生かされているということ
過去の記事でも一部は話したことがありますが、私は過去に死線をさ迷ったことが何度かあります。
一度は、中学生のときに鉄棒から水平に背中から落ちて後頭部を強打し、意識不明の状態になったとき。
一度は、高校生のときに海で泳いでいるときに足がつって溺れてしまい、お線香の匂いがして意識がなくなったとき、気がついたら岸にいたこと。
一度は、20代の時に信号待ちしていて後ろからきたトラックに追突されて乗っていた軽乗車が大破し、意識を失い救急車がきてはじめて事故に気づいたとき。(この後にムチ打ち症で長年苦しむ)
一度は、58歳で過労で倒れて死線をさ迷ったとき。この時はさすがに死を覚悟したが、体力回復まで3年かかった。
こういった経験は私の心に大きな影響を与えました。
人間というものは何度も死を意識するような出来事に直面すると、死というものへの恐れが少しずつ薄らいでくるようです。
ですがその半面、生への価値観を強く認識するようにもなります。
今の私は、自分以外の偉大なものによって生かされている実感がハッキリと、強く思えるようになりました。
それだけに難しいことではありますが、生きている間は賢明に生きなければといつも心に言い聞かせています。
賢明に生きるとはどういうことを言うのか。
誠実に、そして選択を迫られたときに、私心ではなく、偏りのない心で判断をして生きることと思う。
自分の分をわきまえずに富や地位を追いかけたら、心の平安や充足は遠ざかるだけではなく、人間の心に豊かさが失われることも知りました。
しかし私は有り難いことに、この年になっても一生懸命に働けることがどれほど恵まれたことであるか図りしれないものがあります。
このいのち、あらゆるものの生命と、あらゆる人々のおかげをいただいて生かされています。
だから何かの形でお返ししなければ申し訳がないと思う。
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