一方これとは逆に、霊感体質の人であっても霊性が優れ、心身のバランスが良い健全な人間性の持ち主であれば、低級霊の心の波長が合いませんから憑依されることはありません。
しかしながら、私がこれまでお会いしてきた霊感体質といわれている人たちの多くが、霊性やモラルの感覚が高いとは言えず、とても世俗的で享楽的で、物中心的な思考に偏っています。
周りの人間に対し依存心が強く、堕落した好みや願望を快く思うような人間が多いのです。
その結果、悲惨な憑依現象を引き起こすことになっているのであって、憑依される人間は、自らの弱みと自由意志によって、そうなることを許しているのである。

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