心と肉体の調和
摂食障害(過食症、拒食症)、パニック障害、うつ病、肉体的な病気などで相談を頂くなかで、私が言いつづける言葉に、心のバランス、中道ということがある。
正しい生き方の法則とは、その根本において中道の心と実践(生き方)をいいます。
太陽、地球、空気、水、人間の肉体も、すべてこれ中道の心にしたがって、その生命を生かし、維持しています。
人間も小宇宙であり、心がアンバランスになった時に苦しみ、肉体にも変調をきたすものである。
太陽の熱、光が、あるときは強く、あるときは弱くなったらどうでしょう。
太陽そのものも、アンバランスをきたし、太陽をして崩壊に導くことになりましょう。
私たちの肉体についても、夜も寝ずに四六時中これを酷使したとしたらどうでしょう。十日と保持することはできません。
昼は働き、夜は休む、こうしたバランスのとれた心と生活をし、生かされておれば、その肉体は保全され、定命がくるまで新陳代謝がさわりなく行われるのです。
私たちの肉体の機能、地球の機能、太陽の機能というものは、すべてこれ中道の心にしたがって生き、生かされています。
ところが人間は、肉体のほかに、心という精神を保持しています。
その心の不調和のために、中道によって生かされている肉体の機能を損っている場合が多いのです。
これはなにも肉体ばかりではなく、周囲の生活環境にまで不調和を与えてしまいます。
特に精神的要因による肉体上の疾患については、向精神薬の服用だけで回復を期待することは非常に危険であることは、相談者たちの実情をみてきたことでハッキリといえます。
更に、症状をきいて向精神薬を処方する事務的な心療内科や精神科の患者への対応も社会問題となって医療現場へ警鐘をならす事態がおこっている。
心とは、各人の意識であり、魂であり、想念としての創造行為であり、そしてそれは、まったく自由な立場で、自由に行使できる精神作用でもあります。
この精神作用があるために、人間は、神の子として、大宇宙にまでその心を飛躍拡大させることもできようし、反対に、地上の相対観の中に埋没してしまうという危険さえも蔵しているのです。
相対観とは、相手がいることで自分を意識する心のことであり行動のことである。
人生は、山あり、谷ありで、想像もできない、いろいろな壁につき当ります。
これによってたくましくなる者もあれば、自分の力を出し切らずに終ってしまう者もあります。
強気も弱気も、だいたいは、この地上での習慣に身をまかせた場合が多く、人間はなんの目的で生まれてきたかを知らずに、あの世に帰る者があとを絶ちません。
長い目でみるならば、そこが人間としての魂磨きといえましょうが、しかし、中道の心がわかり、己の心の在り方、想念の持ち方を、正しい生き方という法にそって生かしてゆくならば、心も、肉体も、よりすこやかに保全されてくるのです。
人間の幸、不幸の分かれ目は、肉体という舟を動かしているところの各人の心、想念、魂であります。
その魂が、正しい生き方の法則にそった中道の心で、ものを見、語り、思うことによって、日常の生活を正しく想念、行為するならば、心と肉体、己自身と周囲の環境というものは、自然に整えられてくるものなのです。
人間の肉体はその人の心の持ち方によって、いっそう健全になり、健康な肉体は、心をますます明るくしてゆくものです。
そのようなことの意味を含んだ言葉として色心不二とは、正しい生き方の法則の神髄をいったものであり、それはまた中道の心でもあったのです。
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