人はうまくいかない時にどのように生きるかで評価が決まるともいいます。
またうまくいっている時ほど危険が多いともいいます。
いつの世も家庭内でのトラブルや社会の中での人間関係、仕事上のトラブル、そして病気による心の浮き沈みや死に直面した人、経済的な悩みなど諸問題に事欠かないなかで懸命に努力をしながら生きる人もいるし、不満や愚痴に明け暮れている者もいます。
少し順調にいっている時は油断しやすく心に隙ができやすいために驕りや傲慢な言動になりやすいのも人間であろうし、そのことによって事態が悪化することも多々あります。『好事、魔が多し』という言葉が如実にそれを言い表している。
逆境の中にあれば周りみな妙薬』という言葉があります。逆境の時の苦労はすべて後になって自分の薬になるものだということですが、しかし逆境の渦中にあるときは、苦しさゆえになかなかそのことに気づきません。
かといって逆に順境のときには多くのものを失いやすく、やはりそのことに気づかないものです。
私自身の人生を顧みると努力の割には30過ぎまで仕事でも経済面でも苦しいことだけで何一つ陽の目を見ることはなかった。しかし、今の自分は若いときの逆境が成長させてくれたからこそと自覚している。
少し上昇して有頂天になっていた私を待っていたのは死を予感させるほどに倒れて動けず食事もできない状態が続き、数か月で肋骨が浮き出るまで痩せた体だった。全く機能しない体に精神的に焦りが出てきて自分を冷静に保つことにもようやくだったし、鏡に映るわが身に愕然としたことを鮮明に憶えている。
良い時こそ自分の足元をしっかり見据えて生活していかないと必ず落とし穴に落ちることを身を以て体験したことになります。
人生に試練はつきもの、逆境のときに不満や愚痴や怒りを思い、またそれを人にぶっつける生き方は更に自分に返ってくるし、結果はますます環境を悪化させるだけである。
しかし、このような時こそが人間の器を成長させるチャンスでもあることは間違いない。成功するものとしないものを二分するものがあるとすればそれは才能ではなく逆境や試練から学べるかどうかではないだろうか。
いま思えば人生の岐路は生きる過程においてあらゆる場面で遭遇してきたが、逆境や試練を乗り越えず避けてきたら今の私はなかったと確信するに至った。
逆境が偉業を成すこともある。逆境や不遇の状況に置かれていると、つい後ろ向きな考えになってしまうものです。
ですが歴史上にも、身近な人のなかにも環境が恵まれない中で自身の分を知り心安らかに生きる人もいるし、偉業を成した人もいる。
先人たちの不遇や逆境を学びの糧とする生き方は多くのことを気づかせてくれますが、いざ自分がそのような環境にあるとき実践できなければ所詮、絵に描いた餅で終わることになる。

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Posted by kansindo