憑依を恐れてはならない!

邪霊

憑依という現象を利用し、悪質な除霊や浄霊治療と称して暴利を貪る行為が横行しています。
憑依は、人の弱みに付け込んで暴利をむさぼる“霊感商法”にとって格好の餌食となってしまうから気を付けなくてはならない。
巷の祈祷師や霊能者は、『キツネ・タヌキ・蛇などの霊が憑依している』といって脅しをかけてくるのが常とう手段です。
彼らは現実にそうした様子を霊視しているのかも知れませんが、霊視にも段階があって未熟で低い能力の場合は危険も伴っていることを知っておかなくてはならない。
それをそのまま事実として鵜呑みにしてしまうと、まんまと騙されることになるし、霊能者自身が低級霊に操られている場合もあるということだ。

ここで憑依の事例を紹介します。

前後不覚になって家族に怒鳴り散らし、知人にはメールであらぬことを口走り、怒りをぶちまける30代の男性は少し思い通りにいかないことがあるとすぐに興奮して理性が働かず、ブレーキが全くきかない状態に陥り、落ち着いたあとに記憶をたどっても覚えていないことがあるという。

ただ単に短気な男性かなと思われるかもしれませんが、普段の冷静な時に会話をしていると理解力もあり、好青年なのだが、突発的に完全憑依されて自分の心を支配されてしまっている。

しかし、この男性は自分がとった行動に後から悔いてはいるのだが、邪悪な者たちの憑依を受けていることを認めない。

この人の場合、その都度何回となく協力しても結局、本人の自我心が強く、感情的になりやすく冷静さと理性にかけるためにいつも不調和になりやすく、頻繁に別人となるのだが、心を改善しないことには憑依からの卒業できないだろう。

憑依霊の多くは死を自覚していない者も多く、無意識的に地上の人間に取り憑き、その結果、人を苦しめることになります。
しかし幽界の下層には、単純で無知な霊ばかりでなく、悪意を持って地上の霊的敏感な人を付け狙っている邪悪な地縛霊や自縛霊もいます。
彼らはいったん目をつけた霊的敏感な人にしつこく付きまとい、巧妙に働きかけます。
そして本人だけでなく、家族や親族をも巻き込んで翻弄(ほんろう)することになります。
一般的な憑依は、死んだことを悟れない霊達によって無意識・無自覚のうちに進行するのに対し、この“邪悪な霊”のケースでは、初めから害やトラブルを引き起こすことを目的として意図的・作為的に行われます。

憑依については経験がなかったり、見たことがなければ懐疑的であったり、よく理解できないところもあるでしょうが、だからといって憑依されるようではそれも困りものです。

憑依については度々問われることでもありますから、今回は少し、つっこんで説明をしてみます。

よく、「私は憑かれやすい」、「もらいやすい」、「連れてくる」、「気配を感じる」、「お墓に行くと具合が悪い」、「特定の場所が苦手」、「人の大勢いるところでは具合が悪くなる、頭痛がする、動悸がする、息苦しい」、「金縛りにあう」という人がいます。

こういう人は自分の精神不安や不調和な心も影響していることがありますし、霊たちの強い働きによる影響を受けた結果であるとみてよいでしょう。

受けた結果という意味は、完全に自分の心を支配されたわけではなくても、未浄化な霊人が傍に寄り添うだけでもその波動エネルギーを自分の霊体が感じているということです。

私たちの体は直接触れ合わなくても傍にいるだけでも実際は触れ合っているもので、それが霊体(オーラ)の接触ということである。

その意味でいうと、私の場合は人が5~10メートルくらい離れていてもその人の霊体波動の性質(善悪、調和、不調和、邪念)を感じてしまうのだが、敏感すぎるのも良し悪しのときもある。

さて、人間は憑依されてしまうと自分の人格が潜在し、憑依霊の人格が表面に出て、本来の自分ではない人間として奇怪な行動をします。

憑依という現象を引き起こすのは、幽界の以下の下層にたむろする地縛霊や自縛霊などの未熟な霊です。

未熟な霊というのは地上生活をしているときに、偏見で心が歪んでいた人たちの死後の姿であり、あるいは動物霊(特に狐、蛇)たちです。

彼ら幽界人間の場合は〝死〝つまり肉体からの解放時にあまりにも心が未熟で執着があったために、また霊的知識が欠如しているために、自分が死人となったことに気がついていない者も多い。

もし彼らが「心の真理」を知っていたならそして、「霊的な真理」というものを知っていたならば、死後しばらくすれば死の自覚を持てるようになるのですが、最も大事な真理について全く無知であるために、結局は地上の懐かしい生活空間や家を日常的に生きているときのようにうろつき回ることになるのである。

やがてそうこうしているうちに、地上人間の光(オーラ)に引き付けられて、無意識のうちに取り憑くことになります。
なぜ取り憑くのかとなると霊人の心と自分との心の波長が合ったときにだけ憑依現象が発生することになります。
ということは霊と地上人間との波長が合わなければ憑依現象はおこらないことになるのですが、憑依するあの世の霊は、不調和な霊だけが起こす現象であって霊界以上の霊人たちは憑依ということを決してしません。
霊界以上の霊人たちの場合は、地上的価値観からもある程度は離れていますから地上の時のような執着や未練、拘りはないのです。
そして動物霊の場合はとなると、人間の間違ったご利益信仰のために祭られた龍神信仰や蛇神信仰や稲荷神信仰など、人間の欲による悪影響の産物として人間界に関わるようになってあの世をうろつきまわり、地上人間に引かれてやがて禍をもたらすのである。。
動物霊は祭りあげると一時的には繁栄をもたらすこともあるが、しかし所詮、動物霊は動物でしかなく、ちょっと祭りごとをおろそかにするとへそを曲げて怒りだし、理性も知性も持ち得てはいないために、本能と感情的、且つ、気まぐれで人間を翻弄し、後々には憐れな人生ということになりかねない。
触らぬ神に祟りなしである。
龍神とはいっても霊格に高低があり、修行の行き届いていない未熟な龍は禍をもたらすこともある。
蛇神や、稲荷神といものの実態は危険この上もなく、背後にいるものは蛇と狐でしかない場合が大半である。
これらは天地創造の神、即ち宇宙大自然を統べる絶対唯一の神ではないということを知っておいていただきたい。
さて、よく相談を受けることですが、『家の中でラップ音や階段を上り下りする音、ドアを開ける音がする、黒い人影が見える、後ろに気配を感じる、時々物が落ちる、電気系統のトラブルがちょくちょくある、』これらは居住する家族のなかで心不調和な者がいても外出先から連れてくる場合がありますし、元々その土地、あるいはその近隣に何らかの霊的な因縁があったために発生している場合があります。
しかし、いたずらに不安感や恐怖心をもってはなりません。その心は忍び寄る邪悪な霊たちの思う壺となるからだ。
苦しみから逃れようともがく霊
憑依霊の多くは、何がなんだか分からないうちに、地上人間の波動エネルギー(心のオーラ)に波長共鳴の原理によって触れてくる者や、作為的に憑依の機会を狙っているものもあります。
彼ら幽界以下の世界に居住する霊体たちは暗黒の闇に徘徊し、寒く、奇獣たちに怯え、頭を切り裂くような音にさらされながら死のない苦しみの中にいるのである。
彼らがいかに霊的に未熟であるといっても、そんな状態で居心地がいいはずもなく、何とかそこを抜け出そうともがくのですが、どうしても抜け出すことができずに苦しみ続けます。
そういう心の苦しみのままに地上人間の傍に寄ったり、憑依したりするのですから精神異常や錯乱状態を引き起こすことになります。
憑依が進行すると、それが原因となって、さまざまな災難に遇い、悲劇が引き起こされ、病気・不道徳行な為・犯罪・精神病・などが生じることになります。
うつ病患者の場合も憑依されているケースが多々あります。
憑依霊にも個人としての性格があり、一人一人、考え方も好みも異なっています。
その違いが、いろいろな憑依状態やトラブルとなって現れることになります。
このような人が、「今までは自分で対処できなくて何日か具合悪い思いをいていた」という場合、解除の仕方や、心の調和方法を指導してやると、やがては、何かおかしいな、嫌な霊の存在を感じるなというときにでも数分から十数分で正常になれて難なく過ごされているのである。

人の意識が、動物霊(特に蛇、狐)、や地獄霊に傍に寄られたり、憑依されると、体にでる自覚症状としては、体調が崩れる、体の弱いところに苦痛を感じる、いきなり頭痛がする、動悸がする、息苦しい、吐き気がする、めまいがする、いきなり耳鳴りがする、等々、さまざまです。

精神面では、ひとりよがり、怒鳴りつける、キレやすい、感情の起伏が激しい、豹変する、独り言を言う、話しが二転三転する、言動に一貫性がない、無口、多弁、ウソつき、深酒などの現象が顕著になってきます。

そして、これが進行すると、病気や災難、家庭不和、事業の行き詰まりにもつながってきます。

憑依がさらに進行すると、精神分裂状態になります。いわゆる気違いです。こうなると、自分の意識が他界者に完全に占領され、就眠することが困難になってくる。

うつ病の場合は仕事のストレスからや、病気がきっかけでという場合もありますが、精神的疾患者の場合、霊的な悪影響を受けて、知らず知らずのうちに悪化している人もいます。

人間は心と肉体から成り立っています。

憑依とは、あの世の低段階の地獄霊、動物霊が、人の心に憑くことをいいます。

なぜ憑くかというと、先にも述べたように、元々その本人の、物の見方、考え方が非常に片寄っており、欲望や執着、拘りが強いために、これと同じような心を持っている動物霊や地獄霊と心の波長が合う為に邪悪な霊が、寄ってくるのです。

私たちは常にあの世の霊と隣り合わせで生活していることを覚えておかなくてはならないでしょう。

類は友を呼ぶ、ということわざの通りです。

憑依は四六時中続いているかというと、通常は、憑いたり、離れたり、心が片寄った想念に支配されると憑依し、そうでないときは離れます。

飲酒すると、まったく人が変わるが、素面(しらふ)のときは真面目人間というのがよくあります。

しかし憑依の頻度や時間が長くなるにしたがって、その性格が変わってっていき、病気勝ちになってきます。

精神的疾患は、その憑依時間が、長時間になるために起こるものです。

私がこれまで対応してきた、うつ病、パニック障害、過食症、拒食症、ひきこもりなどの人たちの場合などは、自身の心のあり方に原因があったり、あるいは他の人間との関係で窮地に陥ったりという場合もありますが、多少なりとも邪悪な霊の影響を受けているケースが実際にあります。

これは憑依を受けたことによって精神疾患に陥ってしまうこともあり、それ以外の理由によって精神的疾患に陥る場合もあるということです。

後者の場合は、幼少の頃からの不調和な家庭環境によるものが大であるということは、これまでの幾多のカウンセリングによっても判明した事実であり、両親との関係の中でトラウマや悩みが起因しているということだ。

歪んだ家庭環境下では子どもの心も歪んでしまうことの証である。

私たちの欲望が強くなると動物霊が憑く。

感情が起伏が激しく動いたり、不調和な状態での意志が強すぎたり、頑固になって素直ではなくなると自縛霊や魔界の霊人が憑く。

知能におぼれ増長慢になると地獄霊が憑いてきます。

しかし、これらは傾向であって、内容によっては憑依も多様化してきます。

憑依から己の意識を守るにはどうすればよいか。それには偏らない正しい道に適った心の想念と行為が必要不可欠です。

即ち知識ではなく正しい心のあり方の実践である。

憑依は、向こうが勝手に寄ってくるのではなく、自分が呼び、自分がつくり出しているといえるのです。アンバランスな精神状態がつくっているのです。

片寄った想いがあるから、彼らは集まるのです。

自分が憑依されていることがわかっても、決して、恐れてはいけません。この世で、いちばん恐ろしいのは、やはり、生きている人間です。

一念三千(どこにも通じる)の心を持つ、己の心です。

常に変化してやまないものが、人の心なのである。

さらには、盲信、狂信、また、思想や主義主張にかぶれ、あるいは、食や性に対しても獣のような欲望を持った者です。

ですから自分でおかしいと思ったならば、自分の心を、常に、平静に保つように、八つの正しい生き方(クリック参照)に適った生活を送るよう心がけることです。

そうすると向うの霊の波動と合わなくなってきますから、憑依現象も自然と解消されてきます。

一連の問題に関しては如何に知識を得ようとも解決することはなく、得た正しい知識を日々の生活の中に活かし行動してこそはじめて身に着くものであるということを強く申し添えておきます。

尚、金縛りや一時的な憑依を解除するための手法は、私の主催するHeart school(心と体の健康教室)に参加した人には指導しているが、ここでは割愛させていたきます。

機会をみて、再度、憑依に関する真実を掲載しておきたいと考えております。

きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。下のバナーをポチッとクリックして頂いているおかげでランクも徐々に上がり、多くの方にに読んでいただく機会も増えております。

そして全国からご相談のメールもいただき、及ばずながらも対応させていただけること、身に余る光栄と存じます。ありがとうございます。
またの訪問をお待ちしております。これからも読んでいただけるような内容のコラムを載せるよう努力いたします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ にほんブログ村 哲学・思想ブログへ